学位論文要旨



No 128034
著者(漢字) 小倉,由資
著者(英字)
著者(カナ) オグラ,ユウスケ
標題(和) 効率的な骨格構築に基づく生物活性有機化合物の合成研究
標題(洋)
報告番号 128034
報告番号 甲28034
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3750号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 東原,和成
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

近代科学が発展を始めた当初から多くの有機化学者は、天然物の単離・構造決定や全合成研究によって生命現象をつかさどる化合物の正体を明らかにしてきた。そしてその研究成果は医薬や農薬、または香料の生産へと繋がり、我々の生活の質を向上させた。現在、この領域が更に発展したケミカルバイオロジーと呼ばれる研究においては、迅速にかつ充分量の試料供給と構造活性相関研究による生物活性物質の最適化が、我々有機合成化学者に求められている。そのためには効率的な合成をする必要があり、できるだけ短工程で全合成を達成することが第一に考えられるが、高度に立体化学を制御したり各反応の収率を向上させたりすることによって高い総収率で全合成を達成することも重要である。更に構造活性相関研究のことも踏まえて、化学修飾を施しやすい合成経路で全合成を達成することも忘れてはならない。筆者はこれらの要素を可能な限り包括して行う全合成が、いわゆる「効率的な全合成」であると考える。

以上のような考えに基づき、筆者は以下の生物活性有機化合物に関して合成研究を行った。

第一章 (±)-Lysidicin Aの合成研究

Lysidicin A (1)は、古代より中国にて骨折や打撲の痛みに対する漢方薬として用いられてきた低木である、Lysidice rhodostegiaの根より単離、構造決定された化合物である1)。これまでに本植物から単離されたフロログルシノール誘導体には血管拡張作用を示すものが存在するが、本化合物の生物活性についての詳細な知見は得られていない。一方でLysidicin A (1)は、2つのアセタールがspiro[furan-furofuran]骨格を形成しており、他の天然物には類を見ないユニークな構造を有している。筆者は本化合物の特徴的な構造に興味を持ち、効率的な骨格構築法の確立と生物活性試験への貢献を目的として、Lysidicin A (1)の合成研究を行った。

実際の合成をScheme 1に示す。トリエーテル2は、出発原料であるイタコン酸ジメチルから7工程で合成した。鍵反応であるトリエーテル2の連続的なクライゼン転位は、ルイス酸としてトリメチルアルミニウムを用いることにより高収率にて進行した。その後、オゾン酸化と分子内アセタール化を含む4工程にてLysidicin A (1)の基本骨格を有する5を構築した。続いて残った水酸基を保護し、銀塩を用いたフリーデルクラフツのアシル化によりイソバレリル基を導入して保護基を除去したところ、Lysidicin A (1)の位置異性体6、7が得られた。最後にそれぞれを酸で処理したところ、いずれの異性体からもLysidicin A (1)が主生成物として得られた。以上総工程数16、総収率3.4%にてLysidicin A (1) のラセミ体合成を達成した。

第二章 抗マラリア活性を有するAnthecularinの不斉合成研究

Anthecularin (8)2)は2007年、Kariotiらによってキク科ローマカミツレ属のAnthemis auriculataから単離・構造決定された、抗マラリア原虫活性を有するセスキテルペンである。本化合物は、マラリア原虫であるPlasmodium属の脂肪酸合成経路の酵素、PfFabIやPfFabGを阻害することによってその成育を妨げる。また、Anthecularinは、オキサビシクロ[3.2.1]オクテン環にシクロヘキセン環とブチロラクトン環が縮環して四連続不斉炭素を有するユニークな構造をしており、いかにこれらの不斉炭素を無駄なく制御しながらAntheculairnの骨格を構築するかに興味が持たれる。そこで筆者はAnthecularinの不斉合成研究を行うことにした。

実際の合成をScheme 2に示す。まずジブロモアルコール9を酸化してアルデヒド10とし、エステル11とEvansの不斉アルドール反応を行った後にラクトン12へと導いた。続いて不斉補助基の除去とカルボン酸の還元、水酸基の保護を行って13とした。次に13に対して側鎖を導入してからホルメート14へと変換した。ホルメート14の分子内Claisen縮合は円滑に進行し、生じたヘミアセタール性のアルコキシドをメトキシエチル化して15を得た。続いて15に対して1当量のビニルリチウムを作用させてケタール16とした後に、閉環メタセシスを行って17と18を平衡混合物として得た。この平衡混合物に対してビニルリチウムを作用させると、19に予想した通り、メトキシエトキシ基の配位効果によって高立体選択的にビニル基が導入されたジオール20が得られた。ジオール20のエーテル化を行って4連続不斉炭素の構築を完了し、その後ラクトン22へと導いた。最後に閉環メタセシスを行い、(+)-Anthecularin (8)の不斉合成を達成した。種々のスペクトルは天然物と良い一致を示し、合成品の比旋光度が天然物のそれと一致したことから、天然物の絶対立体配置は2S,3S,4R,8Sであると決定した。

第三章 癌細胞遊走阻害物質であるUTKO1に関する研究

Aspergillus sp.F7720株より癌細胞遊走阻害活性物質として単離、構造決定されたMoverastin3)の構造活性相関研究によって開発されたUTKO1 (23)は、Moverastinよりも三倍程度強い活性を有している。しかしながら、UTKO1はMoverastinの標的タンパク質であるFTaseを阻害しないことがわかり、その作用機構の解明に興味が持たれている。一方、このUTKO1 (23)は3つの不斉点を有しているが、左側シクロヘキサンユニットの側鎖がシスであり、かつ、二級級水酸基のR, S混合物であることから、4種のジアステレオマー混合物となっている。よって、本化合物の有する立体化学と癌細胞遊走阻害活性との関わりを明らかにすることも興味深いことである。筆者は、UTKO1の標的タンパク質の同定を目的とした標識体の合成とUTKO1の各種異性体の合成を行い、それらを明らかにしようとした。

まず筆者はジアステレオマー混合物のUTKO1 (23)を合成し、それからビオチン誘導体B-UTKO1p (24)とB-UTKO1ox (25)を合成した。そしてUTKO1の標的タンパク質は14-3-3ζであることが共同研究者によって決定された。またUTKO1は14-3-3ζに直接結合することによりRac1の活性化を阻害し、癌細胞の遊走を抑制しているということが明らかにされた。

次に光学的に純粋な(S)-α-Dihydroionone (26)を合成し、それを用いて光学的に純粋なUTKO1を合成した。すなわち、26のオレフィンをを立体選択的に還元してシス体のテトラヒドロイオノンへと誘導した後に別途調製したアルデヒド27とNHK反応を行い、生じた二級水酸基を光学分割剤である28と反応させてジアステレオマーの分離を行い、光学的に純粋な二種類のUTKO1を合成した。また、(R)-α-Dihydroiononeからもう二種類のUTKO1の異性体も合成した。そして合成した四種類のUTKO1の異性体は、それぞれ癌細胞遊走阻害活性を有することが明らかとなった。

総括

以上筆者はLysidicin A (1)、Anthecularin (8)、UTKO1 (23)の3つの生物活性有機化合物について「生物活性有機化合物を効率的に合成すること」を中心に研究を行った。本研究で開発された合成手法が他の天然物を始めとする生物活性有機化合物の合成研究に応用されたり、本研究で合成した化合物が生物学的に新たな事実を明らかにするために用いられたりすることができれば幸いである。

(1) Y. Liu, et al. Org. Lett., 2006, 8, 2269. (2) A. Karioti, et al. J. Org. Chem., 2007, 72, 8103. (3) M. Imoto, et al. Chemistry and Biology, 2005, 12, 1337.

< Scheme 1 Synthesis of (±)- Lysidicin A (1) >

< Scheme 2. Synthesis of (+)-Anthecularin (8) >

< Fig. 1. Biotinylated UTKO1s >

< Fig. 2. Synthesis of optically active UTKO1s >

審査要旨 要旨を表示する

ケミカルバイオロジーと呼ばれる研究領域に関連する近年の天然物や生物活性有機化合物の合成研究においては、その効率性が重要視されつつある。そのためにはできるだけ短工程で全合成を達成することが第一に考えられるが、高度に立体化学を制御することも重要であり、また構造活性相関研究のことも踏まえた化学修飾を施しやすい合成経路を組むことも重要である。すなわち、これらの要素を可能な限り包括して全合成を行う必要がある。本論文は、効率的な骨格構築に基づく生物活性有機化合物の合成研究について論じたものであり、三章より構成されている。

第一章では、中国の民間薬であるLysidice rhodostegiaより単離されたLysidicin Aの全合成研究を行っている。本化合物は2つのアセタールがspiro[furan-furouran]という他の天然物には類を見ない骨格を形成しており、効率的な骨格構築法の確立は有機合成化学的に意義深い。合成の鍵段階では、3つの連続的Claisen転位を高収率で行うこと、および3つのアシル基を同時に導入することに成功して、本化合物初の全合成を達成している。本合成の総収率は高く、効率的なLysidicin Aの合成経路を確立したと言える。

第二章では抗マラリア原虫活性を有するAnthecularinの不斉合成に関する研究を行っている。Anthecualrinは新規骨格上に四連続不斉炭素を有するセスキテルペンラクトンであるが、これらの不斉点を効率的に構築して本化合物の初の不斉全合成を行い、絶対立体配置の決定も行った。合成に際しては、Evansの不斉アルドール反応と分子内Claisen縮合を用いて調製した二環性ラクトンに対して、隣接基の配位効果を巧みに利用した高立体選択的なビニル化を行い、四連続不斉炭素を構築した後に閉環メタセシスを用いている。本合成経路は構造活性相関研究を指向した類縁体の合成にも応用可能である。

第三章では、癌細胞遊走阻害活性を有するUTKO1に関する研究を行っている。本化合物は類似化合物であるMoverastinと作用機構が異なることが知られ、その作用機構の解明に興味が持たれている。本研究で合成したUTKO1のビオチン標識体を用いて、本化合物の標的タンパク質とその作用機構が明らかにされている。またUTKO1は4つのジアステレオマー混合物であるが、本研究ではジヒドロ-α-イオノンからそれらを光学的に純粋に合成して生物活性試験に付すことによって、全ての異性体が癌細胞遊走阻害活性を示すことを明らかにしている。

以上本論文は、新規骨格を有するLysidicin Aの効率的全合成、抗マラリア原虫活性を有するAnthecularinの不斉全合成、および有機合成化学的手法を用いた癌細胞遊走阻害活性を有するUTKO1に関する研究をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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