学位論文要旨



No 127976
著者(漢字) 髙嶋,敏宏
著者(英字)
著者(カナ) タカシマ,トシヒロ
標題(和) 人工光合成に向けた地質学的着想に基づく無機分子集積体の設計と構築
標題(洋) Development of Geo-Inspired Inorganic Nanoassemblies toward Artificial Photosynthesis
報告番号 127976
報告番号 甲27976
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7744号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 教授 立間,徹
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 准教授 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

二酸化炭素を炭素源とみなし太陽光エネルギーを利用して有用物質を作り出す人工光合成は再生利用可能なエネルギー獲得手法の一つとして多くの注目を集めている。そのような目的の上で人工光合成材料は従来、無機半導体材料および超分子系材料を中心に盛んに研究が続けられている。しかしながら前者については光反応場の自在制御、後者については長期耐久性という観点でそれぞれ課題を抱えている。ゆえにこれらの問題を克服した真に新しい人工光合成システムの創生が求められる。

このような背景を基に本研究では反応場の自在制御および長期耐久性の両方を兼ね備えた新規人工光合成材料として無機分子を用いた光反応場を構築することを目的とした。その上でマンガン酸化物や硫化鉄など自然界に豊富に存在する材料からの多電子移動触媒の創生、および光吸収中心と酸化・還元反応中心を空間的に作り分けるための異種金属イオンの選択的集積に向け、地質学分野の知見から得た着想を基に研究を進めてきた。その結果、酸化マンガン表面での酸素発生反応の活性支配因子の発見および酸化マンガン系高活性酸素発生触媒の開発、そして海底鉱物表面への金属イオンの捕集選択性に発想を得たMn/Ce/W三種金属イオン集積体の構築に成功した。

2. 海底金属硫化物鉱物表面での多電子移動反応の駆動1

海洋環境中では地殻からの還元エネルギーを源としてエネルギーの循環が繰り返されており、様々な酸化還元反応について鉱物表面が触媒として機能している可能性がある。本研究では、深海の熱水噴出口から採取された硫化鉄を主成分とするチムニー(Fig.1)が硫化物イオンの多電子酸化、酸素の多電子還元触媒としての機能を有することを明らかにした。

従来、硫化鉄鉱物は二酸化炭素還元酵素や窒素固定酵素の活性中心と類似の結晶構造を有することが知られていたが、生物学的および鉱物学的な研究は広く行われてきた一方で電気伝導性や電気化学触媒特性については検討されてこなかった。しかし本研究で硫化鉄鉱物が多電子移動触媒として機能することを示したことは金属硫化物あるいは酸化物から多電子移動触媒を作り出すことが可能であり、人工光合成に向けて必要な酸素発生や二酸化炭素還元のための高活性多電子移動触媒も貴金属を用いずに開発できる可能性を示している。

3. マンガン酸化物上における酸素発生反応の活性支配因子の特定2

酸化マンガン鉱物は自然界で唯一酸素発生中心として働くマンガンイオンの4核クラスターと類似の結晶構造を有しており、酸化マンガン鉱物が4核クラスターの起源となっている可能性がある。しかし、酸素発生に要する過電圧は4核クラスターでは160 mVであるのに対して酸化マンガンでは約600 mVと大きく異なる。(Fig.2)。そこで酸化マンガン上での酸素発生の活性を支配している因子を電気化学的および分光化学的手法を用いて検討し、高活性化に向けた材料設計の指針を検討した。

[実験] KMnO4水溶液をNa2S2O3水溶液へ加えて合成した酸化マンガンのコロイド溶液を200 oCに加熱したFTO基板に散布し、500 oCで2時間焼成することによりδ-MnO2の微粒子電極を作製した。電気化学測定は密閉された三極式一室型電気化学セルで行い、溶存酸素濃度および電極の吸収分光特性の測定にはそれぞれ蛍光消光式酸素センサーおよび拡散透過型吸収分光を用いてin situで観測した。

[結果および考察]δ-MnO2電極は電位印加時にFig.3のような波長510 nmにピークを持つ吸収の増加と波長680 nm以上の吸収の減少を示すことが明らかとなった。吸光度変化の電位依存性から510nmの吸収変化は酸素発生の前駆体に由来すると考えられ、プローブ実験からこの前駆体は電極表面に生成したMn(3+)であることを見出した。さらに、酸化電流および波長510nmの吸収の立ち上がり電位のpH依存性(Fig.4)は、Mn(3+)がpH4から13の範囲で酸素発生の前駆体として働いていることを示している。

一方でMn(2+),Mn(3+),Mn(4+)を含むマンガンイオンの酸化還元挙動はpHによって大きく異なり、Mn(3+)の存在確率もそれに伴い変化することが知られている。すなわち、中性条件ではMn(3+)は不均化反応(2Mn(3+)→Mn(2+)+Mn(4+))によりほとんど存在できないのに対して、塩基性条件では均等化反応(Mn(2+)+Mn(4+)→2Mn(3+))によって安定に存在することが可能である。Fig.4で立ち上がり電位が中性領域(pH4-8)と塩基性領域(pH9-13)で異なるpH依存性を示したのは、不均化特性の影響で前駆体であるMn(3+)の生成過程が変化したことを反映している。したがって中性条件ではMn(3+)の不均化を抑制することで過電圧を減少できると考えられる。

4. マンガン酸化物を用いた高活性酸素発生触媒の開発3

前述の結果は光合成中心での光酸素発生を含めマンガン系触媒を用いた酸素発生反応において、その活性を決定する因子を明らかにした最初の報告である。この結果を踏まえ中性条件でMn(3+)の不均化反応を抑制する材料を検討し、酸素発生触媒の活性向上を図った。[実験] 上述の合成過程においてアミン系ポリマーのPAH (polyallylamine hydrochloride)を添加した酸化マンガンのコロイド溶液を合成し、窒素含有MnO2電極を作製した。

[結果および考察] 吸収分光測定の結果からPAHの添加はMn(3+)の生成する電位を大幅に負にシフトさせることを明らかにした。さらに、酸素濃度測定の結果からは標準酸化還元電位付近から立ち上がった電流に伴い酸素濃度の増加が確認できた(Fig.5)。酸素発生の過電圧の減少は人工光合成システムにおいて、光吸収中心による触媒の酸化に過度な酸化力を必要としないことを意味し、これはすなわち反応駆動に利用可能な光の長波長化に相当する。

5. 金属間電荷移動遷移を利用した可視光応答性無機分子触媒の開発4,5,6

3.,4.の成果によりマンガン酸化物のナノ粒子を用いて標準酸化還元電位付近から酸素発生反応を駆動することが可能になった。しかし、人工光合成に向けては反応を光化学的に駆動する必要があり、そのためには触媒を光活性化する光吸収中心の開発が必須である。その上で本研究では強い酸化力をもち、酸素発生触媒の酸化剤としても使用されるCe4+を光生成するユニットとして、金属間電荷移動遷移を示すCeとWあるいはCeとMoの酸素架橋多核錯体を開発した(Scheme 1)。

[実験] 多孔質シリカSBA-15(細孔径9 nm)を含む水溶液(pH 1.0)中にPW12O40(3-)を加えて撹拌し、110 °Cに加熱することでクラスターのシリカ細孔内への担持を行った。この試料にCe(NO3)3・6H2O のCH3CN溶液を加えて60 °Cに加熱し電荷移動錯体を構築した。光化学反応は2-プロパノール(5 Torr)とO2 (755 Torr)の混合雰囲気下で波長440 nm以下の光を吸収するカットフィルターを透過させたXeランプ(光強度:20 mW/cm2)を照射して行った。

[結果および考察] PW12O40(3-)を担持したシリカに電子ドナーのCe(NO3)3・6H2Oを反応させると波長400-530 nmの領域に新しい吸収が現れた(Fig.6 (1))。PW12O40(3-)およびCe(3+)を単独で担持したときにはこの吸収は観測されなかったことから、これはCe(3+)からクラスター中のW(6+)イオンへの電荷移動遷移すなわちCe(3+)/PW(6+)12O40 → Ce(4+)/PW(5+)W(6+)11O40電荷移動遷移吸収に帰属されると判断できる。

Ce/PW12O40担持シリカ粉末の光反応性について2-プロパノールの酸化分解反応を用いて検討したところ、光照射によるCO2の生成が確認された。したがって、この結果は金属-クラスター間電荷移動遷移で光励起された状態から外部反応基質との電子授受が起こることを示している。さらに、この光材料ではクラスターの骨格元素を置換する分子設計としてCuイオンの導入による電荷分離効率の向上などの制御が可能であることを見出している。

6. Mn/Ce/W/Cu四種金属ナノ集積体によるナノ光酸素発生反応の駆動7

人工光合成材料の創生に向けては、酸素発生触媒であるMn酸化物と光吸収中心のCe/W/Cu錯体を集積する必要がある。しかし3種類以上の金属イオンを狙った順序で並べ、光反応場として利用することは金属イオンの酸化還元電位ならびに酸化数の同時制御を必要とするため、極めて困難である。本研究では、自然界の鉱床でMn酸化物表面にCeイオンが特異的に高濃度で吸着することに着目し、Mn/Ce/Wを一方向に担持できることを見出し、さらにこれを利用して作成した光材料により酸素発生反応を光駆動できることを明らかにした。(Scheme 2)。

[実験] Mn酸化物を担持したSBA-15をエチレンジアミンと反応し、200 oCで加熱した後、Ce(NO3)3 6H2OおよびH3PW12O40と段階的に反応させMn/Ce/PW12-SBA-15を生成した。光化学反応はNa2S2O8水溶液中で波長300-700nmの光を照射して行った。

[結果および考察] FT-Raman測定結果からMn/Ce/PW12-SBA-15はWクラスターを担持していることが明らかになった。Ceイオンを用いずにWクラスターをMn酸化物と直接反応させた場合との比較からMn/Ce/PW12- SBA-15ではMn酸化物上のCeがMnとWクラスターを繋ぐ役割を果たすことを見出した。さらにクラスターにK5CuPW11O39を用いて作製した光材料は水からの酸素発生反応を光駆動できることを明らかにした。

7. 総括

本研究では人工光合成材料の創生に向けて必要となる高活性酸素発生触媒ならびに可視光吸収中心の開発、そしてそれらのナノ空間への集積をMn/Ce/Wの三種類の金属イオンの電気化学特性および金属間相互作用の制御、ならびにMn鉱床とCeイオンの共存を示す地質学的知見の利用により実現した。無機分子のみを利用してこれらを実現したことは、従来半導体材料および有機金属錯体が用いられてきた人工光合成の分野において光反応場の設計自由度と長期耐久性の両方を兼ね備えた新規材料開発の可能性を大きく切り開くものであり、今後さらに光酸素発生反応の駆動および二酸化炭素還元サイトとなりうるNiやCuなどの金属中心のWクラスターへの導入が実現できれば本系の人工光合成システムとしての可能性は一層高まるであろう。また、本研究で示した硫化鉄鉱物ならびに酸化マンガン鉱物による多電子移動反応の駆動は、今後の第一周期遷移金属を利用した多電子移動触媒開発において重要な設計指針となる可能性を示すものである。

1) R. Nakamura, T. Takashima, S. Kato, K. Takai, M. Yamamoto, K. Hashimoto Angew. Chem. Int. Ed. 2010, 49, 7692.2) T. Takashima, K. Hashimoto, R. Nakamura J. Am. Chem. Soc. 2012, 134, 1519. 3) T. Takashima, K. Hashimoto, R. Nakamura in preparation. 4) T. Takashima, R. Nakamura, K. Hashimoto J. Phys. Chem. C 2009, 113, 17247. 5) T. Takashima, R. Nakamura, K. Hashimoto Electrochemistry 2011, 79, 783. 6) T. Takashima, A. Yamaguchi, K. Hashimoto, R. Nakamura Chem. Commun. 2012, 48, 2964. 7) T. Takashima, R. Nakamura, K. Hashimoto in preparation.

Fig.1チムニー塊

Fig.2 δ-MnO2電極の分極曲線および酸素濃度プロット(pH6)

Fig.3電位印加時のδ-MnO2電極の吸収スペクトル変化(1.1 Vを参照スペクトルとして使用)

Fig.4酸化電流(■)および波長510nm吸収(●)の立ち上がり電位のpH依存性

Fig.5 PAH添加MnO2電極 (実線, ■)およびδ-MnO2電極(破線, ○)の分極曲線および酸素濃度プロット(pH8)

Scheme 1 MMCTを利用したCe/W光吸収中心

Fig.6 紫外可視拡散反射スペクトル (1)Ce/PW12O40-SBA-15,(2)PW12O40- SBA-15, (3)Ce(NO3)3 (挿入図) 差分スペクトル(1)-(2)

Scheme 2 Mn/Ce/W集積による光反応場構築

審査要旨 要旨を表示する

本論文において、学位請求者(〓嶋敏宏)は自然界に豊富に存在する鉱物の機能性に着目した人工光合成材料の創生について論じ、酸化マンガンを用いた酸素発生光触媒の開発を目的とする研究発表を行った。本論文は以下の7章から構成されている。

第1章では、研究の背景、目的、及び概要が論じられており、その中で人工光合成における酸素発生触媒開発の重要性および自然界における鉱物のエネルギー変換場としての役割について言及することにより、本論文の研究の意義づけが明確にされている。

第2章では、深海海底から採取された熱水噴出孔鉱物が果たすエネルギー変換場としての役割が論じられており、鉱物の電子物性および触媒能の検討がなされている。その結果、微結晶の集合体から成るこの硫化鉄鉱物は抵抗率約2Ω・cm(-1)と高い電気伝導性を示し、また硫化物イオンの酸化反応および酸素の還元反応に対して触媒として機能することが明らかになった。これらの結果を基に、本章ではこの鉱物が化学-電気エネルギー変換場としての役割を果たし、さらに長距離間にわたる電気エネルギーの伝達材料として機能していることを提唱した。

第3章では、酸化マンガン鉱物を酸素発生触媒とみなし、その表面における酸素発生反応の活性支配因子の検討として、分光電気化学的手法によるin situ観察が行われた。その結果、酸素発生時における中間体の生成に由来する吸収変化を観測した。この中間体は電気化学測定やプローブ実験から電極表面に生成したMn(3+)に同定され、酸素発生反応においてMn(3+)が中間体として働いていることが明らかにされた。さらに、酸素発生およびMn(3+)生成の開始電位についてのpH依存性の検討より、酸素発生の過電圧はMn(3+)の蓄積過程により決定されていることが見出された。特に中性条件においてはMn(3+)の不均化反応が進行するために酸素発生に大きな過電圧を必要としていることが明らかにされ、高活性化に向けた材料設計の指針が示された。

第4章では、第3章にて明らかにされた中間体Mn(3+)の安定性制御に基づき、酸化マンガン鉱物の酸素発生能向上の手法が検討されている。具体的には前述のMn(3+)の不均化反応を抑制するための材料設計が検討されている。一般的に金属イオンの不均化反応が起こる原因については明らかではないが、本研究では金属イオンのJahn-Tellerひずみが不均化反応を誘起しているとの仮説を立て、Jahn-Tellerひずみを抑制するための材料として窒素配位の酸化マンガンが開発された。In situでの吸光度変化についての検討から、窒素配位酸化マンガンは中性条件においても不均化反応を生じず、Mn(3+)を安定化できることが明らかになった。さらに窒素配位によるMn(3+)の安定化は酸素発生にかかる過電圧を大幅に減少し、標準酸化還元電位付近から酸素発生反応を進行させることを可能にすることが見出された。

第5章では、酸素発生触媒の光活性化のための光吸収中心として、自然環境にてマンガン鉱物への高濃度の吸着が認められるセリウムイオンをタングステンクラスターと酸素架橋した電荷移動錯体が開発されている。この電荷移動錯体はセリウムイオンからタングステンクラスターへの電荷移動遷移による吸収を可視光域に示し、酸素発生触媒の酸化剤として使用されるCe4+を可視光により生成可能であることが見出されている。さらに光生成したCe4+は酸化反応中心として働き、電荷移動錯体は可視光応答性光触媒として機能することが明らかになっている。また、タングステンクラスターは金属置換による分子設計が可能であり、銅イオンを置換することによって光電荷分離状態の促進および酸素の多電子還元反応の駆動が可能であることが見出されている。

第6章では、マンガン触媒上での電荷移動錯体の構築が行われ、酸素発生反応の光駆動が実現されている。光材料は多孔質シリカ内に担持したマンガンナノ粒子を窒素化合物で表面修飾した後に、セリウムイオン、銅置換タングステンクラスターを段階的に反応させることにより作製された。X線吸収測定およびFT-Raman測定による検討から、この集積体はMn,Ce,W,Cuの四種類の金属イオンが一方向に整列した状態で構築されていることが明らかになった。そして電子捕捉剤としてペルオキソ硫酸イオンの存在下にて、この材料に光照射することにより酸素生成出来ることが認められた。

第7章では、本研究の総括、及び、今後の展望が論じられている。

以上の内容から、本論文は光エネルギー変換に向けた材料としての地質鉱物のポテンシャルを示し、今後の材料開発における新たな選択肢を提供するものである。また、本研究により開発された窒素配位酸化マンガン酸素発生触媒は自然界に豊富に存在する鉱物を利用した高活性触媒として、今後の自然調和型の人工光合成材料の開発に大きく寄与することが期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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