学位論文要旨



No 128025
著者(漢字) 河岡,慎平
著者(英字)
著者(カナ) カワオカ,シンペイ
標題(和) 生殖細胞ゲノムを護る小分子RNAに関する研究
標題(洋) Studies on piRNA-based defense system against transposons in germ line cells
報告番号 128025
報告番号 甲28025
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3741号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 教授 石川,幸男
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 経塚,淳子
 東京大学 准教授 伊藤,純一
内容要旨 要旨を表示する

真核生物のゲノムには、ゲノムを自由に飛び回ることのできるトランスポゾンと呼ばれる一群の転移因子が存在する。トランスポゾンの転移はしばしば、宿主ゲノムにとって甚大な負の効果をもたらすことがある。特に、生殖細胞における転移は、負の効果が次世代へと受け継がれてしまう可能性があるため、とりわけ危険である。動物の生殖細胞には、トランスポゾンの活性を適切に調節するための対トランスポゾン防御システムが存在する。その中核をなすのが、PIWIサブファミリータンパク質群とそれらに結合する小分子RNA、PIWI-interacting RNA (piRNA)である。PIWIサブファミリータンパク質は核酸切断活性を持つことが知られている。また、piRNAは23-30塩基長の小分子RNAであり、その多くはトランスポゾンに対して相補的な配列を持つ。piRNAは、自身の配列に相補的であるトランスポゾンmRNAに結合パートナーであるPIWIタンパク質を導き、トランスポゾンmRNAの切断を誘導することで、トランスポゾンの抑制に寄与していると考えられている。

他の小分子RNAであるsmall interfering RNA (siRNA)やmicroRNA (miRNA)と比較して、piRNA経路には未だ不明な点が多い。piRNAの多くはトランスポゾンmRNAに相補的な配列を持つが、タンパク質コード遺伝子に対してはそうではない。それでは、piRNA経路はどのようにしてトランスポゾンをトランスポゾンであると認識しているのだろうか?また、二本鎖中間体を経てつくられるsiRNAやmiRNAとは異なり、piRNAは一本鎖のままつくられることが示唆されている。しかしながら、piRNAがつくられるしくみはほとんど明らかになっていない。一方、piRNA経路がトランスポゾン抑制以外の生命現象に関与しうるのかどうか、という興味深い問題も存在する。本博士論文では、カイコという非モデル生物を活用して、これらの問題にアプローチした。

1. piRNA研究モデルとしてのBmN4細胞

siRNAやmiRNAの研究には、キイロショウジョウバエのS2細胞やヒトのHeLa細胞といった培養細胞が活躍してきた。しかしながら、2009年まで、piRNA経路を発現するような培養細胞は知られていなかった。著者らの研究によって、カイコゲノムにはふたつのPIWIサブファミリータンパク質、Silkworm Piwi (Siwi)とBombyx mori Argonaute3 (BmAgo3)がコードされていること、また、カイコの卵巣にはpiRNAが大量に発現していることが明らかとなっていた。そこで、カイコ卵巣由来の培養細胞であるBmN4細胞がpiRNA経路を保持した培養細胞であるかどうかを検討した。Siwi、BmAgo3に対するポリクローナル抗体を用いたウェスタンブロット解析の結果、BmN4細胞は内在性のSiwi、BmAgo3を発現する培養細胞であることが明らかとなった。また、Siwiには1番目の塩基がUであるpiRNA (1U piRNA)、BmAgo3には10番目の塩基がAであるpiRNA (10A piRNA)が選択的に結合していることが判明した。以上の結果から、BmN4細胞はpiRNA経路を完全なかたちで有する培養細胞であることが証明された。本研究は、そのような性質を持つ培養細胞の存在を証明した初めての報告である。

2. piRNA経路によるトランスポゾン認識機構

piRNA経路がどのようにトランスポゾンを認識しているのかを明らかにするために、GFP遺伝子をトランスポゾンと誤認するようなシステムを構築することを試みた。まず、ピューロマイシン耐性遺伝子とGFP遺伝子を有するトランスジーンカセットをpiggyBacトランスポゼースを用いてBmN4ゲノム中にマルチコピー挿入した。続いて、ピューロマイシンによる薬剤選抜を行い、安定発現細胞を作出した。さらに、これを限外希釈培養することで、固有のトランスジェニックゲノムを持つクローナルラインを8ライン樹立した。ジェのミックPCRにより、これら8ラインすべてが少なくとも1コピーのGFP遺伝子を有することを確認したが、8ラインのうち7ラインが、GFPタンパク質を発現しないことが明らかとなった。これら7ラインでは、GFPに対するサイレンシングが起こっている可能性が考えられたので、ノザンブロットによりGFP由来配列と相補的なpiRNA(GFP piRNA)の検出を試みた。その結果、GFPに対するサイレンシングが観察された7ラインのうち3ラインで、GFP piRNAが発現していることが判明した。大規模シークエンスの結果から、これら3ラインでは、内在性のプロモータからGFPに対して相補的なpiRNA (antisense GFP piRNA)がつくられることにより、ベクターから転写されたGFP mRNAを分解している、と考えられた。つぎに、これら3ラインでのみantisense GFP piRNAがつくられるのは何故か、という問いに答えるために、antisense GFP RNAの転写開始点を網羅的に決定した。その結果、これら3ラインでのみ、内在性piRNAを大量に産生するpiRNAクラスタ内にトランスジーンが挿入されていること、およびクラスタ内に存在する内在性の転写開始点によってantisense GFP RNAが転写され、antisense GFP RNAをつくりだしていることが判明した。すなわち、piRNAクラスタへの挿入とそれに続くアクティブな転写が、piRNA経路のよるトランスポゾン認識の最初のステップであることが明らかとなった。

3. piRNAがつくられるしくみ

次に、BmN4細胞から調製したタンパク質抽出物(ライセート)を用いてin vitroでpiRNA生合成を再現し、その性状を明らかにした。先述の通り、カイコのPIWIサブファミリータンパク質であるSiwiは、1番目の塩基がUであるpiRNA(1U piRNA)と選択的に結合する(1U bias)。Flagタグを付加したSiwi (Flag-Siwi)を発現するライセートに対して1番目の塩基がU/A/G/CであるRNAを混合し、抗Flag抗体による免疫沈降実験を行った結果、Flag-Siwiは1U RNAと選択的に結合することが明らかとなった。すなわち、in vitroでSiwiの1U biasを再現することに成功した。本実験に用いるRNAオリゴの長さを成熟型piRNAの長さである23-30塩基より長くしても、Siwiの1U RNAに対する選択性に変化は認められなかった。以上の結果と、piRNAは一本鎖のままつくられるという既往研究の結果から、まず、1Uで成熟型のpiRNAよりも長いRNAがSiwiに取り込まれ、しかるのちに余分な3´末端が削り込まれることによって成熟型piRNAが完成する、という仮説をたてた。このことを検証するために、1Uで50塩基の合成オリゴ (1U-50 RNA)とSiwiの複合体を調製し、50塩基のRNAを23-30塩基の長さに削り込むような活性(トリミング活性)を探索した。その結果、1,000×gの遠心でペレットに沈むような非常に重い画分にトリミング活性が存在することが判明した。一方、piRNAの3´末端には2´-O-メチル化修飾が施されることが知られているが、本実験の結果、2´-O-メチル化はトリミング反応と共役していること、2´-O-メチル化自体はpiRNAの長さの規定に関与しないことが明らかとなった。

4. カイコ雌性決定W染色体とpiRNA

カイコの性はW染色体の有無に強力に依存し、W染色体が1コピーでもあれば雌性が決定される。よって、W染色体上には雌性決定遺伝子であるFemが座乗する、と考えられてきた。ところが現在まで、Femは同定されておらず、それどころか、単一のタンパク質コード遺伝子、転写物さえも見つかっていない。一方、BACライブラリなどを用いた配列解析から、W染色体上には膨大な量のトランスポゾン配列が存在することが分かっている。このような背景から、W染色体の全長配列の決定は非常に困難であり、その断片配列しか得られていないのが現状である。本研究では、W染色体がpiRNAのソースである、という仮説を立て、大規模なpiRNAトランスクリプトーム解析を行った。まず、精巣および卵巣由来のpiRNAライブラリを構築し、その性状を比較した。その結果、精巣よりも卵巣で2倍以上多く発現するようなpiRNA (female-enriched piRNA)が大量に見つかった。またBAC配列や一塩基多型を利用したインフォマティクス解析により、female-enriched piRNAの大部分はW染色体に由来することが明らかとなった。さらに、W染色体に関連した変異をもつカイコ系統のpiRNAを網羅的に解析することで、W染色体の性決定領域に偏って存在するfemale-enriched piRNAを多数同定した。本研究はW染色体由来の転写物を同定した初めての研究である。

以上を要するに、本博士論文は、カイコをモデルとしてpiRNA経路に関する重要な未解決問題にアプローチし、piRNAによるトランスポゾン認識機構、piRNA生合成経路の大枠を明らかにし、トランスポゾンに富んだ雌性決定染色体であるW染色体に由来する転写物をはじめて同定したものである。

審査要旨 要旨を表示する

真核生物のゲノムには、ゲノムを自由に飛び回ることのできるトランスポゾンと呼ばれる一群の転移因子が存在する。トランスポゾンの転移はしばしば、宿主ゲノムにとって甚大な負の効果をもたらすことがある。特に、生殖細胞における転移は、負の効果が次世代へと受け継がれてしまう可能性があるため、とりわけ危険である。動物の生殖細胞には、トランスポゾンの活性を適切に調節するための対トランスポゾン防御システムが存在する。その中核をなすのが、PIWIサブファミリータンパク質群とそれらに結合する小分子RNA、PIWI-interacting RNA (piRNA)である。PIWIサブファミリータンパク質は核酸切断活性を持つことが知られている。また、piRNAは23-30塩基長の小分子RNAであり、その多くはトランスポゾンに対して相補的な配列を持つ。piRNAは、自身の配列に相補的であるトランスポゾンmRNAに結合パートナーであるPIWIタンパク質を導き、トランスポゾンmRNAの切断を誘導することで、トランスポゾンの抑制に寄与していると考えられている。しかしながら、piRNAは他の小分子RNAであるsiRNAやmiRNAと比較して、生合成メカニズム等未解明な点が多く残されている。本博士論文は、カイコという非モデル生物を活用して、piRNAフィールドにおける未解明問題にアプローチしたものである。

第1章では、カイコ卵巣由来の培養細胞であるBmN4細胞がpiRNA経路を保持した培養細胞であるかどうかを検討した。Siwi、BmAgo3に対するポリクローナル抗体を用いたウェスタンブロット解析の結果、BmN4細胞は内在性のSiwi、BmAgo3を発現する培養細胞であることが明らかとなった。また、Siwiには1番目の塩基がUであるpiRNA (1U piRNA)、BmAgo3には10番目の塩基がAであるpiRNA (10A piRNA)が選択的に結合していることが判明した。以上の結果から、BmN4細胞はpiRNA経路を完全なかたちで有する培養細胞であることが証明された。本研究は、そのような性質を持つ培養細胞の存在を証明した初めての報告である。

第2章では、piRNA経路がどのようにトランスポゾンを認識しているのかを明らかにするために、GFP遺伝子をトランスポゾンと誤認するようなシステムをBmN4細胞を利用して構築し、固有のトランスジェニックゲノムを持つクローナルラインを8ライン樹立した。これらを用いた詳細な実験の結果、piRNAクラスタへの外来遺伝子の挿入とそれに続くアクティブな転写が、piRNA経路のよるトランスポゾン認識の最初のステップであることが明らかとなった。

第3章では、BmN4細胞から調製したタンパク質抽出物(ライセート)を用いてin vitroでpiRNA生合成を再現することを試みた。その結果、1Uで成熟型のpiRNAよりも長いRNA(piRNA前駆体)がSiwiに取り込まれ、その後、余分な3´末端が"トリマー"と呼ぶエキソヌクレアーゼで削り込まれることによって成熟型piRNAが完成することが判明した。また、piRNAの2´-O-メチル化はトリミング反応と共役していること、2´-O-メチル化自体はpiRNAの長さの規定に関与しないことも明らかとなった。

第4章では、カイコの雌性決定染色体であるW染色体がpiRNAのソースである、という仮説を立て、大規模なpiRNAトランスクリプトーム解析を行った。精巣および卵巣由来のpiRNAライブラリを構築し、その性状を比較した結果、female-enriched piRNAの大部分はW染色体に由来することが明らかとなった。さらに、W染色体に関連した変異をもつカイコ系統のpiRNAを網羅的に解析することで、W染色体の性決定領域に偏って存在するfemale-enriched piRNAを多数同定した。本研究はW染色体由来の転写物を同定したはじめての研究である。

以上を要するに、本博士論文は、カイコをモデルとしてpiRNA経路に関する重要な未解決問題にアプローチし、piRNAによるトランスポゾン認識機構、piRNA生合成経路の大枠を明らかにし、トランスポゾンに富んだ雌性決定染色体であるW染色体に由来する転写物をはじめて同定したものである。このように、本論文は学術上、応用上、重要な知見を明らかにしたものであり、審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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