学位論文要旨



No 127979
著者(漢字) 吉松,公平
著者(英字)
著者(カナ) ヨシマツ,コウヘイ
標題(和) 放射光光電子分光による強相関酸化物量子井戸構造の電子状態に関する研究
標題(洋)
報告番号 127979
報告番号 甲27979
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7747号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 川崎,雅司
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 小森,文夫
 東京大学 准教授 下山,淳一
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、強相関酸化物量子井戸構造の作製と、放射光光電子分光による低次元電子状態の観測に関して述べたものである。強相関電子の2次元閉じ込めが実現している層状酸化物においては、銅酸化物の高温超伝導に代表される特異な物性が報告されている。しかしながら、バルク合成の困難さから層状酸化物の伝導層の厚さは制限されている。そのため、構造の自由度が高い人工構造を用いた強相関電子の量子閉じ込めが注目されているが、未だに酸化物人工構造による強相関電子の2次元閉じ込めは実現していない。本研究では、LaAlO3/SrTiO3、La0.6Sr0.4MnO3およびSrVO3を用いた酸化物薄膜人工構造による強相関電子の2次元閉じ込めを試み、その低次元電子状態の観測を行っている。強相関金属SrVO3を極薄膜化した量子井戸構造を作製することで、強相関電子の2次元閉じ込めを実現し、その量子化状態の観測に初めて成功している。さらに観測された量子井戸状態から、3d軌道の異方性を反映した軌道選択的量子化やサブバンドに依存した有効質量の増大といったこれまでの量子井戸状態では観測されていない、強相関金属量子井戸状態に特有の現象を見いだしている。

第1章では、本研究の背景を述べている。強相関酸化物を用いた量子閉じ込めの現状と酸化物ヘテロ界面で発現する特異現象を例示し、強相関量子井戸構造の創製と強相関低次元電子状態観測の重要性が述べている。

第2章では、本研究で用いた実験手法ならびにその原理について述べている。本研究はレーザー分子線エピタキシー(Laser MBE)法による強相関酸化物量子井戸構造の作製と高エネルギー加速器研究機構放射光研究施設(PF)アンジュレータビームラインBL2CおよびBL28AとSPring-8アンジュレータビームラインBL47XUを用いた放射光光電子分光測定により行った。また作製した薄膜は、原子間力顕微鏡(AFM)、反射高速電子線回折、低速電子線回折(LEED)、X線回折(XRD)、透過型電子顕微鏡(TEM)電気抵抗測定および超伝導量子干渉計(SQUID)を用いて評価を行った。

第3章では、LaAlO3(LAO)/SrTiO3(STO)構造の物性と電子状態について述べている。ともにバンド絶縁体であるLAOとSTOの界面では、(LaO)+/(TiO2)0接合を持つn型界面で金属層が発現することが報告されており、その起源について極性/非極性界面における電荷移動が提唱されているが未だ明らかになっていない。このLAO/STO構造のin situ光電子分光を行うことで界面電子状態を明らかにした。n型界面の価電子帯およびTi 2p→3d共鳴スペクトルからは、電荷移動により期待されるTi 3d状態密度が観測されなかった。シミュレーションによるTi 3d状態との比較から、n型界面において単位格子辺り0.5個の電子が界面第一層のSTO側に移動する理想的な電荷移動が起こっていないことを明らかにした。また、n型および(AlO2)-/(SrO)0接合を持つp型LAO/STO構造のTi 2p内殻スペクトルを比較することで、n型界面の内殻スペクトルにのみLAO薄膜堆積による高結合エネルギー側へのシフトを観測した。この結果から、n型界面にのみSTOのバンドにノッチ構造が形成していることが明らかになった。このノッチ構造にキャリヤが蓄積することでn型LAO/STO界面では金属層が発現していると結論づけた。

第4章では、La0.6Sr0.4MnO3(LSMO)を用いた多層構造の電子状態が述べている。LSMOは室温を凌駕するキュリー温度を持つハーフメタルの強磁性金属であり、トンネル磁気抵抗効果素子の強磁性層など磁気デバイスへの応用が期待されている。しかしながら、LSMOはその表面・界面で特性の劣化するdead layerが形成されることが知られており、期待されるデバイス特性が得られていない。このdead layer形成に関して界面Mnイオンの価数変調の影響を明らかにするため、界面のAサイト終端を揃えることで電荷不整合を制御したSTO/LSMO/STO構造の電子状態を、Bサイト間の界面電荷移動を制御したRuddlesden-Popper(RP)構造を持つLSMO/La0.6Sr0.4FeO3(LSFO)の電子状態を明らかにした。STO/LSMO/STO構造では、Mn 2p内殻スペクトルから界面終端によるMnイオンの価数変化が観測され、電荷不整合の影響が直接観測された。しかしながら、電荷整合を保つと予想されるTiO2-La0.6Sr0.4O(LSO)-MnO2接合においては過剰な電子ドープが観測され、STO/LSMO界面では、不均一な電荷再構成が起こっていることが明らかとなった。一方で、SQUIDによる磁気特性や価電子帯スペクトルから見積もったdead layerの臨界膜厚には界面終端による違いが見られなかった。これらの結果から、電荷不整合はLSMOにおけるdead layerの主たる起源ではないと結論づけた。LSFO/LSMO界面では、2原子層のLSO層を挿入することでRP型の界面が形成されていることがTEM像により明らかになった。Mn 2p→3d共鳴光電子分光より、RP型の界面を持つLSFO/LSMO構造はMn 3d eg状態の状態密度の大きさがLSFO堆積前後で変わらず、ペロブスカイト界面で報告されているLSMOからLSFOへの電荷移動が起こっていないことが明らかとなった。以上から、RP型界面はBサイト間の界面電荷移動の制御に有効であり、このRP型界面を形成するには2原子層のLSO層が必要であると結論づけた。

第5章では、角度積分光電子分光によるSrVO3(SVO)薄膜の電子状態の膜厚依存性について述べている。SVO薄膜成長条件最適化を行い、Nb-STO(001)基板上に高品質なSVO単結晶薄膜を作製することに成功した。AFM像から表面が平坦であること、LEED像からは明瞭なスポットが観測され、TEM像より界面が急峻であるとの結果が得られた。また、堆積したSVO薄膜がSTO基板に対してコヒーレントに成長していることが4軸XRDより観測された。このようなSVO薄膜の膜厚依存in situ光電子分光を行うことでSVO薄膜の膜厚依存金属絶縁体転移を観測し、その臨界膜厚が2-3 MLであることを明らかにした。得られたスペクトルの膜厚依存性から、観測された金属絶縁体転移は膜厚の減少に伴い強相関金属から擬ギャップ状態を経てMott絶縁体へと転移していることを明らかにした。また、layer-動的平均場理論に基づいた理論計算との比較から、SVO薄膜の膜厚依存金属絶縁体転移は、SVO薄膜の極薄膜化に伴い次元性が3次元から2次元に低下することでバンド幅Wが減少し、クーロン反発UとWの比U/Wが増加することが起源であると結論づけた。この結果は、SVO/STO構造は界面での相互作用が小さく、SVOが界面のSTOと表面の真空により良く閉じ込められていることを意味している。加えて、Mott絶縁体となる2次元状態と強相関金属の3次元状態の中間にある、擬ギャップ状態は擬2次元的な金属状態を有していることを示唆している。

第6章では、角度分解光電子分光(ARPES)によるSVO極薄膜における金属量子井戸状態の直接観測について述べている。SVO極薄膜の・点におけるARPESスペクトルから、SVO膜厚の増加に伴い、スペクトルのピーク構造が高結合エネルギー側にシフトする、新たなピーク構造が現れる、ピーク位置がバルクのV 3dバンドの底である500 meV付近に収束する、といった金属量子井戸に典型的な様子が観測された。このピーク位置の膜厚依存性は位相シフト量子化則を用いたシミュレーション結果と非常に良い一致を示した。このことから、SVO極薄膜のARPESスペクトルで観測されたピークは金属量子井戸状態に由来することが明らかになった。この結果は、強相関酸化物において初めて金属量子井戸状態の作製と観測に成功したことを意味している。また、STOでキャップしたSTO/SVO/STO構造においても角度分解光電子分光の結果から金属量子井戸状態の形成を明らかにした。STOキャップすることで位相シフトがSVO/STOのものとは異なっていることを明らかにした。STOキャップの有無の量子井戸状態を併せて比較することで、STOと真空由来の位相シフトを分離し、STOが真空と比べて良い障壁となっていることを明らかにした。さらにSVOの量子化状態を詳細に観測することで、強相関金属量子井戸特有の現象を見いだした。金属量子井戸状態の面内分散からは、2種類のバンド分散が観測された。tight-binding計算との比較から、dyzとdzx軌道に由来するバンドが量子化し、dxy軌道に由来するバンドは量子化しないといった軌道選択的な量子化が起こっていることが明らかになった。この軌道選択的量子化の起源は、z方向への極薄膜化のためにz方向に分散のあるdyzとdzx軌道が量子化し、面内に伸びたdxy軌道が量子化しないといった3d軌道の異方性によるものであると結論づけた。また、サブバンドに依存した有効質量の増大が観測され、このサブバンドの有効質量は、量子化状態の定常波の波長にスケールすることを明らかにした。この有効質量の増大の起源のひとつとしては、波長の短い量子化状態が表面・界面でのバンド幅の減少に伴う有効質量の増大の影響を大きく受けてしまうためと考えられる。

第7章では、本論文のまとめおよび今後の展開を述べている。

以上のように、本論文は、強相関酸化物量子井戸構造を作製し、放射光光電子分光測定によりその低次元電子状態を明らかにしたものである。特に、酸化物超薄膜を用いて強相関電子の二次元閉じ込めを実現したことは、強相関酸化物においても量子井戸という人工構造を用いた物性制御が可能になったことを意味しており新奇量子物性の創製に繋がっていく画期的な成果であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、強相関酸化物量子井戸構造の作製と、放射光光電子分光による低次元電子状態の観測に関して述べられたものである。強相関電子の2次元閉じ込めが実現している層状酸化物においては、銅酸化物の高温超伝導に代表される特異な物性が報告されている。しかしながら、バルク合成の困難さから層状酸化物の伝導層の厚さは制限されている。そのため、構造の自由度が高い人工構造を用いた強相関電子の量子閉じ込めが注目されているが、未だに酸化物人工構造による強相関電子の2次元閉じ込めは実現していない。本研究では、LaAlO3/SrTiO3、La0.6Sr0.4MnO3およびSrVO3を用いた酸化物薄膜人工構造による強相関電子の2次元閉じ込めを試み、その低次元電子状態の観測を行っている。強相関金属SrVO3を極薄膜化した量子井戸構造を作製することで、強相関電子の2次元閉じ込めを実現し、その量子化状態の観測に初めて成功している。さらに観測された量子井戸状態から、3d軌道の異方性を反映した軌道選択的量子化やサブバンドに依存した有効質量の増大といったこれまでの量子井戸状態では観測されていない、強相関金属量子井戸状態に特有の現象を見いだしている。

第1章では、本研究の背景が述べられている。強相関酸化物を用いた量子閉じ込めの現状と酸化物ヘテロ界面で発現する特異現象を例示し、強相関量子井戸構造の創製と強相関低次元電子状態観測の重要性が述べられている。

第2章では、本研究で用いた実験手法ならびにその原理について述べられている。特に本研究において重要な実験装置であるレーザー分子線エピタキシー&in situ光電子分光複合装置について述べられている。

第3章では、LaAlO3(LAO)/SrTiO3(STO)構造の電子状態について述べられている。LAOとSTOの界面では、n型界面で金属層の発現が報告されており、その起源として極性/非極性接合による電荷移動が提唱されている。このLAO/STO構造のin situ光電子分光を行うことで界面電子状態を明らかにした。n型界面の価電子帯およびTi 2p→3d共鳴スペクトルからは、電荷移動により期待されるTi 3d状態密度が観測されず、理想的な電荷移動が起こっていないことを明らかにした。一方Ti 2p内殻スペクトルのシフトから、n型界面にのみSTOのバンドにノッチ構造が形成していることを見いだし、このノッチ構造にキャリヤが蓄積することで金属層が発現していると結論づけた。

第4章では、La0.6Sr0.4MnO3(LSMO)を用いた多層構造の電子状態が述べられている。LSMOはその表面・界面で特性の劣化するdead layerが形成されることが知られている。このdead layer形成に関して界面Mnイオンの価数変調の影響を明らかにするため、界面のAサイト終端を揃えることで電荷不整合を制御したSTO/LSMO/STO構造の電子状態を、Ruddlesden-Popper(RP)型界面を作製することでBサイト間の界面電荷移動を制御したLa0.6Sr0.4FeO3(LSFO)/LSMO構造の電子状態を明らかにした。STO/LSMO/STO構造では、dead layerの臨界膜厚には界面終端による違いが見られないことから、電荷不整合はLSMOのdead layerの主たる起源ではないと結論づけた。LSFO/LSMO界面では、Mn 2p→3d共鳴光電子分光よりRP型界面を持つLSFO/LSMO構造ではLSMOからLSFOへの電荷移動が起こっていないことを明らかにした。以上から、RP型界面はBサイト間の界面電荷移動の制御に有効であると結論づけた。

第5章では、角度積分光電子分光によるSrVO3(SVO)薄膜の電子状態の膜厚依存性について述べている。SVO薄膜では、臨界膜厚が2-3 MLの膜厚依存金属絶縁体転移が発現することを明らかにした。理論計算との比較から、この金属絶縁体転移はSVO薄膜の極薄膜化に伴い、薄膜の次元性が3次元から2次元に低下することでバンド幅Wが減少することが起源であると結論づけた。この結果は、絶縁体の2次元状態と金属の3次元状態の中間に擬2次元的な金属状態が存在することを示唆している。

第6章では、角度分解光電子分光(ARPES)によるSVO極薄膜の金属量子井戸状態について述べられている。SVO極薄膜のARPESスペクトルでSVO膜厚に依存するピークが観測された。このピークの膜厚依存性が位相シフト量子化則による計算と良く一致したことから、観測されたピークは金属量子井戸状態に由来すると結論づけた。またSTOキャップの有無でSVO量子井戸状態を比較することで、STOと真空由来の位相シフトを分離し、STOが真空と比べて良い障壁となっていることを明らかにした。さらに、SVOの量子化状態を詳細に観測することで、強相関金属量子井戸特有の現象を見いだした。サブバンドの面内分散からは、量子化方向に対し3d軌道が異方性的であることを起源とした軌道選択的な量子化現象や、表面・界面でのバンド幅の減少を反映したサブバンドに依存して有効質量の増大といった現象を明らかにした。

第7章では、本論文のまとめおよび今後の展開が述べられている。

本論文は、強相関酸化物量子井戸構造を作製し、放射光光電子分光測定によりその低次元電子状態を明らかにしたものである。特に、酸化物超薄膜を用いて強相関電子の二次元閉じ込めを実現したことは、強相関酸化物においても量子井戸という人工構造を用いた物性制御が可能になったことを意味しており新奇量子物性の創製に繋がっていく画期的な成果であるといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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