学位論文要旨



No 127996
著者(漢字) 森本,淳平
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,ジュンペイ
標題(和) リボソーム合成により構築した機能性側鎖を有するペプチドライブラリからのSIRT2阻害ペプチドの創出
標題(洋) Development of Warhead-Assisted SIRT2 Inhibitor Peptides by Using Ribosomally Constructed Non-Standard Peptide Libraries
報告番号 127996
報告番号 甲27996
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7764号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 濡木,理
内容要旨 要旨を表示する

【第一章:研究背景と目的】

近年、ファージディスプレイやmRNAディスプレイなどの手法を用いることで、高多様性のペプチドライブラリから迅速且つ簡便に標的タンパク質に結合するペプチドを選択(セレクション)することが可能となってきた。しかしながらこうした手法はタンパク質の阻害剤を獲得するための手法としてはやや非効率的である。なぜなら、こうした手法では標的へ結合するか否かだけを指標にペプチドのセレクションが行われるため、得られたペプチドが標的の活性を阻害するような部位へと結合することは保証されないからである。そこで本論文の第二章では、理論的に設計された阻害剤の構造を導入したペプチドライブラリを構築しこれをmRNAディスプレイ法によってセレクションすることで、標的タンパク質を阻害するペプチドを効率的に獲得することを目指した。さらに本論文の第三章では、第二章で得られたペプチドの構造を細胞内移行性およびプロテアーゼ耐性の観点から最適化し、in vitroだけでなく細胞内でも機能するペプチド阻害剤の創出を目指した。

本論文では、ヒト細胞内に存在する脱アセチル化酵素サーチュインを標的として阻害剤探索を行った。サーチュインは、原核および真核の幅広い生物種に存在する酵素で、NAD+を補酵素として、様々なタンパク質のε-N-アセチルリシン残基(KAc)の脱アセチル化を触媒する。ヒトではSIRT1からSIRT7までの7つが存在しており、それぞれ細胞内での局在や基質タンパク質が異なる。近年、遺伝学的手法によりサーチュインの生体における役割の解明が進んだが、個々のサーチュインの働きの全容は未だ解明されておらず、選択的で強力な阻害剤が分子ツールとして望まれている。これら7つのヒトサーチュインの中で、細胞質に存在しチューブリンなどの脱アセチル化を行うSIRT2は、パーキンソン病などいくつかの神経変性疾患や癌との関連が示唆されており、特にSIRT2の阻害剤の開発はこうした疾患の治療薬候補化合物の創出という観点からも重要である。

【第二章:KTfa含有ペプチドライブラリの構築とSIRT2阻害ペプチドの探索】

サーチュインの脱アセチル化反応の機序に基づき、その活性を阻害するアセチルリシンアナログがこれまでに複数設計され報告されている。その一つε-N-トリフルオロアセチルリシン(KTfa)残基は、KAcよりも強くサーチュインの活性部位に結合する一方でサーチュインによる脱修飾反応の速度がKAcに比べて106程度も遅いため、ペプチド鎖中に組み込まれることでサーチュインを阻害する構造となる。本章では、RaPID(Random nonstandard Peptide Integrated Discovery)システムを用いてこのKTfaを含有するペプチドライブラリを構築・セレクションし、SIRT2選択的で強力な阻害剤を効率的に獲得することを目指した。ここでRaPIDシステムとは、非タンパク質性の構造を含むペプチドライブラリを翻訳により構築しこれをmRNAディスプレイ法によってセレクションする技術である。まず、ペプチドライブラリの鋳型として、AUG-(NNC)m-AUG-(NNC)n-UGC([m, n] = [3, 4], [4, 4], [4, 5], [5, 5], [5, 6])をコードするランダムmRNAライブラリを調製し、メチオニンを除いて再構成した無細胞翻訳系で翻訳した(図1a)。この際、N-クロロアセチル-L-チロシン(ClAcLY)が連結された開始tRNA(tRNAfMetCAU)および、KTfaが連結された伸長tRNA(tRNAAsn-E2CAU)を加えることで、開始AUGコドンにClAcLYが伸長AUGコドンにKTfaがそれぞれ導入され、ClAcLY-(X)m-KTfa-(X)n-Cの配列で表されるペプチドライブラリが合成される(図1b)。Xで表される部分には、NNCコドンに対応してE, K, M, Q, W以外の15種類のタンパク質性アミノ酸のいずれか一つがランダムに現れる。また翻訳後には、ペプチド鎖の下流にあるシステイン残基とClAc基との間で自発的にチオエーテル結合が形成され、ペプチドが環状化する(図1c)。これによりペプチドの構造が剛直化し標的との親和性が向上することが期待される。本研究では、ClAcLYと並行してClAcDYを用いることで、2つの異なる環状ペプチドライブラリを構築した(LYライブラリ、DYライブラリ)。1012程度の多様性からなるこれらの環状ペプチドライブラリを、ピューロマイシンを介して鋳型mRNAと連結した後、担体に提示したSIRT2と混合して結合したものだけを回収することで、SIRT2に結合するペプチド配列を選択した(図1d)。セレクションを複数ラウンド繰り返したところ、LYライブラリは5ラウンド目で、DYライブラリは6ラウンド目で、それぞれSIRT2に結合するペプチド-mRNA複合体の回収率が飽和したため、これらの配列をクローニングし、配列を決定した。その結果、LYライブラリ、DYライブラリいずれからのクローンにおいてもKTfaを含む5残基が高く保存されていることがわかり、RIKTfaRYという配列がSIRT2との結合に重要な役割を果たしていることが示唆された。

セレクションにより得られたペプチドの活性を定量的に評価するため、上述した阻害モチーフRIKTfaRYを含むペプチドをLYとDYで始まるクローン群からそれぞれ一つずつ選び(S2iL8, S2iD7)、Fmoc固相法によって合成した。表面プラズモン解析によりこれらのペプチドのSIRT2への結合能の評価を行ったところ、両ペプチドはそれぞれKd = 3.8 nM, 3.7 nM という強い結合能を示すことがわかった。続いて、これらのペプチドの阻害能を、蛍光を利用したin vitroのSIRT2活性測定試験によって評価したところ、それぞれIC50 = 3.2 nM, 3.7 nMというKd値と一致する強い阻害活性を示した。さらに、同様のin vitro活性試験によってSIRT2と同じクラスIに属するサーチュインであるSIRT1とSIRT3に対する阻害能を決定したところ、いずれのペプチドもSIRT1に対しては10倍程度、SIRT3に対しては100倍程度弱い阻害活性を示し、スクリーニングによって得られたペプチドがSIRT2選択的な阻害能を有することがわかった(表1)。

続いて、直鎖型(S2iL8-linear, S2iD7-linear)および短鎖型(RIKTfaRY)のペプチドの評価を行った結果(表1)、スクリーニングによって得られたペプチドは、RIKTfaRYの部分でSIRT2と強く相互作用し、周囲の配列と環状構造によってSIRT2からの解離速度が押し下げられ、全体として上述したような強力な結合能と阻害能を達成していることが明らかとなった。

【第三章:細胞内移行性および分解耐性の向上による細胞内で機能するサーチュイン阻害剤の創出】

サーチュインは細胞内に存在するため、これを阻害するためには阻害剤は細胞内へ効率的に移行して機能しなければならない。第二章で獲得した環状ペプチドS2iL8およびS2iD7は、in vitroでは強力にSIRT2を阻害したものの、細胞内ではSIRT2を阻害することができなかった。そこでこれらのペプチドの細胞内移行性およびプロテアーゼ耐性を評価したところ、いずれのペプチドもこれらが非常に低いことが明らかとなった。

そこで細胞内で機能する阻害ペプチドを創出するためにまず、SIRT2への結合に重要なRIKTfaRYの5残基へとペプチドを短鎖化することで細胞内移行性の向上を図った。続いて、細胞内移行性および分解耐性を低下させると考えられるR残基を別の残基へと置換もしくは配列中から除去し、RIKTfaTYおよびIKTfaTYという配列へと変更した。さらに代謝的に不安定であるKTfa残基を安定なε-N-チオアセチルリシン残基(KTac)へと変換し、RIKTacTYおよびIKTacTYという配列へと最適化した。これら2つのペプチドはin vitroでSIRT1とSIRT2への非選択的な強い阻害効果を発揮したため、細胞内でのサーチュインの阻害を試みたところ、いずれのペプチドも細胞内でSIRT1を阻害することができた。

【本論文の結論】

本論文では、まず第二章で、理論的に設計された阻害剤の構造をランダムペプチドライブラリ中に導入することで阻害剤探索の効率化をはかり、実際にSIRT2に対してin vitroで選択的で強力な阻害能を発揮するペプチドを獲得することに成功した。続く第三章では、第二章で得られたペプチドの構造を細胞内移行性およびプロテアーゼ耐性の観点から最適化することで、細胞内で機能するサーチュイン阻害ペプチドの創出に成功した。

第二書で確立した手法は、ペプチドライブラリ中に導入する阻害剤の構造を変えることでサーチュイン以外の様々なタンパク質に対する阻害剤探索へと応用することができる。第三章の研究からは、細胞内のタンパク質を標的とした阻害剤探索において短くR残基を含まない配列が好ましいということが示唆されており、今後このような知見を活かしたペプチドライブラリの構築およびセレクションを行うことでペプチド阻害剤探索がさらに加速されることが期待される。

図1.KTfa 含有環状ペプチドライブラリの構築とセレクション

a) ランダム配列を含む mRNA ライブラリの末端にピューロマイシンを連結しておく。b) 翻訳で合成された KTfa 含有ペプチドは、ピューロマイシンを介して mRNA と連結された形で発現される。c) 自発的な環状化により、KTfa含有環状ペプチド-mRNA複合体が形成される。d) ペプチド-mRNA複合体のライブラリから、標的であるSIRT2 に結合するものだけを回収する。その後、回収された配列を逆転写・PCR により増幅し、転写することで再び mRNA に変換する。

表1. セレクションで得られたペプチドとその変異型ペプチドのSIRT2 結合能および阻害能

ka, kd および Kd は SPR によって、また、 IC50 は in vitro のサーチュイン活性試験によって決定した。N.D. : 未決定(Not Determined)

審査要旨 要旨を表示する

ファージディスプレイやmRNAディスプレイなどの各種ディスプレイ法の発達により、高多様性ペプチドライブラリから迅速に標的タンパク質に結合するペプチドを選択(セレクション)することが可能となってきた。こうした手法は低分子化合物のハイスループットスクリーニングのように1化合物1ウェルで評価するのではなく、ペプチドライブラリ全てを1つの容器内で標的と混合し結合したペプチドだけを回収するという形式をとるため、低コストかつ迅速に高多様性のペプチドをセレクションすることができる。しかしながらこうした手法を阻害剤探索に適用する場合には本論文で示されているようないくつかの課題が残されている。本論文で挙げられる一つ目の課題は、こうした手法においてペプチドが標的との親和性のみを指標に獲得されるため必ずしも標的の活性部位に作用する阻害ペプチドが獲得されるとは限らないという点である。二つ目に挙げられている課題は、ペプチド一般が細胞内移行性および生体内安定性が低いために得られたペプチド阻害剤が細胞や生体で利用することが困難であるという点である。本論文ではこうした課題に取り組み、ヒト脱アセチル化酵素サーチュインに対する細胞内で機能する阻害剤の開発に成功している。

第一章では本論文全体の導入部として、まず上述した阻害剤探索におけるディスプレイ法の課題を述べその解決法について言及している。まず、一つ目の課題については、機能性側鎖をペプチドライブラリ中に導入することで克服することが提案されている。また、二つ目の課題については、ペプチドの細胞内移行性や分解耐性の評価とそれに基づくペプチド配列の最適化がその克服のために必要であることが述べられている。また本章では、第二章以降での標的となる脱アセチル化酵素サーチュイン、その触媒作用に基づいて設計されたトリフルオロアセチルリシン(KTfa)残基などの機能性アミノ酸側鎖、こうした機能性側鎖を有するペプチドライブラリの構築およびスクリーニングを可能とする技術FIT(Flexible In vitro Translation)システムとRaPID(Random nonstandard Peptide Integrated Discovery)システム、など本論文に関わる主要な分子・方法論についての説明がなされている。

第二章では、遺伝暗号を改変した無細胞翻訳系であるFITシステムを用いてKTfa含有環状ペプチドライブラリを構築し、これをmRNAディスプレイ法と組み合わせたRaPIDシステムによってヒトサーチュインの一つSIRT2に対してセレクションすることで阻害ペプチドの探索を行っている。得られた多数のペプチド配列が全てSIRT2を阻害することから効率的に阻害剤が獲得されたことが示され、また、得られたペプチドのうち2つの配列について定量的な評価を行うことで、SIRT2に対して強力で選択的な阻害能が得られた恐ことが示されている。本章で獲得された阻害ペプチドはSIRT2の生体内での機能を解明するための分子ツールとして有用であるだけでなく、SIRT2との関連が知られる神経変性疾患やがんなどへの薬剤候補物質としての可能性も秘めている。

第三章では、まず第二章で得られたペプチドが細胞内でサーチュインを阻害することができないことが示され、続いてこの原因が細胞内移行性およびプロテアーゼ耐性が非常に低いことにあることを明らかにしている。さらにこの結果を受けペプチドの配列や機能性側鎖の構造を最適化することで、ペプチドの細胞内移行性およびプロテアーゼ耐性を向上させた。これによってin vitroだけでなくヒト培養細胞内でもサーチュインを阻害することのできるペプチドの創出に成功している。本章の最後ではサーチュインを阻害することによってアセチルp53の上昇を引き起こすことに成功しており、本章で創出された阻害ペプチドが今後がんへの治療効果を示すことが期待される。

最後に付随的な章として第二章で獲得された環状ペプチドの一つとSIRT2の共結晶構造が示されている。この結晶構造から、まずトリフルオロアセチルリシン残基が狙い通りSIRT2の活性部位に結合し、環状ペプチド全体がSIRT2と非常に緊密な相互作用をすることで非常に強い相互作用を達成していることがわかる。また、以前に報告されているSIRT2単体の結晶構造との比較からSIRT2の構造が大きく変化していることも示されている。このような標的の構造変化を伴う結合様式を示す阻害剤を理論的に設計することは困難であり、本論文で示されたランダムペプチドライブラリのスクリーニングによる阻害剤探索法の有用性が裏付けられているといえる。SIRT2と基質との共結晶構造はこれまで報告がなく、本章で示されている複合体構造がSIRT2の基質認識への重要な知見となることも期待される。

本論文では、ペプチド阻害剤探索におけるディスプレイ法の課題とその解決法が示され、実際にサーチュインを標的としてその方法論の有用性が実証されている。ここに示されるアプローチは今後のペプチド阻害剤探索ひいてはペプチド創薬の発展へ貢献するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク