学位論文要旨



No 127872
著者(漢字) 安部,諭
著者(英字)
著者(カナ) アベ,サトシ
標題(和) 汚染質拡散に関するリバースシミュレーションの研究
標題(洋)
報告番号 127872
報告番号 甲27872
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7640号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 教授 半場,藤弘
 東京大学 准教授 北澤,大輔
内容要旨 要旨を表示する

要旨

本論文は、「汚染質拡散に関するリバースシミュレーションの研究」と題して、危険性物質が拡散した場合に、その拡散源を時間逆解析(リバースシミュレーション)により特定する手法の構築を目指し、論じたものである。

流体中に危険性物質が拡散した場合、その拡散源を特定し、避難経路の確保や汚染物質の除去を行わなければならない。過去には拡散源が特定できなかったために、対応が遅れた事例がある。たとえば、チェルノブイリ原発事故である。この事故では、スウェーデンのモニタリングポストが放射能の異常検知を示した後に、大規模な調査を行った結果、原因がチェルノブイリであると突き止めることができた。万一のトラブルに適切な対応を迅速に撮ることができるようにするために、ソースを特定することはとても重要である。

さらに、環境問題においても、拡散源を特定することは重要である。具体例としては、「漂着ごみ」の問題や「水質汚染」などの水域分野での問題が挙げられる。この様な分野においても、拡散源を特定することは重要である。

拡散源特定手法に関する手法はこれまでも開発されてきた。主に、逆流跡線解析手法や解析的手法が開発された。逆流跡線解析手法は粒子の動きを流線に沿って時間逆方向に辿る手法である。しかし、この手法は乱流拡散効果を考慮することができないという短所を有する。また、解析的手法は均一流などシンプルな流れ場にみに有効であり、複雑な流れには適用できないとういう短所を有する。これらの問題点を解決し、様々な拡散現象における拡散源を特定するために、本研究では輸送方程式を時間逆方向に解析すること(リバースシミュレーション)を提案する。この手法は乱流拡散を考慮することが大きなメリットである。しかし、その拡散効果は時間逆解析では、負の拡散になるため、それによる数値不安定性が第一かつ最大の問題となる。

本論文はリバースシミュレーションによる拡散源特定手法を構築するために、最大の問題点である負の拡散による「数値不安定性」に対して、ローパスフィルター操作を応用した解決方法を提案・実戦、さらには実問題適用に向けての課題に関して論じたものである。

研究の第一段階では、ローパスフィルター操作がリバースシミュレーション実現に向けて有用であるかを論じるためにフィルター操作を濃度場に適用する。解析対象は平面上、単体建物周りの流れでの拡散とする。その結果、ローパスフィルター操作はリバースシミュレーションを安定的に時間発展させることに有用であることが示された。しかし、濃度場へのローパスフィルター操作は拡散物質を空間的に大きく拡げる効果をもつために、拡散源特定に繋げるには、改善する必要があることが示された。

第二段階では、フィルター操作の対象を濃度フラックスとしてリバースシミュレーションの改善を試みる。その結果、濃度場にフィルター操作を適用した解析と同様に数値安定性を確保できることが示された。さらに、上述の拡散物質が大きく拡がるという問題点も改善され、拡散源特定に有用なリバースシミュレーションの基礎を構築できた。

第三段階では、実問題適用に向けて主な問題となるものを挙げ、それに対し調査、考察を行う。本論文では、大きく2つの問題点を取り上げる。1つ目は、リバースシミュレーションの精度に関する問題である。2つ目は、濃度検知できるモニタリングポストが限られている場合に、どのようにリバースシミュレーションを適用して拡散源を特定するかという問題である。

まず、リバースシミュレーションの格子解像度、フィルター幅依存性について調べる。本解析では、上述のように負の拡散による数値不安定性を除去するためにローパスフィルター操作を行っている。その際、フィルター幅を格子間隔の定数倍としているために、解像度やフィルター幅の依存性が大きいものと予想できる。その詳細を調査するために、3つの異なる格子解像度、それに3つの異なるフィルター幅を設定した合計9ケースの解析を実施する。解析対象は、平面上の流れよりも複雑な大きく流線が曲がり、循環流を形成するキャビティフローとする。

その結果、リバースシミュレーションの格子解像度依存性は順方向解析のそれより大きいことが確認できた。これは格子解像度の違いにより、解像できる波数領域が異なることが原因である。リバースシミュレーションでは、ローパスフィルター操作を施しているので、低波数領域が担う負の拡散効果は再現し、高波数領域が担うその効果に関しては、抑制している。低解像度の場合は、負の拡散を再現できる波数領域が極端に狭くなるために、シミュレーションの精度が著しく低下する。フィルター幅依存性に関しても同様に、フィルター幅が大きすぎる場合は負の拡散を再現できる領域が極端に狭くなるために、シミュレーション精度が低下する。

以上より、実問題に適用する場合も充分な格子解像度依存性、適切なフィルター幅を決定する必要がある。

次に、限られたモニタリングポストから得られたデータを用いて、リバースシミュレーションを実行し、拡散源を特定する手法を試みる。実問題では、濃度を検知できるモニタリングポストが限られているために、数値計算のように詳細な三次元空間分布を得ることが難しい。そこで、本論文では簡易的な手法ではあるが、モニタリングポストで得られた時系列データを利用し、モニタリングポストに輸送された濃度塊の一部分をモデリングして、リバースシミュレーションを実行する。解析対象は簡単な平面上の流れ場とする。

その結果、放出開始時間が既知の状況では拡散源を特定することに成功した。しかし、本手法は簡単な濃度塊のモデリングなので、今後複雑な流れ場に適用する場合は、さらなる改善が必要であると考えられる。

以上、本研究で得られたリバースシミュレーションを用いて拡散源を特定するための手法の新たな知見である。これらの知見は、今後の社会において要請が高まるであろう拡散源特定にとって、有用かつ重要である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「汚染質拡散に関するリバースシミュレーションの研究」と題して時間逆解析(リバースシミュレーション)による拡散源特定手法を構築するために、最大の問題点である「数値不安定性」に対する解析方法を提案・実践、さらには実問題適用に向けての課題に関して論じたものである。

流体中の任意の場所から拡散物質が発生した場合、その物質はバックグランドに存在する流体によって運搬希釈される。バックグランドの流体は連続の式、Navier-Stokes方程式、拡散物質に関してはその輸送方程式により支配されている。既往の研究による拡散解析手法は観測、実験さらには数値計算であり、それら解析の本流は任意に拡散源を設定し、そこから拡散物質を放出し濃度分布、濃度変動強度、ピーク濃度などを論じてきた。しかし、拡散源が分からない場合に、それを特定するための解析手法は未発達段階である。拡散源特定手法を確立することは環境問題への対応、発電所や工場、海洋湖沼など水域での突発的な漏えい事故などで即座に原因を解明すること、さらにはテロ攻撃などの犯罪行為への対策、抑止力にも繋がる。

本研究の第一段階はリバースシミュレーションの第一かつ最大の問題点である数値不安定性への対応である。本研究では、ローパスフィルター操作を用いて数値不安定性を除去することに取り組んでいる。

まず、ローパスフィルター操作を濃度場に適用し安定化を試み、リバースシミュレーションの実現可能性を論じている。この時、解析対象は平面上の流れ、単体建物周りの流れでの拡散である。その結果、ローパスフィルター操作は数値安定性確保に有用である事が示されている。しかし、解析領域全体にフィルター操作を施した場合、結果として得られた濃度分布は計算領域全体に大きく拡がり、濃度分布の重心位置、拡散幅の時間変化は順方向解析のそれらと比べて対称性が良くなく、高濃度を示す位置は初期条件として設定した位置と大きく離れた結果になってしまった。以上より、改善の余地は多いにあるものの、フィルター操作により安定性を確保し、リバースシミュレーションは実現可能であると示している。

次に、リバースシミュレーションの精度向上を目指し、ローパスフィルター操作の対象を濃度フラックスにし、リバースシミュレーションが拡散源特定に有用であるかを論じている。解析対象は濃度場にフィルター操作を施した時と同じ平面上、単体建物周りの流れ場での拡散である。その結果、濃度フラックスへのフィルター操作は数値安定性を向上させると同時に、上述の濃度場へフィルター操作を施した解析で生じた解析領域に拡散物質が大きく拡がるという問題点が格段に改善され、高濃度を示す位置は初期条件として設定した拡散源付近に集中する結果となっている。さらに、重心位置、拡散幅の時間変化に関しても順方向解析のそれらと対称性が向上し、良い結果を示している。このリバースシミュレーション精度向上の要因は、本論文中では拡散物質に数値解析上の輸送方程式を用いて考察を行い、以下のように考察している。濃度場にフィルター操作を適用するより濃度フラックスにフィルター操作を適用するほうが、数値不安定性の原因となる丸め誤差を含む高波数成分が担う強い拡散効果を選択的に排除することができる。

以上より、濃度フラックスにフィルター操作を施すことにリバースシミュレーションの精度は向上し、拡散源特定に有用であることが示されている。

本研究の第二段階は、実問題への適用に向けての観点から論じている。

まず、リバースシミュレーションの格子解像度・フィルター幅依存性について論じている。解析対象としては、流線が大きく曲がり循環流を形成するキャビティフローでの拡散としている。その結果、濃度フラックスへのフィルター操作はキャビティフローのような複雑な流れ場でも適切に作用し数値安定性を確保することが確認されている。さらに、リバースシミュレーションの格子解像度依存性については順方向解析のそれより、大きく実問題適用し拡散源特定を行う際はその決定が重要である。また、フィルター幅依存性についても同様に大きく適切なフィルター幅の決定がリバースシミュレーションの精度を大きく左右するという重要かつ有用な知見を得ている。

次に、限られたモニタリングポストから得られた濃度の時系列データから濃度塊をモデリングし、拡散源特定に有用であるかを論じている。実問題への適用を考慮した場合、数値計算のように詳細な空間全体の濃度分布を得ることは難しい。そこで、本研究では数値計算上に仮想のモニタリングポストを設定し、そこで得られた時系列データから濃度塊をモデリング、拡散源特定を試みている。解析対象はシンプルな平面上の流れ場とし、放出開始時間を既知とした場合には、拡散源を特定することに成功している。さらに、放出開始時間の特定に関しても、時系列データの検知継続時間を用いることにより特定できる可能性があることを示唆している。

本論文は、リバースシミュレーションという拡散源特定に向けて新たな可能性に挑み、その発展に大きく貢献している。本研究で得られた知見は工学的、社会的な有用性は極めて高い。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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