学位論文要旨



No 128017
著者(漢字) 小野,尭生
著者(英字)
著者(カナ) オノ,タカオ
標題(和) 透明非晶質フッ素ポリマーナノ開口アレイの微細加工と1分子イメージングへの応用
標題(洋)
報告番号 128017
報告番号 甲28017
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7785号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 一木,隆範
 東京大学 教授 藤井,輝夫
 東京大学 教授 高井,まどか
 東京大学 准教授 馬渡,和真
 東京大学 講師 松井,裕章
 東京大学 教授 船津,高志
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

バイオデバイスは、μm~nmスケールの微細構造を利用した生化学分析・医療診断ツールであり、流体内での拡散の短時間化など、その微細構造に特有の優位性を持つ。バイオデバイスによる新たな分析・診断手法の創出のためには、デバイスの目的に応じた物性を持つ材料を選択し、微細加工することが有効な方法である。例えば、透明材料を流路に加工することで流路中の試料に対する光学的な検出や分析が可能となる。このような光を用いたセンシングは低侵襲で実時間性に優れるため、バイオデバイスに多用される。さらに、微小なファイバーなどの光学素子を用いてデバイス内で光を操作することで、高感度・高分解能の分析など、より高機能なバイオセンシングを達成出来る。本論文では、微細構造を用いて光を操作するバイオデバイスを『オプティカルバイオデバイス』と定義し、蛍光1分子を観察対象としたオプティカルバイオデバイスについて研究した。

1分子イメージングは、核酸やタンパク質などの生体分子間の反応や相互作用を1分子レベルで蛍光観察し、定量化することが可能なバイオセンシング技術である。微弱な1分子蛍光を観察するためには励起領域の局所化による背景光ノイズの低減が有効であり、エバネッセント光による局所照明を利用した全反射蛍光顕微鏡法(Total internal reflection fluorescence microscopy, TIRFM)が広く用いられる。しかし、本法では励起領域が深さ方向に限定されるに止まっており、さらに励起領域を局所化できる余地がある。そこで本論文では、光の回折限界以下の直径のホールを備えたオプティカルバイオデバイスである『ポリマーナノホールアレイ』(図1)を提案し、エバネッセント光とナノホールを用いた励起領域の三次元的局所化により、さらなる高感度計測の達成を目指した。具体的には、上記デバイスを実現するために、水と整合した屈折率を持つ非晶質フッ素ポリマーをデバイス材料に採用し、当該ポリマーのデバイス加工に必要なドライエッチング、表面改質プロセ

ス技術を研究した。さらに、構築したプロセス技術を用いてポリマーナノホールアレイデバイスを試作し、励起領域を三次元的に局所化してタンパク質の1分子イメージングを実現した。

2. 酸素系低圧ICPを用いたフッ素ポリマーのドライエッチング

光の制御を伴うオプティカルバイオデバイスの形状加工には高い精度が求められる。半導体微細加工技術として発展してきたドライエッチングプロセスは高精度な異方性加工を実現しており、オプティカルバイオデバイス加工への応用も有効と考えられた。そこで、酸素系誘導結合プラズマ(Inductively coupled plasma, ICP)を用いるフッ素ポリマーのエッチングについて研究し、エッチング機構の明確化ならびに、高異方性加工を達成した。

まず、エッチング特性(図2)とプラズマ中のイオン・活性種密度の計測結果を総合的に考察し、エッチング機構の明確化を試みた。その結果、ポリマー表面ではプラズマ中のイオン・活性種による物理化学的なエッチング反応が生じていることを示し、さらに、反応は活性種供給が律速する条件(酸素混合比10%以下)とイオン衝撃による脱離が律速する条件(酸素混合比10%以上)が存在すること、イオンのエネルギーがエッチング収率の増減を通じてエッチング速度を支配することを明らかにした。一方、一般にポリマー材料のエッチング形状は等方的になる傾向にあるが、非晶質フッ素ポリマーのエッチングでは垂直な側壁を持つ高異方性の加工形状を得た(図3)。X線光電子分光を用いたエッチング側壁の化学結合状態分析により、側壁に再付着した炭素リッチなエッチング生成物が保護層を形成し、異方性を与えていることを明らかにした。これらの成果はフッ素ポリマー材料を精密に微細加工し、オプティカルバイオデバイスに用いるための基盤技術を提供するものである。

3. 低圧プラズマを用いたフッ素ポリマーの表面改質

バイオデバイスの微細構造内では水の表面張力の影響が強く現れる。特にポリマーナノホールアレイにおいては、材料であるフッ素ポリマーが強疎水性であり、デバイスの構造がサブミクロンスケールであるため、デバイスに水溶液を導入するには表面を親水化する必要がある。そこで、アルゴン・酸素低圧プラズマ照射によるフッ素ポリマーの表面親水化について検討し、フッ素ポリマーの表面親水性を幅広くかつ長期安定的に制御可能であることを実験的に示した。

まず、アルゴンプラズマ照射により、フッ素ポリマーの表面親水角を30°~110°の範囲で制御可能であること(図4(a))、親水性が1ヶ月以上の長時間にわたり持続可能であることを示した。一方、酸素プラズマ照射では、水滴接触角を基準とするとアルゴンプラズマ照射ほどには親水化されない。しかし、水中での気泡接触角を測定した場合には、アルゴンプラズマ照射と同等の親水角が得られることを明らかにした(図4(b))。これらは、ポリマーナノホールアレイを始めとするフッ素ポリマー製バイオデバイスと水溶液試料との相互作用を理解し、制御する際の基盤となる重要な知見である。

4. プラズマを用いたポリマーナノホールアレイ作製における光学的ダメージの検討

アルゴン/酸素混合プラズマによるエッチングとアルゴンプラズマによる親水化プロセスを用いて試作したホールアレイにおいて、ホール周縁部に1分子観察の障害となる蛍光性ダメージを見出した(図5)。そこで、その原因と解決策を検討した。

アルゴンプラズマ中のイオンと真空紫外光がポリマーに及ぼす影響を系統的な実験により解析し、波長100 nm付近の真空紫外光によるポリマー鎖の開裂がダメージの原因であることを示唆する結果を得るとともに(図6)、さらにダメージ由来の蛍光性の起源について考察した。最終的に、高感度な光学観察を伴うフッ素ポリマー製デバイスの加工プロセスからはアルゴンプラズマを排除すべきというプロセス構築の指針を導出した。アルゴンが必要な異方性エッチングをプロセスフローから除き、ナノインプリントと酸素プラズマ照射によるエッチング・親水化を用いて、光学ダメージフリーなバイオデバイスの製造プロセスフローを構築した(図7)。

5. ポリマーナノホールアレイの作製と1分子イメージング

上記の知見・技術を総合してポリマーナノホールアレイを作製し(図8)、本デバイスの1分子イメージングへの適用可能性を検討した。まず、理想的条件下でのデバイスの期待性能について考察した。デバイスにおける励起体積縮小と背景光ノイズ低減の効果を評価した結果、ホールの直径100 nm、深さ200 nmのモデルでは、ミカエリス定数を指標としてTIRFMに比べて約2.5倍多くの種類の酵素系を1分子観察の対象にすることが可能であると推算された。次に、フッ素ポリマーの表面を親水化しPEG(Polyethylene glycol)鎖を修飾することで、観察時のノイズ源となるタンパク質の非特異的な吸着を約1/4に抑制した。最後に、光の回折限界より小さな直径200 nm、深さ200 nmのポリマーナノホールアレイを用いて、Cy5修飾したシャペロニンGroEL1分子の蛍光イメージングを実証した(図9)。

6. 結言

本論文では、水とほぼ等価な屈折率を有する非晶質フッ素ポリマーについて、バイオデバイス製造の基盤となるナノ・マイクロ加工技術を構築した。さらに、このプロセス技術を用いて開発したポリマーナノホールアレイは、1分子レベルでの生体機能評価を通じ、基礎医学・生化学の発展に貢献すると考えられる。

図1 ポリマーナノホールアレイの概要

図2(a)酸素混合比、(b)基板バイアス電力に対するエッチング速度変化。プラズマ生成条件:500 W (13.56 MHz)、全圧30 mTorr。エラーバーはS.D.。一点当り1~8データ。

図3 フッ素ポリマーの異方性エッチング。酸素30%、バイアス8 W、60 sエッチング。

図4(a)500 Wアルゴンプラズマ照射時間に対するポリマー表面の水滴接触角の変化。(b)250 W酸素プラズマ照射時間に対するポリマー表面の水滴および気泡接触角の変化。エラーバーはS.D.。一点当り2~6データ。

図5 アルゴン系プラズマを用いて作製したデバイスによるCy5-GroELのTIRFM像。Ex. 635 nm, Em. 700/75 nm

図6 ダメージの原因分析用試料の概要とダメージの分光スペクトル。波長117 nm以下の光はMgF2を透過しない。

図7 ダメージフリープロセスを用い作製したデバイスによるCy5-GroELのTIRFM像。Ex. 635 nm, Em. 700/75 nm

図8 ポリマーナノホールアレイ作製のプロセスフローと作製したナノホール(直径100 nm、深さ200 nm)。まず、電子線リソグラフィとクライオエッチングにより作製した鋳型を用いてフッ素ポリマーをナノインプリント加工した。次に、酸素プラズマを用いてホール底部の残膜を除去し、併せて表面を親水化した。最後にPEG鎖を含む界面活性剤をデバイス表面に吸着させ、タンパク質の吸着を抑制した。

図9 ポリマーナノホールアレイを用いた1分子イメージング。高濃度フルオレセイン由来の蛍光によりナノホールの位置を確認し、ナノホール内のCy5-GroEL由来蛍光を検出、経時観察した。ナノホール内のCy5-GroELは、1分子蛍光特有の1段階退色を示した。

審査要旨 要旨を表示する

1分子イメージングは、核酸やタンパク質などの生体分子間の反応や相互作用を1分子レベルで蛍光観察し、定量化することが可能なバイオセンシング技術である。微弱な1分子蛍光を観察するためには励起領域の局所化による背景光ノイズの低減が有効であり、エバネッセント光による局所照明を利用した全反射蛍光顕微鏡法が広く用いられる。しかし、本法では励起領域が深さ方向に限定されるに留まっており、さらに励起領域を局所化できる余地がある。そこで本論文では、光の回折限界以下の直径のホールを備えた『ポリマーナノホールアレイ』デバイスを提案し、エバネッセント光とナノホールを用いた励起領域の三次元的局所化により、さらなる高感度計測の達成を目指している。具体的には、上記デバイスを実現するために、水と整合した屈折率を持つ非晶質フッ素ポリマーをデバイス材料に採用し、当該ポリマーのデバイス加工に必要なドライエッチング、表面改質プロセス技術を研究している。さらに、構築したプロセス技術を用いてポリマーナノホールアレイデバイスを試作し、励起領域を三次元的に局所化してタンパク質の1分子イメージングを実現している。本論文は全六章からなる。

第一章では、微細加工技術と生化学分析の融合に関して歴史的背景と現状をまとめ、本論文の背景と意義を述べている。次に、従来のバイオデバイスにおける材料とプロセス技術を概説するとともに、新たな材料とプロセス技術の導入がバイオデバイスに新たな機能をもたらしうることを述べている。特に、微細構造を用いて光を制御するオプティカルバイオデバイスにおいて精密加工技術が重要であることを説明している。最後に、照明の三次元的な局所化によりTIRFMの上限を超える高い蛍光基質濃度条件下でも1分子観察を可能にするオプティカルバイオデバイスとして、ポリマーナノホールアレイを提案している。当該デバイスの実現に必要な光学物性を持つ材料として透明非晶質フッ素ポリマーを挙げ、デバイス作製に必要なプロセス技術をまとめ、本研究の目的を明らかにしている。

第二章では、酸素系誘導結合プラズマを用いるフッ素ポリマーのエッチングについて研究し、エッチング機構の明確化ならびに、高異方性加工を達成している。まず、エッチング特性とプラズマ計測の結果を総合的に考察し、ポリマー表面ではプラズマ中のイオン・活性種による物理化学的なエッチング反応が生じていることを示し、さらに、反応は活性種供給が律速する条件(酸素混合比10%以下)とイオン衝撃による脱離が律速する条件(酸素混合比10%以上)が存在すること、イオンのエネルギーがエッチング収率の増減を通じてエッチング速度を支配することを明らかにしている。一方、一般にポリマー材料のエッチング形状は等方的になる傾向にあるが、非晶質フッ素ポリマーのエッチングでは垂直な側壁を持つ高異方性の加工形状を得ている。X線光電子分光を用いたエッチング側壁の化学結合状態分析により、側壁に再付着した炭素リッチなエッチング生成物が保護層を形成し、異方性を与えていることを明らかにしている。これらの成果はフッ素ポリマー材料を精密に微細加工し、オプティカルバイオデバイスに用いるための基盤技術を提供するものである。

第三章では、アルゴン・酸素プラズマ照射による非晶質フッ素ポリマーの表面親水化について検討し、フッ素ポリマーの表面親水性を幅広くかつ長期安定的に制御可能であることを実験的に示している。まず、アルゴンプラズマ照射により、フッ素ポリマーの表面親水角を30°~110°の範囲で制御可能であること、親水性が1ヶ月以上の長時間にわたり持続可能であることを示している。一方、酸素プラズマ照射では、水滴接触角を基準とするとアルゴンプラズマ照射ほどには親水化されない。しかし、水中での気泡接触角を測定した場合には、アルゴンプラズマ照射と同等の親水角が得られることを明らかにしている。これらは、ポリマーナノホールアレイを始めとするフッ素ポリマー製バイオデバイスと水溶液試料との相互作用を理解し、制御する際の基盤となる重要な知見である。

第四章では、二章、三章にて開発したプロセス技術を用いてホールアレイを試作した際に、1分子観察の障害となるポリマーの蛍光性ダメージが生じることを見出し、その原因と解決策を検討している。アルゴンプラズマ中のイオンと真空紫外光がポリマーに及ぼす影響を系統的な実験により解析し、波長100 nm付近の真空紫外光によるポリマー鎖の開裂がダメージの原因であること示唆する結果を得るとともに、さらにダメージ由来の蛍光性の起源について考察している。最終的に、高感度な光学観察を伴うフッ素ポリマー製デバイスの加工プロセスからはアルゴンプラズマを排除すべきというプロセス構築の指針を導出し、アルゴンが必要な異方性エッチングをプロセスフローから除き、ナノインプリントと酸素プラズマ照射によるエッチング・親水化を用いて、光学ダメージフリーなバイオデバイスの製造プロセスフローを構築している。

第五章では、上記の知見・技術を総合してポリマーナノホールアレイを作製し、本デバイスの1分子イメージングへの適用可能性を検討している。まず、理想的条件下でのデバイスの期待性能について考察している。デバイスにおける励起体積縮小と背景光ノイズ低減の効果を評価した結果、ホールの直径100 nm、深さ200 nmのモデルでは、ミカエリス定数を指標としてTIRFMに比べて約2.5倍の多くの種類の酵素系を1分子観察の対象にすることが可能であると推算している。次に、フッ素ポリマーの表面を親水化しPEG鎖を修飾することで、観察時のノイズ源となるタンパク質の非特異的な吸着を約1/4に抑制している。最後に、光の回折限界より小さな直径200 nm、深さ200 nmのポリマーナノホールアレイを用いて、Cy5修飾したシャペロニンGroEL1分子の蛍光イメージングを実証している。

第六章は、以上の総括である。

以上のように、本論文では、水とほぼ等価な屈折率を有する非晶質フッ素ポリマーのナノ・マイクロ加工技術を新たに構築し、オリジナリティが高く、生体分子機能の1分子機能評価に有効なポリマーナノホールアレイを実現している。また、開発の過程で明らかにしたアルゴンプラズマによるダメージとその評価法の確立も高く評価される。まとめると、本論文はバイオデバイス分野において、有用性が高く、学術的にも価値の高い成果が得られており、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク