学位論文要旨



No 127969
著者(漢字) 高橋,伸彬
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ノブアキ
標題(和) アルミナセラミックス中の拡散機構に関する原子論的研究
標題(洋)
報告番号 127969
報告番号 甲27969
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7737号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幾原,雄一
 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 井上,博之
 東京大学 准教授 泉,聡志
 東京大学 准教授 溝口,照康
内容要旨 要旨を表示する

[緒言(第1章)]

アルミナセラミックス(α-Al2O3)は、高温下における優れた機械的特性や化学安的定性を有し、高温燃焼炉の構造部材あるいは道具・治具として等、工業的にも広く実用に供されている。故にアルミナに関しては、昇温プロセスにおける特性や現象、例えば高温クリープ変形、焼結等に関して過去多くの研究が行われてきた。

一方、材料のプロセスは拡散現象と密接に関係しており、酸化還元やイオン伝導といった工業的にも重要な基礎物性を支配する素過程として、その理解および制御は極めて重要である。その中でアルミナでは特に、機械的特性向上の観点から、クリープ変形に関する研究が盛んに行われてきており、その平均粒径が小さいときには拡散クリープが支配的となることが知られている。また、粒界に代表される格子不整合領域においては、その特異な原子構造や欠陥形成に起因して、完全結晶とは異なる拡散挙動(粒界拡散)を示すことが知られており、セラミックスのクリープ変形は粒界拡散を伴った粒界すべりによって進行するものと考えられている。

これまでの拡散研究の多くは、トレーサー法を用いた実験的手法に基づくものであった。しかしながら結晶中の拡散あるいはイオン伝導のような原子レベルのミクロな、かつダイナミックな現象を実験によって直接観察し、定量的に評価することには困難である。実際アルミナ中の拡散に関しては、過去盛んに研究が行われてきているものの、その大半がSIMS(二次イオン質量分析法)等を用いた実験的手法による研究であり、マクロレベルでの理解にとどめられているのが現状である。一方、計算機的手法を用いることでこのような問題に対しても、原子レベルの現象を、精緻に解析することが可能である。合理的なアルミナ材料設計指針を構築する上では、材料内の欠陥形成や拡散機構について理論的にアプローチすることにより原子レベルで理解し、それらの知見を材料の開発に反映させていく取り組みが重要である。本研究ではアルミナの粒内および粒界における原子拡散機構の解明を目的とし、第一原理計算を主とした理論解析を行い、両結果の比較検討を行った。

[アルミナ粒内における陰・陽イオンの拡散機構(第2章)]

上述のようにアルミナ中の拡散に関しては、特に酸素(O)に関して実験データは多く存在するものの、原子スケールでのメカニズムに関してはほとんど理解されていないのが現状である。その一つの要因として、計算機的手法を用いた、理論的アプローチが十分になされていないためであると考えられる。一方、アルミニウム拡散に関しては、主として実験上の困難さを理由に、酸素拡散と比較すると実験研究データが極めて少ない。よって本研究のように、理論手法によってその拡散機構の予測を行うことが重要であるものと考えられる。そこでアルミナ結晶中の一つの原子(O、Al、Cr)に注目し、その原子の一回のジャンプに要するエネルギーを、Nudged elastic band(NEB)法を用いた第一原理計算により決定した。

一連の計算の結果、陽イオン(Al、Cr)に関しては、格子間機構における移動エネルギーが空孔機構におけるそれらより大きい値となることがわかり、アルミナ粒内における両イオンの支配的キャリアは格子間原子ではなく空孔であることが示唆された。また、得られたエネルギーより、Crに関しては拡散の異方性が強く、特に(0001)面に平行な方向に拡散が進行しやすいことが示唆されたが、この結果は二次イオン質量分析(SIMS)による実験結果とも一致する。一方O(酸素)に関しては、各空孔拡散パスの移動エネルギーの見積もりの結果、拡散の異方性は陽イオンに比して弱いことが示された。

また、始状態とサドルポイントにおける第一近接のOとの結合長変化を見積もった。その際、拡散パスの"空間的な広さ"をパラメータとし、移動エネルギーとの関係を検討したところ、陽イオンに関してはそれらの間に明らかな正の相関があった。一方、陰イオン(O)に関しては、第一近接のAlとの結合長変化に関しては相関が見られず、第二近接のOとの距離の変化に相関があることが示された。これらより、粒内における移動エネルギーは、移動中に生じる、イオン半径の特に大きなOとの相互作用に大きく影響を受けると考えられる。さらに、移動エネルギーの高いパスにおけるサドルポイントでは、価電子帯状態の電子が移動原子周辺に局在化していることがわかり、移動原子との強い反発が生じていることも示唆された。

[アルミナ粒界における酸素空孔の形成と拡散機構(第3章)]

過去、アルミナに関してはバルクの構造や物性、もちろん欠陥形成に関しても、第一原理計算による研究例はあるが、粒界に関してはその数は極めて少ない。本研究では、粒界構造の周期性が比較的高く、数百原子からなるスーパーセルで記述できる<112(_)0>軸(a軸)を回転軸とする粒界面{1014}のΣ13双晶粒界に注目し、第一原理計算による酸素空孔形成エネルギーおよび移動エネルギーの算出および、MDシミュレーションによる拡散経路の理論予測を行った。

第一原理計算の結果、粒界における空孔形成エネルギーには強いサイト依存性があり、概ね粒界面に近いサイトほど形成エネルギーが低い、すなわち空孔が形成されやすいことがわかった。本研究では、この形成エネルギーのサイト依存性の起源を理解するために、粒界における"原子構造のゆがみ"に注目し、各サイトにおける結合長の、完全結晶中のそれからのずれ(strain)を見積もった。その結果、粒界から離れるにつれstrainは減少し、形成エネルギーも同調するように小さくなっていくことがわかった。これより、アルミナ粒界における拡散の高速化の起源には、構造のゆがみに起因した内因性点欠陥形成エネルギーの低下、すなわち拡散キャリアの濃度上昇が一端となっていることが明らかとなった。

また、空孔を導入した粒界セルに対し古典MD計算を適用することで酸素イオンの拡散経路のシミュレーションを行ったところ、粒界コアにおける原子ジャンプは極めて選択的であり、対称性を考慮すると、わずか2種類の支配的な原子ジャンプで拡散が進行しうることが示唆された。この結果をふまえ、粒界近傍における数種の原子ジャンプの移動エネルギーの計算を第一原理計算により行った。その結果、粒界における個々のジャンプの移動は、粒内におけるそれと大きくは変わらないことがわかった。しかしながら、粒界では、粒内にはない始状態と終状態のエネルギー差、つまり点欠陥形成エネルギーのサイト依存性に起因して、その分移動エネルギーがかさ増しされ、結果的に粒内よりも粒界においての方が移動エネルギーは大きくなることが示唆された。

[アルミナ酸素粒界拡散に及ぼすイットリウム添加効果(第4章)]

実用的には、高温構造用アルミナは通常多結晶体で用いられており、粒界の特性を制御するには添加元素を利用するのが最も有効である。クリープ特性などの高温特性に対する添加物の効果に関しては、イットリウム(Y)などの希土類元素を中心として多くの研究が行われてきているが、そのメカニズムに関しては統一的な理解が得られているとは言えず、静的な構造に基づいた考察にとどまっているのが現状である。そこで、クリープ変形はしばしば粒界拡散に律速されるため、粒界拡散に対する添加物の効果を調査することは、実際の高温力学特性を理解・制御する上でも非常に重要であると考えられる。そこで本研究では、無添加およびYを添加した二通りのΣ13双晶粒界セルを構築し、Oイオンの空孔形成エネルギーおよび移動エネルギーの第一原理計算を行い、両者の比較を行った。

形成エネルギーに関しては、Yを固溶させた粒界コア領域において、無添加に比べむしろ空孔の形成エネルギーは低くなるサイトも存在し、空孔の濃度はYの存在に影響を受けないか、あるいは上昇する可能性が示唆された。Y2O3粒内における空孔形成エネルギーが、アルミナ粒内よりも大幅に低くなることを考慮すると、粒界においてY周辺の結合環境がY2O3に近い状態に変化していることが予想される。さらに空孔形成のサイトによるばらつきがYの添加により小さくなり、空孔が形成されやすい領域が無添加に比べ粒界面のごく近傍のみに限定されている。一方移動エネルギーは、Yが添加されることで大きくなることがわかった。これは過去双結晶を用いた酸素拡散実験により予想されている、Yの偏析により拡散の活性化エネルギーが増大するという傾向と一致している。すなわち本結果から、Yの偏析によるアルミナ酸素粒界拡散の抑制効果は、酸素空孔が周辺のYと会合することで、そのモビリティーが低下することに起因していると考えられる。

[総括(第5章)]

本研究は、結晶中の拡散現象に関して、従来の実験中心のアプローチではなく、計算機を用いた理論計算を積極的に利用することで、その原子スケールでのメカニズムを解明することを目的に遂行され、以上の結果および知見を得た。原子の拡散は、非常に高頻度かつ高速に進行するため、実験でその挙動をとらえきるのは極めて困難である。その意味で、それを可能とする計算機シミュレーションにより得られた理論予測は、拡散の理解に極めて意義深いものであると言える。本研究で得られた知見は、現状ではおよそ予想・予測にとどまっているものの、今後の系統的な理論研究、あるいはそれらの実験な検証のために有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本提出論文では、代表的な構造材用途のセラミックスであるアルミナセラミックス(α-Al2O3)中の輸送現象(拡散)に注目し、粒内領域および二次元の格子欠陥である結晶粒界における拡散(それぞれ体拡散、粒界拡散と呼ぶ)のメカニズムに関して、第一原理計算を主とした理論計算を用いた原子スケールで議論を行っている。本論文で研究の対象となっているアルミナでは、高温下におけるクリープ変形挙動などの諸特性が、粒界に沿って進行する高速の拡散に支配されており、結晶粒界の存在に大きく影響を受けることが知られている。一方、結晶材料中の拡散は、空孔や格子間原子といった点欠陥を介した原子ジャンプが連続的に起こることで進行すると考えられているが、この一回の原子ジャンプは非常に短時間の間に起こるため、実験的にその挙動を追従することはほぼ不可能である。このような観点から、本研究では、原子レベルの現象を定量的かつ精緻に解析できる計算機シミュレーションを用いることで、アルミナの粒内および粒界における点欠陥挙動の解析を行った。

本論文は、第1章の序論に始まり、第2章から第4章で研究手法、計算結果および実験結果を考察し、第5章で総括を行う計5章の構成となっている。

第1章においては、本研究で対象とするアルミナに関する結晶構造、基本的な物性、応用等の背景、結晶粒界の幾何学的な記述方法、理論計算および実験手法等、本論文において必要とされる背景について記述されている。またアルミナ中の拡散に関するこれまでの体拡散を中心とした実験報告をまとめ、それらの知見および不明点・課題に関しても詳細に記述しており、本研究の意義について明確にしている。

続く第2章の冒頭において、本研究全体を通じて主要な方法となる密度汎関数理論に基づく第一原理計算について説明されている。また、本手法よる構造最適化計算および電子状態計算のより実践的な計算条件、かつ移動エネルギーの導出方法についても言及されている。本章ではアルミナ中の自己拡散に関する知見を得ることを主眼として、粒内中の酸素、AlおよびCrの点欠陥を介したジャンプに関して、第一原理計算を用いた移動エネルギーの算出が行われている。得られた移動エネルギーから、各拡散種の支配的拡散メカニズムや拡散の方位依存性に関して議論している。さらにアルミナの原子構造および電子構造を評価し、各原子ジャンプの移動障壁の差異の起源に関しての考察も行っている。またCrをトレーサーとした二次イオン質量分析による各方位への拡散係数の算出も行われており、理論計算結果との比較が行われている。これらの詳細な解析は次章以降の粒界に関する議論の礎となるものであるが、アルミナでは実験的には抽出が困難であった不純物フリー環境における点欠陥のダイナミクスに関する重要な知見を得ている。第3章ではアルミナ[12(_)10](101(_)4)Σ13双晶粒界について、第一原理計算を用いた粒界近傍の酸素サイトの空孔形成エネルギーの評価を行い、各原子位置における配位環境との相関性などを議論している。粒界では粒内に比べ酸素空孔が形成されやすく、このことが粒界における拡散の高速化の主要因となることを明らかにした。また本章では、第一原理計算に加え古典分子動力学計算を併せて行うことで、粒界における酸素空孔についての有効拡散経路と移動エネルギーの理論予測を行っており、実験的に得られている粒界における拡散の活性化エネルギーと比較して議論されている。セラミック粒界においては従来、構造の複雑さから点欠陥の形成や運動、電子状態の詳細な解析はほとんど行われておらず、本研究のようなアプローチは、アルミナ粒界一般における特異な拡散現象の理解に、ひいては粒界一般における拡散現象の本質的な理解の一歩となると期待される。

第4章ではYを固溶させた粒内および[12(_)10](101(_)4)Σ13粒界の原子構造を作製し、酸素空孔の形成エネルギー・移動エネルギーの算出を行い、無添加粒内および粒界に関する解析結果と詳細に比較検討を行っている。Yはその周辺の酸素空孔と強く会合し酸素空孔のモビリティーを下げることで、拡散を抑制することが示唆された。またこのYの効果の起源に関して、電子状態の観点から考察を行っている。添加物による材料特性のコントロールは実材料においても最も一般的かつ重要な手法であり、今後アルミナに関するより合理的な材料設計指針を構築するためにも、本研究で得られたような添加元素の原子・電子レベルの効果に関する知見は工業的にも価値が高いと考えられる。

最後に第5章において論文全体が総括されている。

本論文は全体として良くまとめて構成されており、当該分野において十分に意義深い研究がなされている。また、本研究で示された理論計算手法は、アルミナの拡散現象を根本的に理解する有効な手法であり、これらの理論計算結果を基に得られた結論は材料科学的にも価値が高いと判断できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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