学位論文要旨



No 128033
著者(漢字) 伊藤,英臣
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヒデオミ
標題(和) メタゲノム・メタトランスクリプトーム解析法を用いた水田土壌微生物群集の構造と機能の網羅的解明
標題(洋)
報告番号 128033
報告番号 甲28033
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3749号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 浜崎,恒二
 東京大学 准教授 大塚,重人
内容要旨 要旨を表示する

1.背景と目的

土壌微生物の大部分は未だ単離・培養されていないと考えられている。土壌微生物の群集構造を明らかにするために、これまでに培養を経ずに土壌核酸を解析する方法が導入され、培養に依存する従来の方法よりも幅広い解析が実現してきた。しかし、多様で複雑な土壌微生物群集構造を解明するためには、得られる情報は必ずしも十分ではなかった。近年、塩基配列のシーケンシング技術が飛躍的に進歩している。パイロシーケンシング法などの新たなシーケンシング技術が環境DNAやRNAを包括的にシーケンスするメタゲノム解析やメタトランスクリプトーム解析の分野にも応用されるようになり、従来よりも迅速に、土壌微生物群集と機能の全体像の網羅的な解析が可能になってきた。

水田土壌は湛水により嫌気的環境が発達し、土壌微生物の嫌気呼吸により脱窒、マンガン還元、鉄還元、硫酸還元、メタン生成といった還元反応が進行することが知られている。水田は畑土壌に比べて硝酸の溶脱や温室効果ガスの一酸化二窒素(N2O)の発生が極めて少ないことが知られているが、これには還元の進行の初期におこる脱窒が深く関わっている。一方、還元の進行の最終段階ではもう一つの温室効果ガスであるメタンが発生し、その削減が求められている。このような特徴を有する水田土壌の微生物群集、特にそれぞれの還元反応を担う微生物群集について全体像を網羅する詳細な情報を得ることは、学術的のみならず、硝酸溶脱や温室効果ガス発生低減化などの環境保全型の農業を継続するために重要である。

そこで本研究では、パイロシーケンシング法によるメタゲノム解析により、水田土壌に存在する微生物や機能遺伝子の群集構造、および水田土壌において優占する微生物群や水田土壌の還元反応に関与する微生物群を明らかにすることを試みた。さらに、メタトランスクリプトーム解析を行い、水田土壌の微生物群集構造や機能遺伝子群の組成が湛水や落水によって、どのように応答し変動するのか明らかにすることも試みた。

2.土壌環境データの取得と16S rRNA遺伝子の配列に基づく微生物群集構造の解析

新潟県農業総合研究所内の連作水田において、2009年の湛水前から収穫後にかけて、1~2週間ごとに経時的に土壌を採取した。採取の際に、圃場からのメタンおよびN2Oガスのフラックス、土壌の酸化還元電位(Eh)を測定した。さらに採取サンプリングした土壌の硝酸態窒素、亜硝酸態窒素、アンモニア態窒素、二価マンガン、二価鉄、および硫酸の含量、また、脱窒活性、硝化活性を測定した。これらにより、本研究で解析対象とした水田土壌の酸化還元状態の経時的な変化の様子が明らかとなった。すなわち、湛水期においてはEhの降下に伴い脱窒、マンガン還元、鉄還元、硫酸還元、メタン生成が進行し、非湛水期においてはEhの上昇に伴い各還元反応が抑制された。

経時的に採取した全ての土壌からDNAとRNAを抽出し、真正細菌(以後、細菌と呼ぶ)およびアーキアの16S rRNA遺伝子および16S rRNAの部分塩基配列をそれぞれPCRおよび逆転写PCRで増幅し、DGGEを行ってバンドパターンを比較した。その結果、DNAに基づくPCR-DGGEバンドパターンには、細菌群集およびアーキア群集のどちらの群集構造も耕作期間を通して大きな変化が認められなかった。一方、RNAに基づく逆転写PCR-DGGE解析から得られたバンドパターンには、耕作期間に応じた変化が認められた。これらのことから、水田土壌の細菌およびアーキアのDNAベースの群集構造は水管理の影響を受けずに安定しているが、RNAベースの、すなわち活性が上昇している細菌およびアーキアの群集構造は水管理の影響を受け耕作期間において変動していること示された。さらに、細菌およびアーキアの16S rRNAに基づくcDNAクローンライブラリー解析(細菌:5277 クローン、アーキア:5436 クローン)から、非湛水期と湛水期において活性が上昇している分類群や系統群を特定したところ、湛水期には水素利用型のメタン生成菌の、落水期には硝化アーキアに近縁なRice cluter VIアーキアの活性が上昇していることが示された。

3.メタゲノム解析

湛水前ならびに還元状態が十分に進んだ湛水6週間後の2つの土壌試料をメタゲノム解析の対象とした。それぞれの土壌から調製したDNAを、PCRを介さず直接、パイロシーケンサー(GS-FLX titanium (Roche))に供したところ、平均解読長が約440bpの塩基配列がそれぞれ786,517リードおよび938,731リード得られた。得られた塩基配列の相同性検索をGenBankデータベースに対して行い、他環境由来のメタゲノムデータと比較した結果、本研究で供試した水田土壌においてはDeltaproteobacteria綱、特にGeobacter属やAnaeromyxobacter属細菌が優占していることが明らかとなった。パイロシーケンシング法を用いたメタゲノム・メタトランスクリプトーム解析によって水田土壌の細菌群集構造を属レベルで明らかにしたのは本研究がはじめてである。

また、水田土壌において進行する各還元反応に関与する鍵酵素の遺伝子群の構造を明らかにし、各機能微生物群集の構造を明らかにした。硝酸還元を触媒する酵素の遺伝子(narG, napA)、アンモニア生成型の亜硝酸還元を触媒する酵素の遺伝子(nrfA)、脱窒反応の一部の一酸化窒素(NO)還元を触媒する酵素の遺伝子(norB)、およびN2O還元を触媒する酵素の遺伝子(nosZ)は、Deltaproteobacteria綱由来のものが多く検出された。これまでDeltaproteobacteria綱細菌について鉄還元や硫酸還元を担うことが明らかにされてきたが、本研究により水田土壌において窒素循環にも深く関与している可能性が示唆された。

これまで亜硝酸→NO→N2O→N2といった一連の脱窒反応に関与する鍵酵素の遺伝子の塩基配列は、脱窒菌由来のものが多く見出されてきた。しかしながら、本研究のメタゲノム解析から脱窒菌由来のものよりも、脱窒菌ではない細菌(亜硝酸を還元してアンモニアを生成する菌)に由来するNO還元酵素遺伝子やN2O還元酵素遺伝子(nosZ)が多数検出された。特にAnaeromyxobacter属細菌由来のnosZは本研究のPCRを介さないメタゲノム解析によりはじめて環境中から検出され、従来のPCRに依存した方法では全く検出されていなかった。水田土壌の脱窒過程において、脱窒菌ではない細菌が部分的(NO, N2O還元)に関与している可能性が示唆された。

4.メタトランスクリプトーム解析

土壌DNAに基づいたメタゲノム解析から、水田土壌に存在する微生物や機能遺伝子のユニークな群集構造が明らかになった。環境変化に応答してこれらの微生物や機能遺伝子群のうちどのグループが活性化するのか、またメタゲノム解析から明らかになった各還元反応に関与する機能遺伝子が実際に転写されているのか、興味が持たれた。そこで、湛水前、湛水6週間後、湛水7週間後、落水後の計4つの土壌試料を対象としてメタトランスクリプトーム解析を行った。それぞれの土壌から調製したcDNAを、PCRを介さず直接パイロシーケンサーに供したところ、それぞれの試料から40万~46万塩基配列を取得した。得られた塩基配列からrRNAデータベースに対して相同性検索したところ、どの試料においてもGeobacter属やAnaeromyxobacter属細菌の優占率が高く、これらの細菌が耕作期間を通して活動していることが分かった。一方、水田土壌の還元反応に関与する機能遺伝子群については、湛水期にメタン生成に関与する機能遺伝子の転写量が増大することが示されたものの、硝酸還元、亜硝酸還元(脱窒を含む)、硫酸還元に関与する機能遺伝子はほとんど検出されなかった。

5.Anaeromyxobacter属細菌の単離と農耕地土壌における分布

水田土壌そのものを培地として用いる集積培養により、Anearomyxobacter属細菌の単離に成功した。また、単離した株がN2O還元活性を有していることが分かった。さらに、メタゲノム解析に供した新潟の水田圃場に加え、日本各地の水田土壌においても、細菌群集の中でAnaeromyxobacter属細菌が同程度に優占していることが明らかとなった。一方、畑土壌や他の環境では、水田土壌に比べてAnaeromyxobacter属細菌の全細菌に対する割合が小さいことが分かった。

6.まとめ

メタゲノム解析およびメタトランスクリプトーム解析の結果から、水田土壌において優占する微生物や機能遺伝子の群集構造が詳細に明らかとなった。また、メタゲノム解析から水田土壌の還元反応に関与する鍵酵素の遺伝子の塩基配列を抽出し、各機能に関わる微生物の群集構造を明らかにした。その中で、水田土壌においてAnaeromyxobacter属細菌が優占していることが明らかとなり、Anaeromyxobacter属細菌由来のnosZが環境中からはじめて見出された。さらに、水田土壌からAnaeromyxobacter属細菌を単離し、N2O還元活性を有していること、畑土壌よりも細菌群集におけるAnaeromyxobacter属細菌の割合が高いことを明らかにした。これらのことから、優占するAnaeromyxobacter属細菌が水田土壌におけるN2O還元反応に関与している可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

水田土壌は他の環境とは異なり、耕作期間の水管理によって土壌環境が好気的にも嫌気的にも変化する環境である。このような特徴を持つ水田土壌の微生物群集構造を解析するために、これまでに様々な方法が導入されてきたが、近年、塩基配列のシーケンシング技術が飛躍的に進歩を背景に、新たなシーケンシング技術が環境DNAやRNAを大量・包括的にシーケンスするメタゲノム解析やメタトランスクリプトーム解析の分野にも応用されるようになってきている。本研究は、新潟県農業総合研究所内の連作水田を実験圃場とし、以下の二点を目的としている。すなわち(1)新たなシーケンシング技術を用いたメタゲノム解析により、水田土壌に存在する微生物や機能遺伝子の群集構造、および水田土壌の還元反応に関与する微生物群を詳細に明らかにすること、(2)メタトランスクリプトーム解析を行い、水田土壌の微生物群集構造や機能遺伝子群の組成が湛水や落水によって、どのように応答し変動するのか明らかにすること。(1)、(2)を通して、従来よりも詳細・網羅的な水田土壌微生物群集と機能の全体像の解析を試みている。

第1章では水田土壌の特徴とこれまでの水田土壌微生物に関する研究アプローチについて概説したのち、メタゲノム解析・メタトランスクリプトーム解析の有効性を挙げて、本研究の目的について述べている。

第2章、第3章では実験圃場の土壌環境メタデータの取得と従来法による微生物群集の予備的な解析について述べている。第2章では耕作期間における連側的な土壌サンプリングと合わせて、実験圃場の土壌理化学性・生物活性の測定を行った。第3章では採取した土壌からDNAとRNAを抽出し、細菌およびアーキアの16S rRNA遺伝子および16S rRNAをターゲットとしたPCR-DGGE、クローンライブラリー解析による微生物群集の予備的な解析を行った。第4章では、湛水前ならびに湛水期の土壌DNAのメタゲノム解析について述べている。水田土壌においてはGeobacter属やAnaeromyxobacter属細菌が優占していることが明らかとなった。また、水田土壌において進行する各還元反応に関与する鍵酵素の遺伝子群の組成を調べたところ、脱窒反応の一部の一酸化窒素還元を触媒する酵素の遺伝子、および一酸化二窒素還元を触媒する酵素の遺伝子の配列は、よく知られた脱窒菌よりも、脱窒菌ではないGeobacter属やAnaeromyxobacter属細菌由来の配列に近縁なものが多く検出された。このことから、水田土壌の脱窒反応において脱窒菌ではない細菌が部分的に脱窒反応に関与している可能性がはじめて示唆された。

第5章では、湛水期と非湛水期の土壌RNAのメタトランスクリプトーム解析について述べている。水田土壌では耕作期間を通してGeobacter属やAnaeromyxobacter属細菌の優占率が高いことが分かった。また、湛水期や非湛水期に特異的に活性が上昇するグループの構成を明らかにした。水田土壌の還元反応に関与する機能遺伝子群については、湛水期にメタン生成に関与する機能遺伝子の転写量が増大することが示された。

第6章では、メタゲノム解析から新たに見出されたユニークな非脱窒型N2O還元微生物のAnaeromyxobacter属細菌の単離と農耕地土壌における分布について述べている。新潟水田土壌からAnaeromyxobacter属細菌の単離に成功し、N2O還元活性を有する可能性があることを示した。さらに、日本各地の水田土壌においても、細菌群集の中でAnaeromyxobacter属細菌が同程度に優占している一方、畑土壌や他の環境では、Anaeromyxobacter属細菌の全細菌に対する割合が水田土壌に比べて小さいことを明らかにした。このことはAnaeromyxobacter属細菌が一般的に水田土壌において優占度が高い傾向がある可能性を示唆している。

以上、本研究においてメタゲノム・メタトランスクリプトーム解析を水田土壌にはじめて適用し、水田土壌微生物の優占種や各還元反応に関与する機能微生物群集の構造をこれまでよりも詳細に明らかにした。さらに、メタゲノム解析から見出されたユニークな微生物を単離し、脱窒反応において脱窒菌だけでなく、脱窒反応を部分的に行う細菌も関与している可能性があることをはじめて見出した。本研究が提供する知見は、水田土壌学の分野は言うまでもなく、他の環境微生物生態学の研究者にとっても非常に有益な情報源となることに加え、今後、地球規模の窒素循環に関与する微生物群集を考察する上で大きな意義をもち、学術的・応用的に貢献するところは少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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