学位論文要旨



No 127957
著者(漢字) 宮田,敦彦
著者(英字)
著者(カナ) ミヤタ,アツヒコ
標題(和) 極限超強磁場下での磁気光学的手法によるフラストレート磁性体の研究
標題(洋)
報告番号 127957
報告番号 甲27957
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7725号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶽山,正二郎
 東京大学 准教授 佐藤,卓
 東京大学 准教授 求,幸年
 東京大学 准教授 長田,俊人
 東京大学 准教授 徳永,将史
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景と目的

近年、フラストレート磁性体は、物性物理学の多岐にわたる分野の中で多くの関心を集めている。フラストレート磁性体では、競合する磁気的相互作用に起因して最低エネルギーをとりうる状態数が巨視的な数になり、この巨視的な縮退を解消するために複数の自由度(スピン、軌道、格子等)が協調し、新奇な磁気秩序相や相転移が出現する。また、磁場印加によっても磁化プラトー現象やマグノンの結晶化など特異な現象が出現する可能性があり、盛んに研究が進められている。

本論文で扱っているクロムスピネル酸化物 (ACr2O4, A = Zn, Cd, Hg)では、基底状態の巨視的な縮退を解くために、スピン‐格子相互作用が重要な役割を果たす。特に、磁場印加により、飽和磁化の半分の値のところで磁化プラトーが現れ、スピン‐格子相互作用を取り入れたPenc等の理論とCdCr2O4, HgCr2O4の全磁化曲線はよく一致する。一方、ZnCr2O4は、格子定数が小さく、スピン‐格子結合が弱い領域に位置していると考えられる。Penc等によると弱結合の極限では異なる磁気相が出現すると考えられており、また、スピン‐格子結合以外の摂動の寄与が顕著になり、新奇な物理現象が現れる可能性もある。しかし、ZnCr2O4は、大きな反強磁性交換相互作用を示し、飽和磁化までの測定には、400 Tの超強磁場が必要であると予測されており、その解明は困難とされてきた。本論文では、電磁濃縮法を用いた物性測定の開発を行い、5 K、600 Tの複合極限環境下における磁気光学測定を可能とし、飽和磁化までの全磁気相の解明を行った。また、一巻コイル法を用いて200 Tまでの磁化過程の温度依存性を詳細に調べた。

2.実験手法

超強磁場発生には、一巻きコイル法( < 190 T)と電磁濃縮法( < 600 T)を用いた。近年、電磁濃縮法において銅を内張りしたプライマリーコイルが開発され、直径6 mmの空間に730 Tの室内世界最高の磁場発生に成功している。物性測定向けに磁場発生空間を大きくしようと大口径のプライマリーコイルを開発し、それに適合させたミニチュア・クライオスタット(スタイキャスト1266製)を自作開発することにより、600 T, 5 Kに至る世界最高磁場、最低温度の複合極限環境下での実験を可能とした。超強磁場を発生する際は、短時間(マイクロ秒)に大電流(メガアンペア)をコイルに流すため、大きな電磁波ノイズの発生を伴う。磁気光学測定は、電磁波ノイズの影響を受けないため、超強磁場下でも測定が可能である。そこで、磁気光学測定としてファラデー回転測定及び磁気光学吸収スペクトル測定を行った。ファラデー回転測定では、光源に半導体レーザー(波長635 nm)を用い、検出には、高速応答のシリコンPINフォトダイオードを用いている。磁気光学吸収スペクトル測定では、光源にXeフラッシュランプを用い、ストリークカメラシステムを用いて時間分解の検出をした。試料は、化学輸送法により作製されたZnCr2O4の単結晶を厚さが50 μm程度(磁気光学吸収分光測定用)と100 μm程度(ファラデー回転測定用)になるように光学研摩したものを用いた。

3.実験結果と考察

図1に一巻きコイル法を用い、ファラデー回転測定により得られたZnCr2O4の磁化過程の温度依存性を示してある。磁化曲線を見てみると、反強磁性相とプラトー相の間にCdCr2O4とHgCr2O4では観測されていない相を観測している(図中の緑矢印と青矢印の間の相)。これは、Penc等が提案した弱結合の極限でのみ現れるキャントした2:1:1相を観測している。また、反強磁性相からキャントした2:1:1相への転移磁場(緑矢印)とキャントした2:1:1相から1/2プラトー相への転移磁場(青矢印)は、温度の上昇に対して低磁場側へシフトしているのがわかり、1/2 プラトー相からキャントした3:1相への転移磁場(赤矢印)は、ほぼ変化しないことがわかる。これらの転移点から温度‐磁場相図を作製した(図2)。図2より、温度が上がるにつれて1/2プラトー相の磁場領域が広がり、安定化するのがわかる。これは、"order by disorder"現象と呼ばれており、熱揺らぎを考慮した自由エネルギーの補正によってコリニアーな磁気構造のエネルギーが下がるために、この構造が安定化する現象である。2次元系では、理論と実験ともに活発に研究されているが、3次元系で実験的に観測したのは初めてのことである。また、スピン‐格子相互作用を含んだ4副格子の有効スピンモデルに対してモンテカルロシミュレーションをした結果ともよく一致しており、この系においてスピン‐格子相互作用が重要な役割を果たしているのを裏付ける結果を得た。

次に、飽和磁化までの全磁気相を明らかにするために電磁濃縮法を用いた。図3は、600 T, 4.6 Kでのファラデー回転測定結果であり、全磁化過程を得ることができた。410 Tで磁化に折れ曲がりを観測し、それ以上の磁場領域で磁化が3 μB/Cr3+であることから410 Tで強磁性相へ相転移したと考えられる。また、プラトー相からキャントした3:1相へ転移する160 Tと410 Tの間で磁化は連続的に増加し、異常が観測されていない。しかし、ファラデー回転測定の際に同時に測定される光吸収強度(波長635 nm)には350 Tから急減する異常が観測された。光吸収強度の異常は、120 T、135 Tでも観測されており、それぞれ磁気相転移の磁場値に対応している。このことから350 Tで光吸収強度が急減したのも磁気相転移によると考えられるが、これは、従来のスピン‐格子結合を取り入れた理論では説明できない。実際には、波長635 nmの光吸収は、d-d遷移(4A2 → 4T2)と励起子‐マグノン‐フォノン(EMP)遷移が寄与するため、磁気相転移が存在するのかは超強磁場下において、これらの遷移の振る舞いを調べる必要がある。そこで、電磁濃縮法を用いた磁気光学吸収分光測定により4A2 → 4T2遷移とEMP遷移の振る舞いを調べた(図4(a))。強磁性相に転移していると考えられる540 Tの吸収スペクトルでは、EMP遷移が消失するのを観測した。EMP遷移は、ΔSz = -1となる励起子遷移(4A2 → 2E, 2T1遷移)とΔSz = +1となるマグノン、及びフォノンを協同励起することによりスピン量子数と運動量を遷移前後で保存し、電気双極子遷移が可能となっている。しかし、強磁性相では、ΔSz = +1となるマグノン励起が起きず、EMP遷移が消失する。図4(b)に示したように磁場下での各波長の光吸収強度の変化を見てみると、110 Tと270 Tに異常を観測した。結晶場を反映する4A2 → 4T2遷移(610 nm)とマグノン励起を反映するEMP遷移(660 nm)において観測される異常は、それぞれ結晶構造と磁気構造変化に異常が起きたと考えることができる。実際、一巻きコイル法での測定から110 Tでは、結晶構造変化を伴う磁気相転移であることが分かっており、両遷移での光吸収強度に異常が観測されている。同様に、270 Tにおいても両遷移での光吸収強度に異常があることから結晶構造変化を伴う磁気相転移を観測したと考えられる。また、これらの磁気相転移は、温度に対して敏感であり、12 Kでの転移磁場値と4.6 Kでの転移磁場値は、異なっている。これらの磁気相の温度依存性を調べるために様々な温度でファラデー回転測定を行った(図5)。図5において、黒矢印より強磁場領域では、光吸収強度が抑制され、強磁性相へ転移したと考えられる。また、赤矢印のところで光吸収強度が減り始め、磁気光学吸収分光測定で観測された新奇な磁気相転移に対応すると考えられる。従来の理論では説明できない新奇な磁気相を推測するために、磁気構造と4Heの量子相における対称性の破れ方の類似性に着目した(スピン系をボソン描像で捉えることに対応する)。この描像では、スピンのxy成分が秩序し、回転対称性が破れた状態を超流動体相に対応させ、スピンのz成分が格子の並進対称性を破った状態を固体相に対応させている。両者の破れが共存すると超固体相に対応している。一般的に超固体相は、相図において固体相と超流動相の間に存在する。以前に我々が観測したキャントした2:1:1 相及びキャントした3:1 相は超固体相に対応することが分かっている。超固体相に対応するキャントした2:1:1 相は、超流動体と固体に対応する反強磁性相と1/2プラトー相の間に位置する。今回観測した新奇な磁気相は、超固体相に対応するキャントした3:1 相に隣接しており、上記の理由により超流動体相であると推測できる。超流動体相に対応する磁気構造として一つ考えられるのは、スピンのz成分が一様でxy成分が秩序した傘型の磁気構造である。傘型の磁気構造は、スピン‐格子結合に由来する双二次相互作用の係数が正になれば、安定化することがわかっており、高次のスピン‐格子結合考慮する必要があると考えられる。

4.まとめ

フラストレート磁性体のZnCr2O4に対し、一巻きコイル法を用いて200 Tまでの磁化曲線の温度依存性を調べた。また、飽和磁化までの全磁気相を明らかにするために電磁濃縮法での測定システムを自作開発し、600 T、5 Kに至る極限環境下での精度の良い磁気物性測定を可能とした。

この結果、1/2磁化プラトーが温度上昇に伴う系の揺らぎによって安定化する"order by disorder"現象を観測した。また、全磁化過程を得ることに成功し、光吸収スペクトルの測定から強磁性相の低磁場側にPenc等による理論では説明できない磁気相があることがわかった。この磁気相を理解するために、磁気構造と4Heの量子相の間で対称性の破れ方に類似性があることに着目した。これによりZnCr2O4で新しく観測された磁気相は超流動体に対応する傘型の磁気構造であると推論した。

図1 ZnCr2O4の磁化過程の温度依存性

図2 ZnCr2O4の温度‐磁場相図

図3 電磁濃縮法を用いたファラデー回転測定によるZnCr2O4の全磁化過程(4.6 K)

図4 (a)ZnCr2O4の磁気光学吸収スペクトル (b) 磁場下での各波長の光吸収強度変化

図5 電磁濃縮法を用いたファラデー回転測定によるZnCr2O4の全磁化過程の温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文「極限超強磁場下での磁気光学的手法によるフラストレート磁性体の研究」(研究題目)では、100テスラから700テスラの超強磁場発生手法である一巻きコイル法と電磁濃縮法を用いて、フラストレート磁性体であるクロムスピネル酸化物の物性解明へと応用した研究成果をまとめたものである。

第1章「序論」では、近年、物性物理分野で盛んに研究が行われているフラストレート磁性体に関する研究背景及び意義について述べている。フラストレート磁性体では外部磁場印加により新奇かつ多彩な磁気相が出現する可能性がある。その理解には強磁場環境での物性測定が極めて有効であると考えられる。しかし、近年報告されている多くのフラストレート磁性体は強い反強磁性交換相互作用を示すため、飽和磁化までの全磁気相を解明することは困難とされてきた。そこで、超強磁場発生手法である電磁濃縮法での物性測定システムの開発を行いフラストレート磁性体のクロムスピネル酸化物へと応用するといった課題を提起している。

第2章「幾何学的フラストレート磁性体に関する基礎物性」では、フラストレート磁性体の研究背景に対して詳しく述べ、本論文で対象としたクロムスピネル酸化物ACr2O4 (A = Zn, Cd, Hg)の基礎物性について述べている。クロム酸カドミウム(CdCr2O4)とクロム酸水銀(HgCr2O4)の磁化過程は、スピン‐格子相互作用を取り入れたPenc等による理論が上手く適用される。一方で、クロム酸亜鉛(ZnCr2O4)は、スピン‐格子結合が弱いと考えられ、Penc等の理論は新たな磁気相の出現を予言する。また、スピン‐格子結合以外の摂動の寄与が顕著になり、新奇な物理現象が現れる可能性もある。しかしながら、ZnCr2O4は、大きな反強磁性交換相互作用を示し、飽和磁化までの測定には、400 T程度の超強磁場が必要であると予測され、これまで実験的検証は不可能とされていた。

第3章「実験手法及び開発」では、超強磁場の発生手法として一巻きコイル法及び電磁濃縮法について述べている。近年、電磁濃縮法では、銅を内張りしたコイルが開発され、室内世界最高磁場値を更新するに至った。本論文では、このシステムを物性測定に応用できるように、大口径破壊型磁場発生コイルおよび自作の極低温用ミニチュアクライオスタットの開発を行い、600 Tの極限超強磁場かつ5 Kの極低温下といった複合極限環境下での物性測定を可能にした。極低温での物性測定では、世界でも350 - 450 T程度の磁場値が限界であったが、これを大幅に更新した。更に、このような環境下で高精度の磁気光学測定系を構築した。

第4章「実験結果と考察」では、ZnCr2O4における一巻きコイル法及び電磁濃縮法により得られた結果について考察している。

一巻きコイル法の測定(< 190 T)により、ZnCr2O4では、キャントした2:1:1相が反強磁性相とプラトー相の間に存在することをはじめて観測することに成功した。スピン‐格子相互作用を取り入れたPenc等の理論によると、ZnCr2O4のようにスピン‐格子結合が弱結合極限に位置する物質では、このキャントした2:1:1相の存在が予言されており、この物質系での磁気秩序の理解において重要な発見である。また、温度上昇に対して1/2プラトー相が安定化する振る舞いを観測した。これは、エントロピーを増大しようとコリニアーな磁気構造が熱揺らぎにより安定化することを示している。

次に、電磁濃縮法の測定(< 600 T)により、ZnCr2O4の全磁化過程の観測に成功し、温度4.6 K、磁場410 Tで強磁性相転移に至ることを観測した。また、光吸収強度変化に着目することにより、350 Tにおいて磁気測定では観測が困難であった新たな相転移を見出した。これは、光吸収分光測定によって結晶場(結晶構造)を反映する遷移の光吸収強度に異常がみられたことから、構造相転移を伴った転移であるとしている。ここで発見した350 Tから410 Tに対応する磁気相は、ペンク(Penc)等による従来の理論枠では説明できない磁気相である。同様の振る舞いを、CdCr2O4の磁気光学分光測定においても観測している。 ここから、クロムスピネル酸化物に共通して現れる磁気相であることを示している。類似物質CdCr2O4とHgCr2O4の測定結果との比較から、この350 Tに対応する転移では等方的な結晶構造になっていると示唆している。また、磁気構造も結晶構造と同様に等方的になっていることから、アンブレラ型の磁気構造となっていると結論づけている。ここで、バーグマン(Bergman)等の理論的考察に着目し、この磁気構造は、スピン-格子結合によるボンド歪みを最隣接磁気副格子にまで拡張したスピン・ハミルトニアンによって説明できると提案している。また、スピン演算子をボソン描像で捉えることにより、ZnCr2O4の全磁気構造と4Heの物質相との類似性に関する議論を行っている。この系では、並進対称性と回転対称性が破れた超固体相が、並進対称性の破れた固体相と回転対称性の破れた超流動相の中間状態として現れていることから、ZnCr2O4の磁気相と4Heの物質相との間で、対称性の破れ方に極めて強い類似性があることを指摘している。

第5章「総括」では、本論文の結果をまとめ、今後の展望について述べている。

以上で述べたように、本論文では、電磁濃縮法超強磁場発生装置での物性測定の技術開発を行うことにより、精度と信頼性の高い磁気物性計測システムを構築している。物性計測としてはこれまでの世界の最高磁場値を大幅に更新するという結果を得ている。そして、この物性計測技術を典型的なフラストレート磁性体であるクロムスピネル酸化物へと応用し、ZnCr2O4の磁化測定に成功し、600 Tという極限超強磁場に至る全磁気相の解明をおこなった。本研究は、極めて強い磁場でかつ極低温環境を必要とするために解明が困難であったフラストレート磁性体の研究領域の発展に大きな貢献をしたといえる。また、これらの物性測定技術は、幾何学フラストレート磁性体だけではなく、多岐にわたる物性分野へと応用されることが期待され、物理工学としての貢献は大きいと言える。よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク