学位論文要旨



No 128029
著者(漢字) 姫野,未紗子
著者(英字)
著者(カナ) ヒメノ,ミサコ
標題(和) ファイトプラズマが引き起こす花の形態異常に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 128029
報告番号 甲28029
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3745号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 有村,慎一
 東京大学 准教授 経塚,淳子
 東京大学 特任准教授 大島,研郎
内容要旨 要旨を表示する

ファイトプラズマは、世界中でイネや野菜、果樹、樹木類など約700種以上の植物に感染し、枯死や黄化、萎縮を引き起こす植物病原細菌であり、農業生産上大きな被害をもたらす。感染植物で見られる病徴の中でも、最もユニークな症状は花の形態異常である。ファイトプラズマに感染した植物の花は、緑化や葉化、萼片や花芽の肥大、つき抜けなど様々な症状を呈する。中でも「葉化」と呼ばれる病徴は、一見魅力的で古くより人々の関心を惹きつけてきた。アジサイでは、萼片が葉のように変化する「葉化アジサイ」が品種の一つとして珍重され市場に出回っていたが、実はファイトプラズマによる病徴であることが近年明らかになっている。これまでに、感染に伴う花器官の形態異常を花器官ごとに解剖して解析された例はなく、ファイトプラズマの感染に伴い花の形態が花器官ごとにどのように変化するのかは明らかにされていなかった。

本研究では、ファイトプラズマが花を葉に変化させる分子メカニズムに迫るために、まずペチュニアとアジサイの花器官の病徴を形態学的に観察し、その共通点を見出した。さらに、花の形態形成が遺伝学的によく研究されているペチュニアを実験材料にして、花の分化・形成に関わる遺伝子発現量を生育の段階に応じて詳細に測定し、ファイトプラズマの感染による影響について考察した。

1. ファイトプラズマ感染植物の花器官における病徴

ファイトプラズマに感染した植物の花器官(萼片、花弁、雄蕊、雌蕊)における形態異常を詳しく解析するために、タマネギ萎黄病ファイトプラズマ (Candidatus Phytoplasma asteris, OY-W) が感染したペチュニアとアジサイ葉化病ファイトプラズマ (Ca. Phytoplasma japonicum, JHP) が感染したアジサイを用いた。まず、OY-W感染ペチュニアの花における病徴を観察したところ、萼片と雌蕊は、ほぼ完全な葉に転換していた。一方、花弁は一部着色が残るなど完全な葉には転換しておらず、雄蕊にいたっては全く形態が変化していなかった。以上の観察から、OY-Wが感染したペチュニアの花器官では、萼片、雌蕊>花弁>>雄蕊、の順に葉化を起こしやすいと考えられた。続いて、JHP感染アジサイの花における病徴を観察した。JHPに感染したアジサイの花は、緑化、葉化、突き抜けの3段階の病徴を呈することが知られている。それぞれの病徴を呈したアジサイについて花器官を実体顕微鏡を用いて詳細に形態を観察したところ、突き抜け>葉化>緑化の順に葉化を起こした花器官が多く、萼片>雌蕊>花弁>雄蕊の順に葉化を起こしやすいことが判明した。

さらに、激しい形態異常が見られた雌蕊を詳細に観察するために、OY-W感染ペチュニアとJHP感染アジサイの花器官をそれぞれパラフィン包埋し、組織切片を作製して観察した。その結果、両サンプルには共通して心皮の葉化及び胚珠の消失が認められた。さらに、OY-W感染ペチュニアの雌蕊では、消失した胚珠に代わって葉様の組織が新たに形成されており、典型的なつき抜け症状の病徴を示していた。

今回、2種類のファイトプラズマ感染植物における花の形態異常を観察することによって、病徴の程度が強まるにつれて葉化の傾向が強まるという共通点が見出された。さらに、萼片や雌蕊は特に葉化を示しやすく、雄蕊は最も葉化の症状を示しにくいことも一致していた。

2. ファイトプラズマ感染植物の花芽における花の形態形成に関わる遺伝子の発現変動

花器官の形態形成に関わる遺伝子として、花のホメオティック遺伝子が知られている。花のホメオティック遺伝子は、A、B、C、D、Eの5つのクラスからなるが、中でも、A、B、C全てのクラスの遺伝子が機能を失った植物体では、花器官全てが葉に変化する。また、花のホメオティック遺伝子の上流には花序分裂組織から花芽分裂組織への転換に関わる花芽分裂組織決定遺伝子(floral meristem identity genes;以後はFMI遺伝子と略)が働く。そこで、花器官が分化する前のOY-W感染ペチュニアの花芽を用いて、FMI遺伝子の発現量およびABCクラスに属する遺伝子の発現量をリアルタイムRT-PCRによって測定した。FMI遺伝子として、シロイヌナズナのWUSCHEL、LEAFY、UNUSUAL FLORAL ORGANSホモログである、TERMINATOR、ABERRANT LEAF AND FLOWER、DOUBLE TOPの3遺伝子を調べた。定量解析の結果、感染植物では健全の植物に比べて、20%~35%といずれの遺伝子も発現量が減少していた。この結果から、FMI遺伝子の発現はファイトプラズマの感染による影響を受けることが明らかになった。

一方、ABCクラスに属する遺伝子の発現変動を調べた結果、予想に反して、どの遺伝子の発現量も健全花芽と感染花芽とで有意な差は見られなかった。この結果から、2つの可能性が考えられた。一つは、ファイトプラズマの感染は花のホメオティック遺伝子の発現量に影響を与えない可能性、もう一つは、ファイトプラズマの感染によって花のホメオティック遺伝子の発現量は影響を受けるが、花器官ごとに異なる影響を受けているために花芽全体を調べても有意な発現変動がみられない可能性である。そこで、これら2つの可能性を検証するためには、OY-W感染に伴う花のホメオティック遺伝子の発現変動を、花器官ごとに分けて解析することが重要であると考えられた。

3. ファイトプラズマ感染植物の各花器官における花のホメオティック遺伝子の発現変動

2項で述べた可能性を検証する目的で、花芽を萼片、花弁、雄蕊、雌蕊の各花器官に分けてRNAを抽出し、各花器官におけるA、B、C、D、E全てのクラスに属するホメオティック遺伝子の発現変動を解析した。その結果、OY-Wファイトプラズマ感染ペチュニアでは、花の各器官において1つまたはそれ以上の花のホメオティック遺伝子の発現量が、健全ペチュニアと比較して有意に異なっていることが示された。さらに、遺伝子の発現量に有意な差異が認められた花器官に着目すると、感染による有意な発現変動は、遺伝子のクラスまたはグループごとに同じ傾向を示し、かつその変動は器官ごとに明らかな特徴を持つことが判明した。例えば、Aクラスの遺伝子の場合、用いたPETUNIA FLOWERING GENE (PFG)とPetunia hybrida APETALA2A (PhAp2A)の2つの遺伝子は、ともに萼片における発現量が感染ペチュニアにおいて19~20%と有意に抑制された一方、他のどの花器官においても有意な差異は認められなかった。このように、感染によって有意な変動を受けた花器官とその増減は同一クラス内の遺伝子でほぼ同じ傾向を示していた。Bクラス遺伝子は、P. hybrida GLOBOSA1 (PhGLO1) とPhGLO2がともに花弁で減少しており、Cクラス遺伝子はpMADS3とfloral-binding protein 6 (FBP6) がともに雌蕊で増加、Dクラス遺伝子はFBP7とFBP11がともに雌蕊で減少、Eクラス遺伝子はFBP2 とFBP5がともに雄蕊で増加していた。以上より、ファイトプラズマの感染が花器官ごとに特異的な遺伝子群の発現に影響を与えることが示唆された。また、本項での結果より、2項で述べた可能性のうち、2つ目の可能性が支持された。すなわち、2項の解析では、実際には各器官の発現変動が起こっていたものの花芽全体を用いて発現解析を行ったために発現変動がマスクされてしまい、感染による影響を見出すことができなかったのだろうと考えられた。

4. 花の形態異常とホメオティック遺伝子との関係

花のホメオティック遺伝子は、複数クラスで重合体を組み、ターゲット遺伝子のプロモーター領域へ結合することによって、器官の形質を決定し分化すると考えられている。その重合体を組むのに必要なホメオティック遺伝子の組み合わせは花器官ごとで異なっており、萼片の形成にはAクラスとEクラス、花弁の形成にはA、B、Eクラス、雄蕊の形成にはB、C、Eクラス、心皮の形成にはC、Eクラス、胚珠の形成にはD、Eクラスがそれぞれ必要と考えられている。従って、どれか1クラスの遺伝子発現が抑制されることで、正常な花器官の形成が阻害されると考えられる。

3項で判明したABCDE遺伝子の発現変動を1項で観察されたOY-W感染ペチュニアにおける花器官ごとの病徴と照らし合わせて整理したところ、形態変化が起こる花器官ではその器官を形成するとされるホメオティック遺伝子の一部が有意に発現減少することが判明した。例えば、萼片の形成にはA、Eクラスの遺伝子が必要とされるが、OY-Wの感染によって形態異常を起こした萼片では、Aクラスの遺伝子が発現減少していた。同様に、形態異常を示した花弁と雌蕊では、Bクラスの遺伝子とDクラスの遺伝子がそれぞれ発現減少していた。一方、形態異常が見られなかった雄蕊では、雄蕊の形成に関わるB、C、Eクラスの遺伝子に有意な発現減少は見られなかった。

以上の点から、OY-Wファイトプラズマの感染により観察されるユニークな形態変化は、その器官を形成するのに必要なホメオティック遺伝子の部分的な発現減少によって起こる可能性が示唆された。さらに、ファイトプラズマは花器官ごとに操る遺伝子が異なるという複雑な発現制御を行っていることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

ファイトプラズマは、世界中で約700種以上の植物に感染し、枯死や黄化、萎縮を引き起こす植物病原細菌であり、農業生産上大きな被害をもたらす。感染した植物は、花器官(萼片、花弁、雄蕊、雌蕊)において緑化や葉化、つき抜けなどの形態異常を伴う病徴を呈する。本研究では、ファイトプラズマが花の形態異常を引き起こす分子メカニズムに迫るために、まず感染植物の病徴を形態学的に観察し、その共通点を見出した。さらに、花の形態形成が遺伝学的によく研究されているペチュニアを実験材料にして、ファイトプラズマの感染による影響について解析した。

1. ファイトプラズマ感染植物の花器官における病徴

ファイトプラズマに感染した植物の花器官における形態異常を詳しく解析するために、タマネギ萎黄病ファイトプラズマ (Candidatus Phytoplasma asteris, OY-W) が感染したペチュニアとアジサイ葉化病ファイトプラズマ (Ca. Phytoplasma japonicum, JHP) が感染したアジサイを用いて詳細に観察した。その結果、どちらの感染植物においても各花器官は葉の形態に近づく変化を示すものの、その程度は花器官ごとに異なっていた。さらに、萼片や雌蕊は特に葉化を示しやすく、雄蕊は最も葉化の症状を示しにくいことが共通して観察された。

2. ファイトプラズマ感染植物の花芽における花の形態形成に関わる遺伝子の発現変動

1項の病徴観察から、ファイトプラズマの感染が花芽分裂組織の形成と花器官の形態形成に影響を与えている可能性が考えられた。そこで、花器官が分化する前のOY-Wファイトプラズマに感染したペチュニアの花芽を用いて、それらの形成に関わる、花芽分裂組織決定遺伝子(floral meristem identity genes; FMI遺伝子)および花のホメオティック遺伝子の発現量を測定した。感染植物では健全の植物に比べて、FMI遺伝子の発現量が顕著にかつ有意に減少していた。この結果から、FMI遺伝子の発現はファイトプラズマの感染による影響を受けることが明らかになった。一方、花のホメオティック遺伝子の発現変動を調べた結果、予想に反して、どの遺伝子の発現量も健全花芽と感染花芽とで有意な差は見られなかった。この結果から、ファイトプラズマの感染によって花のホメオティック遺伝子の発現量は影響を受けるが、花器官ごとに異なる影響を受けているために花芽全体を調べても有意な発現変動がみられない可能性が考えられた。

3. ファイトプラズマ感染植物の各花器官における花のホメオティック遺伝子の発現変動

2項の考察を踏まえ、花芽を萼片、花弁、雄蕊、雌蕊の各花器官に分けてRNAを抽出し、各花器官におけるA、B、C、D、Eクラスに属する花のホメオティック遺伝子の発現変動を解析した。その結果、例えば、Aクラス遺伝子の場合、萼片における発現量が感染ペチュニアにおいて有意に抑制された一方、他のどの花器官においても有意な差異は認められなかった。このように、感染によって有意な変動を受けた花器官とその増減は同一クラス内の遺伝子でほぼ同じ傾向を示していた。Bクラス遺伝子(GLO/PI系統)は、花弁で減少しており、Cクラス遺伝子は雌蕊で増加、Dクラス遺伝子は雌蕊で減少、Eクラス遺伝子は雄蕊で増加していた。以上より、ファイトプラズマの感染が花器官ごとに特異的な遺伝子群の発現に影響を与えることが示唆された。

4. 花の形態異常とホメオティック遺伝子との関係

花のホメオティック遺伝子は、どれか1クラスの遺伝子発現が抑制されることで、正常な花器官の形成が阻害されると考えられる。3項で判明したABCDE遺伝子の発現変動を1項で観察された感染ペチュニアにおける花器官ごとの病徴と照らし合わせて整理したところ、形態変化が起こる花器官ではその器官を形成するとされるホメオティック遺伝子の一部が有意に発現減少することが判明した。例えば、萼片の形成にはA、Eクラスの遺伝子が必要とされるが、感染によって形態異常を起こした萼片では、Aクラスの遺伝子が発現減少していた。従って、OY-Wファイトプラズマの感染により観察されるユニークな形態変化は、その器官を形成するのに必要なホメオティック遺伝子の部分的な発現減少によって起こる可能性が示唆された。

以上を要するに、ファイトプラズマが引き起こす、花器官から葉への形態変化には、各花器官の形成に必要なホメオティック遺伝子の発現減少によって起こる可能性が示唆された。さらに、ファイトプラズマの感染が、花のホメオティック遺伝子の上流で働く花芽分裂組織決定遺伝子を抑制することで、花芽形成を阻害する可能性が示唆された。本研究の成果は、学術上の新規性、また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク