学位論文要旨



No 127953
著者(漢字) 玉置,亮
著者(英字)
著者(カナ) タマキ,リョウ
標題(和) 基板面方位を用いた酸化物薄膜における光物性制御
標題(洋) Optical properties in oxide thin films controlled by substrate orientations
報告番号 127953
報告番号 甲27953
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7721号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 岩佐,義宏
 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京工業大学 教授 腰原,伸也
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究背景と目的

本論文の研究対象は電荷,スピン,軌道,格子の自由度が競合する強相関電子系である。なかでもマンガン(Mn)酸化物と銅(Cu)酸化物の薄膜に着目し、「基板面方位」と「光励起」を用いて、バルク試料や他の外場では容易には達成できない状態の実現と制御を目指した。

Mn酸化物は巨大磁気抵抗(CMR)やマルチフェロイクス、Cu酸化物は高温超伝導など多彩な物性を示すが、これらを薄膜にすることにより格子歪による相制御、ヘテロ界面固有の電子状態、(100)基板上薄膜における一次転移の抑制など薄膜特有の性質を示すことが知られている。また、光励起は他の外場より大きなエネルギー量子を持ち、性質の大きく異なる相が接する相境界近傍において劇的な光誘起現象が起こる場合がある。本研究では、ペロブスカイト型酸化物単結晶の(100), (110), (210)面方位(図1)を使い分け、それぞれの特徴を有する薄膜試料を作製し、光学的手法を用いて半定量的な解析を行うことを目的として研究を行った。

ペロブスカイト構造は、(100)基板上に作られた薄膜では異なる価数のBサイトが単一の酸素原子層を介して接するため、このヘテロ界面を介した光キャリア注入の対象として好適である。また、(110)表面に作製した薄膜はずり変形が可能であり、一次転移を伴う相の競合が生じるため光誘起相転移に適している。これまで報告例のない(210)表面上の薄膜においては、面内異方性により軌道面が一方向に整列することや、面内反転対称性の破れが期待される。

2. 薄膜作製と光学測定

薄膜試料はパルスレーザー堆積(PLD)法を用いて作製した。反射高速電子線回折(RHEED),4軸X線回折,原子間力顕微鏡(AFM)により薄膜試料の構造評価を行い、電気抵抗率,磁化率測定によりDC電気・磁気特性を評価した。

透過と反射を同時測定した線形分光の結果から、Kramers-Kronig変換なしに薄膜試料の複素光学定数スペクトルを得た。また、第2高調波発生(SHG)の偏光測定(入射偏光φ, 出射偏光θの配置を(φ,θ)と略記)から、SHGの非線形感受率テンソルに対応するdマトリックスを求めて対称性や分極を議論した。光励起後のダイナミクスは、近赤外パルス光(~1.5 eV)をポンプ光とするポンプ-プローブ分光法を用いて測定した。

3. (100)基板上,無限層Cu酸化物ヘテロ界面

無限層銅酸化物ACuO2(A:アルカリ土類金属)は高温超伝導体の母相である。この無限層構造はバルクでは不安定だが、薄膜では(100)基板からの正方晶的な歪により安定化される。また、BaCuO2を用いることで、無限層ヘテロ界面において余剰頂点酸素からのホールドープにより高温超伝導が発現することが報告されている。本研究では、余剰酸素を減らした構造歪の少ないアンダードープの界面における光励起効果に着目した。

3.1 ヘテロ界面における光キャリア注入

無限層ヘテロ界面SrCuO2(2 u.c.)/BaCuO2(2 u.c.)をLSAT(100)基板上に作製し、保護膜としてアモルファスLaAlO3を約6 nm堆積した。図2(a)に示した室温でのSHG偏光測定は図2(b)の配置で行った。これらは図2(c)のdマトリックスによって記述され、対称性は(100)表面と同じ4mmである。光励起による変化は0.3 psで超高速緩和した。様々なヘテロ構造に対する解析から、電荷移動励起後、界面における面直方向の非対称性が増大しており、SrCuO2への光ホールドープが実現された。励起前のキャリア密度0.1 hole/Cuから見積もると、光励起によりCuサイトあたり0.01個の光キャリア注入が実現し、吸収光子数に対する効率は11%だった。超伝導の最適ドープにはさらに10倍のキャリア注入が必要である。

4. (110)基板上,電荷軌道秩序絶縁体Mn酸化物薄膜

Nd0.5Sr0.5MnO3(NSMO)はバルク単結晶において、強磁性金属相(TC=255 K)と反強磁性電荷軌道秩序絶縁体相(AFM-COOI相,TCOO=158 K)間の一次相転移を示す。SrTiO3(STO)基板上に作製した薄膜試料において、(110)面方位を用いることでバルクと同様な一次転移が報告されている。本研究ではNSMO/STO(110)薄膜のCOOI相における光誘起相転移について調べた。

4.1「隠れた」電荷軌道秩序相

温度100 K(<TCOO=160 K),励起密度0.8 mJ/cm2においてポンプ-プローブ分光と時分割X線回折を行った。後者は東京工業大学の腰原伸也教授のグループにより行われた。過渡光学伝導度スペクトルにおいて、0.5~1.0 eVに立ち上がり100 psで1 ns後でも安定な赤外吸収が現れ、電荷不均化の弱まりが示唆された。また時分割X線回折から、光励起によりヤーンテラー歪が弱まっていることが示された。これらの結果は温度上昇の効果では解釈できず、熱平衡状態では到達することのできない言わば「隠れた」相が発現していることが明らかになった。また、強励起下においては、COO融解が起きた後ナノ秒以上かけて「隠れた」相に転移した。さらに、長時間ダイナミクスの実時間観測から緩和時間は数100 nsであり、準安定状態であることが示された。

4.2 電荷軌道秩序相における分極とダイナミクス

定常状態においてCOOI相への転移に伴い面内分極が観測された。他のMn酸化物薄膜に対する第一原理計算から、軌道秩序相においてカチオンが変位して反転対称性が破れることが示されており、NSMO薄膜の場合も同様のカチオン変位により分極が発生したと考えられる。

そこで温度100 K,励起密度4.0 mJ/cm2において時間分解SHG分光(s偏光//[1-10])を行った。図3(a)の150 ps後の偏光パターンはT > TCOOに近く、3 ns以降は図3(b), (c)に示すようにSH強度が増大に転じた。光誘起相においては、GdFeO3型の歪に由来する構造の不均一性がわずかに解消され、カチオンがより変位しやすくなることでマクロな分極が増大したと考えられる。

4.3 永続的な光誘起相転移

さらに、温度を下げ10 Kにおいてポンプ光(>1.5 mJ/cm2)を1パルス照射すると、定常光学伝導度スペクトルの強度が1.25 eVを等吸収点として可視から赤外へシフトした。これはポーラロンに由来するMn3+からMn4+へのeg軌道間の遷移確率の増大を示している。さらにSHGの面内分極成分は増大し、ヤーンテラー及びブリージングモードのラマン散乱強度は減少し、極Kerr回転には変化がなかった。これらの結果は、100 Kにおける時間分解測定で観測された過渡光誘起相と同様に格子歪及び電荷不均化の弱まりによって理解され、温度変化による転移では避けられないGdFeO3型の歪に由来する構造の不均一性が光励起によって一部解消したと考えられる。

5. (210)基板上,強磁性金属Mn酸化物薄膜

対称性のより低い(210)基板を用いることで、(110)基板上の薄膜のようにバルクの軌道整列が無くても薄膜の反転対称性が破れる可能性がある。すなわち室温で既に分極が発生していることも十分予想され、さらに大胆にこの予想を進めれば、金属相において反転対称性の破れた状態"polar metal"が実現する可能性もある。"polar metal"状態は単純な電気測定では検出困難だが、SHG測定ではその有無を明快に示すことが可能であり、さらに強磁性秩序も併せ持つことを期待し、典型的な強磁性金属La0.7Sr0.3MnO3(LSMO)を対象物質として選択した。

5.1 反転対称性の破れ,"ferromagnetic polar metal"

LSAT(210)基板上に作製したLSMO薄膜は、バルク(TC=370 K)と同様の相転移点(TC=365 K)を持つ強磁性・金属であった。図4(a)に示した室温における(p,p)配置でのSHGのアジマス依存性に明瞭な異方性が生じ、y軸正方向が[1-20], [-120]の場合にバルクや他の面方位では不活性な(s,s)成分が観測された。膜厚依存性が図4(b)のように非単調な振る舞いを示し、表面分極に加え、バルクの分極も存在していることが分かった。この起源は(110)基板上と同様にカチオン変位によるものと考えられ、室温において(210)基板の異方性に由来する"ferromagnetic polar metal"な薄膜が得られた。また、[001]軸方向に磁場を印可することで[1-20]軸方向にferro-toroidalな秩序が現れた。一方、光励起によって約50%のSH強度減少が観測され、3~5 nsの異方的な緩和が確認された。

6. まとめと課題

本論文では強相関電子系であるMn及びCu酸化物薄膜において、(100), (110), (210)面方位各々の特徴を利用し光励起効果を含む光物性制御を試み、線形及びSHG分光により線形複素光学定数、非線形感受率テンソルを求めた。その結果、無限層ヘテロ界面での光誘起キャリア注入、「隠れた」過渡/永続光誘起相転移、逆ファラデー効果や非線形磁気光学カー効果発現の舞台としても期待される"ferromagnetic polar metal"状態を実現した。

(100)表面上の無限層ヘテロ界面において光誘起超伝導などの実現には、界面の電子状態を考慮した相境界に位置する試料作製が必要である。また、(110), (210)基板上の薄膜試料における非自明な面内分極の起源を明らかにするためには、カチオン変位の直接観測が必須であり、X線吸収微細構造(XFAS)測定等による今後の研究が期待される。

図1 (100), (110), (210)配向したペロブスカイト単位格子の模式図

図2(a) 無限層ヘテロ界面におけるSHG偏光測定 (b) 測定配置 (c) dマトリックス(点群4mm)

図3(a) NSMO/STO(110)薄膜における時間分解SHG偏光測定 (b), (c) 時分割ダイナミクス

図4(a) LSMO/LSAT(210)薄膜におけるSHGのアジマス依存性 (b) 膜厚依存性

審査要旨 要旨を表示する

電子相関の強い金属酸化物は、その物性を担っている電子の波動関数の局在性や異方性のため薄膜や界面において結晶方位に強く依存する現象が期待される。本論文では、典型的な強相関酸化物である銅とマンガンの酸化物薄膜において、基板面方位を系統的に変えることにより特に光物性がどのように変化するかを、非線形時間分解分光法まで含む多様な光学測定法を用いて調べたものである。論文は英文で執筆され全8章よりなる。

1章は序論である。基板面方位として(100)、(110)、(210)の3種類を採りその各々の場合に界面や薄膜において、強相関電子系で重要なパラメータである電荷移動や格子変形の許容されるモードを概観して本論文の意義付けを行っている。

2章は対象となる銅およびマンガンの酸化物の電子状態に対する背景と、これらの薄膜試料において既に報告されている実験事実をまとめている。

3章は実験方法の解説である。試料はパルスレーザー堆積(PLD)法で作製され、X線・電子線回折、AFMなどの構造解析によって評価された。また、線形・非線形、定常・時間分解を組み合わせた光学測定法について簡単に触れている。

4章では線形・非線形分光で得られた測定値から光学定数を得る手続きについて具体的に述べられている。特に、非線形偏光分光において入射面と結晶方位の異なる組み合わせを選んだ測定を行うことにより、低い対称性の試料の光学テンソルを最大限取り出す方法について解説している。これは(210)基板において有用な手法である。

5章では(LaAlO3)0.3(SrAl0.5Ta0.5O3)0.7 (LSAT)(100)面上のSrCuO2/BaCuO2 (SCO/BCO) へテロ接合について議論している。これらの物質の無限層構造は薄膜にすることによってのみ安定に存在し、また(100)面で接した両者間で電荷移動が可能であることから光誘起電荷注入を起こすのに適した試料である。SCO/BCO超格子においてはBa層内に取り込まれた余剰酸素から正孔がSCOのCuO2面に注入されることにより超伝導が発現することが知られていることから、余剰酸素を制限した試料を作製し、光キャリヤ注入による電子相の相転移を期待し、第二高調波発生(SHG)を用いて光誘起電荷移動の有無を調べた。表面・界面は一般に反転対称性が破れているためSHG活性であるが、各単膜及び反転した接合膜やその複数の組み合わせを用いることにより、接合面の分極による信号を選別し、時間分解SHG法によって生成した光キャリヤが分極を増加させる、すなわちSCO層にさらに正孔をドープする方向に働くことを示した。しかし、その寿命はサブピコ秒、キャリヤ濃度もCu原子当たり0.01と相転移には遠く及ばない値であった。

6章ではNd0.5Sr0.5MnO3 (NSMO)/SrTiO3 (STO)(110)薄膜の光誘起相転移について述べている。NSMOバルク結晶は低温で強磁性金属から電荷・軌道秩序反強磁性絶縁体に転移する。(110)基板上に作製した薄膜ではこの一次相転移に伴うずり変形が許容であることによってバルクと同様の相転移が生じるが、薄膜を転移点以下の100Kで光励起すると、温度上昇を伴わないバルクでは見られない構造変化が短時間生じる事が時間分解X線回折によって見出されており「隠れた相」と称されていた。100Kで時間分解分光を行った結果、この構造変化に伴って電子的にはより均一な、しかし電荷・軌道秩序度が低下した相が光励起後100ピコ秒程度で出現すること、その出現時刻は励起光強度の増加とともに著しく遅延することを見出した。これは光励起が一時的に準安定相を作り出したことを示唆する。そこで、より低温で同様の実験を行った結果、この光誘起遷移は永続的になり真の安定相であることが分かった。線形分光、ラマン散乱、SHG、光磁気効果の測定からMnO6八面体の局所的な再配列が生じていると考えられ、基板の歪み効果の現れである。

7章ではLa0.3Sr0.7MnO3 (LSMO)/LSAT (210)薄膜のSHG測定の結果が述べられている。LSMOバルク結晶は常温で強磁性金属であり結晶構造には反転対称性があるが、(210)基板上の薄膜からは強いSHGが観測された。薄膜はmの対称性を持ち、SHG偏光解析から鏡映面内で面垂線から傾いた分極を持つことが示された。さらに、膜厚依存性から対称性の破れは膜内部でも起きており、対称性の低い基板歪みを用いることにより分極、強磁性、金属の共存状態が実現しており、本研究で初めて見出された電子状態である。

8章は結論である。

以上要するに、本論文はプローブとしての光の特性、特に対称性に敏感であり物質内部まで届くことを利用して強相関系薄膜の基板効果を探索し、薄膜でのみ発現する状態を見出したものであり、応用上重要な薄膜物性研究に新たな視点を投げかけたもので、物理工学の発展に寄与することが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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