学位論文要旨



No 127981
著者(漢字) 神戸,康聡
著者(英字)
著者(カナ) カンベ,ヤスアキ
標題(和) 吸収分光法と質量分析法を用いた都市大気環境物質計測手法の開発
標題(洋)
報告番号 127981
報告番号 甲27981
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7749号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸野倉,賢一
 東京大学 教授 平尾,雅彦
 東京大学 教授 船津,公人
 東京大学 准教授 野田,優
 東京大学 教授 尾張,真則
内容要旨 要旨を表示する

本論文は吸収分光法と質量分析法を用いた都市大気環境物質計測手法の開発に関する研究をまとめたものである.第1章では研究の背景および目的について,特に対流圏オゾンとその前駆物質に着目し,それらの関連性と研究の重要性をまとめた.第2章では対流圏オゾン前駆物質である二酸化窒素(NO2)を計測する手法としての長光路差分吸収分光法の開発とそれを用いた計測について,第3章および第4章では対流圏オゾン前駆物質である炭化水素類に着目し,重要な排出源である自動車からの排出量計測と,粒子状物質に付着した炭化水素類の追加計測手法の開発として第3章では加熱法,第4章では超臨界抽出法を利用した研究について述べた.第5章においてこれらの研究が対流圏オゾンの研究に与える意義と今後の展望について述べた.

第1章では東京都市域で増加している対流圏オゾンの生成と消失およびそれにかかわる化学種の重要性をまとめた.都市域における対流圏オゾンは大気汚染の原因物質であるオキシダントであり,高濃度では人体に健康影響を及ぼすため,大気中での動態を知ることは重要である.

対流圏に存在するオゾンは,紫外線のもとで水蒸気と反応してOHラジカルを生成することでHOxサイクルに関与するとともに,HO2がその還元過程でNOからNO2を生成し,NO2が400 nm以下の光を受けることでオゾンは再生される.OHラジカルが炭化水素類と反応し生成するRO2ラジカルもまた還元過程でNO2を生成することでオゾン生成に関与する.これらの直接オゾン生成に関与するNO2や,RO2ラジカルの生成に関与する炭化水素は,オゾン生成に強い影響を与える.

オゾン濃度を議論するに当たり,都市域においてNO2や炭化水素の排出挙動や大気存在量を把握することは重要である.現在,都市域における常時計測は1時間値として提供され,時間分解能には優れていないうえ,局所計測手法のために道路などからの局所排出の影響を無視できない.また,既往の自動車排気ガスの計測や常時大気計測としては,炭化水素類をメタンとNMHCの二通りにしか区別していない.

これらの状況から,NO2に関しては東京都市域において高時間分解能でかつ都市域のNO2濃度を全体として捉えられる広域計測手法が必要とされている.また,炭化水素類に関しては個別成分に着目した濃度計測手法が求められている.加えて,移動排出源から放出される有機物の中には微粒子に付着あるいは微粒子として排出されるものがあり,都市域において炭化水素類を正確に把握するにはそれらを含めた総有機物量を理解することも重要である.

そこで本研究は,都市大気NO2計測では,東京都市域を広く計測することで広域の代表値としての計測結果を得ることと,複数台の長光路計測法を組み合わせることで,より局所なNO2濃度分布の計測することを目的とした.また,炭化水素類に関しては,本研究室で開発した真空紫外光一光子イオン化飛行時間型質量分析計(VUV-SPI-TOFMS)を用いて,主要排出源である自動車排気に含まれる炭化水素類の多成分同時計測を行なうことと,これまでのVUV-SPI-TOFMSによる排気ガス計測では捕らえられなかった粒子中の揮発性有機化合物に着目し,オンラインで検出する手法の開発および温和な温度条件による抽出からの分析による成分分析ができる装置の開発を目的とした.

第2章では,航空障害灯を光源としたパルス型長光路差分吸収分光法(LP-PDOAS) (Yoshiiら,2003)を用いて行った大気中NO2の計測についてまとめた.本手法の計測システムは光源,反射望遠鏡,小型CCD分光器と取り込み用ノートPCからなり,光路を数kmとすることで高感度にかつ広域のNO2を計測することができる.本研究では2方向にLP-PDOASを設置することにより,広域のNO2濃度計測を達成するとともに,数kmスケールでの大気中NO2濃度の偏在を検出することに成功した.また,装置の改良を行い,長期間計測を行うことに成功したことと,LP-PDOASの特長を活かし,NO2以外の大気成分の同時計測を行った.

2008年および2009年夏季において,東京大学本郷キャンパスから東方向(光路長6.3 km)と北方向(光路長7 km)の2台のLP-PDOASによるNO2計測結果から,風向に依存して濃度偏在に違いがあることを明らかにした.南風が卓越した条件下では,東方向のLP-PDOASによるNO2濃度が北方向のそれと比べて高く出る傾向があり,また,2つの装置による計測結果の相関はばらつきが大きくなった.一方で,北風が卓越した条件下では,2方向のLP-PDOASによるNO2濃度計測結果がよく一致した.南風時においては,計測エリアより南方からのオゾンの移流が東方向のLP-PDOASの観測光路に影響を与えたためだと結論付けた.

また,装置を改良・付加し,装置の長期安定性を得ることに成功した.2010年には4月から7月にかけて4ヶ月にわたりNO2計測結果を得ることができ,また,この計測結果の更なる解析から,エアロゾルの光学的厚さおよび亜硝酸 (HONO) の同時計測を達成することができた.

第3章では,自動車排気ガス中に含まれる有機物の多成分リアルタイム計測手法開発についてまとめた.ディーゼル排気ガス中には多種の有機物が存在しているが,これまでの多成分計測手法はサンプル捕集後のGC/MS計測によるものであり,リアルタイム計測ではなかった.しかし,ディーゼル排気ガスは自動車や排気ガスの後処理装置などの状態に応じて排気成分が異なり,リアルタイムに計測することは排気ガス成分を正しく把握する上で重要である.また,ディーゼル排気に含まれる有機物は気体状だけでなく粒子に付着あるいは粒子として放出されるものもあり,排出有機物総量を計測するには粒子に含まれる有機物量も正確に把握されるべきである.そこで,本章の研究ではVUV-SPI-TOFMSを用いたディーゼル排気ガスの多成分同時計測と,オンライン型の加熱脱離装置により粒子から有機物成分を気化脱離させることで追加的に有機物を計測するための加熱装置を製作し,有機物の追加検出を行った.

気体状有機物の計測では,多種の炭化水素類の同時検出を達成するとともに,JE05走行モード時のディーゼル自動車からの排出ガスを1秒積算の高時間分解能で,車速変化に追従した濃度変化の連続計測を達成した.また,ナフタレンが他の有機物の挙動と異なることを確認し,排気ガス成分はエンジン状態のみに依存しないことを結論付けた.加えて,トルエンを用いて50 pptvの検出限界(S/N = 2)を得ることができた.

粒子からの有機物の追加検出では,配管温度を623 Kおよび353 Kとし,配管加熱による炭化水素量の増加を検出した.加熱の有無による信号強度比から,熱分解が生じている可能性を示し,適切な加熱温度の決定が必要であると結論付けた.加熱温度の最適化や,気体膨脹に伴う混合の影響などから加熱装置改良の余地を残すが,リアルタイム連続計測手法として新規手法を提案することができた.

第4章では,粒子付着有機物を迅速に計測する手法として,超臨界二酸化炭素抽出から検出までをオンラインで行う手法の開発についてまとめた.ディーゼル微粒子や気体状有機物は大気中で二次有機エアロゾルを生成したり不均一反応により変質したりすることがわかっている.そこで本章では,大気中で生成反応した二次有機エアロゾルの計測を目標とした粒子付着有機物計測手法の開発を目的とした.第3章で製作した装置は,時間分解能が高い特徴があったが,気体状有機物と粒子からの有機物を同時検出してしまう問題および加熱による熱分解が生じる問題から,本章では捕集した粒子状物質から目的成分を温度条件の温和な超臨界二酸化炭素により抽出した上で抽出物をオンラインで質量分析する新規手法を開発することを目的とした.

大気微粒子を模擬したシリカゲルにアントラセンを吸着させたサンプル(4.0 μg/g-シリカゲル,1 g)を用いて,超臨界二酸化炭素抽出を行い,抽出物をトルエンによりトラップした後GC/MSによって計測した.11 MPa,60℃での抽出率98%と,回収率39%を得たが,マスバランスは低くなった.抽出量の時間変化からAl-Jabari (2002)の半回分式モデルを用いて,抽出傾向の一致を確認した.また,アントラセンに加えより揮発性の高いナフタレンを吸着させたサンプルを作製し,トルエンによる有機溶媒トラップを用いずに気体状態のまま質量分析器に導入することで,オンライン化に向けての検討を行った.アントラセンでは検出がなされなかったがナフタレンの検出を確認した.本手法の課題として,脱圧装置での試料の析出がみられることを指摘し,その改良策として,脱圧装置以外に回収場所を設けることと,パルスバルブを使用した飛行時間型質量分析装置への直接導入法の提案を行った.

第5章において,本論文を総括した.近年の東京都市域における対流圏オゾン濃度上昇の解明には,対流圏オゾンの前駆物質であるNO2と炭化水素類の排出や大気中の動態を詳しく把握することは重要であると考えられる.これらの前駆物質は大気中での寿命が数時間から数日程度と短いために,都市大気中では空間偏在をいかに考慮するかは重要である.本研究では第2章でのNO2計測において,局所排出の影響を受けない広域のNO2濃度計測と,広域濃度計測手法による空間偏在の検出を達成し,第3章では排出源からの有機物計測手法として,多成分同時高時間分解能計測の達成と,粒子中の有機物の追加計測,第4章では大気中微粒子を想定した微粒子からの有機物抽出解析手法の開発を行った.本研究から,複雑な都市大気における微量物質を既往の手法とは異なる空間スケールでの計測手法を提案できた.今後の展望としては,長距離大気計測手法による多成分同時計測,有機物計測手法の高感度化による実大気微粒子計測に発展させることで,都市大気に与える重要な化学種の動態研究を発展させることができると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

「吸収分光法と質量分析法を用いた都市大気環境物質計測手法の開発」と題された本論文は,環境影響や健康影響から重要と指摘される都市大気環境物質を計測対象とし,吸収分光法と質量分析法を用いた計測手法を開発し適用する研究について述べたものであり,全5章より構成されている.

第1章では背景として,都市域における対流圏オゾン生成メカニズムを中心に,オゾン,二酸化窒素(NO2),揮発性有機化合物,粒子状物質に関して,大気化学反応機構,現在の大気中でのそれぞれの物質の動態や,現在行われている各物質の計測手法などを述べている.本研究では東京都市域における対流圏オゾン濃度上昇を明らかにすることを第一の目的とし,その評価のために最も重要となるオゾン前駆体であるNO2と炭化水素類を検出する手法を開発し適用することを研究対象としている.既往の計測手法をまとめるとともに,課題としてNO2計測に関しては局所影響を受けない計測手法が必要とされていること,有機物計測に関しては,移動排出源からの多成分同時計測が必要とされていること,および,粒子状物質からの有機物計測手法が求められていることを述べている.

第2章では,オゾン前駆物質であるNO2計測に関して,パルス型長光路差分吸収分光法(LP-PDOAS)を用いて安定的に計測できるよう装置改良を試み,更に複数台の装置を用いて都市域におけるより詳細なNO2計測を検討している.まず,既往のLP-PDOASの構造および特徴を示した後,東京都市域に存在する二か所の航空障害灯を用いた二台のLP-PDOASを設置し,長光路の大気NO2計測を行ったことを述べている.同時計測した風向および風速の結果を合わせて解析することで,風向に依存した東京都市域に存在するNO2濃度分布を明らかにすることができたとしている.また,装置の改良を施し,長期安定性を改善し,NO2計測における公定法と比較している.最後に多成分同時計測の試みを示しており,エアロゾルの光学的厚さおよび亜硝酸の同時計測に一定の成果を挙げている.

第3章では,自動車排気ガスに含まれる有機物を計測する手法について,質量分析計を用いた手法の開発とその適用について述べている.既往の自動車排気ガス計測は有機成分を二種類にしか区別しないうえ,時間分解能の低い手法のため,より高い時間分解能で多成分の有機物を同時計測する必要性を述べている.飛行時間型質量分析計の特徴と,本研究で用いたイオン化手法である一光子イオン化法の特徴をまとめ,実際にディーゼル排気ガス計測に適用し,多成分の有機物を高時間分解能で計測できたことを確認している.とくに,モード走行における車速の変化に追従した有機物の濃度変化をとらえるとともに,ナフタレンが他の有機物の挙動と異なることを確認している.これらのことから,排気ガス成分はエンジン状態のみでは決まらないことを結論付けている.また,これまでとらえられていなかった粒子付着の有機物に着目し,オンライン型の加熱脱離装置を開発し,その装置に排気ガスを通じる際の加熱の有無から,粒子付着有機物の追加的検出に成功したとしている.加熱の有無による信号強度の比から,熱分解が生じている可能性を示しており,適切な加熱温度の決定が必要であると結論付けている.

第4章では,大気中微粒子に含まれる有機物の計測を対象とし,超臨界二酸化炭素抽出を用い,飛行時間型質量分析計で検出する新規手法の提案と本手法確立に向けての検討結果をまとめている.第3章で行った粒子中の有機物計測においては加熱による成分分解の影響が生じていることが明らかになったことから,より熱に対して温和な条件での抽出手法として超臨界二酸化炭素抽出を選択したと述べている.シリカゲルにアントラセンを付着させた模擬サンプルを作製し,超臨界二酸化炭素抽出を温度変化させ行うことで,回収率の温度依存性を確認している.また,ナフタレンを含む模擬サンプルに対し,超臨界二酸化炭素抽出後のサンプルを気体状態のまま飛行時間型質量分析計に導入し,検出を確認している.本手法の課題として,脱圧装置での試料の析出がみられることを指摘しており,その改良策として,回収場所を設けること、および、パルスバルブないし多段の差動排気を使用した直接導入法の提案を行っている.

第5章は総括であり,本研究で達成したことをまとめ,それぞれの手法が都市域オゾン生成の問題解決のためにどのように貢献できるかを述べている.加えて,それぞれの手法の発展性をまとめている.

以上要するに本論文は,都市域オゾン生成にかかる重要な前駆体の計測手法を開発し,計測に適用したものであり,都市域オゾン生成問題のみならず,さまざまな微量気体計測への発展性を持っていると考えられる.大気微量気体計測や排気ガス計測手法は健康環境影響を考える上で重要な示唆を与えるものであり,大気化学および化学システム工学への貢献は大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク