学位論文要旨



No 128019
著者(漢字) 長谷部,貴之
著者(英字)
著者(カナ) ハセベ,タカユキ
標題(和) 導電体周期構造を用いた生体関連物質のテラヘルツ波センシングに関する研究
標題(洋) Study on terahertz wave sensing of bio related materials using a conductive periodic structure
報告番号 128019
報告番号 甲28019
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7787号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田畑,仁
 東京大学 教授 鷲津,正夫
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 教授 廣瀬,明
 東京大学 教授 高井,まどか
 東京大学 准教授 八井,崇
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

テラヘルツ波とは周波数0.1~10THz付近の電磁波であり、エネルギーに換算すると数meV~数十meVであり、有機・生体分子の分子間振動や弱い水素結合振動に起因する吸収に相当するため、テラヘルツ波は生体高分子のラベルフリー検出に適していると期待されている。しかし、生体高分子のような巨大な分子や水溶液中の分子のテラヘルツ帯の透過スペクトルは、ブロードな形状となり特徴的なピークを示さないため、ブロードなスペクトルの変化の検出では高感度化が難しいという問題がある。

そこで、本研究では、導電体周期構造を用いた生体関連物質のテラヘルツ波ラベルフリーセンシング手法について、その透過スペクトルに現れるディップ構造の起源を明らかにして、本手法を用いて、生体関連分子であるレクチン-糖の特異的結合のラベルフリー検出を行った。

2.導電体メッシュの透過特性

波長程度の周期で格子状の開口が配置された導電体メッシュ(図1)のテラヘルツ帯における透過特性(図2)について説明する。ここでの導電体メッシュのパラメータは、格子間隔g=302μm、金属幅b=74μm、厚みt=6μm、材質Ni、入射角θ=0°である。0.86THz付近に全体的な共鳴透過のピークを示すが、この周波数領域はこの導電体メッシュが持つ開口率(57%)以上の透過率(異常透過)を示している。さらに、0.74THz付近に急峻なディップ構造が見られる。このディップ構造は導電体メッシュに対する斜め入射成分によって生じる現象1)であり、垂直入射における集光配置でも生じるが、詳細なメカニズムについては明らかになっていない。導電体メッシュ表面上の表面波の共鳴周波数fswを記述する式として、下記の式(1)が報告されている2)。

ここで、kinは入射波の導電体メッシュ面方向の波数ベクトル、Gは周期構造の逆格子ベクトル、cは真空中の光速、εmは金属の誘電率、εdは導電体メッシュ表面上の媒質の誘電率である。(1)式から、導電体メッシュ表面上の媒質(測定物)の誘電率が変化することにより、導電体メッシュの異常伝搬特性が変化することがわかる。よって、異常透過ピーク周波数付近や、ディップ周波数付近の変化を観測することで、導電体メッシュ表面上における測定対象物の誘電率の変化をセンシングできることが期待される。

3.導電体メッシュの透過スペクトルに現れるディップの起源についての解析

導電体メッシュの透過スペクトルに現れるディップの起源の解明は、今後のセンシング・イメージング応用において非常に重要である。そこで、FDTD (Finite Difference Time Domain) シミュレーション3)を用いて、異常透過ピーク周波数およびディップ周波数における導電体メッシュ表面近傍の電磁界分布を解析する。まず、格子間隔g=302μm、金属幅b=74μm、厚みt=6μm、材質Niの導電体メッシュの透過スペクトルの入射角依存性のFDTDシミュレーション結果を図3に示す。ディップは、入射角が大きくなるほど低周波数側にシフトして、かつ、ディップが深く半値幅が広くなっていることがわかる。また、入射角が35度になると、2番目のディップが現れている。ここで、入射角度14度での異常透過ピーク周波数fp(0.909THz)、1番目のディップ周波数fd1(0.713THz)、および、入射角度35度での2番目のディップ周波数fd2(1.051THz)における導電体メッシュ表面近傍の電磁界分布のEx、Ey成分を図4に示す。その結果、異常透過ピーク周波数fpでは、開口部の電場分布が方形導波管におけるTE10モード4)となり、1番目のディップ周波数ではTE11モードとなり、2番目のディップ周波数ではTE21モードとなり、周波数により開口部の電場分布のモードが変化することがわかった。方形導波管の各モードにおけるカットオフ周波数は下記の式(2)で与えられる4)。ここで、a、bは方形導波管の長辺、短辺であり、

cは光速であり、m、nは整数である。

異常透過ピーク周波数fp(0.909THz)では、TE10モードのカットオフ周波数(0.658THz)より大きいので透過率が高くなる。一方、1番目のディップ周波数fd1(0.713THz)ではTE11モードのカットオフ周波数(0.930THz)より小さくなり、2番目のディップ周波数fd2(1.051THz)ではTE21モードのカットオフ周波数(1.471THz)より小さくなるため透過ディップが生じることがわかった。

4. レクチン‐糖の特異的結合のテラヘルツ波ラベルフリー検出の実験手順

実験には、レクチンはコンカナバリンA(ConA)を用いて、糖はグルコース(Glc)、マンノース(Man)、N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)、ガラクトース(Gal)を用いた。まず、PVDFメンブレンをレクチン溶液に1時間浸して、次にグルタルアルデヒド2.5%溶液に10分間浸してレクチンを固定化した。超純水で5分間洗浄を3回行った後、メンブレンを糖溶液に1時間浸した。次に超純水で5分間洗浄してメンブレンを十分に乾燥させた後、導電体メッシュ(周期302μm、金属幅74μm)にメンブレンを密着させ、入射角度7°でテラヘルツ時間領域分光法により測定を行った。測定サンプルとして下記のものを用いた。

(I)定量的測定 レクチン(ConA)の濃度を50μMと一定として糖(Glc)の濃度を0、5、10、50mMと変化させたもの

(II)定性的測定 レクチン(ConA)の濃度を20μMと一定として、糖(Glc、Man、GlcNAc、Gal)10mMの種類を変化させたもの

5.レクチン‐糖の特異的結合のテラヘルツ波ラベルフリー検出の実験結果と考察

(I)定量的測定

テラヘルツ波測定の結果を図5に示す。ここではDipに注目して、Dip周波数のシフト量と、Dip周波数における透過率の減衰量を示したものを図6に示す。Glcの濃度を大きくすると、透過スペクトルに現れるDip周波数が低周波数側にシフトして、Dip周波数における透過率の減衰量が大きくなっていることがわかる。これはレクチン(ConA)と糖(Glc)が結合量が大きくなるほどPVDFメンブレンの屈折率(誘電率)が大きくなるためであると考えられる。実験値から結合定数を計算したところ、100 M-1となり、過去に報告されている文献値5)の600 M-1と桁数レベルで近い値が得られた。

(II)定性的測定

テラヘルツ波測定の結果を図7に示す。同様に、透過スペクトルに現れるDipに注目して、Dip周波数のシフト量と、Dip周波数における透過率の減衰を示したものを図8に示す。Glc、Manとの反応では、Dip周波数が低周波数側にシフトして、Dip周波数における透過率の減衰が大きくなっていることがわかる。一方、GlcNAc、Galとの反応では、Dip周波数のシフトは見られず、Dip周波数における透過率の減衰も小さいことがわかる。レクチンは糖との結合反応において特異性があり、ConAはGlc、Manと特異的に結合して、GlcNAc、Galとは特異的な結合を示さないことが知られている。レクチンと糖との反応後に洗浄処理を行うことによって、GlcNAc、Galはほとんど洗い流されてしまうため、PVDFメンブレンの屈折率の変化は小さいが、Glc、Manは洗浄処理後もレクチン(ConA)との結合分だけは残るため、PVDFメンブレンの屈折率が大きくなると考えられる。

6.まとめ

導電体メッシュの透過スペクトルにおけるディップの起源について、FDTDシミュレーションで解析した。その結果、1番目のディップ周波数では、開口の電場分布が方形導波管におけるTE11モードとなり、2番目のディップ周波数ではTE21モードとなることがわかり、ディップ周波数がそれぞれのモードのカットオフ周波数以下となるため透過ディップが生じることがわかった。また、本手法を用いて、レクチン-糖の特異的結合のラベルフリー検出を定量的及び定性的に行うことができた。また、テラヘルツ波全反射減衰分光法と導電体周期構造を組み合わせて、水溶液中でのレクチン-糖鎖の特異的結合のラベルフリー検出にも成功している。

1) J. M. Lamarre, and M. Charra: International Journal of Infrared and Millimeter Waves 2 (1981) 273.2) F. Miyamaru, M. Tanaka, and M. Hangyo: Phys. Rev. B 74 (2006) 153416.3) A. Taflove, and S. C. Hangness (Ed.), Computational Electrodynamics the Finite-Difference Time-Domain Method, Artech House, Boston 1995.4) N. Marcuvitz, Waveguide Handbook, Radiation Lab. Series, McGraw-Hill, 1951, vol.10.5) M. Ambrosi, N. R. Cameron, and B. G. Davis: Org. Biomol. Chem. 3 (2005) 1593.

図1 導電体メッシュの概要

図2 導電体メッシュの透過特性

図3 導電体メッシュの透過特性の入射角依存性

図4 導電体メッシュの表面の電場振幅分布

図5 レクチン・糖相互作用のTHzセンシング

図6 Dipシフト及び透過率減衰量

図7 レクチン・糖相互作用の特異的検出

図8 Dipシフト及び透過率減衰量

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、水素結合やファンデルワールス結合など、生体関連分子に固有の化学結合に合致したエネルギー帯域(波長)を有するテラヘルツ波と、金属周期構造を有するメタマテリアルを用いることにより、非標識バイオセンシングを実証した。金属メッシュを用いた生体関連物質のテラヘルツ波ラベルフリーセンシング手法について、その透過スペクトルに現れるディップ構造の起源について明らかにし、本手法を用いて、レクチン-糖の特異的な結合のラベルフリー検出を行った。また、今まで実現していなかった、テラヘルツ波全反射減衰分光法とワイヤーグリッドを組み合わせた水溶液中での生体関連物質のラベルフリーセンシング手法を開発して、レクチン-糖鎖の特異的な結合のラベルフリー検出を水溶液中で行うことに成功した。

第1章において、研究背景、概要を説明した後、本研究目的である、非標識検査、高感度検出についての方策を記した。

第2章では、金属メッシュのテラヘルツ波透過スペクトルの異常透過領域に現れるディップの起源について解明した。金属メッシュにおける開口率を上回る異常透過現象については、過去に多くの論文が報告されているものの、ディップの起源について議論している論文は非常に少なく、その詳細なメカニズムは今まで明らかになっていなかった。そこで、金属メッシュにおける透過ディップの入射角依存性及びその電場分布を実験およびFDTDシミュレーションから解析した。異常透過ピーク周波数は、方形導波管のTE10モードに対応している。この伝送モードは方形導波管の基本モードであり、異常透過ピーク周波数は、そのカットオフ周波数より大きいため、伝送効率は高くなり、開口率を上回る異常透過が観測されることが分かった。1番目および2番目のディップ周波数は各々TE11、TE21モードの電場分布のカットオフ周波数に対応し、電磁波の伝送効率の急激な変化によりディップが形成されることが明らかになった。

第3章では、2章で明らかにしたディップ周波数変化を利用して、糖-レクチンの結合評価を説明した。具体的には、レクチン(ConA)-糖(グルコース、マンノース、N-アセチルグルコサミン、ガラクトース)間の特異的結合のテラヘルツ波ラベルフリー検出を透過配置にてメンブレンフィルターを基板に用いて行った。その結果、糖鎖の種類に応じた特異的結合(グルコース、マンノース)と非特異的吸着(N-アセチルグルコサミン、ガラクトース)をディップシフトにより識別することに成功した。テラヘルツ波のエネルギー領域は生体分子の分子間振動や水素結合振動に相当するため、特異的結合と、非特異的吸着を区別できると考えられる。また、ConA‐グルコースの相互作用のラベルフリー検出を定量的に行った結果、結合定数は100 M-1となり、文献値と桁数レベルで近い値が得られた。

第4章では、テラヘルツ波全反射減衰分光法(THz-ATR)とワイヤーグリッドを適切に組み合わせて、そのATRスペクトルにディップを生成について記した。このディップシフトを利用して、侠雑物(BSA)を含む環境下でのレクチン(ConA)-糖鎖(グリコーゲン)間の特異的結合のテラヘルツ波ラベルフリー検出をカバーガラスを基板に用いて水溶液中で行うことに成功した。ここでは、レクチン-糖鎖間の特異的結合と、BSAの非特異吸着をディップシフトにより識別することができた。テラヘルツ波は水の吸収が非常に大きく、また、水溶液中の生体分子のテラヘルツ波スペクトルはブロードな形状であり、特徴的なピークを示さないため、水溶液中での生体関連分子のテラヘルツ波ラベルフリー検出は今まで殆んど実現されてこなかった。本論文における水溶液中でのテラヘルツ波ラベルフリー検出法は、センシング領域を数10μm~数100μm取れるため、生体分子間の相互作用のみならず、細胞-生体分子間や、細胞-細胞間の相互作用のラベルフリーでの解析に非常に有望であると言える。

第5章では、DNAの一本鎖と二本鎖の違いを金属メッシュを用いたテラヘルツ波センシングで区別する実験を行った結果、二本鎖DNAの方が一本鎖DNAよりディップシフトが大きいことがわかった。一本鎖DNAと二本鎖DNAの分子間振動モードや屈折率の違いを識別していると考えられる。次に、銀ナノ粒子を用いて、金属メッシュを用いたテラヘルツ波センシングの感度向上について実験をした結果、タンパク質(BSA)の低濃度領域のセンシング感度(ディップシフト)が、タンパク質溶液に銀ナノ粒子を混合させることによって向上することがわかった。タンパク質の低振動モードと銀ナノ粒子の分極による摂動が相互作用を起こすためであると考えられる。

以上要するに、本研究では水素結合やファンデルワールス結合等、生体関連分子に特徴的な化学結合に合致したエネルギー帯域を有するテラヘルツ波と、金属周期構造を有するメタマテリアルを用いることにより、非標識バイオセンシングを実証した。電磁界モード解析と実験値との比較により、金属周期構造を介した透過スペクトルに現れるディップ構造の起源を明らかにした。さらに全反射減衰分光装置を開発し、水溶液中での糖-レクチン等における特異的結合と非特異結合とのラベルフリー識別の可能性を示した。このように、バイオエンジニアリング研究分野における貢献は少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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