学位論文要旨



No 127860
著者(漢字) 吉村,耕平
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,コウヘイ
標題(和) 気候変動の適応策としてのダムの治水・利水容量の再配分に関する考察 : 紀の川流域を例として
標題(洋) Dam volume reallocation between flood control and water use as an adapting policy under climate change in the Kino River Basin.
報告番号 127860
報告番号 甲27860
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7628号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 教授 沖,大幹
 東京大学 准教授 田島,芳満
 東京大学 准教授 福士,謙介
 東京大学 准教授 知花,武佳
内容要旨 要旨を表示する

気候変動はかねてより社会的関心が集まるところであるが、特にその影響が災害面、特に洪水などの水災害の形で現れればより一層の関心が集まる。気候変動に対してのアプローチとしては、温室効果ガスを削減するという緩和策に加えて、気候変動下で発生する様々な変化が人に及ぼす影響を軽減するために社会の側で対処をしていこうとする適応策がある。洪水などの水災害に対してはこの適応策の一環としての河川整備などを考えていく必要があるが、そのためにも気候変動下で洪水リスクや渇水リスクがどう変化をしていくのか、適応策としてどのような手法をとれば有用であるのかを定量的に評価することを求められている。本研究においては適応策のオプションとしてのダムの容量再配分に関しての分析を行うこととした。

第1章では、日本の河川整備の歴史をまとめるとともに、これから向かい合わなければならない気候変動と人口減少という課題を整理した。気候変動により高まるリスクや増大するハザードに対して、人口減少下での財政的制約などにより、現状よりも小さな投資で対応しなければならない、という今後の河川整備の方向性を明らかにした。

このためには既存ストックの活用が重要な要素となってくるが、その既存ストックの活用に関してのターゲットについて本研究では具体的に「多目的ダムの容量再配分」と定めた。研究の流れとしては、もし現状のままの容量配分と、容量を再配分した場合での気候変動下での洪水リスクや渇水リスクの変化を定量的に評価し、その有効性を評価することとした。

第2章では対象流域の紀の川の特性を、流域の都市や土地利用、有史以来から近年までの河川整備の歴史、流域での治水・利水に関わる施設などの視点で整理を行った。他流域との利水のやりとりなどの複雑な水利用のシステムが構築されていること、伊勢湾台風などで大きな洪水被害を受けていることなどのこと、大規模な多目的ダムが存在することなどの観点から、治水と利水が不可分な関係があることを見いだした。このため本研究の目的としてふさわしい河川として採用した理由である。また河川整備のメニューの中で多目的ダムの容量再配分が現実的に採用可能であるプランであり、また研究の趣旨にも合致することを把握した。

第3章では雨量などの気候データから、河川の流量を算出する流出モデルの構築を行った。本研究の趣旨からすると、治水と利水の両面での分析を同時に行うことが求められるが、その観点からは本研究室で開発された水文モデル・流出モデルであるWEB-DHM(Water and Energy Budget based Distributed Hydrological Model)を利用することとした。このモデルは、分布型流出モデルGBHMに(Geomorphology Based Hydrological Model)に陸面過程モデルSiB2(Simple Biosphere Model)を組み込んだものである。これにより洪水に対しての短期でのシミュレーションでも、利水の面での長期のシミュレーションでも同時に検証ができるという点で、本研究に適しているといえる。

流出モデルのキャリブレーションと検証を、1990年から2001年までの間のレーダーアメダスなどを利用して行った。さらにこの結果を伊勢湾台風のデータでも検証を行い、再現性を確かめた。

第4章では、気候変動による洪水・渇水のリスクの評価について、IPCCの第4次報告書において指摘されている点の中で、本研究にかかわりの深い地域や事象を抽出した。さらに国内外の影響評価に関しての先行研究や、日本政府などの適応策への取り組みの議論を整理し、本研究においての課題をまとめた。

気候変動の影響評価については気候モデル(GCM)が有用であるとされ、そのアウトプットを水文モデルに入力し洪水や渇水のリスクを評価する研究は国内外ともに多い。しかしGCMはそれ自身に不確実性を持つため、一つのGCMだけではその不確実性に結論が左右されてしまう、という問題がある。利用するGCMが単一か少数にとどまる研究が多数見られるため、この点を改善する必要があるということを明らかにした。

また流域スケールでの影響評価を行うためのダウンスケーリング手法について既往の手法を整理し、統計的ダウンスケーリングが有用であることを明らかにした。

第5章では、利用するGCMの選別と、そのアウトプットを流出モデルに入力できるようにするためのバイアス補正・ダウンスケーリング手法について述べた。

まずマルチGCMを利用した影響評価を行うにあたっては、そのGCMの選定基準について明らかにする必要がある。

World Climate Research Programme (WCRP)による、CMIP3(third phase of Coupled Model Intercomparison Project)で蓄積されたGCMの中から、IPCCによるシナリオA1B(高成長でかつバランスのとれたエネルギー源を利用)でシミュレーションが行われており、現在再現と2050年・2100年において、なおかつ流出モデルの入力に必要な要素を出力している11モデルを選択した。

次に再現性の評価であるが、現在再現のアウトプットに関して観測データなどへの再現性の高いものを選別することとした。ただしGCMはある初期条件を与えてシミュレーションを行うものであるため、実際に起きた過去の気象や現象を再現するものではない。このため、現実の気候をどのように再現できているのか、という観点で評価を行った。

まずは、広域の気候の再現であるが、東アジアモンスーンでという広域場での降雨や気圧などの再現性を山本の手法によって確認し、選択したGCMが良好な再現性を有していることを確認した。

その上で、流域においての再現性を評価する。特に流出解析においては雨量が重要であるため、雨量の観測データに対しての再現性評価を統計的観点から行った。月ごとの降水量や強雨の頻度などの分布を観測とGCMとで比較をして、その再現性を評価し、うち10モデルが良好な再現性を有していることを確認した。

年総雨量はある程度は再現性があるが、洪水に影響が大きい年最大日雨量はGCMと各観測点では相違が大きいため、バイアス補正を行う必要がある。また流域はGCMでは1グリッドに収まっているが、上流部に降雨が集中することなど、流域内での変化が大きい。このため、観測点ごとにバイアス補正を行うこととし、空間的ダウンスケーリングに相当する処理を行った。

バイアス補正の手順は、強雨に対してはクオンタイルマッピング法、それ以外の降雨に対しては順位統計の手法を利用し、強雨や年総雨量、降雨日数などを矛盾なく観測に合致させることができた。季節性の再現が良好、つまり降雨量や強雨の頻度の季節分布がGCMと観測とで共通性が高かった中下流部は通年で一群として補正を行い、台風期に強雨が集中する上流部では、台風期と前線性降雨の時期とそれ以外の3つのグループに分けて補正を行った。

GCMのアウトプットは日データであるが、流出モデルのタイムステップは時間単位であるため、時間的ダウンスケーリングを行う必要がある。観測データの統計的特徴に基づいてAR過程を利用し、バイアス補正された日雨量から時間雨量を生成した。

なお洪水リスクにもっとも関わりの深い上流部では、伊勢湾台風の降雨パターンの引き延ばしを行った。

第6章ではまず補正された雨量を検証し、流出解析を行って流量の変化を検証した

補正後の雨量に関しては、現在再現に比べて将来予測では総雨量ならびに最大日雨量の増大が明らかになった。

洪水頻度の増大も明らかであるが、洪水ピークでの確率流量の変化を検証したが、将来でのピークの伸びが強く示された。低水流量は増大することが分かった。

以上のことから、利水面では若干緩和されるものの、洪水のリスクに関しては、頻度と規模とともに増大することが示唆された。

洪水リスクの増大に対して既存ストックを活用して対応するにあたっては、多目的ダムにおいて利水容量から洪水制御容量への再配分を行うことが選択肢として考えられる。本研究の核である第7章では、具体的に多目的ダムを想定して、その貯水量の変化をシミュレーションした。その上でダム容量再配分を行った場合の、渇水リスクの変化と、洪水リスクの軽減に関して定量的に評価を行った。それに基づき、気候変動下での適応策としての容量再配分の有効性や実現性を検討した。

まずはダムなしでの現在再現と将来予測においての渇水リスクと洪水リスクを評価し、次に同様に現状の容量でのリスクを評価した。第6章と同様に洪水リスクの増大が現れたが、現状の洪水制御容量では超過洪水の可能性があることが示された。対して利水面ではダムなしでは結果が分かれたが、ダムがある場合では渇水リスクの減少が共通することが明らかになった。

次に容量再配分後の洪水リスクの軽減に関しての分析を行った。現状の洪水制御容量に比べて再配分によって洪水制御容量を増大させた場合には、いくつかのパターンではゼロカット操作による超過洪水の発生を回避できることが分かった。またゼロカット操作に追い込まれたとしても、それを数時間遅らせることができるが、すなわち避難時間をその分稼げたということにもなり人命を守ることができるのではないかということが示唆された。また洪水のピークでのゼロカット操作からピークが下がってからのゼロカット操作に持ちこたえることができるため、河道のピーク流量を大きく低下させることができ、被害を軽減できる可能性があることを示した。

その上で、容量再配分後の渇水リスクがどうなるのかということを評価した。現状での渇水リスクに対して、容量配分はそのままであれば渇水リスクは改善されるか、もしそうであれば再配分によって渇水リスクが悪化しないかということを検証することが求められる。検証の結果、現状の利水容量では渇水リスクが緩和され、さらに半数以上のGCMでは現状の渇水リスクよりも再配分後の渇水リスクが下回った。これは利水面での弊害なしに洪水リスクを軽減できる可能性があるということを示している。また再配分によって渇水リスクが現状より悪化したとしても、渇水リスクが変化しない範囲での再配分に留めることも可能であるし、洪水リスク軽減に注力し渇水リスクに関しては別のオプションで補完することも可能である。以上のことを考えると利水から洪水制御容量への再配分は、そのメリットに対してデメリットが回避可能であるか限定的であるため有用である、と評価を行うことができた。

第8章では本研究を総括した。本研究の成果としては、具体的な河川での適応策の評価を行うために、マルチGCMによる流域スケールでの影響評価を行ったことを述べた。さらに適応策としてのダム容量再配分が有用であるという結論を整理した。

その上で今後高解像度のGCMのアウトプットが出てきたとしても本研究の意義は失われないことを述べ、他流域や他地域への展開についての展望を示した。

審査要旨 要旨を表示する

IPCC第4次評価報告では、観測データおよび気候変動予測モデルによって、全球規模では、大雨の頻度が増加し、渇水の影響を受ける地域が拡大することが指摘された。ただし、地域ごとの推定にはモデル間で大きなばらつきがあり、特に降水強度の絶対値の推定には大きなバイアスが残っている。気候変動予測の不確定性を解消する努力を進めるとともに、その不確定性を定量的に評価し、政策に反映する手法の開発が急務となっている。

本論文では、まず、気候変動により増大するハザードや、その結果高まるリスクに対して、財政的制約下では現状よりも小さな投資で対応しなければならないという、我が国の河川整備の方向性を明らかにしている。その上で、気候変動予測モデルの出力から洪水リスクや渇水リスクの変化を定量的に評価し、既存ストックの活用による気候変動適応策として、多目的ダムの容量再配分の有効性を評価している。本論文は主として、(1)気候変動予測モデル出力を用いた降水時系列データの作成、(2)気候変動による河川流況の影響評価、(3)適応策としての多目的ダムの容量配分の効果の評価、から構成されている。

気候変動予測モデル(GCM)出力を用いた降水時系列データの作成のために、世界気候研究計画(WCRP)の第三次結合モデル比較実験(CMIP3)で蓄積されたGCM出力の中から、現在気候再現結果と、IPCCによるシナリオA1B(高成長でかつバランスのとれたエネルギー源を利用)での2050年および2100年をターゲットとした予測実験結果より、東アジアモンスーンの気候特性、対象流域での降雨の季節特性を用いて、10モデルを選択した。次に、対象流域の降雨の空間分布の季節特性に着目し、対象流域全体を中下流部と上流部とに分けて、それぞれの降雨の季節特性に配慮して、観測雨量を用いた降雨のバイアス補正と統計的な空間的ダウンスケーリングを行った。また日雨量から時間雨量への時間的ダウンスケーリングについては、観測データの確率過程的な特徴に基づいた手法も検討したが、最終的には過去最大の洪水時の時間降雨パターンを用いて洪水時の時間流量時系列を得る手法を適用している。

気候変動による河川流況の影響評価には、モデルパラメータのチューニングや初期値の再設定を行うことなく、低水から高水まで、長期にわたって連続的に河川流量を計算できる分布型水循環モデル(WEB-DHM)を用いている。対象流域の観測データを用いてWEB-DHMの開発および検証を行った後に、(1)で得られた雨量時系列を入力して、GCM出力ごとに、現在気候、および2050年と2100年を含む20年間の河川流量時系列を計算している。その結果、洪水頻度、洪水ピーク流量、低水流量が増大することが示され、利水面ではリスクは若干緩和されるものの、洪水リスクは頻度と規模とともに増大することが示している。

次に、分布型水循環モデルに既存の多目的ダムの調節機能を組み込み、現状の容量配分で通常操作を行うシミュレーションの結果、ダムがある場合ではいずれのGCMの結果も、渇水リスクが減少することが示された。そこで、利水容量から洪水調節容量への再配分を行った場合は、いくつかのGCMではゼロカット操作による超過洪水の発生を回避できることが分かった。またゼロカット操作に追い込まれたGCMでも、それを数時間遅らせることが可能であることが示唆された。また洪水のピークでのゼロカット操作からピークが下がってからのゼロカット操作に持ちこたえることができるため、河道のピーク流量を大きく低下させることができ、被害を軽減できる可能性があることを示した。一方、半数以上のGCMでは、再配分後でも、渇水リスクは現状より低下した。これは利水面での弊害なしに洪水リスクを軽減できる可能性があるということを示している。

以上本研究は、複数の気候変動予測モデル出力のバイアス補正とダウンスケーリングによる降水時系列データを作成し、気候変動による河川流況の影響を評価した上で、流況の変化特性に注目して、洪水リスクは上昇するものの、ダムがある場合は渇水リスクが低下することを発見している。その上で、数値シミュレーションによって、利水容量を減らして、洪水調節容量を増加させるという多目的ダムの容量再配分が、気候変動の適応策として妥当であるという結論を導き出している。この独創的な研究成果は、洪水被害を軽減し、水資源を効果的に利用する上で、社会的有用性に富む成果と評価できる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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