学位論文要旨



No 127984
著者(漢字) 坂本,陽介
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ヨウスケ
標題(和) 対流圏微量気体計測と気液界面不均一反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 127984
報告番号 甲27984
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7752号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸野倉,賢一
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 准教授 牛山,浩
 東京大学 准教授 三好,明
 東京大学 教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

「対流圏微量気体計測と気液界面不均一反応に関する研究」と題された本論文は対流圏微量気体計測と気液不均一反応に関する研究を纏めたものである。第一章では序論として研究背景および研究目的について、第二章では各研究に用いた計測手法について、第三章、第四章および第五章では亜酸化窒素(N2O)、HO2、ハロゲンそれぞれについて行った環境動態把握のため必要とされる基礎的な研究について述べた。第六章では全体の総括および今後の展望を述べた。

第一章では序論として研究背景および研究目的について述べた。対流圏化学の研究は対流圏での大気プロセスの理解を目的としている。対流圏は地表から8-18 kmまでの高度の領域であり、人間活動は対流圏化学に直接的な寄与を持ち、地表に住む生物に直接影響を与える事が知られている。そのため、人間活動の影響を評価する事は重要であり、従って対流圏化学を理解する必要がある。対流圏の化学の中で特にオゾンの光化学は、大気の酸化能力に大きく寄与する重要な化学プロセスであり、人間活動の評価のためには十分に理解されなければならない。亜酸化窒素(N2O)、HO2、ハロゲンはそれぞれオゾンの光化学に寄与を及ぼす事が知られており、その環境動態の把握が望まれている。そのため、筆者は微量気体計測手法を応用し、N2O、HO2、ハロゲンそれぞれについて環境動態把握に必要とされている基礎的な研究を行った。

第二章では各研究に用いた計測手法について述べた。本研究では微量気体計測手法として、中赤外吸収分光法および電子衝突イオン化四重極質量分析法を用いた。中赤外吸収分光法は直接検出が可能であり、定量性、選択性が高く、自動連続計測へ応用し易いという特徴があり、様々な化学種の観測手法に用いられている。一方、質量分析法は多成分検出が可能であり、反応機構の解明に適していると言える。

第三章では亜酸化窒素ガス計測手法の開発について述べた。N2Oは強い放射強制力を持ちその温暖化効果により大気の温度に影響を及ぼすため、また、成層圏においてオゾン減少に大きく寄与するため、対流圏での光化学に間接的な影響を持ち、そのため、N2Oの観測は対流圏化学の予測に重要な意味を持つといえる。大気N2O濃度の観測には現在キャニスターサンプリングを通じた電子捕獲検出型ガスクロマトグラフィーが一般的に用いられている。しかしサンプリング操作を伴うため、人手がかかることや、時間分解能を上げる事が難しい点や、自動連続測定が難しいと言った難点がある。中赤外吸収分光法を用いたN2O計測装置はその特性より高分解能な自動連続計測に適している。N2Oは中赤外領域に大気観測の主な干渉物質である水の干渉をほとんど受けない2v1バンドに帰属される吸収帯を持つため、その領域でのN2O計測装置の開発が期待されている。しかし、安定したレーザーの欠如や、吸収断面積が小さいと言う難点がある。近年、安定した中赤外光源であるQPM-LN素子を用いた差周波中赤外光源がv1吸収帯領域で利用可能になり、その応用が期待されている。また、吸収断面積の小ささは、高感度計測手法との組み合わせにより克服する事が出来る。本研究では、大気N2O濃度自動連続測定装置の開発を目的として、差周波発振中赤外光を用いた中赤外吸収分光法と、高感度計測手法である二次変調成分検波型波長変調分光法(WMS)を組み合わせたN2O計測装置の開発を行った。

測定にはN2Oの2v1バンドR26枝に帰属される2583.39 cm(-1)の吸収線を用いた。N2O混合比は1.2 ~ 4.0 ppmvの間で変化させ、検量線を決定し、それより75 ppbvの検出限界(S/N = 1)を得た。更に、装置の安定性を評価するために,30分間の自動連続測定を行った。30分の測定で約60 ppbvの信号強度の偏差を得た。また、室内空気中に含まれるN2O計測を達成した。

第四章ではHO2ラジカル吸収線強度の決定について述べた。HO2の反応は対流圏大気化学においてサイクル反応の停止反応として働く重要な中間体の一つである。そのため、観測による環境動態の把握が望まれている。HO2は、吸収断面積が大きく選択性の高い基本音振動遷移に帰属される吸収を中赤外領域に持つため中赤外吸収分光法はHO2を直接検出手段として有効であり、現在中赤外吸収分光法を用いた衛星観測、地上観測の開発が進められている。観測に必要な吸光度と吸収物質の濃度の変換のための分光パラメータとして吸収断面積がある。吸収断面積の精度は観測値の精度に直結するため非常に重要であるが、これまで中赤外領域における安定したレーザーの欠如のため、精度良く測定する事が困難であった。近年HO2v3バンド(1065 cm-1)の領域で安定した中赤外光源として量子カスケードレーザーが利用可能になり、その応用が期待されている。そこで本研究では、観測に必要な分光パラメータの決定を目的とし、中赤外量子カスケードレーザー(QCL)を用いた吸収分光法によるHO2v3バンド131,13 ← 141,14、F1吸収線の吸収断面積の測定、およびv3バンド強度決定を行った。

測定ではCl2 /CH3OH/O2反応系を用いてHO2を生成した。本研究では決定手法の系統的な誤差を避けるため、三つの異なる手法(1:Cl2分解量からの見積もり、2:HO2減衰解析による見積もり、3:メタノール吸収線との比較による見積もり)によりそれぞれ吸収断面積を測定した。また吸収断面積決定の際に、メタノールの吸収線の干渉、他のHO2の吸収線による干渉を補正してある。三つの異なる手法により得られた値は良い一致を示しており、系統的誤差が小さい事が示された。得られた絶対吸収断面積をスペクトルシミュレーションを用いてバンド強度へと変換した。本研究で得られたバンド強度は21.6± 4.6 km mol(-1)となり、量子化学計算の結果(26.5 km mol(-1)、B3LYP/aug-cc-pVQZ)と良い一致を示した。

第五章ではハロゲン不均一反応機構の研究について述べた。塩素によるオゾンホール生成メカニズムに代表されるように、ハロゲン化学種は反応性が高く、地球大気化学に大きな影響を持つことが報告されてきた。特に近年、地表の7割を占める海洋境界層においてもハロゲン化学の影響が無視できない事が近年報告されている。しかし、海洋境界層におけるハロゲンの生成メカニズムにはいまだ未知の部分が多く、現在従来考えられているヨウ素の放出源のみでは観測値の30%程度しか再現できない。したがって、海洋境界層上でのヨウ素の未知の生成メカニズムの解明は大気化学において注目を集めている分野の一つであると言える。筆者は先行研究として、オゾンとヨウ素イオンのIOOO-を反応中間体とする気液界面不均一反応によるヨウ素の放出機構を提案した。そこで本研究では、オゾンとヨウ素イオンとの気液界面不均一反応機構の解明の一環として、質量分析法を用いて生成物の多成分検出を行った。また、量子化学計算を用いた反応中間体IOOO-の存在の確認を行った。更に実際の大気における不均一反応場にはヨウ素イオン以外のイオンも同時に存在しているため、本研究では対流圏不均一反応場中に含まれていると報告されているFe(3+)を添加し、生成物への影響を測定した。

実験ではヨウ化ナトリウム溶液を入れた反応室内にオゾンを導入し、反応生成物を界面近傍で質量分析器に導入し測定した。オゾンは無声放電により生成した。試料のイオン化には電子衝突イオン化法を用いた。質量スペクトルよりI2の放出のみが確認され、先行研究による反応機構が確認された。また、量子化学計算を用いて、IOOO-の構造、および生成エネルギーを見積もった。計算に用いたレベルはOに対してはB3LYP / 6-311++G(d,p)を、Iに対してはB3LYP / 6-311G(d,p)を用いた。また、計算にはIEFCMモデルを用いたSCRF理論により水の溶媒和を加味している。計算結果はIOOO-の存在を示唆しており、また熱的に安定である事を示している。

ヨウ素イオンとオゾンの気液界面不均一反応にFe(3+)を添加し測定を行った。結果としてヨウ素放出量の増加が見られた。この結果よりFe(3+)を含む触媒的反応が予想される。ヨウ素放出の増加を促す上記添加効果は、対流圏のハロゲン化学にとって重要であると考えられるため、電子スプレー質量分析法など他種測定法を用いた測定を行い、ヨウ素放出増加のメカニズムの詳細を得る必要がある。

第六章では総括および今後の展望について述べた。大気化学の理解、特に対流圏化学は我々の生活と密接しており、人間活動が地球規模となり無視できない現在では人間活動の大気化学への影響を見積もる必要がある。実地観測やモデル計算はその見積もりの中心的役割を担うが、それらの土台として測定装置の開発や、反応測定、物理化学パラメータの測定など実験的アプローチは不可欠である。本研究では対流圏化学理解の上で、重要な物質であるN2O、HO2、ハロゲンのそれぞれについて実験的アプローチを用いた研究を行った。本研究により得られた、測定装置の性能、分光パラメータ、反応機構は対流圏化学の理解に大いに役立てられると考えられる。今後の展望として、測定装置の感度向上や、本研究で得られた分光パラメータを用いた反応速度の測定、反応機構の更に詳細な研究により、対流圏化学の理解を深める事が出来ると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

「対流圏微量気体計測と気液界面不均一反応に関する研究」と題した本論文は、対流圏化学において重要である微量気体の新規計測手法の開発とハロゲン化合物の気液界面不均一反応の理解を目的として行われた研究の結果をまとめたものであり、全6章より構成されている。

第1章は序論であり、本論文で対象とした亜酸化窒素ガス(N2O)およびヒドロペルオキシラジカル(HO2)の大気計測の重要性を述べた上で、計測手法の確立および分光データの取得を目指すとしている。続いて、対流圏化学におけるハロゲン化合物の気液界面不均一反応機構を示し、現状の問題点を提起したうえで、研究目的と本論文の構成が述べられている。

第2章では本論文の研究で用いた実験手法について述べている。中赤外吸収分光法に関連して、吸収分光法の基礎としてランベルトベール則、吸収スペクトル線の形状、また、その応用として波長変調分光法について述べている。質量分析法に関して、電子衝撃イオン化法によるイオン化と四重極質量分析によるイオン選別の詳細について述べられている。

第3章では中赤外吸収分光法によるN2O計測について既往の手法の課題となっている高い時間分解能での自動連続計測を可能とする中赤外分光法を用いたN2O観測装置の開発について述べている。周期分極反転LiNbO3素子を用いた差周波中赤外光を分光光源として応用する事で水の干渉影響を受けない2ν1バンドを用いたN2Oの検出を行っている。2ν1バンドでの測定は吸収断面積の小ささが問題となるが、その対策として波長変調分光法とヘリオット型多重反射セルを用いてその問題に対応しており、装置の高い安定性および時間分解能が示されている。感度に関しては参照セルの使用や直接発振中赤外光源を用いる事による感度向上により大気計測への応用が可能であるとの展望を示しており、高い時間分解能と安定性を持つN2O大気観測装置の足がかりを示している。

第4章では中赤外吸収分光法を用いた大気HO2観測に必要な中赤外領域における吸収断面積および吸収バンド強度の測定結果について述べている。量子カスケードレーザーを用いて水の干渉が最も小さく観測に適しているν3バンドの吸収スペクトルの測定を行っている。吸収断面積の決定手法に由来する系統的な誤差を評価するために三種類の手法を用いており、精度の高い値を決定している。吸収バンド強度については量子化学計算との比較を行い、その値の妥当性を確認されている。信頼性の高い分光データの取得によって大気観測データの精度の向上に繋がり、より詳細なHO2の大気動態把握が可能になると述べられている。

第5章ではヨウ素の気液界面不均一反応を介した放出機構について検討した結果について述べられている。オゾン-ヨウ素イオン気液界面不均一反応に着目し、質量分析計を用いた多成分計測、および溶媒和を考慮に入れた量子化学計算による反応中間体の安定性の確認、鉄イオンによる反応促進効果の確認を行っている。確認された鉄イオン添加効果はオゾン-ヨウ素気液界面不均一反応の影響がこれまで考えられて来た以上に大きい可能性を示唆している。この結果を考慮に入れた大気モデルシミュレーションを行う事でハロゲン化合物の大気化学への影響のより詳細な把握が出来るようになると述べられている。

第6章では全体の総括及び今後の展望について述べている。総括において、対流圏化学理解のため重要であると考えられるN2O、HO2、ハロゲン化合物について、課題とされている自動連続計測装置の開発、分光データの取得、ハロゲン不均一反応機構の解明についてそれぞれ研究を行い、得られた知見、および、今後の課題についてのまとめを述べている。今後の展望として、装置の感度向上による大気N2O観測、信頼性の高い分光データを用いた高精度大気HO2観測、オゾン-ヨウ素イオン気液界面不均一反応を考慮にいれたモデルシミュレーションが述べられ、それらを行う事で、N2O、HO2、ハロゲン化合物について観測やモデルの精度の向上が見込まれ、大気環境動態のより詳細な把握と人間活動の評価に貢献する事ができる旨が述べられている。

以上要するに、本論文は大気化学において重要な役割を持つN2O計測手法の開発、HO2の分光データの測定、気液界面不均一反応によるハロゲン化合物の放出機構の解明といった研究成果を報告している。一連の研究成果は、対流圏における大気化学の理解とその研究分野の進展を促すとともに、地球環境の更なる理解と評価に大きく貢献するものであり、化学システム工学への貢献は大きいと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として、合格と認められる。

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