学位論文要旨



No 127948
著者(漢字) 神田,夏輝
著者(英字)
著者(カナ) カンダ,ナツキ
標題(和) 時空間モルフォロジー制御によるテラヘルツ振動のベクトル的操作
標題(洋)
報告番号 127948
報告番号 甲27948
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7716号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 准教授 井上,慎
 東京大学 准教授 小林,洋平
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 准教授 島野,亮
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

周波数が0.1~10テラヘルツ(THz)程度の領域はTHz周波数領域と呼ばれる。この周波数領域に対応する物理現象は、半導体中のキャリアのプラズマ応答、分子の回転振動、分子間振動、固体中のフォノン、反強磁性共鳴、超伝導ギャップなど多岐に渡っており、THz領域は物性研究にとって重要な周波数帯である。また、紙やプラスチックに対する透過性が高く、水分子との相互作用が強いため、産業応用やバイオ応用といった幅広い応用も期待される。

このTHz領域はフォトニクスとエレクトロニクスの中間領域に位置しているため、利用が遅れてきた領域である。しかし、近年の超短パルスレーザー技術の進歩に伴い、コヒーレントなTHz電磁波の発生・検出技術が進歩し、急速に普及してきている。また、超短パルス光による励起を用いて誘導ラマン的な過程によりTHz領域に相当するエネルギーの素励起を行い、それらをコヒーレントに制御する研究も盛んに行われている。

この周波数領域における次の目標として、テラヘルツ振動のベクトル的な制御が挙げられる。THz電磁波においては、振動のベクトル自由度は偏光に相当する。THz偏光計測は非接触ホール測定やDNA、たんぱく質のキラリティー検出といったスカラー測定では得られない情報を得ることができるため、重要な技術である。しかし、THz領域での偏光制御素子は未だ限られており、偏光計測においてもこの点が大きな制約となっている。また、物質中のTHz振動においては、スカラー量の振動を多次元に拡張することで制御の自由度を増やすことができる。さらに、これらのTHz振動はしばしばテラヘルツ電磁波を放射するため、偏光制御されたTHz電磁波発生源としての応用も期待できる。

2.目的

以上のような背景の中で、本研究では時空間モルフォロジーを制御することでTHz領域の偏光制御や物質中での振動のベクトル的な制御を行うことを目的とした。

振動のベクトル的な制御において「ねじれ」の概念は重要な役割を果たし、本研究では時空間モルフォロジーにねじれを導入した。空間的なねじれは構造のキラリティーに対応する。近年の微細加工技術の進歩により光の波長以下の人工構造が作製可能となり、それらによる光波制御の研究が盛んに行われているが、構造をキラルな形状にしたときには光学活性が生じ、偏光回転を起こすことができる。光学活性による旋光性は入射偏光に関係なく同じ大きさの偏光回転を与えることができ、新たな偏光制御の手法となりうるものである。一方で、時間方向のねじれは時間的に偏光が変化する光パルスに対応し、これを励起光に用いることで物質中の励起を二次元的なものにすることができる。これは時間的にねじれたパルスが振動の左右円運動を非等価に励起していることによるものである。

3.成果

3-1. キラル格子の光励起によるテラヘルツ光学活性の動的制御

高抵抗Si基板上の単層金属キラル格子構造に対する光照射により、光励起キャリアの効果によってテラヘルツ領域における旋光性を発現させることに成功した(図1)。金属格子の形状がアキラルな場合には光励起を行ってもTHz偏光回転はほとんど観測されないのに対し、キラルな場合には偏光回転が観測され、励起強度を大きくするにしたがって偏光回転も増大することが明らかになった。また、キラリティーが逆向きのキラル格子の場合には偏光回転の向きが反転した。

これは、光励起を行う際に金属キラル格子構造がマスクの役割を果たし、金薄膜がない部分のみSi基板が励起されるためである(図1(b))。これにより、Si基板中にはキラル格子構造の形状を反映したキラルなキャリア分布が生成される。このキャリア分布が三次元キラリティーを増大し、金属キラル構造との二層構造を形成することにより、光励起によって大きな光学活性が生じることが明らかになった。

また、数値計算によるシミュレーションにおいても、キャリア応答をDrudeモデルで表現し、キラルな金薄膜とキラルなキャリア分布を仮定することで、透過スペクトルと偏光回転スペクトルの実験結果をよく再現することができた。

この結果は、光励起キャリアによって形成される三次元キラルモルフォロジーによってTHz波に対する旋光性の制御が可能であることを示した初めての結果である。

3-2. 光誘起テラヘルツ光学活性の過渡応答測定

光励起キャリアによる旋光性は、三次元モルフォロジーによって生じるという特徴により、その応答速度はキャリアの寿命ではなく、キャリア拡散の効果が支配的になるということを実験的に明らかにした。

また、この効果の時間ダイナミクスを詳細に調べるために、低繰り返しの光励起と高繰り返しのTHz検出を組み合わせた計測法の開発を進めた。この方法により、通常の単一の繰り返し周波数の光パルスを用いた光学遅延では困難なナノ秒から数マイクロ秒までの広い時間スケールのダイナミクスをTHz領域で周波数分解して検出することが可能になった。その結果、キラル格子に対する光励起で生じるキラリティーの起源がSi基板内のキラル形状のキャリア分布であり、緩和メカニズムがキャリア寿命だけでなくキャリア拡散による分布の均一化にもよる、ということを明確に示すことに成功した。

3-3. 空間光変調によるテラヘルツ光学活性の動的制御

上述の金属キラル格子構造に対する光励起では、励起強度を変化させることで偏光回転の大きさを動的に制御することができた。しかし、キャリア分布の形状はキラル格子構造の形状で決定されるために、キラリティーの向きは動的に変化させることはできない。そこで、空間光変調技術を用いて励起光ビームの空間パターンをキラルな形状にすることにより、金薄膜キラル格子を用いることなくキラルなキャリア分布を直接生成した。

二次元反射型空間位相変調器を用いて強度変調を行い、試料上に縮小投影を行うことで、空間パターンが卍型の周期構造を持つ励起光を生成した(図3(a))。このようなパターンを持ったビームにより、前章と同様の高抵抗Siに対して光励起を行った。THz波の偏光回転スペクトルを図3(b)に示す。キラルなパターンでは偏光回転が観測され、キラリティーの向きにより偏光回転の符号が反転している。このように、光のみにより三次元キラリティーを誘起できることに成功した。

3-4. 反強磁性体NiOにおけるテラヘルツ磁化振動のベクトル的制御

超短パルスレーザー技術の進歩に伴い、磁化を光によって超高速に制御する手法が注目を集めている。特に、誘導ラマン的な非線形光学効果を用いた手法においては過熱の問題を避けることができ、非熱的で超高速な制御が可能となる。本研究ではTHz領域に強い反強磁性共鳴が観測される酸化ニッケル(NiO)に注目し、超短パルス光を用いた非線形光学応答による磁化制御を行った。

NiOはスピン配列の仕方により12種類の磁気ドメインを形成する。通常の結晶では12種類のドメインがランダムに分布しており、ドメインサイズより十分大きい領域で平均化すると(111)軸に関して実効的に三回回転対称性を持つ。三回回転対称性を持つ系では直線偏光の励起光で誘導ラマン的に磁気振動を生成した場合、磁気振動の方向が励起偏光角の-2倍になることが明らかになっている。この偏光依存性から、偏光が互いに45度傾いた励起パルスでは生じる磁化振動の方向が直交する。これらの2種類の直交した振動は二次元磁化振動の完全直交基底となる。そのため、偏光を45度ねじったダブルパルスを用いてパルス間隔を適当に選ぶことで直交する振動の位相差を変えることができ、磁化ベクトルの軌跡を二次元的に制御できる(図4(a))。また、NiOの反強磁性共鳴は赤外活性でもあり、コヒーレントな磁化振動は磁気双極子放射によりコヒーレントなTHz電磁波を放射する。このTHz波の偏光を観測することでNiO中での振動磁化の偏波を検出することができる。

図4(b)に偏光が45度ねじれたダブルパルスによる励起を行ったときの、THz放射の円偏光度とパルス間隔の関係を示す。パルス間隔を変えることで円偏光度が連続的に変化し、左右完全円偏光から直線偏光まで任意の楕円率を実現できた(図4 (c), (d))。これは、反強磁性体の磁化制御の新しい手法として注目すべき成果である。

4. まとめ

本研究ではTHz領域の振動をベクトル的に制御するために、時空間モルフォロジーを制御し、特に時空間のねじれに着目した。空間のモルフォロジー制御により、キラルな形状を用いて光学活性を発現させ、THz電磁波の偏光制御を行った。さらに、THz光学活性を光によって動的に制御することに成功した。また、時間のモルフォロジー制御を行い、偏光ねじれダブルパルスを用いることで、THz領域の反強磁性共鳴を操作し、磁化の振動をベクトル的に制御することに成功した。この手法は、偏光波形整形パルスを用いることでより一般に拡張でき、周波数選択的かつ円選択的なTHz振動の励起に発展させられるものである。

図1:(a)キラル格子に対する光励起の実験の模式図。(b)光励起によるキラルなキャリア分布の生成。(c)アキラル、およびキラルパターンでの偏光回転スペクトル。

図2: 光励起後のダイナミクスの模式図。

図3: (a)空間光変調により生成した励起光の空間プロファイル。(b)光でパターンを書き込んだ時のTHz偏光回転スペクトル。

図4:(a)ねじれダブルパルスによる励起と振動磁化からのTHz放射。(b) ねじれダブルパルスによる励起での磁化振動の円偏光度。(c), (d)は円偏光、直線偏光のときのTHz放射の電場の軌跡。

審査要旨 要旨を表示する

周波数が0.1~10テラヘルツ(THz)程度の領域の電磁波はテラヘルツ波と呼ばれ、近年基礎応用両面から、発生検出および応用技術の開拓が進んでいる。この周波数領域は伝導現象と光学現象を繋ぐ領域であり、半導体デバイスの高速動作に向けた研究や、強相関電子系での低エネルギーの励起現象の解明など電子物性研究において重要である。また、多くの分子においてこの周波数は指紋スペクトル領域と呼ばれ、個々の分子の識別や分子の生理学的な機能を解明する上でも重要である。近年の超短パルスレーザー技術の進歩に伴い、この周波数領域の電磁波を活用する技術に革新がもたらされ、その高度化が急速に進んでいる。

一方、超短パルス光は物質との非線形な相互作用により、THz波の光子エネルギーと同程度のエネルギーをもつ素励起を瞬時的に励起することができる。この過程によって、コヒーレントに駆動された素励起集団は振動の位相と振幅に加え、振動方向の自由度をもつ。これらが電磁波を放射する場合、振動方向の自由度は、放射されるTHz電磁波の偏光自由度に対応する。光励起過程を巧みに制御し、誘起される振動を方向自由度も含めて制御することで、THz波の偏光状態を能動的に制御することができる。これは生体計測応用などTHz波の応用上重要な技術をもたらす。

以上のような背景の中で、本研究では光励起によって生じる物質の状態や光パルスにおいて「時空間モルフォロジー」の概念を新たに導入し、THz波の偏光制御技術や物質中のTHz振動のベクトル的な制御について新しい方法を提案し実証することを目的とした。

本論文は、8章から構成されている。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、本研究の背景及び目的を述べ、本論文の構成について述べている。

第2章では、本研究の実験で用いたTHz電磁波発生・検出法について説明している。さらに本研究全体を通じて最も重要な実験技術であるTHz領域での偏光計測法について説明している。

第3章では、本研究で議論する「光学活性」についてその原理について概説している。鏡映対称性の破れによる掌性(キラリティー)と光学活性の関係について述べている。さらに、人工キラル構造における光学活性の発現機構についてこれまでに行われてきた議論を概説した上で、それに基づいた設計指針を整理している。

第4章では、THz領域での光学活性を光励起により動的に制御する実験について述べている。半導体基板上に金薄膜キラル格子構造を作製し、光照射によってTHz領域に旋光性が発現することを見いだした。実験とシミュレーションの比較により、金薄膜構造の卍型の形状を反映した光励起キャリアの面内および厚み方向の分布が光学活性を誘起することを明らかにした。この結果は、光励起キャリアの三次元キラルモルフォロジーによってTHz波に対する旋光性の制御が可能であることを示したものである。

第5章では、第4章の光誘起THz光学活性の過渡応答測定を行った結果について述べている。キャリア拡散によりキャリア分布のキラリティーが失われ、光学活性が消失することを示した。この過渡応答測定のために、新たな時間分解検出法を開発した。繰り返し76MHzの高繰返しTHz検出とそれを分周して得られた厳密に同期のとれた低繰り返し励起光を用いることで、ns~μsの広い範囲かつ高いデータ取得効率で、ポンプとプローブの時間分解とTHz領域での周波数分解を両立させて測定できることを示した。

第6章では、一様媒質に対してパターン制御した光を照射することで、旋光性を誘起する実験について述べている。空間光変調器を用いることでキラルなパターンを持った励起光を生成し半導体基板上に結像し、THz波の偏光特性を評価した。自在な形状のキャリア分布を実現でき、モルフォロジーの動的な制御が可能であることを示した。

第7章では、三回回転対称性を持つ系での誘導ラマン過程の偏光選択則の理解に基づき、THz領域で振動する光誘起磁化のベクトル的な制御を行った実験について述べている。磁気ドメイン分布がランダムなマルチドメイン構造をもつ反強磁性体NiOの単結晶において、その[111]軸が三回回転対称軸になることに着目した。この結晶に[111]軸方向から、偏光をねじったダブルパルスの直線偏光フェムト秒パルスを入射すると、誘導ラマン散乱過程により、反磁性共鳴マグノン振動が任意に設計した楕円軌道に従った磁化振動を行うことを見いだし、それを実験で明確に示した。これは、励起パルス光の時間的なねじれを利用して、THz波発生の偏波をベクトル的に制御する新しい手法である。

第8章では本研究のまとめを行い、今後の課題・展望について述べた。

以上のように、本研究ではTHz電磁波や物質中のTHz領域での振動についてその偏波の制御という観点から、時空間モルフォロジー制御という概念を新たに導入し、それを実証したものである。空間のモルフォロジー制御とそれを光励起によって動的に制御することで、光学活性を発現させ、THz電磁波の偏光を能動的に制御できることを示した。また、ダブルパルスの偏光のねじれを、光の時間軸上でのモルフォロジー制御として捉え、THz領域に共鳴をもつ、磁化の振動を位相と振幅に加え振動方向をベクトル的に自在に制御することに成功した。この手法は、2次非線形光学効果を用いたTHz波発生において、最適設計された偏光波形整形光パルスを励起光として用いることにより、周波数およびその帯域を自由に制御できる円偏光THz光源として応用できる。

これらの研究は、THz波の応用上の課題である、偏波制御に新たな指針を与えたものであり、本研究の成果は今後の物理工学の発展に大きく寄与することが期待される。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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