学位論文要旨



No 128028
著者(漢字) 田中,伸裕
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ノブヒロ
標題(和) イネにおけるjuvenile-adult相転換の分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 128028
報告番号 甲28028
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3744号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 准教授 経塚,淳子
 東京大学 准教授 伊藤,純一
 東京大学 准教授 高野,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

顕花植物のライフサイクルは胚発生、栄養成長期を経て生殖成長期へと移行していく。栄養成長期はさらに初期のjuvenile phaseと後期のadult phaseに区別される。adult phaseは草本、木本植物において、適切な条件下では生殖成長期への移行が誘導される時期とされ、一年生植物では、juvenile-adult相転換は劇的な形態変化を伴わずに短期間で起きる。また近年注目が集まっている植物のバイオ燃料としての利用の面で、juvenile phaseの植物体では容易に糖類を抽出できることが報告されている。このようにjuvenile-adult相転換は、植物の発生の時期を決定する上でも、バイオマスとしての利用の上でも重要であるにも関わらず、その制御機構の全容は不明のままであった。

近年シロイヌナズナ、トウモロコシを中心に、小分子RNAであるmiR156, miR172と、植物ホルモンの1種であるジベレリンが、juvenile-adult相転換の制御に関わることが報告された。2つのmiRNAのターゲット遺伝子はそれぞれ同定されている一方で、miRNAとジベレリン合成経路の上流で、juvenile-adult相転換の制御機構の全体を決定するような因子は未だに同定されていない。また、イネではjuvenile phaseが永続するmori1変異体の表現型が解析されているのみで、juvenile-adult相転換の制御因子の報告はなかった。本研究ではイネにおけるjuvenile-adult相転換異常変異体である、peter pan syndrome (pps)、mori1を用いて、adult phaseへの移行を促進、または決定する因子の同定と解析を行った。

1. juvenile phaseが延長するpeter pan syndrome変異体の解析

野生型のイネにおけるjuvenile phaseは第2葉期までとされ、第3~5葉期は転換期、第6葉期以降が完全なadult phaseとされている。イネにおけるjuvenile phaseとadult phaseを区別する指標として、葉形、中肋の有無、節-節間の分化、茎頂分裂組織のサイズ、光合成速度の大小などの形質が報告されている。これらの形質に基づいて変異体のスクリーニングを行った結果、全ての形質に関してjuvenile phaseの延長が見られるpeter pan syndrome (pps)変異体を同定した。またjuvenile-adult相転換の分子マーカーであるmiR156, miR172の発現を調べたところ、pps-1では2つのmiRNAの発現変化が野生型に比べて遅れていた。さらにadult phaseへの促進因子として知られるジベレリンの内生量をpps-1で測定したところ、野生型に比べて減少がみられ、ジベレリン合成に関わる酵素をコードするGA3ox2, GA20ox2の発現量も野生型に比べて低く抑制されていた。以上の結果は、PPSがmiR156, miR172とジベレリン合成経路の上流で機能する、新規juvenile-adult相転換制御遺伝子であることを示している。

PPSの下流にジベレリンの生合成経路が存在することから、ジベレリンとjuvenile-adult相転換の関係をより詳細に解析するため、ジベレリン合成に関わるGA3ox2をコードするD18の変異体、d18-dyにおけるjuvenile-adult相転換関連形質を調べた。d18-dyでは葉形、中肋の有無、節-節間の分化、茎頂分裂組織のサイズに関して、juvenile phaseの延長が観察された。以上よりジベレリンがadult phaseへの転換を促進していることが強く支持された。

現在に至るまでジベレリンによるadult phaseへの転換の促進経路と、miR156による経路との関係は明確には示されていなかった。そこでd18-dyにおけるmiR156, miR172の発現解析を行ったところ、野生型とd18-dyにおける2つのmiRNAの発現パターンに変化は見られなかった。この結果から、ジベレリンと2つのmiRNAは独立にjuvenile-adult相転換を制御していると考えられた。

また、pps-1はjuvenile phaseが延長しているにも関わらず、野生型に比べて約3週間の早咲きを示した。pps-1における開花制御遺伝子の発現解析の結果から、PPSはイネのフロリゲンであるHd3aとは独立に、その下流のRAP1Bを抑制する経路で機能していると考えられた。

2. PPS遺伝子の単離とその機能解析

PPSは変異体の表現型解析から、新規juvenile-adult相転換制御遺伝子であることが予想されたため、ポジショナルクローニング法を用いてその原因遺伝子を同定したところ、PPSはシロイヌナズナのCONSTITUTIVE PHOTOMORPHOGENIC 1 (COP1)のオーソログであった。発現解析の結果、PPSはjuvenile-adult相転換の転換期で、葉で発現が強く誘導される一方で、茎頂ではその発現量が非常に低く抑制されていることが明らかになった。この結果はjuvenile-adult相転換時期がPPSによって葉で制御されていることを示唆した。相転換は茎頂分裂組織や茎でも起きることから、PPSが葉で発現することで、何らかのシグナルが葉から茎頂分裂組織や茎へと移動し、juvenile-adult相転換を引き起こしていると考えられた。

シロイヌナズナのcop1変異体は、暗所においても光形態形成を行うことが知られている。pps-1の暗所での解析から、光形態形成に対するCOP1とPPSの機能は、保存されていることが示された。一方juvenile-adult相転換とCOP1との関連性の報告は今までなかった。そこでシロイヌナズナにおけるjuvenile-adult相転換の指標である葉の背軸側のトライコームの分布と、miR156, miR172の発現をcop1-4変異体で調べた結果、COP1はjuvenile-adult相転換の制御には関与していないことが明らかになった。以上よりPPSにおけるjuvenile-adult相転換の制御は、イネまたは単子葉植物で独自に獲得した機能であることが示唆された。

3. MORI1遺伝子によるjuvenile-adult相転換制御

Asai et al., (2002) によって同定されたmori1変異体は、上位葉でも中肋の発達が抑制され、播種後10週目の植物体の茎においても節-節間の分化が見られないなど、juvenile phaseが永続する変異体である。これらの表現型からMORI1はjuvenile-adult相転換のマスター遺伝子であると考えられるが、その原因遺伝子は単離されていなかった。

pps-1と同様に、juvenile-adult相転換の分子マーカーであるmiR156, miR172の発現を野生型と、mori1-1で比較したところ、mori1-1では常にmiR156の発現が高く、一方miR172の発現が低く抑制されていた。またmori1-1では、内生のジベレリン量が野生型の20%以下に減少しており、ジベレリン合成遺伝子であるGA3ox2, GA20ox2の発現も低く抑制されていた。mori1-1のjuvenile-adult相転換に関わる表現型や2つのmiRNAの発現変化、内生のジベレリン量の減少が、それぞれpps-1に比べてよりシビアだったことから、MORI1はPPSのさらに上位でjuvenile-adult相転換を制御していることが示唆された。

ポジショナルクローニング法を用いてmori1の原因遺伝子の同定を行った結果、真核生物に広く保存された遺伝子に、mori1-1からmori1-4の4つのアリル全てで塩基置換が見つかった。MORI1の発現解析を行ったところ、PPSと同様に葉で発現が高く、茎頂では低く抑制されていたことから、MORI1もPPSと同様に葉でadult phaseへの移行を決定していると考えられた。

MORI1とPPSの関係を調べるため、mori1-1におけるPPSの発現解析、pps-1におけるMORI1の発現解析をそれぞれ行った結果、mori1-1においてPPSの発現は野生型と比べて強く抑制されていたのに対して、pps-1におけるMORI1の発現は野生型と変化がなかった。この結果はMORI1がPPSの上流で機能していることを示している。

以上、本研究では、イネにおけるjuvenile-adult相転換の遺伝的制御機構の一端を明らかにした。juvenile-adult相転換は、まずMORI1が、adult phaseへの転換期に下流のPPSの発現を葉で誘導することによって開始する。その後さらに下流のjuvenile-adult相転換の制御因子であるmiR156、ジベレリン合成が誘導され、それぞれの因子が独立にadult phaseへの移行を促進すると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

植物は胚発生、栄養成長期を経て生殖成長期へと移行していく。栄養成長期はさらに初期のjuvenile phaseと後期のadult phaseに区別される。juvenile-adult相転換は発芽後の初期成長を制御する重要なイベントであるが、その制御機構の全容は不明のままであった。本研究は、イネにおけるjuvenile-adult相転換に異常を示す変異体である、peter pan syndrome (pps)及びmori1を用いて、相転換を制御する因子の同定と解析を行い、juvenile-adult相転換の制御機構の解明を目的に行われたものである。本論文の内容は、3つの章から構成されている。

1. juvenile phaseが延長するpeter pan syndrome変異体の解析

イネにおけるjuvenile phaseとadult phaseを区別する、葉形、中肋の有無、節-節間の分化、茎頂分裂組織のサイズ、光合成速度の大小などの形質全てにおいて、juvenile phaseの延長が見られるpeter pan syndrome (pps)変異体を同定した。またjuvenile-adult相転換の分子マーカーであるmiR156, miR172の発現を調べたところ、ppsでは2つのmiRNAの発現変化が野生型に比べて遅れていた。さらにadult phaseへの促進因子であるジベレリンの内生量をppsで測定したところ、野生型に比べて減少していた。以上の結果は、PPSがmiR156, miR172とジベレリン合成経路の上流で機能する、新規juvenile-adult相転換制御遺伝子であることを示している。また、ppsはjuvenile phaseが延長しているにも関わらず、野生型に比べて約3週間早く出穂した。開花制御遺伝子の発現解析により、PPSはイネのフロリゲンであるHd3aとは独立に、その下流のRAP1Bの発現を抑制する経路で機能していると考えられた。

2. PPS遺伝子の単離と機能解析

ポジショナルクローニング法を用いてppsの原因遺伝子を同定したところ、シロイヌナズナのCONSTITUTIVE PHOTOMORPHOGENIC 1 (COP1)のオーソログであった。発現解析の結果、PPSは葉で発現が強く誘導されるが、茎頂ではその発現が非常に低く抑制されていた。この結果はjuvenile-adult相転換時期がPPSによって葉で制御されていることを示唆した。PPSはjuvenile-adult相転換の移行期である第3葉、第4葉で一過的に強く発現した。このことは、PPSがadult phaseへの移行を促進することを示している。シロイヌナズナのcop1変異体は、暗所においても光形態形成を行うことが知られている。ppsの暗所での解析から、光形態形成に対する機能は、PPSでも保存されていることが示された。しかし、COP1はjuvenile-adult相転換には関与していないため、PPSにおけるjuvenile-adult相転換の制御は、イネまたは単子葉植物で独自に獲得した機能であることが示唆された。

3.MORI1遺伝子によるjuvenile-adult相転換制御

mori1変異体は、調べた全ての形質においてjuvenile phaseが永続する変異体である。さらに2つのmiRNAの発現変化を調べたところ、mori1では常にmiR156の発現が高く、一方miR172の発現が低く抑制されていた。またmori1では、内生のジベレリン量が野生型の20%以下に減少していた。ポジショナルクローニング法を用いてmori1の原因遺伝子を同定したところ、真核生物に広く保存された機能未知の遺伝子であった。MORI1もPPSと同様に葉で発現が高く、茎頂では低く抑制されていたことから、葉でadult phaseへの移行を決定していると考えられた。またmori1においてPPSの発現が強く抑制されていたことから、MORI1がPPSの上流で機能していることが示唆された。以上より本研究で明らかにしたイネにおけるjuvenile-adult相転換は、MORI1が下流のPPSの発現を葉で誘導し、その後さらに下流の制御因子であるmiR172、ジベレリン合成が誘導されることで、adult phaseへの移行を促進すると考えられた。

以上、本研究は、イネにおけるjuvenile-adult相転換に関わる変異体を解析し、juvenile-adult相転換の実態を詳細に明らかにするとともに、その鍵となる遺伝子を単離し、その機能を明らかにしたものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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