学位論文要旨



No 127934
著者(漢字) 中川,雄介
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ユウスケ
標題(和) 大気中に存在する低濃度有害ガスの放電プラズマによる分解反応機構の解明を目的とするOHラジカルのレーザ誘起蛍光計測
標題(洋)
報告番号 127934
報告番号 甲27934
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7702号
研究科 工学系研究科
専攻 電気系工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小田,哲治
 東京大学 教授 石井,勝
 東京大学 教授 日高,邦彦
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 准教授 熊田,亜紀子
 東京大学 准教授 小野,亮
内容要旨 要旨を表示する

近年、大気圧非熱平衡プラズマはその化学反応性の高さから様々な応用が期待されている。非熱平衡プラズマとは、電離度が低く、電子温度に対し中性粒子温度やイオン温度が著しく低い (室温程度) プラズマの事で、投入エネルギーが熱ではなく粒子の内部エネルギーへ効率的に転化されることから、高い化学反応性を持つ。非熱平衡プラズマは大気圧下の放電により容易に生成することができ、真空装置が不要なため装置作製が安価に行える。更に高密度なラジカルによる化学反応プロセスを行うため、迅速な処理が可能である。こういった特徴は低濃度の大気汚染物質を分解する上で大きな利点となるため、気相中の有害物質に対する大気圧プラズマ処理は各所で研究が進められている。近年の研究によって、大気圧プラズマ中の化学反応において化学活性種(ラジカル)が大きな役割を担うことがわかった。しかしその一方で、大気圧プラズマにおけるラジカルの生成・反応機構については未解明な部分が多く、ガス処理の分解効率向上は手探りで行われてきたというのが現状である。

当研究室では、大気圧プラズマにおけるラジカルの挙動解明を目的とし、レーザー計測技術を駆使して主要なラジカルの密度や温度を計測してきた。実際に密度・温度計測を行うことで、ラジカルの生成・反応機構において理論やシミュレーションで予測されていたものと異なる重要な知見が多く得られている。これまでラジカル計測は、機構が単純でかつ制御の容易なパルスコロナ放電で行われた。

しかし一方で、有害ガスのプラズマ処理は実用化の観点から交流高電圧によるバリア放電に関する研究が多く行われている。パルスコロナ放電とバリア放電には共通点・相違点ともに存在し、更に想定される電極の形状も異なることから、これまでのラジカル計測結果をプラズマ処理の理解に対してもそのまま適用できるかは不明であると言える。そこで本研究では、実際のガス処理を模擬した同軸円筒リアクタを設計・作製し、その内部でのラジカルの密度・温度を計測することで、ガス処理におけるプラズマ化学反応を解明することを目的としている。また、円筒電極を用いて有害物質を分解しながらのリアルタイムラジカル計測を行い、プラズマ処理における分解反応の基礎モデルを構築できれば、分解効率向上に理論的側面からアプローチでき手順の簡易化・高速化が見込まれる。

空気中放電で生成されるラジカルは多岐にわたり、全てを短期間で計測することは出来ないため、計測対象の選定がまず重要になる。本研究では空気中で最も変動しやすい条件として、湿度に着目し、水分子の解離で生じる OHラジカルの振舞いをレーザー計測によって調査した。実験の結果を以下に記す。

1. 針‐平板電極を用いた大気圧パルスコロナ放電におけるOHの密度・温度計測

初めに、これまでと同様針‐平板電極を用いたパルスコロナ放電においてOHの密度・温度計測を行い、本実験における計測スキームの妥当性を確認した。OHのX2Π(v=0)-A2Σ(v=1)遷移(282 nm)を利用したレーザー誘起蛍光法(LIF)により、これまで困難だった大気圧空気中放電におけるOH(X,v=0)計測を実現した。

LIFで観測される蛍光強度から、OHの絶対密度が逆算できる。しかし大気中放電では計算過程で不確定性が存在し、妥当性を検証する必要がある。本実験では化学反応シミュレーションによる時間変化との比較からその妥当性を検証した。OHの絶対密度は、針電極近傍、湿度2.3%、印加電圧28 kV、放電後3 μsにおいて1~2×10(15) [/cm3]と見積もられた。

大気中パルスコロナ放電の進展は一次ストリーマと二次ストリーマに分けられ、この二つの局面は特性が異なる。各々の局面は空間分布形状が異なるため、OHの空間分布形状を観測することでOHの生成局面が推定できる。計測の結果OHは針電極近傍に偏った分布をしていたことから、二次ストリーマで生成されていると確認された。更にOH生成量に対して湿度が及ぼす影響について調べ、OH生成量が湿度増加に対して飽和するという重要な知見を得た。

OHの回転温度計測を行ったところ、ストリーマ領域の温度が放電直後で550 Kだったのに対し、放電後数十μsで温度が上昇し650 Kになるという結果が得られた。更に背景ガス中の湿度を変化させて同様の計測を行ったところ、湿度増加により温度上昇が早まっていた。このことから、放電後の温度上昇は水分子を介した高速振動緩和の結果であるという説の妥当性が確認できた。また回転温度の空間分布についても計測を行い、放電後20μsでは針電極近傍のみ著しく高温であるのに対して、放電後100μsでは温度分布がなだらかになることが観測された。振動緩和完了後の温度分布と二次ストリーマの分布形状を比較することで、振動励起分子が二次ストリーマで生成されていると推定できた。

2. 同軸円筒型バリア放電リアクタ内のパルス放電におけるOH密度・温度計測

次に、ガス処理とレーザー計測を同時に行えるような同軸円筒型バリア放電リアクタを設計・作製し、パルスバリア放電におけるOH密度・温度計測からパルスコロナ放電との共通点・相違点を検討した。

正極性パルスバリア放電におけるOHの密度をLIFで計測し、絶対密度計算を行った。その結果、陽極近傍、湿度2.3%、印加電圧28 kV、放電後3 μs においてOH密度は5~10×10(14) [/cm3]であった。

OHの空間分布形状を計測し、針‐平板パルスコロナ放電と同様に中心電極近傍でOH密度が高いことを観測した。このことから、同軸円筒バリア放電においてもOHは二次ストリーマで生成されていると考えられる。

OH の回転温度計測を行い、針-平板コロナ放電と同様に放電後に温度が上昇することを確認した。ただし、コロナ放電に比べて温度は低く放電直後で350 K程度であり、温度上昇も遅かった(放電後100μsで500 K程度)。これは、ストリーマ一本あたりに対する投入エネルギーの違いに起因するものと考えられる。

また、有害ガス処理は交流放電で行われることを考慮し、負極性パルス放電における密度・温度計測も行った。計測の結果、印加電圧の極性が変わってもOHの密度・温度の分布や振舞いは大きくは変化しないという結果が得られた。

これらの結果から、背景ガスや印加電圧を同じとした場合、同軸円筒型リアクタ中のバリア放電では針-平板パルスコロナ放電に比べてOHの密度・温度は低くなると言える。この結果とこれまでのパルスコロナ放電での多種のラジカル計測結果を合わせれば、同軸円筒リアクタを用いた有害物質のプラズマ処理における各種ラジカルの密度や反応を推測できると考えられる。

3. 分解対象物質を添加した際のOH計測

最後に、実際の分解対象を添加して OH計測を行い、OHと有害物質との化学反応過程を調査した。

トリクロロエチレン (TCE) のプラズマ処理において加湿すると分解率が下がることから、TCEの分解にOHは寄与しない可能性が考えられる。しかし実際にTCEを添加するとOH相対密度の減衰が速くなることが観測されたことから、OHとTCEは反応していることが確認された。これはOHの密度計測を行わなければわからない重要な知見である。

OH-TCEの反応速度係数を見積もるため、加湿窒素中でO原子の影響を排したTCE-OHの反応を観測し、反応速度係数を2.3×10(12) [cm3/s]と見積もった。

また、プラズマ処理において加湿により分解効率が上昇する物質としてトルエンを例にとり、トルエン添加時のOH時間変化を計測した。その結果同量のTCEに比べてトルエン添加時のOH減衰は速かったため、トルエンはTCEよりも強くOHと反応すると推測される。

これらの結果を総合して、有害物質のプラズマ処理におけるOHの生成・反応について分解反応モデルを構築すれば、理論的アプローチによりプラズマ処理の性能向上を図ることが可能である。

審査要旨 要旨を表示する

プラズマ反応機構の重要なパラメータであるOHラジカルの挙動をレーザ誘起蛍光(LIF)計測によって検討した結果をまとめたものであり、「大気中に存在する低濃度有害ガスの放電プラズマによる分解反応機構の解明を目的とするOHラジカルのレーザ誘起蛍光計測」と題し、全体で6章から構成されている。

第1章は序文で、大気圧非熱平衡放電プラズマが低濃度揮発性有機物分解に必要と考えられているか、また、その解析にラジカル計測が必要と考えられるかといった本論文の研究背景と本論文全体の構成を示している。

第2章は、「レーザ誘起蛍光法によるOH計測」と題し、本研究で最も重要なキー技術であるOHラジカル計測にかかわるレーザ誘起蛍光法の原理、本研究で中核として使用するOptical Parametric Oscillator (OPO) レーザの特性、実際の光学系の測定装置、分解能等に対する検討、結果の解釈等に使用した基本式などを示してある。

第3章は、「針-平板パルスコロナ放電におけるOH計測」のタイトルで、針対平板電極構造(放電ギャップ長13mm)でのパルス放電におけるOHラジカルの密度分布を282nmレーザ励起誘起蛍光法で計測した結果についてまとめたものである。水分蒸気分圧2.3%、ピークパルス電圧29kV、放電後3μsでのOH密度が、針直下で1~2×10(15)cm-3であることを確認している。また、空間分布から、殆どのOHラジカルが、2次ストリーマ中で形成されていること、特に、窒素ガス中では1次ストリーマ中でのOH生成は極めて少ないこと、低湿度で水分濃度を増加させるとOH生成量は比例して増加するが、相対湿度が30%を越すとOHの増加に飽和傾向が見られることを明らかにしている。LIF信号の励起レーザ波長依存性からOHラジカルの回転温度の時間変化計測に成功している。放電終了後、回転温度が上昇し、数十μs後に100度ほど増加すること、湿度が高いほど温度上昇が早いことを実測し、振動緩和現象は、水分濃度によって増加するとの予測を実証できたと主張している。湿度が高いと、一部の分解反応が促進される報告を裏付けた結果である。また、放電直後(20μs)は、放電張り電極直下で温度上昇が大きいこと、100μs程度経過するとOHラジカル回転温度が場所によらず一定になっていくことが実側されている。

第4章は、「同軸円筒リアクタ中のバリア放電におけるOH計測」と題し、中心に外周に沿ってシャープなエッジを有するボルト型電極を中心に据えた実用的な同軸形状の円筒型プラズマリアクターを試作し、その内部にレーザ光を導入し、実用形状装置でのLIF計測を行った結果について報告している。パルスバリア放電駆動時、OHラジカル密度は、水分濃度2.3%、励起ピークパルス電圧28kV、放電後3μs後のOHラジカル密度5~10×1014cm-3 の実測例を紹介している。電極からの距離依存性などからこの場合にもOHラジカルは主に2次ストリーマ中で形成されることを明らかにしている。針対平板の場合と同様に、放電後に回転温度が上昇する現象が観測されている。以上は、正極性パルスでの結果であったが,負極性パルスでもほぼ同様の結果が得られており、極性の影響はほとんどないことを明らかにしている。実用化装置では交流で駆動する必要があるが、動作上問題ないことを確認している。

第5章は、「有害ガス処理におけるOHラジカルの影響」で、第4章の研究で使用した内部をLIF観測可能なプラズマリアクタを用いて、実際に低濃度トリクロロエチレン(TCE)を含むガスで反応実験を行った結果について紹介している。実験では、TCEが含まれた空気では、湿度が上がると現実のTCE分解率も悪くなることから、水分は反応を邪魔すると予測されていたが、TCEの存在でOHラジカルの減衰が加速されることが認められ、TCEとOHとの反応が存在することも明らかになったとしている。

第6章は、「まとめと今後の展望」で、これまでの研究結果のまとめと今後必要と考えられる研究テーマについての考察結果が述べられている。

以上これを要するに、本論文は、大気中低濃度で存在する有害ガスの分解除去に有効な大気圧非熱平衡プラズマの反応機構を解明する目的で、OPOレーザ励起によるOHラジカルの誘起蛍光計測技術を用いて、針対平板電極におけるコロナ放電下でのOHラジカル分布の時間変化を正確に測定し、OHは主に、二次ストリーマで形成されること、OHラジカルの回転温度は、放電後、数十マイクロ秒後に数百度に達し、分解反応を促進させることなどを明らかにすると共に、ボルト型電極を用いた実用型非平衡プラズマ装置内部でのOHラジカル計測に成功し、OHラジカルと有害ガス分解反応の関係も世界で初めて明らかにしたもので電気工学上貢献するところが少なくない。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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