学位論文要旨



No 127855
著者(漢字) 藤戸,尚子
著者(英字)
著者(カナ) フジト,ナオコ
標題(和) 顎口類MHC 領域に存在する免疫プロテアソームβ8 サブユニット遺伝子(PSMB8)の二型性の進化
標題(洋) Evolution of allelic dimorphism of the immunoproteasome subunit beta-type 8 gene (PSMB8) in the gnathostome MHC region.
報告番号 127855
報告番号 甲27855
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5858号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 教授 斎藤,成也
 東京大学 准教授 高野,敏行
 東京大学 准教授 上島,励
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

獲得免疫は顎口類の共通祖先において確立された生体防御システムであり、そこではリンパ球による抗原の認識を契機として様々な体液性、細胞性の免疫反応が引き起こされる。細胞内在性抗原は、細胞質中の免疫プロテアソームによる断片化を受けた後、MHC クラスI 分子によって細胞表面に提示され、MHC 分子ごとT 細胞レセプターに認識される。免疫プロテアソームは顎口類のみに見られるプロテアーゼ複合体であり、全ての真核生物が共有する構成型プロテアソームの三つの活性サブユニット(PSMB5、PSMB6、PSMB7)が、インターフェロンγによって誘導される近縁なサブユニット(PSMB8、PSMB9、PSMB10)に置き換えられることにより形成される。免疫プロテアソームは構成型に比べ、キモトリプシン様活性が上昇しており、MHC クラスI 分子による提示に適した、疎水性アミノ酸をC 末端にもつペプチドを効率的に切り出すことが知られている。

サメ(Kandiletal.1996)、ゼブラフィッシュ、ドジョウ、サケ、ニジマス、メダカ(Miuraetal.2010)、フグ、及びツメガエル(Nonakaetal.2000)のPSMB8 には二つのタイプが存在することが明らかとなっている。これは、S1 ポケットを形成し基質特異性を決定する31 番目のアミノ酸残基として、アラニンやバリンなど比較的側鎖の小さな疎水性アミノ酸をもつA タイプと、フェニルアラニンなど側鎖の大きな芳香族アミノ酸をもつF タイプの二つであり、異なるC 末端をもつペプチドを生成すると考えられる。これらの配列に基づいた系統樹(図1)はPSMB8 遺伝子が以下に述べるような独特の進化を遂げていることを示唆した。(1)PSMB8 には、顎口類の共通祖先で確立され、一部の動物により現在まで受け継がれている二つの系統が存在する。図1 において、サメ、ゼブラフィッシュ、ドジョウ、サケ、ニジマスのPSMB8 遺伝子は、A タイプとF タイプに分かれてクラスターを形成しており、これをA 系統とF 系統とよぶ。

(2)二系統の遺伝子はアリル/パラログ間の移行を少なくとも一度経験している。サメの二系統の遺伝子は独立した別個の遺伝子(パラログ)であるのに対し、ゼブラフィッシュの二系統は対立遺伝子(アリル)として存在することがゲノムPCR によって示されている。

(3)F 系統の消失、F タイプの回復がそれぞれ独立に複数回起きている。図1 において、メダカとツメガエルの二タイプのPSMB8 遺伝子はA 系統のクラスターの中にそれぞれ独立にクラスターを作っている。これらの動物では、F 系統が失われ、A 系統の遺伝子から、F 系統に似た機能的特性をもつF タイプの遺伝子が再生されたと思われる。メダカとツメガエルの二タイプの遺伝子はアリルの関係にあることが先行研究により示されている。

そこで本研究では、5 億年以上保存されているPSMB8 遺伝子の二つの系統に注目し、その進化過程の全容を理解することを目標とした。まず、進化的に重要な位置にある動物を用いて、この二系統のPSMB8遺伝子を探索し、そこではアリル/パラログのいずれであるのかを明らかにすることにした。

第一章 A / F 二系統のニジマス(Oncorhynchus mykiss )PSMB 8 遺伝子についてのアリル/パラログの検討

ゼブラフィッシュを含むコイ目から3 億年ほど前に分岐したとされるサケ目に属するニジマスについては、二系統のPSMB8 遺伝子配列がデータベースに登録されている。しかし、ニジマスではゲノムの四倍体化に伴ってPSMB8 遺伝子座も重複していることが知られており、これら二系統の遺伝子相互の関係は明らかになっていない。本研究では、ニジマスの二系統のPSMB8 遺伝子がいずれかの遺伝子座にアリルとして存在する可能性を検討するため、ゲノムPCR による解析を行った。データベースに登録されているニジマスの二系統のPSMB8 配列をもとに、イントロンを挟むエキソンに各系統に特異的なプライマーを作成し、これを用いて五組のペアのゲノムPCR を行い、得られたバンドの長さ、及びイントロン配列の違いにより次世代におけるアリルの分離を見ることができる二組のペアを選び出した。この二組のペアの次世代個体を各々41 個体と40 個体用いて同様のゲノムPCR を行い、ニジマスの二つのPSMB8 遺伝子座の一方は配列の相同性の高いA 系統のアリルに占められていること、もう一方ではA 系統とF 系統の遺伝子がアリルとして期待される頻度に分離していることを示した。二系統のPSMB8 遺伝子はコイ目(ゼブラフィッシュ)とサケ目(ニジマス)の共通祖先において既にアリルとして確立されており、平衡淘汰により約3 億年の間維持されてきたことが示唆された。

第二章 古代魚ポリプテルス(Polypterus senegalus )のPSMB 8 遺伝子の単離、及びアリル/パラログの検討

平衡淘汰が更に長期にわたる可能性を検証するため、現存の条鰭類の中で、最も早期に分岐したとされる古代魚、ポリプテルスのPSMB8 遺伝子の単離を試みた。他動物のPSMB8 遺伝子配列をもとに、両系統を増幅し得る縮退プライマーを設計し、ポリプテルスの脾臓から抽出したtotalRNA を鋳型にRT-PCRを行うことにより、31 番目のアミノ酸としてフェニルアラニンをもつF タイプと、バリンをもつA タイプの二種類の遺伝子断片を得た。RACE 法によりcDNA の全長配列を決定し、系統解析を行ったところ、この2 種類のPSMB8 はA/F 二系統のそれぞれに属することが判明した(図2)。この二系統の遺伝子がアリルであるのか、パラログであるのかを検討するため、同じペアを親とする27 個体のポリプテルスのゲノムPCR を行ったところ、二系統の遺伝子はアリルとして期待される頻度に分離した。これにより、二系統のPSMB8 遺伝子は条鰭類の共通祖先において既にアリルとして確立されていたことが示唆された。これまでに知られてきた、平衡淘汰によって維持されてきたとされる<種を超えて保存された多型> ( Trans-speciespolymorphism,TSP)の存続期間は、最長のものでも数千万年程度である。これに対し本研究は、種どころか<亜綱>を超えて、約4 億年にわたって平衡淘汰により維持されてきたと考えられる二型の存在を示した。

第三章 ポリプテルス、及びゼブラフィッシュのMHC 領域の解読

二系統のPSMB8 アリルが組換えによる均質化を受けることもなく長期にわたり維持されるには、なんらかのゲノム構造上の基盤を必要とするはずである。本研究ではポリプテルスとゼブラフィッシュについて、それぞれ二系統のPSMB8 アリルに連なるゲノム領域を解読、比較することを計画した。

PSMB8 遺伝子は、MHC 領域とよばれるゲノム領域に存在することが知られている。MHC 領域は、免疫関連遺伝子が高密度に存在する領域であり、その基本構造は、軟骨魚類のサメからヒトに至る顎口類の各系統において保存されている。硬骨魚のみは例外で、MHC 遺伝子が異なる染色体上に分散しているが、その硬骨魚においても、PSMB8 遺伝子などクラスI の抗原提示に直接関わる遺伝子と、MHC クラスI 遺伝子は緊密に連鎖し、硬骨魚のMHC クラスI 領域を形作っている。

ゼブラフィッシュについてはA 系統のアリルを含むMHC 領域の配列が既に解読されているため、本研究ではゼブラフィッシュのF 系統、及びポリプテルスのA/F 系統のPSMB8 遺伝子近傍のゲノム配列を決定することにした。現在、F 系統のPSMB8 遺伝子を含む約140kb のポリプテルスBAC クローン(34J1)の解読が終了したところである。この結果、このクローン上には、PSMB8 遺伝子を挟む位置にPSMB9 遺伝子とTAP1 遺伝子が存在することが判明した。この配置はこれまでにMHC 領域の構造が知られている硬骨魚とは大きく異なり、ツメガエルにおける並び方と一致する(図3)。ポリプテルスは条鰭類におけるゲノム倍加以前に分岐した動物であるとも言われており、MHC 領域における遺伝子の配置が上位の条鰭類とは大きく異なることが考えられる。

第四章 ゾウギンザメ(Callorhinchus milii )のPSMB 8 遺伝子の単離、及びアリル/パラログの検討

二系統のPSMB8 遺伝子の祖先型がアリルとパラログのいずれであるのかを知るために、パラログであることが判明しているドチザメ、及びコモリザメの属する板鰓類とは4 億2 千万年前に分岐したとされる全頭類のゾウギンザメを解析した。ポリプテルスと同様の手法により、31 番目にフェニルアラニンをもつF タイプとアラニンをもつA タイプの二種類のPSMB8 遺伝子の部分配列を得、そのcDNA 配列全長を決定した。これをもとに系統解析を行ったところ、この二つの遺伝子はいずれもF 系統に属するという予想外の結果を得た(図2)。ゾウギンザメはA 系統を消失しF 系統からA タイプを回復したと考えられる。18 匹のゾウギンザメ野生個体を用いてゲノムPCR を行い、この二タイプの遺伝子はアリルであるとの結論を得た。全頭類のゾウギンザメで板鰓類と全く異なる結果が得られたため、軟骨魚類の共通祖先における二系統のPSMB8 遺伝子の存在態様を推測することはできなかった。しかしながら、一系統の喪失と残る系統からの二型の復元が、ゾウギンザメにおいても起きているという知見は、各所で二型を生み出すPSMB8 遺伝子の興味深い進化が顎口類全体に及んでいることを示している。

結論(図4)

顎口類の共通祖先で確立された二系統のPSMB8 遺伝子は軟骨魚類・板鰓類のサメ、下位の条鰭類であるポリプテルスやニジマスで今日まで伝えられていた。5 億年にわたって維持されてきたこの二系統の遺伝子はサメではパラログとして存在するものの、ポリプテルス、ニジマスではアリルとして存在することが本研究により示された。これにより、二系統のアリルとしての起源は条鰭類の共通祖先まで遡ることができ、その後約4 億年という長期にわたって平衡淘汰によって維持されてきたことが示唆された。軟骨魚類・全頭類のゾウギンザメではA 系統は失われ、同様の機能的特性をもつA タイプのアリルがF 系統内で回復されていた。同系統に属する二タイプをもつ動物は他に、メダカやフグ、ツメガエルが知られており、PSMB8 遺伝子の二型性保持に向けた強力な選択圧の存在が示唆される。

図1.既知のPSMB8 遺伝子の系統樹

図2.PSMB8 遺伝子の系統樹

図3.ポリプテルスBAC クローン(34J1)と他の顎口類MHC 領域の比較

図4.PSMB8 遺伝子の進化過程

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、顎口類の共通祖先において確立され、今日まで維持されてきた二系統のPSMB8遺伝子について述べている。本章では、この二系統の遺伝子がゼブラフィッシュでは対立遺伝子(アリル)として存在する一方、サメでは別個独立の遺伝子(パラログ)として存在することから、アリル/パラログ間の移行を経験したと考えられる点に言及した上で、ニジマス、及びポリプテルスにおいてアリルとして存在することを示した。従って、この二系統のPSMB8遺伝子は4億年の間、平衡選択によりアリルとして維持されてきた可能性が高いと結論された。これまで知られてきた遺伝子多型の起源は、例外的に古いものであっても数千万年前に遡る程度であり、桁違いに長期にわたり維持されてきた多型の存在を明らかにしたことは、遺伝子多型の進化の理解に重要な貢献をしたのものと評価される。

第2章では、第1章で単離したポリプテルスの二系統のPSMB8遺伝子アリルのうち、一方のアリル近傍のMHCゲノム領域の塩基配列を解読し、他の顎口類のMHC領域との比較を行っている。その結果、同じ二系統のアリルを保存しているゼブラフィッシュとはPSMB8遺伝子近傍の遺伝子の配置が大きく異なることを明らかにし、二系統のPSMB8アリルは、硬骨魚における大規模なMHC領域の再編をくぐり抜けてポリプテルスとゼブラフィッシュの双方で維持されてきたと結論した。第2章の内容は、非常な長期間存続する二型の維持機構の解明に重要な手がかりを与えるのみならず、硬骨魚におけるMHC領域の再編成の過程を知る上でも意義が大きい。

第3章では軟骨魚類全頭類や有袋類、単孔類など、顎口類を幅広く材料に選んで、PSMB8遺伝子の二型の単離を試みている。系統解析の結果、第1章で示した二系統のPSMB8遺伝子の一方のアリルが顎口類の進化の歴史の中で複数回失われ、代わりに機能的に類似すると思われる二型が多数回独立に回復されたことが示された。

本論文では、第1章から第3章までの結果のそれぞれが、全てPSMB8遺伝子の二型をもつことへ向けた強力な選択圧の存在を示していると結論している。これまでに想定されなかった強力な自然選択の存在を明らかにした本論文は、遺伝子多型の進化の理解を飛躍的にすすめたといえる。

なお、本論文は野中勝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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