学位論文要旨



No 127990
著者(漢字) 岩﨑,一浩
著者(英字)
著者(カナ) イワサキ,カズヒロ
標題(和) 癌細胞の標識と治療を目指したmRNAディスプレイ法を用いたEpCAMに結合する特殊環状ペプチドの開発
標題(洋) Development of high affinity thioether macrocyclic peptides that bind to the tumor-associated antigen EpCAM by means of mRNA display for imaging and therapeutic treatment of cancer cells
報告番号 127990
報告番号 甲27990
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7758号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 講師 須磨岡,淳
内容要旨 要旨を表示する

当研究室で開発されたFlexible In-vitro Translation (FIT)システムを用いることで、多種多様な非タンパク質性アミノ酸を翻訳系によりペプチド中に導入することに成功している。その中に、クロロアセチル(ClAc)基を有するアミノ酸がある。ClAc基は翻訳後にペプチド鎖中のシステイン(Cys)残基と自発的に反応し、チオエーテル結合を形成して、翻訳産物として環状ペプチドを与える。したがって、N末端にClAc基を有するアミノ酸を導入し、C末端のCys残基との間のコドンをランダム化したmRNAライブラリーを用意することで、簡便に特殊環状ペプチドライブラリーを構築することができる。このように調製された特殊環状ペプチドライブラリーは、その特殊な化学構造のおかげで、天然のペプチドよりも生体安定性が高く、標的タンパク質への親和性も高いライブラリーであると考えられる。また、mRNAディスプレイ法と組み合わせることで、標的タンパク質に結合する特殊環状ペプチドの探索が可能となる。mRNAディスプレイ法では、標的タンパク質との結合を指標に探索が行われるので、獲得されたペプチドが阻害剤になるかアゴニストになるかは、その後の解析により評価される。私は、獲得したペプチドが標的タンパク質に結合するという特性に着目し、標識に応用することを考えた。さらに、標的タンパク質を癌細胞特異的に過剰発現しているものにすることで、癌の診断薬への応用を目指した。また、今回用いた特殊環状ペプチドライブラリーでは、固定されたC末端のCys残基以外にランダム配列中にもCys残基が含まれるペプチドが翻訳合成され、活性ペプチドとして獲得される可能性がある。しかし、このようなペプチドにおいて、ClAc基がいずれのCys残基と反応して環状化するのか、もしくは、ジスルフィド結合を形成するのかについては、これまでのところ知見がない。私は、ClAc基と二つのCys残基を有するペプチドにおける結合形成の選択性の知見は、ランダム配列中にもCys残基が含まれるペプチドが特殊環状ペプチドライブラリーから得られた際に、活性種を推定する上で重要であると考えた。

そこで本論文では、【第2章】上皮性細胞接着分子(EpCAM)を標的タンパク質として、実際に特殊環状ペプチドライブラリーから結合能の高いペプチドを探索し、癌細胞の標識および治療に応用する研究を行った。次に、【第3章】ペプチドの環状化に用いたClAc基とシステイン残基のスルフヒドリル基のSN2反応において、ClAc基と二つのシステイン残基を有するペプチドの場合、どのような結合が形成されるかについて研究した。

【癌細胞の標識と治療を目指したmRNAディスプレイ法を用いたEpCAMに結合する特殊環状ペプチドの開発】1981年以来がんは日本人の死因の第1位であり、最新の統計では全死亡者に占める割合が30.1%にも上る。実に日本人の約3人に1人はがんにより死亡する計算である。あらゆる病気において、早期発見、早期治療は完治への道の鉄則であり、がんも例外ではない。特に、未だその根本的な治療法が確立されていないがんでは、発見が遅れれば、切除手術すら受けられず、死を待つしかない状況にもなりかねない。まだ腫瘍が小さな段階で早期発見することができれば、薬物療法でも切除手術でも患者への負担も少なく行え、その意義は大きい。また、完治しなかったとしても、がんの進行を遅らせるなど、現在の医療でも対処できることはあり、その効果も早期発見のほうが大きい。がんと一口に言ってもその種類は多種多様であるが、大きく分けると上皮性細胞由来の癌腫と非上皮性細胞由来の肉腫の二つがある。一般にがんと呼ばれるものは癌腫であり、いわゆるがんの大半を占める。肺がんや胃がん、大腸がんといった主要な死因となるがんも癌腫に含まれる。そこで本研究では癌腫で過剰発現されている上皮性細胞接着分子(EpCAM)に着目し、これに結合する特殊環状ペプチドを探索し、癌細胞の標識と治療に応用することを目指した。

EpCAMは、急速に増殖する上皮性腫瘍での過剰発現のために、癌腫のマーカーとして同定された膜貫通型糖タンパク質である。初期の研究では、EpCAMは細胞間の接着分子と考えられていた。しかし最近の研究から、シグナル伝達、細胞移動、増殖や分化といった細胞接着以外の様々なEpCAMの役割が明らかとなった。特に、成長促進の核シグナル伝達もEpCAMが直接的な役割を担っていることがわかっており、EpCAMの発現を阻害することで、癌腫の成長が抑制されることが報告されている。このようなEpCAMの働きから、近年抗EpCAM抗体を癌治療に応用しようという研究も行われているが、癌の転移と深く関係する循環癌細胞でのEpCAMの過剰発現や悪性腫瘍患者の血清中EpCAM濃度の上昇から、腫瘍マーカーとしての利用も古くから行われている。そこで私はまず、特殊環状ペプチドライブラリーから探索されたペプチドを癌細胞の標識に応用することを考えた。

特殊環状ペプチドライブラリーのデザインとして、N末端にFITシステムを用いて導入したN-ClAc-D-Tryptophan、C末端にCys残基とGSリンカー(GSGSGS)、その間を4-12残基のランダムなアミノ酸配列にしたライブラリーを作製し、mRNAディスプレイ法により、EpCAMに強く結合する特殊ペプチドを探索した。mRNAディスプレイ法では、上記のようにデザインしたmRNAライブラリーにピューロマイシンリンカーを付加して翻訳することで、ペプチドとmRNAがピューロマイシンを介して一対一に対応付けされる。ここで、N末端のClAc基がC末端のCys残基のチオール基と分子内で自発的に反応し、チオエーテル結合を介した環状ペプチドが得られる。この複合体を標的タンパク質であるEpCAMと混合し、結合したペプチドに対応するcDNAをPCRで増幅後、転写して次のラウンドのmRNAライブラリーとする。ラウンドを重ねることで、EpCAMに結合するペプチドが濃縮され、対応するcDNAの配列を解析することで、ペプチドのアミノ酸配列が同定される。

セレクションの結果、4ラウンド終了後にmRNAの回収率の増加が見られ、5ラウンド終了後のcDNAの配列から、いくつかのペプチドが同定された。次に、これらのペプチドの中の一つをEpi-1とし、Fmoc固相合成法により調製したEpi-1を用いて、表面プラズモン共鳴法により解離定数を測定したところ、非常に高い結合能を有することがわかった(KD = 1.7 nM)。また、フルオレセインでラベルしたEpi-1を調製し(Epi-1F)、EpCAMが過剰発現されているMCF7という細胞を用いて、細胞表面のEpCAMに対する結合を評価した。その結果、Epi-1Fの細胞表面での局在は、抗EpCAM抗体の局在とよく一致し、Epi-1Fが細胞表面のEpCAMにも結合できることが示唆された。さらに面白いことに、細胞が密集しているために、抗体ではうまく染色することができなかった部分にも、Epi-1Fはよく浸潤し、細胞を効率的に染色することができた(図1)。

【クロロアセチル基と二つのシステイン残基を有するペプチドにおけるチオエーテル結合形成反応の選択性】上述の特殊環状ペプチドライブラリーからは、ランダム配列中にもCys残基を含んだペプチドが得られることがある。このような場合、(1)N末端側のCys残基によるチオエーテル結合形成、(2)C末端側のCys残基によるチオエーテル結合形成、(3)二つのCys残基間のジスルフィド結合形成、の三種類の翻訳後閉環が起こりうる。しかしながら、このようなペプチドにおいて、三種類のうちのいずれの結合が形成されるのかはこれまで調べられておらず、全く知見がない。そこで本研究では、様々なN末端ClAc基含有ペプチドの翻訳後閉環反応の選択性について、MALDI-TOF/TOF-MSによる解析を行った。さらに、ペプチドの主鎖にエステル結合を導入し、翻訳後に加水分解によりペプチドを切断することで、その切断パターンからより詳細な解析を行った。

まず、25残基のモデルペプチドを調製した。FITシステムによりN末端にN-ClAc-L-phenylalanine((ClAc)Phe)を導入し、'upstream Cys'(uC)を含む15残基、17番目に固定された'downstream Cys'(dC)、精製のためのFlagタグ(DYKDDDDK; D = アスパラギン酸、Y = チロシン、K = リシン)となるペプチドを設計した。uCは2番目と3-13番目の奇数番目の位置に配置し(pC2C17-pC13C17)、コントロールとしてuCがないペプチドをpC17とした(図2A)。翻訳合成したペプチドの分子量をMALDI-TOF-MSにより分析したところ、いずれのペプチドもチオエーテル結合のみが形成されることがわかった。次にMS/MSにより、より断片化が起こりやすい一本鎖の領域を調べたところ、pC17とpC2C17ではほとんどペプチド断片が見られなかったのに対し、pC3C17-pC13C17ではuC、dC間で切断された様々なペプチド断片が観測された(図2B)。このことから、pC2C17ではdCが、pC3C17-pC13C17ではuCが反応したチオエーテル結合が形成されることが示唆される。

さらにこの仮説を検証するため、FITシステムを用いて12番目のトリプトファンの位置にphenyllactic acid ((HO)F)を導入したペプチドcpC0e12およびcpC3e12C17を調製した。(HO)Fの導入により形成されるエステル結合は、塩基性条件下で容易に加水分解される。cpC17e12では加水分解処理後、加水分解産物(+18)のピークが一本観測されたのに対し、cpC3e12C17では加水分解処理後、(HO)Fの位置で切断された二つのペプチド断片のピークが観測された。この結果から、pC3C17ではuCが反応したチオエーテル結合のみが形成されることがわかった。

【結論と考察】特殊環状ペプチドライブラリーからEpCAMに結合するペプチドを探索し、癌細胞の標識に応用することに成功した。また、抗体では染色できない密集した細胞においても、ペプチドを用いることで染色できることを示した。このことから、癌細胞の塊を効率的に染色する新たな道具として、ペプチドの有用性が期待される。さらに、得られたペプチドがEpCAMに結合してどのような活性を有するのか調べている。

N末端ClAc基と二つのCys残基を有するペプチドにおいて、uCが3番目以降に位置する場合、dCよりも uCが優先的にClAc基と反応してチオエーテル結合を形成する。これは、ClAc基がより近くに位置するCys残基を反応点として選び、優先的にチオエーテル結合を形成した結果であると考えることができる。ただし、uCがpC2C17のように2番目に位置する場合は、dCと反応したチオエーテル結合が形成される。これは、uCと反応して形成される環構造がアミド結合を二つ含む9員環となり、アミド結合の平面構造を保とうとすると、立体的に非常に難しい構造となり、uCとは反応しづらいためであると考えられる。

図1 Epi-1Fおよび抗EpCAM抗体を用いた癌細胞(MCF7)の染色

図2 (A)解析に用いたペプチドのアミノ酸配列と(B)MS/MSによる解析で観測されたペプチドの切断部位とそこから予測される結合形成

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、クロロアセチル(ClAc)基を有するアミノ酸をペプチド中に導入し、ペプチド鎖中のシステイン(Cys)残基と反応させて、環状化したペプチドについての研究である。応用面として、このような特殊環状ペプチドの薬剤候補としての有用性を示している。また、科学的な観点から、ペプチド中に複数のCys残基が存在する場合の反応の選択性について述べている。

第1章では背景として、多種多様な非タンパク質性アミノ酸を翻訳系によりペプチド中に導入することができるFlexible In-vitro Translation (FIT)システムと、ペプチド中に導入された非タンパク質性アミノ酸を用いたペプチドの環状化について述べている。ClAc基とCys残基の反応によるペプチドの環状化が他の環状化技術よりも優れている点について触れ、このような特殊環状ペプチドを薬剤候補として探索する上で標的タンパク質とした、上皮性細胞接着分子(EpCAM)について詳細に記述している。また、ペプチド中にシステイン残基が二つ存在する場合の結合形成の可能性と、その結合形成の選択性を明らかにする意義を示している。

第2章では、mRNAディスプレイ法を用いて、EpCAMに結合する特殊環状ペプチドを探索し、実際に得られた特殊環状ペプチドがEpCAMに強く結合することを示した。得られたペプチドの環構造がEpCAMへの結合に重要であることや、システイン残基を二つ有するペプチドではいずれのシステイン残基もEpCAMへの結合に重要であること、フレームシフトしたペプチドではポリアラニンもEpCAMへの結合に寄与していることを明らかにした。また、フルオレセインでラベルしたペプチドを用いて癌細胞の標識に応用することに成功した。さらに、抗体では染色できない密集した細胞においても、ペプチドを用いることで染色できることが示されており、癌細胞の塊を効率的に染色する新たな道具として、ペプチドの有用性が期待される。

第3章では、N末端ClAc基と二つのCys残基を有するペプチドにおける、チオエーテル結合形成の選択性をMALDI-TOF-MSおよびMALDI-TOF/TOF-MSによる解析から明らかにした。さらに、ペプチドの主鎖にエステル結合を導入し、翻訳後に加水分解によりペプチドを切断することで、その切断パターンからより詳細な解析を行った。また、結合形成の選択性が、N末端ClAc基と三つのCys残基を有する種々の配列と長さのペプチドでも保存されることが示されており、二環ペプチドラリブラリーの構築に応用できると期待される。

以上、本論文はFITシステムにより実現された特殊環状ペプチドライブラリーの構築と、mRNAディスプレイ法を組み合わせることにより、非常に大きな多様性のペプチドの中から、EpCAMに強く結合する特殊環状ペプチドの探索に成功している。さらに、EpCAMが上皮性腫瘍で過剰発現されていることから、実際に癌細胞の標識に応用することに成功している。次に、これまで十分に研究されていない、ClAc基と複数のCys残基との反応の選択性について、結合形成を同定する手法を確立して明らかにした。さらに、今回明らかとなった結合形成の選択性が二環ペプチドライブラリーの構築に応用できることも示唆し、将来的展望を示している。本論文により、ClAc基とCys残基のチオエーテル結合形成により得られる特殊環状ペプチドが癌細胞の標識に有用であることが示された。また、これまで知られていなかった、ClAc基と複数のCys残基とのチオエーテル結合形成の選択性について解明され、二環ペプチドライブラリー構築の道が示された。

本論文では、EpCAMに特異的に結合する特殊環状ペプチドの発見、ならびにCys残基が2つ以上存在する特殊ペプチドにおいてN末端ClAc基との環状化の選択性について新たな知見を提供した。ここに示される研究成果は、今後のペプチド阻害剤探索ひいてはペプチド創薬の発展へ貢献するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク