学位論文要旨



No 127886
著者(漢字) 飯田,晶子
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,アキコ
標題(和) 熱帯島嶼パラオ共和国における流域圏を基礎とするランドスケープ・プランニングに関する研究
標題(洋)
報告番号 127886
報告番号 甲27886
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7654号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幹子
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 羽藤,英二
 日本大学 准教授 大澤,啓志
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

熱帯島嶼は、温暖多雨な気候条件の下、豊かな熱帯雨林や珊瑚礁が成立し、生物多様性の保全上最も重要な地域の一つである。しかしながら、狭小かつ閉鎖的な環境を有する熱帯島嶼では、陸域における無秩序な開発が赤土流出を引き起こし、陸域・海域の双方の生態系に影響を及ぼしている。また、それらは、島の自然環境との密接な関わりの中で築かれてきた島民の生活文化に対しても顕著な影響を与えている。そこで、本研究では、水循環や生態系の基礎的単位である流域圏を基礎として、自然環境と人間活動の相互作用の総体としてのランドスケープの構造・機能・変化の実証的解明を行い、それを踏まえ、流域内の生態的秩序を持続的に維持するためのランドスケープ・プランニングのあり方を考察した。構造については、島を構成する流域の階層構造を分析し、分析・評価・計画の基礎となる流域単位を設定した。機能については、地形、土壌、水系、土地利用、植生というランドスケープの諸機能の相互関係を解析した。変化については、20世紀初頭の地図資料を用いて約1世紀にわたるランドスケープの変遷の体系的解明を行い、人為による土地利用改変の歴史を加味した計画単位の設定を行った。最後に、流域圏プランニングの主体と制度の現状を整理し、空間解析で得られた知見をもとに今後の展望を提示した。研究対象地には、ミクロネシア島嶼のパラオ共和国バベルダオブ島を選定した。面積365km2のこの島には、現在でも伝統的集落が多く立地するが、日本やアメリカによる植民地支配と1994年の独立以降の近代化により、島の環境は変容過程にある。持続可能な開発のための国土保全計画や土地利用計画の策定が急務である。

2.基礎的流域単位の設定

5mメッシュのDEMデータを元に、ArcGISの水門解析プログラムを用いて流域単位を設定した。バベルダオブ島の流域の構造は、島の尾根部より分岐する6つの主要河川の流域(それらは43の小流域により構成される)と、67の沿岸部の小流域に分けられた。そのような流域圏の階層構造を踏まえ、以降の研究は、島全域、主流域、小流域に分けて行った。

3.全島域スケール:広域的なランドスケープの歴史的変遷

まず、バベルダオブ島全域を対象として、約1世紀にわたる集落・居住地の分布と土地利用・植生の変遷を、1921年の外邦図、1947年の地形図、2006年の衛星画像を用いて解析した。その結果、1921年には沿岸部の小流域に54のパラオ人集落が分散的に立地しており、そのうち現存集落が35、消失集落が19であった。また、1919~1945年の日本委任統治時代には、主要流域内陸部において移民による開拓行われ、島全体の面積の約20%にあたる69.70km2の森林が失われたことがわかった。1947年から2006年では、そのうち39.24km2で森林の回復が見られるが、30.46km2は依然として草地・裸地のままであり、独立以降は、草地・裸地を活用してインフラや新興住宅地の開発が進められていることがわかった。一方で、島中央尾根部の流域の源流域には、1921年から維持されている自然林が182.25km2存在していた。以上より、島全体でのランドスケープ変化として、沿岸部の集落の分散的配置から内陸部の植民地・新規開発の集中化に伴い、主要河川内陸部での森林の質的・量的な劣化が生じていることがわかった。また、以上の分析を踏まえ、ランドスケープ保全のための計画単位として、地形、傾斜という土地の自然的条件と、過去の人間による土地利用の歴史とを統合し、空間的・機能的に一定のまとまりを有するランドスケープ単位の抽出を行った。時間軸の分析にもとづく、人為による生態系の劣化を計画単位として組み込んだことは、先行的事例がなく、本研究の独自の視点である。

4.主流域スケール:開拓・開発の実態と流域問題の連鎖的構造

次に、島の6つの主流域のうち、日本委任統治時代に開拓の行われた流域、および新規開発が進行する3つの主流域に着目し、開拓者へのヒアリングと文献資料より開拓・開発の実態を明らかにし、合わせてGISを用いて土地利用の自然立地特性とその変容を解析することで、流域問題の連鎖的構造を明らかとした。指定開拓村が設置された流域では、パイナップルやキャッサバを栽培し日本へ輸出した。開拓地が設置された上流から中流にかけての支流域では、流域面積の27%の土地が開墾され、特に、湿地環境の非植生被覆率が3%から56%へと増加しており、土地の自然条件への配慮に欠けた開拓であったと推測された。また、ボーキサイト採掘地が設置されていた流域では、開拓面積は流域内の4-5%と小さいが、流域尾根上の表土を剥がしとったために多量の土砂が下流部へ流出し、低湿地と沿岸域のマングローブ林に堆積した。また、両流域とも土地の疲弊や外来種の侵入等が顕著であった。一方、近年の新規開発が進む流域では、日本委任統治時代の開拓跡地においてインフラや新興住宅地の開発や商業的農業が行われており、流域内での連鎖的問題が生じていることが見てとれた。このように、島の経済的発展の一端として行われた流域開発は、流域の広範囲にわたって長期的な影響を及ぼしていることが明らかとなった。

5.小流域スケール:集落の持続的な土地利用システム

続いて、島内に現存する35個の伝統的集落を対象として、集落の空間構造と土地利用と資源利用に関する現地調査とGISを用いた空間分析を行い、小流域を基礎とした集落の土地利用システムの特性を明らかにした。その結果、第一に、地形と水系による小流域の構造が、集落の立地と空間構成を規定する要因となっていること、第二に、特に集落中心部においては、多様な農作物と畜産を組み合わせた4種類のアグロフォレストリーの形態が見られ、それらが小流域内の微地形に即してモザイク状に展開していること、第三に、アンケートを行った50種の有用植物のうち36種は現在でも6割以上の世帯が日常的に利用しており、園芸・農耕・育林を通した人々の自然への働きかけがアグロフォレストリーを持続的に維持していることがわかった。第四に、集落の周辺には火山岩林、草地、石灰岩林等が、上流から沿岸の生態秩序に沿って成立しており、特別な樹木や薬草の利用、狩猟、漁労、信仰等を通して、現在の人々の暮らしと密接に結びついていることがわかった。以上をまとめると、伝統的集落の土地利用システムとは、小流域内の微地形に即した土地利用、多様な生物資源、人々の生活生業の結果導かれる微細なランドスケープ単位の集合体として捉えることができる。それらは、長い年月にわたり熱帯島嶼の環境に適合する中で形成された地域の文化的所産であり、バベルダオブ島のランドスケープを特徴づけるさいだいの重要な要素であると言える。以上の分析により、小流域という空間的枠組みが、集落の土地利用システムの持続的管理、さらにはパラオの国土保全の基礎的単位として有効であることが示唆された。

6.流域圏の保全管理の現状と課題

以上の空間分析の結果を踏まえ、バベルダオブ島における流域圏の保全管理の主体と制度・取組みの現状と課題に関して、聞き取り調査と文献調査より整理した。主体としては、2つの環境NGOが中心となり、2006年にバベルダオブ流域協議会が設立された。現在は、研究機関の環境モニタリング、中央政府と州政府の環境保全政策、環境NGOのコミュニティへの普及・啓発運動が相互連携の下に進められている。制度としては、州政府による水源林保護区の設定と保護区内外での自然資源管理計画の策定が主なものである。これは中央政府が進める環境保全による地域活性化戦略の一環として行われており、財源として、国際機関等からの支援金と観光客からの環境保護税の徴収が充てられている。また、集落の自治的組織を流域協議会が支援することにより、小流域での開発に伴う赤土流出地点へ植林を行うという小流域保全の自治的取組みが始まっている。このように、人材・財源に乏しい熱帯島嶼の途上国であるが、主体間の相互連携体制と、国際社会との関係性の中での資金調達メカニズムの構築により、地域活性化と連動した流域保全の新たな取組みが始まっていることがわかった。今後の課題として、(1)島全域スケールでの小流域の環境特性や相互連結性を考慮したマスタープランの策定、(2)主流域スケールでの州政府による土地利用規制を含む包括的な流域保全政策の実施、(3)小流域スケールでの集落コミュニティによる集落の土地利用システムの持続的管理、および、(4)流域圏の階層性を踏まえた統合的な流域保全政策の展開と、(5)それらの政策を展開する上での流域協議会を中心とした主体間の相互連携強化を示した。

7.総合考察

以上、本研究は流域圏の階層性を踏まえ、時間軸を踏まえた階層的なランドスケープ単位を設定し、日本人の開拓地とパラオ人の伝統的集落という2つの対照的な事例をもとに、流域圏における持続的な土地利用のあり方を考察した。そして、多様な主体の相互連携と制度的枠組みを検証し、流域の階層性を踏まえたランドスケープ・プランニングを行う道筋を提示した。そのような本研究の成果は、小流域という身近な地区から、地域、そして国土へと、シームレスに続く統合的な環境マネジメントを可能とするものであり、我が国の都市農村地域のランドスケープ保全や人口減少時代の国土計画においても基礎となる汎用性を有していると言える。今後は、本研究で得られた知見を元に、パラオ以外のアジア・太平洋地域においても事例研究を重ね、流域圏を基礎とするランドスケープ・プランニングの方法論を深化させていくことが課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、グローバル化や地球温暖化に伴う生態系の劣化が顕著な熱帯島嶼地域における環境の持続的維持と経済開発の共存を目標とし、流域圏を基礎とするランドスケープの特性を明らかにし、その中で発達してきた土地利用システムを分析・評価することにより、国土保全の基礎となるランドスケープ・プランニングの方法論の研究を行ったものである。対象地は、ミクロネシアのパラオ共和国バベルダオブ島である。本研究の学術的成果は、以下の通りである。

第一に、熱帯島嶼という狭小かつ閉鎖的な環境の持続的維持は、全球的にみた普遍的課題である。この課題に対し、水物質循環の基礎となる流域圏に着目し、時間軸の変化を内包したランドスケープの分析を行い、データベースを作成し、計画の基礎をつくりだしたことが特色である。本研究では、20世紀初頭に日本軍が作成した詳細な地図を発掘し、生存する開拓者へのヒアリングから、熱帯島嶼特有の脆弱な土地利用の歴史的変遷を調査した。これを踏まえて、水循環や生態系の基礎的単位である流域圏の階層的構造に着目し、GISを活用し、人為による生態系の劣化をデータベースとして組み込んだ。このような視点に基づく研究は、先行的事例がなく、本研究のオリジナリティである。

第二は、熱帯島嶼における集落の持続的土地利用システムの特質を、小流域を基礎とする集落の特性を分析することにより明らかにした点にある。本論文では、バベルダオブ島の流域圏の階層構造を分析した上で、流域圏の最小単位となる小流域に着目し、小流域における集落の土地利用と植生の緻密な調査を行った。この結果、以下のような知見が得られた。まず、地形と水系による小流域の構造が、集落の立地と空間構成を規定する要因となっていることが明らかになった。次に、多様な農作物と畜産を組み合わせた4種類のアグロフォレストリーの形態を解明し、それらが小流域内の微地形に即してモザイク状に展開していることを分析した。集落の周辺には火山岩林、草地、石灰岩林等が、上流から沿岸の生態秩序に沿って成立しており、特別な樹木や薬草の利用、狩猟、漁労、信仰等を通して、現在の人々の暮らしと密接に結びついていることがわかった

以上の知見から、アグロフォレストリーという園芸・農耕・育林・畜産・漁業を通した循環的な資源利用が、小流域内の微地形と土壌の微細な土地利用のユニット上に展開されることにより、持続的な土地利用が成立していることが明らかとなった。また、地域の文化と慣習に根ざした植物の多目的利用(食料、木材、薬用、祭祀など)と管理方法の詳細な調査より、アグロフォレストリーが集落の文化的基盤となっていることを示した。これらの微地形と土地利用、管理形態を踏まえて、持続的土地利用を支える基盤としてのランドスケープ・ユニットの抽出を行った。これは、ランドスケープ・プランニングの基礎となる計画単位として位置づけることができ、従来の土地利用計画における自然立地評価に、人間の生活・文化という視点を加えることにより、地域社会に根差した新しい方法論の提示を行ったものとして評価できる。

第三に、損なわれやすい脆弱な環境を支える人と制度の在り方に対する分析と提言である。この調査は、主として、聞き取り調査とワークショップの開催、文献調査より実施し、空間解析で得られた知見をもとに今後の展望を提示した。

主体としては、2つの環境NGOが中心となり、2006年にバベルダオブ流域協議会が設立された。現在は、研究機関の環境モニタリング、中央政府と州政府の環境保全政策、環境NGOのコミュニティへの普及・啓発運動が相互連携の下に進められている。制度としては、州政府による水源林保護区の設定と保護区内外での自然資源管理計画の策定が主なものである。これは中央政府が進める環境保全による地域活性化戦略の一環として行われており、財源として、国際機関等からの支援金と観光客からの環境保護税の徴収が充てられている。

このように、人材・財源に乏しい熱帯島嶼の途上国であるが、主体間の相互連携体制と、国際社会との関係性の中での資金調達メカニズムの構築により、地域活性化と連動した流域保全の新たな取組みが始まっていることがわかった。

本研究は、熱帯島嶼の環境の持続的維持に向けて、20世紀初頭からの土地利用の歴史的経緯を精査しデータベースを作成し、これを踏まえて持続的土地利用システムの鍵がアグロフォレストリーにあることを解明した。次いで、アグロフォレストリーを支える構造を、空間・文化から明らかにし、ランドスケープ・プランニングの原単位の抽出を行い、流域の階層構造を踏まえた計画論を提示し、あわせて計画を支えるステークホルダーと制度に関する考察を行ったものである.

以上の業績により、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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