学位論文要旨



No 128012
著者(漢字) 村上,健太
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ケンタ
標題(和) 原子炉圧力容器鋼中の照射欠陥の挙動と経年劣化に関する研究
標題(洋)
報告番号 128012
報告番号 甲28012
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7780号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 准教授 出町,和之
 東北大学 教授 阿部,弘亨
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

軽水炉の安全上最も重要な機器の一つである原子炉圧力容器では、供用中の中性子照射脆化によって破壊靭性が低下する。長期供用時の健全性を十分に前もって評価するには、監視試験等から得られた情報に基づいて、照射脆化を予測することが必要である。従って、経年劣化管理の対象となるプラント群に適した脆化予測法の開発と、状況の変化や知見の拡充に沿った脆化予測法の改良が必要である。

本研究は、照射脆化に影響を与える様々な因子のうち、これからのわが国の原子炉において丁寧に扱う必要が生じる可能性のある因子を抽出し、その因子による影響を、他の因子と区別して精緻に実験的に測定することによって知見を拡充することで、照射脆化法の持続的な発展に寄与するものである。

複数の実験条件を精緻に制御する照射試験として、イオン照射法が古くから使われている。本研究では、イオン照射を用いて精緻な実験を設計することで、照射技術や評価法の進歩に貢献する事も目指す。

2.照射脆化に関する研究課題の抽出

わが国における照射脆化の主因は、原子炉圧力容器鋼材のマトリクス中で溶質原子が濃化した「溶質原子クラスタ」の形成であると考えられている。従来は、その固溶限の低さから、鋼中に不純物元素として含まれる銅が濃化すると考えられていた。しかし、わが国の監視試験材の系統的なミクロ組織観察の結果、銅と共に、ニッケル、マンガン、シリコンが濃化し、直径3ナノメートル程度のクラスタを形成することが明らかになった1。銅濃度が低い鋼材においては、3×1023 n/m2 以上の照射を受けたとき、銅を含まず、ニッケル、マンガン、シリコンだけが濃化したクラスタが形成することも示された1。

現在の脆化予測法2は、国内の監視試験結果とミクロ組織観察結果に基づき、脆化メカニズムを考慮して式化されている。入力パラメータは、環境の条件として照射量と照射速度、照射温度であり、材料の条件として銅とニッケルの含有量である。

本研究では、以下の三つの課題を解決することを目的とする。

課題1 銅を含まずニッケルやマンガンを含む溶質原子クラスタの形成過程を明らかにすること

銅を含まないクラスタの形成メカニズムについては、未解明の部分が多い。わが国の脆化予測法2では、溶質原子の転位ループへの偏析としてモデル化されている。一方で、カスケード損傷の冷却過程で溶質原子が集合する可能性を指摘する研究者もいる3。

課題2 クラスタ発達に対するシリコンの影響を明らかにすること

材料試験炉で10(23) n/m2 オーダで照射された圧延鋼では、照射量の増加と共にクラスタ中のシリコン含有量が増加することが、脆化予測法改訂後に明らかになった4。わが国の原子炉圧力容器ではシリコン濃度にある程度分布があり、シリコン濃度を考慮することで、長期的な予測性能の向上が考えられる。

課題3 ミクロ組織発達に対する材料の不均質さの影響を明らかにすること

わが国の脆化予測法2 は、鋼種(母材 / 溶接金属 / 溶接影響部, 圧延鋼板 / 鍛造品)の区別を入力パラメータとして持たない。鋼種の違いは、マトリクスの不均質さ(つまり金属組織)に影響を与える。もしマトリクスの不均質さによってミクロ組織の発達に違いが生じるならば、鋼種の違いを入力パラメータに考慮する事によって、脆化予測法の精度向上が期待できる。

3.照射欠陥の移動に対する溶質原子の影響

3.1 研究の方針

溶質原子クラスタの形成は、溶質原子と点欠陥の拡散過程に支配される。拡散過程に影響を与える因子として、溶質原子の濃度に加え、照射温度や照射速度等がある。照射速度はクラスタの性状に大きく影響を与えることが知られているが、実機と同等の環境を実験的に再現することはできない。そこで、溶質原子濃度が変化したときに、拡散過程自体がどのように変化するかを精緻に調べることで、照射速度の影響と切り離して、溶質原子の影響を抽出することにした。

照射欠陥の拡散を抑制する事の可能な低温(<70 K )で1MeV H+を原子炉圧力容器鋼材のモデル合金へ照射して、欠陥を導入し、その後等時焼鈍することにより、格子間原子型、空孔型などの拡散機構を分離しながら、少しずつ照射欠陥を拡散させ、各々の過程に対する溶質原子の影響を調べた。拡散挙動の観察には、主に電気抵抗率測定法を使用した。電気抵抗率は、格子振動による自由電子の散乱が無視できるなら、欠陥や溶質原子の濃度に比例することが知られており、各因子の比例係数も既知である5。

3.2 純鉄における欠陥挙動

1MeV H+ 照射されたpure Feにおける照射欠陥の拡散挙動を、先行研究6, 7 と比較しながら、明らかにした。低温照射後に等時焼鈍を行うと、移動活性化エネルギーものから順に欠陥が拡散することにより、電気抵抗率の回復段階が観測される。今回の実験では、低温側からStage ID(相関再結合)、Stage IE(格子間原子の自由な移動)、Stage II(微小な格子間原子集合体の自由な移動)、Stage IIIA(近接空孔の集合)、Stage IIIB(空孔の自由な移動)が観測された。

3.3 Fe-Ni-Mn系における溶質原子クラスタの形成過程

まず、Fe-0.7Ni合金 とFe-1.4Mn合金の欠陥挙動をpure Feと比較して、ニッケルとマンガンが拡散過程に与える影響を明らかにした。図1に電気抵抗率の等時焼鈍変化率を示す。何れの合金でもStage IDが減少するが,これは溶質原子によって、格子間原子の相関再結合が阻害されたことを示している。代わりにStage IINi, IIMnが発現する。これらは格子間原子と溶質原子の複合体(基本的に混合亜鈴)の移動である。また、Fe-1.4Mn合金では、Stage IIICとStage IIIDが発現した。これは空孔がマンガン原子に捕捉されて拡散が阻害され、Stage IIICとIIIDの発現する温度で解放されることを示す。これらの結果から、ニッケルとマンガンの単独での添加により、格子間原子の長距離の拡散を促進することと、空孔の実質的な移動活性化エネルギーを増加させることが、明らかになった。

次に、Fe-0.7Ni-1.4Mn合金の欠陥挙動を二元系合金と比較して、ニッケルとマンガンの重畳効果を明らかにした。電気抵抗率の温度依存性を図2に示す。二元系合金では370 K までの焼鈍で、電気抵抗率が未照射の水準となる。一方、Fe-Mn-Ni合金では、200 K までの焼鈍で、未照射以下の水準まで電気抵抗率が低下する。これは、マトリクスから溶質原子が失われたこと(溶質原子クラスタ形成か、粒界等への偏析)を意味する。粒径と拡散距離の比較から粒界偏析とは考えにくい。また、転位ループ等への偏析とも少し異なる。200Kまでにマトリクスから取り去られる溶質原子の数は、移動に寄与する照射欠陥の10倍以上になるからである。従ってこの現象は、ニッケルとマンガンが溶質原子クラスタを形成したことを示すものである。

Fe-Ni-Mn合金と二元系合金では、相関再結合は同程度発現している。もしクラスタ形成にカスケード損傷の冷却過程が寄与しているなら、相関再結合以下の温度域で、電気抵抗率の回復挙動に違いが生じるはずである。従って、クラスタ形成にカスケード損傷が影響を与えるという仮説は、否定される。

このクラスタ形成は、格子間原子型の照射欠陥の拡散に誘起されると判断できる。溶質原子の析出が200 K 以下で発現するからである。また、空孔型の拡散はクラスタの成長に寄与していると判断できる。空孔が自由に移動を始める温度でも電気抵抗率の低下は継続するからでる。

3.4クラスタ発達におけるSiの影響

前節で説明した三種類の合金に対する0.3wt.%のシリコンの添加効果を、同様の手法で研究した。ほとんどの結果は、照射欠陥-溶質原子複合体における溶質原子の一部が、ニッケルやマンガンからシリコンへ置き換わったことで説明可能であった。

例外的に、Fe-Ni-Si合金の高温側では、新たな溶質原子の挙動が発現した。図3に電気抵抗率の等時焼鈍変化を示す。空孔が活発に移動を開始する290 K 以上で、Fe―Ni―Si合金では大きな電気抵抗率の低下が生じる。電気抵抗率は未照射の水準を大きく下回っており、溶質原子クラスタの形成が示唆される。つまり、(転位ループ等の)照射欠陥の存在する環境では、熱平衡状態では観察されないニッケルとシリコンのクラスタが形成されることが示唆された。

4.ミクロ組織発達に対する材料不均質さの影響

4.1 研究方針

金属組織に起因するメゾスケールのマトリクスの不均質さによって、照射効果の違いが発現するか否かを明らかにするために、結晶粒毎の臨界せん断応力と相関の強いマイクロメートルサイズの微小押し込み試験に着目した。押し込み試験を多数回実施して、硬さ分布がどのように変化するかを調べた。

2.8MeV Fe(2+)イオンを563Kで照射し、照射量と照射速度を系統的に変化させて、添加元素濃度の異なる三種類の原子炉圧力容器鋼用圧延鋼板母材において、硬さ分布の照射量依存性を評価した。

4.2 材料の不均質さによる硬さ分布の変化

銅含有量の高い二種類の鋼板では、照射硬化が試料の位置によって不均質に生じることが明らかになった。典型的な例を図4に示す。硬さの分布は照射量の増加と共に一旦拡がるが、その後は1 dpa までの照射によって再び狭くなる。分布を丁寧に追うと、二段階で照射硬化が起きているように見られる。第一段階は0.1 dpa 程度までに生じるもので、先行研究2との比較から、銅を多く含む析出物の形成によるものだと考えられる。このとき、硬さ分布の拡がりは大きくなる。照射量の増加と共に、再び0.5 ~ 1 dpa で再度硬化が観測される。このとき硬さ分布の上位側はほとんど移行せず、硬さ分布の下位側のみが硬さの大きい方へ移行する。この現象は、第一段階で大きく硬化したマトリクスでは、第二段階の硬化が少ないことを示唆するものである。

銅濃度の低い一種類の鋼板では、硬さ分布の特徴的な変化は観測されなかった。このことから、材料不均質さによるミクロ組織発達の違いは、銅濃度の高い溶質原子クラスタの形成と関連していると推察される。

5.結言

課題1:ニッケルとマンガンのクラスタ形成が、カスケード損傷の冷却過程ではなく、格子間原子型の拡散過程によって、誘起されることを明らかにした。

課題2:シリコンの添加効果について、(転位ループ等の)照射欠陥の存在する条件において、ニッケルとシリコンの重畳効果により、溶質原子クラスタが形成されることを明らかにした。

課題3:金属組織の違いに起因する材料不均質さについて、銅濃度の高い溶質原子クラスタの形成に影響を与える可能性が示唆された。

1) 曾根田直樹, 他, CRIEPI report Q06019, 2006.2) 日本電気協会, 「原子炉構造材の監視試験方法」JEAC 4021-2007(2010年追補版). 2010年10月.3) 石野栞, 他, 「寿命・余寿命予測と材料」p. 211, 裳華房, 2006年.4) 原子力安全基盤機構, 「高照射量領域の照射脆化予測に関する報告書」, 2009年12月.5) F. Maury, et. al., J. Physics: Condens. Matter 2 (1990) p. 9291~9307.6) T. Takaki, et. al., Radiation Effects 79 (1983) p. 523~541.7) H. Matsui, et al., J. Nuclear Materials 155-157 (1988) p. 1284~1288.

図1 二元系合金の電気抵抗率の等時焼鈍変化.

(照射: 1 MeV H+ at <70 K, 測定: 12 K, 焼鈍:ΔT = 10 K, Δt = 600 s)

図2 Fe-Ni-Mn合金の回復段階.

(照射: 1 MeV H+ at <70 K, 測定: 12 K, 焼鈍:ΔT = 10 K, Δt = 600 s)

図3 Fe-Ni-Si合金の電気抵抗率の等時焼鈍変化.

(照射: 1 MeV H+ at <70 K, 測定: 12 K, 焼鈍:ΔT = 10 K, Δt = 600 s)

図4 A533B JHI鋼の硬さ分布の照射量依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、軽水炉の長期使用に伴う安全性の評価において、最も重要な圧力容器胴部の照射脆化を取り上げている。特に照射脆化に影響を与える多くの因子のうち、わが国の照射脆化予測において、今後詳細なミクロメカニズムを扱う必要が生じる可能性のある物理過程を抽出し、その因子による影響を、他の因子と切り分けて精緻に実験的に測定することによって知見を拡充し、もって照射脆化法の持続的な発展に寄与することを、目的としている。論文は全5章から構成されており、第1章は原子力安全における材料研究の役割を整理するとともに、原子炉圧力容器の経年劣化事象としての照射脆化について、システム安全の観点の重要性をとりまとめ、研究の目的を提示している。

第2章では、照射脆化に関する課題を基礎的な観点から抽出することもに、3次元アトムプローブ法やメカニズムに基づいた照射脆化予測手法の高度化の進展を概観するとともに、実験研究によって明らかにすべき課題を整理している。

第3章では、原子炉圧力容器鋼中の照射欠陥移動に伴う溶質原子の影響を取り上げ、極低温のイオン照射試験によって格子欠陥の濃度を評価するための電気抵抗測定法を手法として確立している。その上で、同実験手法を純鉄に適用して、その照射欠陥の挙動を電気抵抗の回復曲線から同定できるように、先行研究との比較検討をしている。さらにこの上で、鉄にニッケルとマンガンを加えたモデル合金に対して、同様の実験手法を適用している。この結果、ニッケルとマンガンの添加効果は、格子間原子の長距離の拡散を促進することと、空孔の実質的な移動活性化エネルギーを増加させることを見出している。さらに鉄-ニッケル-マンガンの3元合金に関する実験から、ニッケルとマンガンの重畳効果によって溶質原子クラスタが形成され、マトリクスから溶質原子が失われたことを見出している。このクラスタは、格子間原子の移動によって核形成し、さらに空孔型の溶質原子拡散がその成長に寄与していることを明らかにしている。さらにシリコンの添加効果についても検討を行い、シリコンはニッケルとマンガンの双方に入れ替わって溶質原子クラスタ形成を促進する効果があることを解明した。また、鉄-ニッケル-シリコンの3元合金では、空孔が移動を開始する290K以上での急激な電気抵抗率の低下が生じ、析出物が形成されうることを見出した。

第4章は、イオン照射材料に対する多数微小押し込み試験を実用合金系に対して適用し、ミクロ組織発達に対する材料のμmオーダーの不均一性が照射による硬化減少に及ぼす影響を明らかにしている。この結果、銅含有量の高い鋼板では、照射硬化が試料の位置によって不均質に生じることが明らかになった。さらに、照射量依存性に二段階で照射硬化があることを硬さ分布曲線の詳細な解析から明らかにしている。一方、銅含有量を0.01wt.%程度まで低減させた鋼材では、このような二段階効果は観測されないことから、銅を多く部組む溶質原子クラスタの形成、成長過程がと関連していることを明確に提示することに成功している。

第5章は結言であり、本研究の成果を3つに分けてとりまとめている。

以上のように、本研究では、銅を含まずニッケルとマンガンを含む溶質原子クラスタ形成に係る溶質原子の移動形態、溶質原子クラスタ発達に対するシリコンの効果をミクロメカニズムの観点kら明らかにするのみならず、メゾスケールの材料不均質さが、異なる照射量依存性を示すことを定量的に示すことに成功しているおり、ミクロ組織の形成に基づいた照射脆化の予測手法高度化に大いに寄与する成果を得ている。

この成果は、原子力工学、特に原子力プラントの構造材料経年劣化に関する学術に寄与するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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