学位論文要旨



No 128026
著者(漢字) 川西,剛史
著者(英字)
著者(カナ) カワニシ,タケシ
標題(和) 植物病原細菌の新規高感度選択培地の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 128026
報告番号 甲28026
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3742号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 特任教授 橋本,光司
 東京大学 特任教授 大島,研郎
 東京農業大学 准教授 篠原,弘亮
内容要旨 要旨を表示する

自然界には多様な微生物が存在しているが,それらの中には動植物に病原性を有するものも数多く存在する.このような病原体の脅威から,動植物を保護するためには,自然界における病原体の発生生態を調査し,防除指針を確立する必要がある.本研究課題は,植物病原細菌のひとつである,カーネーション萎凋細菌病菌の研究が端緒となった.本病原細菌の検出系の開発から始まり,栽培圃場における動態調査まで(第1項),病原体の性状や生態を明らかにした.

このカーネーション萎凋細菌病の研究を通じ,高感度な検出系が病原体の動態究明および防除法の確立に大きく寄与すると考えられた.そこで次の展開として「他の病原体にも適用できる,高感度検出系の統一設計理論」を模索し,青枯病菌など数種の植物病原細菌を特異的に培養するための培地成分の検討を行った.その結果,検出系の開発に必要となる,細菌の代謝や抗生物質耐性に関する性状について,ゲノム情報を交えた形で理解することができた(第2項,第3項).以上の研究結果を,ここに取りまとめて報告する.

1.カーネーション萎凋細菌病菌の検出系開発と生態調査

植物病を引き起こす伝染性の病原体は様々な伝染経路を通じて,罹病植物から別の植物へと生息範囲を拡大する.そのうち実に90%以上の病原体は土壌を介して伝染すると推定されている.これら土壌伝染性病害は,土壌中に残存した病原体が次作における栽培時の主たる感染源となるため,農業生産における大きな阻害要因となっている.その防除には栽培土壌における病原体密度を低く抑え,感染を予防することが重要とされる.しかし,土壌消毒などの防除策を講じても,病害の発生が収まらない場合が多く,病原体の土壌中における生態を考慮に入れた効果的な防除法の確立が求められている.

本項では,花卉栽培において甚大な経済的被害をもたらすカーネーション萎凋細菌病を対象として,土壌からの検出系の確立,ならびに土壌における生態調査を行った.まず,高感度検出法として知られるPCR法を用いて,萎凋細菌病発生圃場の土壌からの本病原の検出を試みた.しかし,PCR法では1 gの土壌に6.9 × 106 個体以上の病原体が存在しないと検出できず,検出感度が低かったため,土壌からの病原体の特異的検出に適さないと考えられた.そこで病原体を特異的に生育させる選択培地の開発に着手した.培地に添加する抗生物質の種類と濃度を検討した結果,シクロヘキシミド 50 ppm,クリスタルバイオレット 5 ppm,ポリミキシン 50 ppm,クロラムフェニコール 10 ppm,アンピシリン 50 ppmを添加した培地において,カーネーション栽培土壌に含まれる雑菌を効率的に抑制し,カーネーション萎凋細菌病菌を特異的に検出する選択培地(APCA培地)が完成した.

APCA選択培地を用い,カーネーション栽培圃場における本病原の水平分布を調査した結果,病原体はカーネーションが植栽されている畝において104 cfu/g以上の高密度に検出されたが,植栽されていない畝間からは検出されなかった.次に地表から地表下50 cmまでの土壌について垂直分布を調査したところ,本病原は表層部に少なく,地下15~30 cmの水分含量が高い土壌において高密度(105 cfu/g程度)に検出された.さらに,土壌中における病原体の長期生存は,宿主植物の罹病根残渣と土壌水分含量に依存しており,罹病根から土壌中に放出された病原体の生存期間は短いことが実験的に示された.以上の結果から,カーネーション萎凋細菌病菌を低減させるには,良質な有機物を継続的に施与し,罹病根残渣の早期分解を促進すること,また深耕などで圃場の排水を改良し,土壌水分が高くならないよう管理することが重要であると考えられた.これらの知見は萎凋細菌病の防除指針を考える上で,極めて有用である.

2.高感度選択培地設計のためのSMART法の確立

前項のカーネーション萎凋細菌病の例のように,選択培地は病原体の生態を調べるための優れたツールである.また,植物病理学の分野以外でも,食品や化粧品の安全性試験,産業的に有用な乳酸産生菌や排水処理菌の探索など,選択培地が有用とされる分野は数多く存在する.そういった有用性ゆえ,多くの選択培地がこれまで開発されてきた.

理論的に,選択培地は2つの作用を同時に行っている.つまり,標的微生物の増殖とそれ以外の微生物の生育抑制である.そのうち,選択培地を設計する際に特に試行錯誤を要するのは,後者の雑菌抑制である.何故なら,土壌や植物組織などの環境には多種多様な微生物が存在するためである.例えば,土壌1 gに含まれる微生物の種数は,およそ10,000種と言われている.そのため,極めて多くの環境微生物の中から標的微生物を選択的に培養することは困難を極める.これまで,選択培地には設計理論のようなものはなく,試作できる範囲でできる限り,雑菌を抑制するよう開発された培地が多かった.これらの選択培地では,病原体以外の微生物群 (雑菌) も生育してしまうため,培地上に形成されたコロニーの色や形状に基づき,病原体か否かを判断する専門的知識と長年の経験が必要であり,病原体を正確に検出することは困難であった.

そこで本項では,雑菌を抑制し,標的となる病原細菌を特異的に生育させる高感度選択培地の設計手法(SMART法)を確立した.SMART法は,ベースとなる基礎塩類に,(1)標的細菌が代謝可能であり,かつ雑菌が代謝しにくい炭素源,および(2)標的細菌が耐性を有する抗生物質数種類を加える選択培地の設計法であり,ゲノム情報を活用し培地組成を設計できる点に特徴がある.例えば,イネもみ枯細菌病菌の選択培地を設計する場合,まずKEGGのPathCompデータベースを用い,ゲノム情報から本菌が代謝可能な炭素源をリストアップする.次にこれらの炭素源の中から,イネの栽培土壌に存在する雑菌が生育しにくいものを選択し,選択培地の炭素源とする.一方,抗生物質についてもNCBIのEntrez Geneデータベースから,本菌がコードする抗生物質耐性遺伝子を検索し,選択培養に適した抗生物質数種類を決定する.以上で決定した炭素源および抗生物質を添加した選択培地を用い,汚染土壌から本菌の分離を試みたところ,雑菌の生育が効率的に抑制され,従来の選択培地に比べ,病原体コロニーの識別が飛躍的に容易であった.SMART法に基づき,5種の植物病原細菌について高感度選択培地を開発できたため,本知見は広範な病原細菌に適用できる理論であると考えられた.

3.高感度選択培地をベースとした新たな検出系の提唱

第1項および第2項で開発した新規選択培地は,環境中の雑菌の増殖を完全に抑制し,標的とする細菌を生育させる特異性の高い培地であった.病原体の定量性の観点から考えると,これらの培地の開発により,自然界における病原体の密度分布を計測することが可能になった.一方,定性性(サンプルが陽性か陰性かを判定する)の観点から考えると,培地上にコロニーが形成されればサンプルは陽性である(病原体混入している)といえる.何故なら標的の病原体が特異的にコロニー形成するからである.この新規選択培地の特性は,雑菌の生育を許容する従来の選択培地にはない.

そこで新規選択培地では,定性的な用途においては必ずしも平板培地(シャーレに培地を流し固めた形状)でなくてもよいという着想から,平板培地よりコンパクトな,セレクトストリップ(紙を媒体とする選択培地)およびセレクトカクテル(液体選択培地)に着手した.セレクトストリップについて,これまでに紙の培地上で細菌を生育させる手法が確立されていなかったため,紙の栄養成分や材質,保湿条件,殺菌成分を検討し,紙上におけるカーネーション萎凋細菌病菌の選択培養を実現した.一方,セレクトカクテルについては特に液体選択培地中で増殖した標的細菌をモニターする方法について検討を行い,培地に添加したBTB液の色の変化を検出の指標とする系とフローサイトメータによる粒子計測を利用する系を開発した.セレクトストリップおよびカクテルでは,検出までに要する時間がそれぞれ3日間,1日間となり,平板の選択培地に比べ,大幅に短縮された.以上より,コンパクトさの点だけでなく,検出の迅速性の点においても優れた新たな検出系を提唱できた.

本論文は,植物細菌病の一つであるカーネーション萎凋細菌病菌の検出系の開発ならびにその技術により明らかにされた病原体動態に関する各論(第1項)と,病原細菌の高感度検出系の開発理論であるSMART法(第2項,第3項)からのみ構成されるが,本研究成果により,植物病原細菌の生態研究が飛躍的に進展することが確実視される.何故なら,多くの植物病原細菌において,検出系が未開発もしくは検出感度に問題があることが障壁となって,伝染環の全体像の解明に至っていないからである.本知見が,これら植物病原細菌の実用的な防除法樹立への一助となることを期待したい.

審査要旨 要旨を表示する

自然界には多様な微生物が存在しているが,それらの中には動植物に病原性を有するものも数多く存在する.このような病原体の脅威から,動植物を保護するためには,自然界における病原体の発生生態を調査し,防除指針を確立する必要がある.本研究課題は,植物病原細菌のひとつである,カーネーション萎凋細菌病菌の研究が端緒となった.本病原細菌の検出系の開発から始まり,栽培圃場における動態調査まで,病原体の性状や生態を明らかにした.

1.カーネーション萎凋細菌病菌の検出系開発と生態調査

本項では,花卉栽培において甚大な経済的被害をもたらすカーネーション萎凋細菌病を対象として,土壌からの検出系の確立,ならびに土壌における生態調査を行った.まず,高感度検出法として知られるPCR法を用いて,萎凋細菌病発生圃場の土壌からの本病原の検出を試みた.しかし,PCR法では検出感度が低かったため,土壌からの病原体の特異的検出に適さないと考えられた.そこで病原体を特異的に生育させる選択培地の開発に着手した.培地に添加する抗生物質の種類と濃度を検討した結果,シクロヘキシミド 50 ppm,クリスタルバイオレット 5 ppm,ポリミキシン 50 ppm,クロラムフェニコール 10 ppm,アンピシリン 50 ppmを添加した培地において,カーネーション栽培土壌に含まれる雑菌を効率的に抑制し,カーネーション萎凋細菌病菌を特異的に検出する選択培地(APCA培地)が完成した.

APCA選択培地を用い,カーネーション栽培圃場における本病原の水平分布を調査した.本結果から,カーネーション萎凋細菌病菌を低減させるには,良質な有機物を継続的に施与し,罹病根残渣の早期分解を促進すること,また深耕などで圃場の排水を改良し,土壌水分が高くならないよう管理することが重要であると考えられた.これらの知見は萎凋細菌病の防除指針を考える上で,極めて有用である.

2.高感度選択培地設計のためのSMART法の確立

これまで,選択培地には設計理論のようなものはなく,試作できる範囲でできる限り,雑菌を抑制するよう開発された培地が多かった.これらの選択培地では,病原体以外の微生物群 (雑菌) も生育してしまうため,培地上に形成されたコロニーの色や形状に基づき,病原体か否かを判断する専門的知識と長年の経験が必要であり,病原体を正確に検出することは困難であった.

そこで本項では,雑菌を抑制し,標的となる病原細菌を特異的に生育させる高感度選択培地の設計手法(SMART法)を確立した.SMART法は,ベースとなる基礎塩類に,(1)標的細菌が代謝可能であり,かつ雑菌が代謝しにくい炭素源,および(2)標的細菌が耐性を有する抗生物質数種類を加える選択培地の設計法であり,ゲノム情報を活用し培地組成を設計できる点に特徴がある.SMART法で決定した炭素源および抗生物質を添加した選択培地を用い,汚染土壌から本菌の分離を試みたところ,雑菌の生育が効率的に抑制され,従来の選択培地に比べ,病原体コロニーの識別が飛躍的に容易であった.SMART法に基づき,5種の植物病原細菌について高感度選択培地を開発できたため,本知見は広範な病原細菌に適用できる理論であると考えられた.審査会においては,委員より,ゲノム情報を用いた選択培地作成(SMART法)を菌類へも応用できるのではないかと,今後の研究の方向性について示唆があった.

3.高感度選択培地をベースとした新たな検出系の提唱

新規選択培地の特性を利用し,平板培地よりコンパクトな,セレクトストリップ(紙を媒体とする選択培地)およびセレクトカクテル(液体選択培地)を開発した.セレクトストリップについては,これまでに紙の培地上で細菌を生育させる手法が確立されていなかったため,紙の栄養成分や材質,保湿条件,殺菌成分を検討し,紙上におけるカーネーション萎凋細菌病菌の選択培養を実現した.一方,セレクトカクテルについては特に液体選択培地中で増殖した標的細菌をモニターする方法について検討を行い,培地に添加したBTB液の色の変化を検出の指標とする系とフローサイトメータによる粒子計測を利用する系を開発した.セレクトストリップおよびカクテルでは,検出までに要する時間がそれぞれ3日間,1日間となり,平板の選択培地に比べ,大幅に短縮された.以上より,コンパクトさの点だけでなく,検出の迅速性の点においても優れた新たな検出系が提唱された.

以上を要するに,本研究では主に土壌伝染性の植物病原細菌を対象として,特定の細菌を高感度かつ選択的に生育可能な培地設計技術を開発し,作物生産現場における植物病害の診断に応用した.本研究の成果は植物病理学分野にとどまらず,微生物学全般に応用可能な普遍性の極めて高い成果であると考えられ,今後の展開が期待される.以上のように本研究の成果は学術上,応用上,極めて価値が高い.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた.

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