学位論文要旨



No 128001
著者(漢字) 山本,享弘
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,タカヒロ
標題(和) 携帯電話センシングにおける省電力ソフトウェア基盤に関する研究
標題(洋)
報告番号 128001
報告番号 甲28001
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7769号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森川,博之
 東京大学 教授 鈴木,宏正
 東京大学 准教授 矢入,健久
 東京大学 教授 瀬崎,薫
 東京大学 准教授 豊田,正史
内容要旨 要旨を表示する

近年,スマートフォンに代表される携帯電話において,GPSや加速度センサ,角速度センサなど多彩なセンサの搭載が進んでいることを背景に,携帯電話を利用してセンサネットワークを構成する携帯電話センシングの研究が行われている.センサとCPU,無線通信デバイスを具備する携帯電話をセンサノードとして利用することで,広範囲に渡る実空間情報をこれまでにない粒度と量で収集することができる.携帯電話センシングは,個々のユーザがデータを収集してセンサネットワークを構成することから,Participatory SensingやPeople-Centric Sensing,集合知センシングとも呼ばれている.既に,環境モニタリングや交通情報モニタリング,ヘルスケア,ソーシャルネットワークなどの分野で研究が進められている.

本論文は,携帯電話センシングを実現する上で必要となる携帯電話端末のソフトウェア基盤技術について論じたものである.本論文は以下の全5章によって構成される.

第1章 序論

第2章 携帯電話センシング

第3章 省電力センサデータ転送エンジン

第4章 軽量な低優先度通信機構

第5章 結論

第1章「序論」では,論文の背景および目的と論文の構成について述べる.

第2章「携帯電話センシング」では,まず,携帯電話の進化の過程について述べ,携帯電話センシングの実現を可能にした背景について述べる.次に,既に実用化されているサービスと研究の例を挙げて,携帯電話センシングによって実現されるアプリケーションを示す.その後,携帯電話センシングのアプリケーションが共通して持つ構成について説明し,本論文が対象とする範囲を明確にする.最後に,携帯電話センシングが抱える課題について述べて,本論文が解決する課題を明らかにする.

第3章「省電力センサデータ転送エンジン」では,センシングアプリケーションがセンサデータをアップロードするときに生じる消費電力の削減技術について示す.携帯電話はバッテリによって駆動することから消費電力の削減が重要な課題となる.また,無線通信によって発生する消費電力は大きく,携帯電話センシングでは収集したセンサデータを定期的にアップロードすることから,消費電力に及ぼす影響は大きい.

本論文では,携帯電話が通信を完了しても一定期間データ通信用チャネルを保持することに着目し,ユーザがブラウザを眺めている間などユーザ操作によって発生した通信セッションの期間を利用してセンサデータを転送する.ユーザの通信セッション中に存在する通信デバイスの空き時間を利用してセンサデータを転送することで,通信デバイスの駆動時間増大を抑制する.ユーザの通信と並行してセンサデータを転送することによるユーザ通信の遅延を抑制するために,携帯電話内でパケットの優先制御を実現する.携帯電話センシング以外の既存アプリケーションに変更を加えることなく省電力転送を実現するために,通信の開始と終了の検出は通信プロトコルレベルで行う.

携帯電話の消費電力モデルとユーザの通信トラヒックモデル,センサデータのトラヒックモデルを適用してシミュレーションを行った結果,既存手法以上の省電力効果が得られることを示す.また,省電力転送エンジンをAndroid端末に実装して評価することで,携帯電話センシング以外のアプリケーションに変更を加えることなく消費電力の削減が実現できることを示す.さらに,ユーザの通信と並行してセンサデータの転送を行った場合にユーザの通信遅延を抑制できることを確認する.

第4章「軽量な低優先度通信機構」では,センシングアプリケーションがバックグラウンドで実行されているときのユーザ操作の遅延を抑制する優先制御技術について示す.携帯電話では通信資源とともに計算資源も限られることから,ユーザ操作の遅延を抑制するためにはパケットとタスクの2つの優先制御が必要となる.

本論文では,P2Pなどのバックグラウンドトラヒックが増大するインターネットの分野で研究が進められている低優先度通信に着目し,携帯電話上で低優先度通信を実現することによってユーザ操作の遅延削減を実現する.低優先度通信では,バックグラウンドのアプリケーションにベストエフォートよりも低い優先度を割り当てるため,ベストエフォートで動作するフォアグラウンドアプリケーションには変更を加えることなく優先制御を実現することができる.ただし,携帯電話上でパケットの優先制御を行うに当たっては,通信プロトコルがソフトウェアによって実現されることから,割り込みがタスクよりも優先して実行されることによるパケットの優先度逆転を抑制する必要がある.「軽量な低優先度通信機構」では,オーバヘッドの小さいソフトウェア割り込みハンドラを優先度ごとに割り当て,タスクとソフトウェア割り込みハンドラの実行順序をパケットの優先度に沿って制御することで,パケットの優先度順に処理を実行する動作を実現する.Android端末に実装して評価した結果,フォアグラウンドアプリケーションの遅延時間を既存手法と同レベルまで抑制しつつ,既存手法よりも少ないCPU負荷で優先制御を実現できることを示す.

最後に,第5章「結論」では,本論文の主たる成果と今後の展開について議論し,本論文のまとめとする.

本論文では,携帯電話センシングにおける課題を解決する技術として,第2章で省電力センサデータ転送エンジン,第3章で軽量な低優先度通信機構を提案している.

第2章の省電力センサデータ転送エンジンによる成果は以下の3点である.

1つ目は,携帯電話では通信完了後一定期間データ通信用チャネルを保持する動作に着目し,ユーザ操作によって発生した通信セッションの期間を利用してセンサデータを転送することで,消費電力の削減を実現したことである.携帯電話の消費電力モデル,ユーザのトラヒックモデル,センサデータのトラヒックモデルを適用し,シミュレーションを行った結果,既存手法以上の省電力効果が得られることを確認した.また,省電力センサデータ転送エンジンをAndroid端末上に実装して評価し,実機上でも既存手法に比べて消費電力が削減できることを確認した.

2つ目は,携帯電話内でパケットの優先制御を行うことにより,ユーザのアプリケーションとセンシングアプリケーションが同時に通信を行った場合でも,ユーザの通信遅延を抑制できるようにしたことである.携帯電話端末内でパケットの優先制御を実現し,接続先サーバのIPアドレスとポート番号情報をもとにセンシングアプリケーションのパケット優先度を下げることで,ブラウザなどのフォアグラウンドアプリケーションの通信遅延を抑制する.実機を使って評価した結果,センシングアプリケーションがユーザの通信セッション期間を利用してセンサデータを転送した場合でも,ユーザが操作するアプリケーションに生じる通信遅延を抑制できることを確認した.

3つ目は,ユーザによる通信の開始・終了の検出を通信プロトコルレベルで行うことにより,携帯電話センシング以外の既存のアプリケーションに変更を加えることなく実現できることを示した点である.携帯電話センシングでは,既に多数のアプリケーションが動作している携帯電話端末を利用してセンサネットワークを実現する.そのため,センシングアプリケーションを導入するに当たっては既存アプリケーションとの互換性維持が重要となる.省電力転送を実現する上で必要となるユーザによる通信の検出は,パケットの優先度情報を用いて通信プロトコルレベルで通信を監視することにより,携帯電話センシング以外のアプリケーションに変更を加えることなく実現できることを確認した.

第3章の軽量な低優先度通信機構による成果は以下の2点である.

1つ目は,パケットとタスクの2つの優先制御を行うことにより,フォアグラウンドで実行されるアプリケーションの遅延を既存手法と同等まで抑制できることを示した点である.携帯電話では,通信資源だけではなく計算資源も限られるため,パケットの優先制御だけではなくタスクの優先制御も必要となる.本論文では,プライオリティキューを使ってパケットの優先制御を行うとともに,パケット優先度に応じてタスクのスケジューリングを行うことで,パケットとタスクの2つの優先制御を実現した.Android端末上に実装して評価した結果,既存手法と同等の遅延時間を実現できることを確認した.

2つ目は,パケットの優先制御をオーバヘッドの小さいソフトウェア割り込みハンドラを用いて実現したことである.携帯電話にも搭載されるオペレーティングシステムでは,処理を実行する単位としてタスクと割り込みハンドラを持つ.タスクはコンテキストスイッチやプロセス間通信などによって実行時のオーバヘッドが大きいことから,提案手法では計算資源の限られた携帯電話上で優先制御を実現するために,プライオリティキューのパケットの処理をソフトウェア割り込みハンドラを使用して行う.タスクと割り込みハンドラの間で発生するパケットの優先度逆転は,ソフトウェア割り込みスケジューラとタスクスケジューラを変更することによって抑制し,パケットの優先度順に処理を実行する動作を実現する.Android端末上に実装して評価した結果,既存手法よりもCPUの実効サイクル数を削減できることを確認した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,携帯電話を使って広範囲に渡る実空間情報を収集する携帯電話センシングにおける端末のソフトウェア基盤技術について述べたものである.具体的には,センサデータアップロード時の消費電力を削減する省電力センサデータ転送エンジンについて示している.また,ユーザが操作するフォアグラウンドアプリケーションの通信遅延を抑制する軽量な低優先度通信機構について述べている.

第1章「序論」では,本論文の背景と目的,および本論文の構成について述べている.本論文の背景では,スマートフォンに代表される携帯電話において多彩なセンサの搭載が進んでいることを背景に,携帯電話をセンサノードとして利用する携帯電話センシングの研究が進められていることを示している.本論文の目的では,センサデータアップロード時のバッテリ消耗を抑制することと,並列で動作するフォアグラウンドアプリケーションの通信遅延を削減することとしている.

第2章「携帯電話センシング」では,まず,携帯電話の進化の過程について述べ,携帯電話センシングの実現を可能にした背景について示している.次に,既に実用化されているサービスと研究の例を挙げて,携帯電話センシングによって実現されるアプリケーションについて示している.その後,携帯電話センシングのアプリケーションが共通して持つ構成について説明し,本論文が対象とする範囲を示している.最後に,携帯電話センシングが抱える課題について述べて,本論文が解決する課題を明らかにしている.

第3章「省電力センサデータ転送エンジン」では,センシングアプリケーションがセンサデータをアップロードするときに生じる消費電力の削減技術について示している.携帯電話はバッテリによって駆動することから消費電力の削減が重要な課題となる.本論文では,携帯電話が通信を完了しても一定期間データ通信用チャネルを保持することに着目し,ユーザがブラウザを眺めている間などユーザ操作によって発生した通信セッションの期間を利用してセンサデータを転送する方式を提案している.ユーザの通信セッション中に存在する通信デバイスの空き時間を利用してセンサデータを転送することで,通信デバイスの駆動時間増大を抑制している.ユーザの通信と並行してセンサデータを転送することによるユーザ通信の遅延を抑制するために,携帯電話内でパケットの優先制御を実現している.携帯電話センシング以外の既存アプリケーションに変更を加えることなく省電力転送を実現するために,通信の開始と終了の検出は通信プロトコルレベルで行っている.

携帯電話の消費電力モデルとユーザの通信トラヒックモデル,センサデータのトラヒックモデルを適用してシミュレーションを行った結果,既存手法以上の省電力効果が得られることを示している.また,省電力転送エンジンをAndroid 端末に実装して評価することで,携帯電話センシング以外のアプリケーションに変更を加えることなく消費電力の削減が実現できることを示している.さらに,ユーザの通信と並行してセンサデータの転送を行った場合にユーザの通信遅延を抑制できることを確認している.

第4章「軽量な低優先度通信機構」では,センシングアプリケーションがバックグラウンドで実行されているときのユーザ操作の遅延を抑制する優先制御技術について示している.携帯電話では通信資源とともに計算資源も限られることから,ユーザ操作の遅延を抑制するためにはパケットとタスクの2 つの優先制御が必要となる.

本論文では,P2P などのバックグラウンドトラヒックが増大するインターネットの分野で研究が進められている低優先度通信に着目し,携帯電話上で低優先度通信を実現することによってユーザ操作の遅延削減を実現している.低優先度通信では,バックグラウンドのアプリケーションにベストエフォートよりも低い優先度を割り当てるため,ベストエフォートで動作するフォアグラウンドアプリケーションには変更を加えることなく優先制御を実現することができる.「軽量な低優先度通信機構」では,オーバヘッドの小さいソフトウェア割り込みハンドラを優先度ごとに割り当て,タスクとソフトウェア割り込みハンドラの実行順序をパケットの優先度に沿って制御することで,低オーバヘッドにパケットの優先度順に処理を実行する動作を実現している.Android 端末に実装して評価した結果,フォアグラウンドアプリケーションの遅延時間を既存手法と同レベルまで抑制しつつ,既存手法よりも少ないCPU 負荷で優先制御を実現できることを示している.

第5章「結論」では,本論文の主たる成果をまとめるとともに,省電力センサデータ転送エンジンと軽量な低優先度機構の今後の展開について述べている.

以上,これを要するに本論文は,携帯電話センシングのためのソフトウェア基盤実現に向けて,省電力センサデータ転送エンジンと軽量な低優先度通信機構を提案し,シミュレーションおよび実機評価を通じて有用性を示したものであり,情報通信工学上貢献するところが少なくない.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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