学位論文要旨



No 127876
著者(漢字) 髙橋,祐樹
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヒロキ
標題(和) 人の知的生産性、創造性向上に寄与するオフィス室内環境に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 127876
報告番号 甲27876
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7644号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 准教授 坂本,慎一
 早稲田大学 教授 田邉,新一
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、人の知的生産性、創造性向上に寄与するオフィス室内環境に関する基礎的研究と題し、執務者のパフォーマンスの因子として知的創造性を対象とし、執務者の状態の時間的変動(サーカディアンリズム、執務・休憩の切り替え)に着目した室内環境制御が執務者のパフォーマンスに与える影響について検討を行った。また、環境により変動する創造性の評価ツールを提案し、それを用いて室内環境が執務者の創造性に与える影響についても検討した。

第1章では、本論文の研究背景として、建築室内環境と知的生産性、創造性の関係、創造性研究のこれまでについて触れ、環境により変動する知的創造性の評価手法の検討及び室内環境が執務者の知的創造性に与える影響の検討という本研究の目的を述べた。

第2章では、建築環境学における室内環境と執務者のパフォーマンスに関する研究についてのレビューから、パフォーマンス評価が、作業成績のみならず疲労感や唾液中ホルモン量の検討など、心理申告や生理指標を併用して実施されていることを示した。また、教育心理学における、創造性の定義と創造性に影響を与えると考えられる心理要素についてのレビューから、動機付けなど時々刻々と変化しうる心理要素の影響を受け、創造性も同時に変化する可能性があるといえることを示した。

第3章では、1ケースにつき4泊5日という長期間に亘る被験者実験を実施し、オフィスにおける日中の温熱環境制御が執務者の深部体温のサーカディアンリズムに与える影響を検討した。そしてこれを基に、日中業務時間帯の温熱環境が執務者のサーカディアンリズム調整に寄与する可能性と、これに伴う心理・生理的改善やパフォーマンス向上の可能性について考察した。第2回実験に参加した被験者4人の平均値に対する解析で、午後に室温を3℃ステップアップさせた条件Case2で午後の深部体温が最大0.29℃上昇した。このときコサイナー法による解析で得られる振幅は0.06℃増大した。個人別解析で、4人中2人の深部体温の振幅が0.05℃以上増大した。第1回実験でも4人中2人の振幅が0.05℃以上増大していたことから、温熱環境の影響を受け深部体温の振幅が増大する人とそうでない人がいる可能性が推察される。

第4章では、4種の香り・においが作業時および安静時の執務者に与える影響を検討することを目的とした被験者実験を実施した。臭気強度は嗜好との相関はなく、さわやかさ・積極的気分と有意に相関があったことから、作業時における何らかのにおいの提示には、清涼感と気分に対する有利な効果が期待される。

第5章では、創造的思考タスクの検討とその妥当性を評価する2つの実験を通じ、タスク回答評価の分析結果から、我々の定義である「創造的であることは、魅力的である」という仮説が妥当である可能性を確認した。fMRI実験により、魅力、新奇性、適切性と関連のある脳の賦活部位を検証した。

第6章では、第3章で示した実験の続編となる実験として、オフィスにおける日中の温熱環境制御が執務者の深部体温のサーカディアンリズムに与える影響を被験者実験により測定し、これを基に、日中業務時間帯の温熱環境が執務者のサーカディアンリズム調整に寄与する可能性と、これに伴う心理・生理的改善や創造性を含めたパフォーマンス向上の可能性について考察することを目的とした、被験者実験を、個別送風機使用可能条件と創造性評価ツールによる評価を加えて実施した。深部体温リズムにおけるCase1とCase2の振幅の差に着目し、Case1と比較しCase2で深部体温リズムの振幅が大きくなった被験者4人と、そうでない被験者4人に大別できたことから、前者をResponder(R群)、後者をnon-Responder(nR群)と分類した。個別送風機の使用時間は、R群と判定した4名のうち3名の使用時間割合が高く、nR群と判定した4名のうち3名の使用時間割合が低かった。nR群は3つのケースで直腸温、心電、唾液中コルチゾール濃度に有意差は見られなかった。

第7章では、第4章で示した実験の続編となる実験として、好みの香り・においが安静時の執務者に与える影響を検討することを目的とした被験者実験を、創造性評価ツールによる評価を加えて実施した。嗜好と満足度、休憩の質への影響等のアンケート回答間で、有意な相関を示したことから、好みの香りの提示が空気環境に対する印象改善に寄与するといえる。一方で、生理指標や作業成績との相関には統計的な有意差は見られなかった。

第8章では、本論で述べた研究についてまとめたうえで、今後の展望について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「人の知的生産性、創造性向上に寄与するオフィス室内環境に関する基礎的研究」と題し、環境等の影響を受けて短期的に変動する創造性の評価方法の検討と、執務者の状態の時間的変動に着目した室内環境制御が執務者のパフォーマンスに与える影響に関しての同評価方法を用いた検討について論じたものである。

室内環境が執務者のパフォーマンスに与える影響について、これまでに建築環境工学分野において多くの研究で多面的に評価されてきた。特にオフィスワークの生産性と室内環境因子の関係に着目した検討は、日本のみならず海外でも数多く為されている。しかしながら、これら研究の多くは、比較的定形化された業務を対象とした、いわゆる「知的生産性」について検討されている例が多い。より高次な思考活動を必要とする、研究開発などの創造性が大きく求められる業務に関しては、建築環境工学において研究事例が少なく、未だ研究の方法論を模索する段階にあるように思われる。本論文はこの点に着目し、執務者のパフォーマンスの因子として創造性を主に取り上げ、室内環境が執務者のパフォーマンスに与える影響について検討することを目的とする。

この目的へのアプローチとして、研究は2段階で構成されている。第1段階が「環境等の影響を受けて短期的に変動する創造性の評価方法の検討」であり、第2段階が「執務者の状態の時間的変動に着目した室内環境制御が執務者のパフォーマンスに与える影響に関しての同評価方法を用いた検討」である。

第1段階として行われた「環境等の影響を受けて短期的に変動する創造性の評価方法の検討」では、短期的に変動する創造性を、既に備わっている創造性の能力(アチーブメント)に対し、創造的パフォーマンスとして捉え、室内環境が創造的パフォーマンスに影響を与える機構に対する仮説構築と、教育心理学で用いられている創造性評価ツールをベースとした創造的パフォーマンス評価ツールの提案を行っている。

前述のとおり、建築環境学において執務者のパフォーマンスの評価を行う際、その対象は比較的定形化された業務である例が多く、その評価方法には、評価対象オフィスの執務者や実験被験者に作業性に関するアンケートに答えさせる「執務者申告値」の評価と、主に実験場合に、被験者に計算問題などに答えさせその正答率や解答数を測定する「作業成績」の評価が用いられる。本論文では、教育心理学で用いられているS-A創造性検査中の1つのテストを参考にし、同検査を環境評価に適用する際に問題となる「非公開の採点方法の採用」と「同一受検者に対する繰り返し使用2回の制約(問題パターンが2つである)」を解決して、「創造性テスト」という新しい創造的パフォーマンス評価ツールを提案している。創造性テストの妥当性は、論文中にて被験者を用いた心理実験とfMRI実験で検討しており、使用方法についても公開していることから、建築環境工学における知的生産性、創造性研究にて、今後使用されることが期待される。

第2段階として行われた「執務者の状態の時間的変動に着目した室内環境制御が執務者のパフォーマンスに与える影響に関しての創造性テストを用いた検討」では、実環境における非定常性を考慮した環境として、日周期の深部体温変動に着目した温熱環境制御と、執務・休憩という短時間内の切り替えに着目した空気環境(におい・香り)制御という2つの手法を行うことによる執務者のパフォーマンスへの影響について検討している。

温熱環境、空気環境を含め、建築環境工学における知的生産性研究の分野でさまざまな環境因子が環境条件として多く取り上げられ、主にオフィス空間を対象とした検討が行われている。これらの研究では、環境条件は変動のない一定制御である場合が多く、各環境因子のある制御値における知的生産性への影響に関して、その基礎資料を与えるものとなっている。本論文では、逆に変動のある環境制御を行うにより執務者のパフォーマンス向上を狙い、その効果を被験者実験で検討している。本論文で検討されている、サーカディアンリズムを考慮した温熱環境制御手法、および執務室・休憩室ににおい・香りを提示する空気環境制御手法は、変動のある環境制御による執務者のパフォーマンス向上という狙いを必ずしも叶えるものではないようである。しかし、被験者を用いた室内環境実験で創造性テストを採用し、創造的パフォーマンスへの影響を評価している点、創造性テストの成績と他の知的生産性評価ツールの成績とを比較し論じている点で、新規性が高いといえる。また、本論文の結語では、実施された実験に含まれる限界と研究を通じて課題として見えてきた人の個性を考慮した検討の重要性について述べており、建築環境工学における今後の知的生産性、創造性研究で検討されるべき課題として参考となるものとなっている。

以上より、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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