学位論文要旨



No 128031
著者(漢字) 吉田,愛美
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,メグミ
標題(和) 機能遺伝子配列情報を用いた水田土壌の脱窒菌群集構造解析
標題(洋)
報告番号 128031
報告番号 甲28031
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3747号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 石井,正治
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
 東京大学 准教授 大塚,重人
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景

脱窒は、嫌気的条件下で硝酸や亜硝酸が還元され、最終生成物として一酸化窒素(NO)、一酸化二窒素(N2O)、窒素(N2)ガスが生成される微生物反応である。脱窒は環境中の様々な場所で起こっており、窒素肥料が添加される農耕地もその一つである。農耕地における脱窒は、施肥窒素の損失につながることや、温室効果ガスであるN2Oの生成・消去にも関わることから、古くより注目されてきた。

水田は畑地に比べてN2Oの発生が少なく、また、地下水の汚染につながる硝酸の溶脱も少ないことが知られている。これは、水田では湛水期間中に土壌が還元状態となり、脱窒反応が活発に起こることに由来すると考えられる。水田で脱窒に関与する微生物を特定することは、学術的に重要であるだけでなく、畑地からのN2O発生を抑制する技術や、硝酸汚染された地下水の浄化技術への応用が期待できる。しかし、水田で活発に脱窒を行っている微生物についてこれまでに得られている知見は少ない。

土壌微生物の大半は培養が困難とされていることから、水田土壌の脱窒菌群集構造を明らかにする上で、まず、土壌DNAに基づく培養非依存的な解析が有効であると思われた。さらに近年では、土壌から純度の高いRNAを抽出する手法が確立され、土壌RNAに基づく解析も可能となってきた。加えて、脱窒機能遺伝子である亜硝酸還元酵素遺伝子(nirS, nirK)や一酸化二窒素還元酵素遺伝子(nosZ)を標的とし幅広くカバーするPCRプライマーが開発され、既知の微生物や環境中から得られた脱窒機能遺伝子を含むデータベースも充実してきている。すなわち、現在、土壌DNAやRNAを用い土壌脱窒機能遺伝子を標的とした培養非依存的な手法を用いることにより、水田土壌に存在し、機能する脱窒菌群集を調べることが可能な状況となっている。

以上の背景の下、本研究は、水田土壌中で脱窒を担っている微生物の群集構造を培養非依存的な手法によって詳細に解明することを目的とした。この目的を達成するために、脱窒活性を高めた実験室内のモデル水田土壌ならびに水田圃場の土壌よりDNAと RNAを抽出し、それらを材料として脱窒機能遺伝子を標的としたPCRベースの解析を行った。

2.実験室内モデル水田土壌における脱窒菌群集構造

再現性が高く繰り返し実験が容易となるよう、水田の実験室内モデル水田による解析をまず行った。東大農学部附属生態調和農学機構の水田から採取され、保存されていた風乾細土(黒ボク土)を湛水状態で前培養し、硝酸とコハク酸を添加してさらに嫌気的に培養し、土壌の脱窒活性を高めた。培養前後の土壌それぞれからDNAを抽出し、脱窒の亜硝酸還元酵素遺伝子(nirS, nirK)を標的とした定量的PCRならびにPCR-クローンライブラリ解析を行った。土壌中のnirSのコピー数や多様性指数は培養によって変化しなかったがnirSの組成は変化し、その変化からAcidovorax属, Azoarcus属, Kocuria属, およびCupriavidus属のnirSに近縁なnirSを保有する微生物が本実験条件の土壌で脱窒に関わっている可能性が示唆された。また、既知のnirSとは近縁でないnirSを保有する微生物が多く存在し、その一部も脱窒に関与していることが示唆された。一方、nirKのコピー数や多様性指数は土壌の培養によって増加した。また、 nirKの組成も土壌の培養によって変化し、Bradyrhizobium属, Rhodopseudomonas属, Nitrosospira属などの nirKに近縁なnirKを保有する微生物の他、既知の脱窒菌のものと近縁でないnirKを保有する微生物がこの土壌で脱窒に関わっていることが示唆された。本実験から脱窒機能遺伝子を標的とした定量的PCRならびにPCR-クローンライブラリ解析によって水田土壌の脱窒菌の量と群集構造の変動を解析することができた。次に、この手法を水田圃場を対象とした解析に適用することにした。

3.水田圃場の脱窒菌群集構造解析

上述の生態調和農学機構の水田圃場から、湛水直前、湛水二週間後、一か月後、二か月後に表層10 cmの土壌を採取した。土壌DNAを抽出して上述と同様にnirSと nirKを標的とした定量的PCRとPCR-クローンライブラリ解析を行い、土壌の湛水後の時間経過に伴うnirS, nirKの量と群集構造の変動を調べた。

定量的PCRの結果、水田土壌に含まれるnirSのコピー数は、調査期間内に大きな変化を示さなかった。nirKはnirSの10倍程度のコピー数が存在し、湛水後に若干増加したが後に減少した。クローンライブラリ解析から、どの時期の土壌においてもnirKは多様であり、既知のnirKとは異なるnirKを保有する微生物が存在していることが示された。採取時期ごとにnirSならびにnirK の組成を比較した結果、脱窒が活発に行われていると考えられる湛水後の時期に出現する、あるいは存在量が増加するnirS, nirK保有微生物群が見出された。それらは、Aromateleum属, Azoarcus属, Acidovorax属, Dechloromonas属, Azosprillum属のnirSに近縁なnirS保有微生物、あるいは既知のものと近縁でないnirSまたはnirKを保有する微生物であり、これらが水田土壌において脱窒に強く関わっている可能性が示された。

4.実験室内モデル水田土壌における脱窒機能遺伝子の発現解析

土壌で実際に活動している脱窒菌をより直接的に明らかにするために、土壌RNAを解析対象とし、脱窒機能遺伝子を発現している微生物の特定を試みた。安定した土壌RNA抽出が可能だった新潟県農業総合研究所の水田土壌(灰色低地土)を材料とした。湿潤土壌を用いて上述と同様の実験室内モデル水田を構築し、培養0,6,12,16,20,24時間後の土壌からDNAとRNAを抽出し、RNAは逆転写してcDNAとした。それらを鋳型とし、16S rRNA遺伝子,nirS, nirK, nosZ,およびそのcDNAを標的とした定量的PCRを行い、遺伝子コピー数ならびに遺伝子の発現量の定量とPCR-クローンライブラリ解析を行った。

定量的PCRの結果、16S rRNA遺伝子と各脱窒機能遺伝子のコピー数は土壌の培養時間の経過に伴って増加した。これらの遺伝子の発現量も徐々に増加したが、脱窒活性が最大となる培養20時間後に最大となった後、減少する傾向を示した。

培養0時間後ならびに各遺伝子の発現量が最大となった培養20時間後の土壌から得たDNAならびにcDNAからそれぞれクローンライブラリを作成し、得られた塩基配列およびアミノ酸配列から多様性解析を行った。16S rRNA遺伝子を標的とした解析の結果、脱窒が活発な培養20時間後の土壌中ではBetaproteobacteria綱とAcidobacteria門、特にBetaproteobacteria綱 のNeisseriales目に属する微生物の活性が高まっていることが示された。脱窒機能遺伝子を標的とした解析の結果、脱窒機能遺伝子を発現している微生物は土壌に存在している脱窒機能遺伝子保有微生物のごく一部であることが示された。また、脱窒活性が高い土壌でnirSを発現しているのは、Betaproteobacteria綱に属するCupriavidus属, Pseudogulbenkiania属, Burkholderia属, Thiobacillus属, Azoarcus属の nirSに近縁なnirS保有微生物と、未知のnirSを保有する微生物であることが示された。一方、発現されているnirKの多様性指数は極めて小さく、Alphaproteobacteria綱に属するBradyrhizobium属およびRhodopseudomonas属の nirKに近縁なnirKのみが発現されていることが明らかになった。またnosZを標的とした解析からBetaproteobacteria綱に属するThiobacillus属, Aromateleum属, Burkholderia属, Pseudogulbenkiania属のnosZに近縁なnosZと既知のものと異なるnosZが発現されていることが示された。

5.水田圃場における脱窒機能遺伝子の発現解析

上述の新潟県農業総合研究所の水田圃場から経時的に採取した土壌に由来するDNAおよびcDNAの試料から、湛水2週間後、すなわちEhが低下する途中にあり、土壌の脱窒活性ポテンシャルが高まっている時期、および5週間後、すなわちEhが下がりきり、メタン生成が始まっているが依然として土壌の脱窒活性ポテンシャルが高い時期の、2つの時期のDNA試料と、湛水前、すなわち土壌Ehが高く脱窒活性ポテンシャルが低い時期を加えた3つの時期のcDNA試料を選び、nirS, nirKを標的としたクローンライブラリ解析を行った。

湛水後の土壌のcDNAから得られたnirS, nirKクローンの多様性指数はDNAから得られた両クローンの多様性指数よりも小さかった。土壌中に存在しているnirS, nirK保有微生物のうち、実際にそれらの遺伝子を発現している微生物は一部であることが示された。湛水後の土壌中で発現しているnirSの大部分は既知の脱窒菌のnirSとは近縁でないものであり、既知の脱窒菌のnirSに近縁なものとしては、Thiobacillus属のnirSに近縁なnirSの発現が湛水5週間後の土壌でわずかに検出されたのみであった。湛水後の土壌中で発現していた、すなわちcDNA由来のnirKクローンの大部分はBradyrhizobium属およびRhodopseudomonas属のnirKに近縁だった。しかし、このnirKクローンが土壌DNA由来のクローンに占める割合は低かった。逆に、土壌DNA由来のクローン中ではMesorhizobium属のnirKに近縁なnirKクローンが優占していたが、このnirKの土壌での発現は検出されなかった。

水田圃場の土壌と実験室内のモデル水田土壌から得られた結果から、以下の考察が導かれた。まず新潟水田土壌においては、湛水後の水田土壌、および脱窒活性が高まったモデル水田土壌のいずれにおいても、Bradyrhizobium属およびRhodopseudomonas属のnirKに近縁なnirKの発現が見出されたことから、これらのnirKを保有する微生物が脱窒を担っている主要な微生物の一部であることが示唆された。また、湛水後の水田土壌で発現していたnirSは、脱窒活性が高まったモデル水田土壌で発現していたnirSの一部と近縁であった。このnirSを保有する微生物も新潟水田土壌で脱窒を担っている主要な微生物の一部であることが示唆された。

6.まとめ

本研究では、まず脱窒機能遺伝子を標的とした培養非依存的な解析を行い、東大生態調和農学機構および新潟県農業総合研究所の水田土壌に存在するnirSおよびnirKが既知のどの微生物と近縁であるか明らかとなり、また既知のものと異なる新規なnirSおよびnirKの存在も示された。

さらに、本研究が行われた土壌圏科学研究室に蓄積している様々な脱窒菌分離株の16S rRNA遺伝子や脱窒機能遺伝子の情報との比較解析を行い、本研究で検出されたnirS, nirK, nosZを保有する脱窒菌を推定することを試みた。その結果、生態調和農学機構や新潟の土壌から得られた新規なnirSを保有している脱窒菌はBradyrhizobium属やPseudogulbenkiania属であり、新潟土壌で発現しているnirKを保有している脱窒菌はBradyrhizobium属であり、また新潟土壌で発現しているnosZを保有している脱窒菌はZoogloea属であると推定された。

1.Temporal shifts in diversity and quantity of nirS and nirK in a rice paddy field soil. Soil Biology & Biochemistry, Vol. 41, pp. 2044-2051 (2009)2.nirK-Harboring denitrifiers are More responsive to denitrification-inducing conditions in rice paddy soil than nirS-harboring bacteria. Microbes and Environments, Vol. 25, pp. 45-48 (2010)
審査要旨 要旨を表示する

水田は脱窒が活発であり、畑地に比べて温室効果ガスN2Oの発生が少ないことが知られている。しかし、水田で活発に脱窒を行っている微生物についてこれまでに得られている知見は少ない。本研究は、水田土壌中で脱窒を担っている微生物の群集構造を培養非依存的な手法によって詳細に解明することを目的とした。この目的を達成するために、脱窒活性を高めた実験室内のモデル水田土壌ならびに水田圃場の土壌よりDNAと RNAを抽出し、それらを材料として脱窒機能遺伝子(nirS、 nirK、 nosZ)を標的としたPCRベースの解析を行った。

第一章では、窒素循環、脱窒、水田での脱窒の重要性について述べ、本研究の目的について述べている。

第二章、第三章では、土壌抽出DNAを用いることで、水田に存在する脱窒菌群集構造解析を行った。まず、第二章では人工的に脱窒活性を高める実験室内モデル水田を用いて、培養前後の土壌からDNAを抽出して脱窒の亜硝酸還元酵素遺伝子(nirS、 nirK)を標的とした定量的PCRならびにPCR-クローンライブラリ解析を行った。土壌中のnirSの遺伝子コピー数は培養による変化が見られなかったが、nirKの遺伝子コピー数は培養によって増加し、また、nirS、 nirKの組成は培養によって変化し、その変化からAcidovorax属、Azoarcus属、Kocuria属、Cupriavidus属、Bradyrhizobium属、Rhodopseudomonas属、Nitrosospira属などの nirに近縁なnirを保有する微生物の他、既知の脱窒菌のものと近縁でないnirを保有する微生物がこの土壌で脱窒に関わっていることが示唆された。本章によって脱窒機能遺伝子を標的とした解析が有用であることを検証できた。次に、第三章では水田圃場から定期的に土壌を採取し、第二章と同様に土壌抽出DNAを用いてnirSと nirKを標的とした定量的PCRとPCR-クローンライブラリ解析を行い、土壌の湛水後の時間経過に伴うnirS、 nirKの量と群集構造の変動を調べた。定量的PCRの結果、水田土壌に含まれるnirSのコピー数は、調査期間内に大きな変化を示さなかった。nirKはnirSの10倍程度のコピー数が存在し、調査期間内に変化が見られた。クローンライブラリ解析から、脱窒が活発に行われていると考えられる湛水後の時期に出現する、あるいは存在量が増加するnirS、 nirK保有微生物群が見出された。それらは、Aromatoleum属、Azoarcus属、Acidovorax属、Dechloromonas属、Azosprillum属のnirSに近縁なnirS保有微生物、あるいは既知のものと近縁でないnirを保有する微生物であり、これらが水田土壌において脱窒に強く関わっている可能性が示された。

第四章、第五章では、土壌で実際に活動している脱窒菌をより直接的に明らかにするために、土壌RNAを解析対象とし、脱窒機能遺伝子を発現している微生物の特定を試みた。第四章では、実験室内モデル水田を構築し、培養した土壌からDNAとRNAを抽出し、RNAは逆転写してcDNAとした。それらを鋳型とし、16S rRNA遺伝子、nirS、 nirK、 nosZ、およびそのcDNAを標的とした定量的PCRを行い、遺伝子コピー数ならびに遺伝子の発現量の定量とPCR-クローンライブラリ解析を行った。定量的PCRの結果、16S rRNA遺伝子とnirS、 nirKのコピー数は土壌の培養時間の経過に伴って増加した。16S rRNA遺伝子とnirSの遺伝子の発現量も徐々に増加したが、脱窒活性が最大となる培養20時間後に最大となった後、減少する傾向を示した。培養0時間後ならびに各遺伝子の発現量が最大となった培養20時間後の土壌から得たDNAならびにcDNAからそれぞれクローンライブラリを作成した。その結果、16S rRNA遺伝子とnirS、 nirK、 nosZに共通してBetaproteobacteria綱に属する細菌や、これまでに分離されていない微生物が、脱窒機能を発現している主要な脱窒菌であることが示唆された。第五章では、水田圃場から経時的に採取した土壌に由来するDNAおよびcDNAの試料から、脱窒活性ポテンシャルが高い湛水2週間後および5週間後、2つの時期のDNA試料と、脱窒活性ポテンシャルが低い湛水前を加えた3つの時期のcDNA試料を選び、nirS、 nirKを標的としたクローンライブラリ解析を行った。湛水期には、Thiobacillus属、Bradyrhizobium属、Rhodopseudomonas属のnirに近縁なnir保有脱窒菌や、既知の微生物のnirとは近縁でないnir保有脱窒菌が脱窒に活発に機能していることが示唆された。さらに、これらは、土壌中の脱窒菌の中での存在割合は必ずしも高くないことが示唆された。

第六章では、東大生態調和農学機構および新潟県農業総合研究所の水田土壌から多くの脱窒機能遺伝子配列を用い、本研究が行われた土壌圏科学研究室に蓄積している様々な脱窒菌分離株の16S rRNA遺伝子や脱窒機能遺伝子の情報との比較解析を行い、本研究で検出されたnirS、 nirK、 nosZを保有する脱窒菌を推定することを試みた。その結果、水田で活発に機能している脱窒菌はBradyrhizobium属やPseudogulbenkiania属、Zoogloea属、Duganella属であると推定された。

以上、本研究では、水田土壌に存在し機能する脱窒菌群集についての新たな知見が得られた。これらは窒素循環の理解に重大なだけでなく、畑地からのN2O発生抑制への応用につながるなど、学術的、応用的に寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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