学位論文要旨



No 128036
著者(漢字) 斉藤,貴之
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,タカユキ
標題(和) イネにおけるマグネシウム動態とMRS2ファミリーの解析
標題(洋)
報告番号 128036
報告番号 甲28036
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3752号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

マグネシウム(Mg)はあらゆる生物に必須な養分元素であり、植物細胞内においては、クロロフィルの中心元素として配置されることや、ATPを介する数多くの代謝反応において、ATPと酵素を架橋してリン酸化反応が進む際の補因子としてMg2+が必要であることなど、その必須性および重要性は以前から認められている。さらに、植物葉中のMg濃度は、植物間でほぼ一定していることから、種間を越えてMg濃度を一定に保つため高度な恒常性の維持機構が保存されていることが推察される。

植物体内のMg輸送に関しては、シロイヌナズナにおけるMg輸送タンパク質の研究が進められ、膜局在型のAtMRS2/AtMGTファミリーが葉緑体や液胞などの様々な部位でMg輸送に関与することが示唆されている。また、Mg濃度の恒常性に液胞膜局在型タンパク質(AtMHX)が関わっている可能性が報告され、Mg輸送タンパク質の生理学的な意義について推察されている。しかし、それ以外の植物種においては、Mg輸送やMg濃度制御機構について分子レベルで解析された例はこれまでに無い。Mgは窒素、リン、カリウム、カルシウムなどの必須元素と比較すると、吸収および移行などの輸送機構や恒常性に関する報告は少ない。近年になり、Mg欠乏に対する応答機構の解明や、生産性への関与の観点から重要性が見直されてきた。

本研究では、主要作物であるイネ(Oryza sativa L. cv Nipponbare)を供試植物として研究を進めた。イネの生育過程において、形態変化に伴うMgの吸収量や再移動性ならびに分布の変化などに関する特徴については、これまでに詳細な研究がなされている一方、Mg輸送を担う分子に関する報告はない。そこで、第1章ではイネに存在するMRS2ファミリーの発現部位や機能に関する解析を行い、既知のAtMRS2ファミリーとの比較を行うことにより基本的な性質やファミリー間の対応関係を推察した。第2章では、Mg欠乏条件下で栽培したイネが示す形質と遺伝子発現の関係について解析した。第3章ではMRS2遺伝子の内、OsMRS2-6(locus : Os03g0684400)のノックダウン体が示す表現型を解析することにより、植物体内においてOsMRS2-6が果たす生理学的な意義について考察した。

1. イネにおけるMRS2ファミリーの発現および機能解析

イネにおいてMRS2ファミリーに属するタンパク質は少なくとも9つ存在すると考えられた(以下、OsMRS2)。このOsMRS2ファミリーにはCorAスーパーファミリーの特徴である2回膜貫通領域やGMNおよび一部が置換されたモチーフが存在し、系統関係の比較から5つのサブグループに分類された。そのサブグループ内においては、AtMRS2と対応しないものも存在した。

OsMRS2遺伝子ファミリーは、植物体全体で発現するグループ(OsMRS2-1/3/4、locus : Os06g0650800/Os01g0908500/Os10g0545000)、根において特に強く発現するグループ(OsMRS2-2/7/8、locus : Os01g0869200/ Os03g0742400/Os04g0430900)、葯や花などの生殖器官で発現するグループ(OsMRS2-5/9、locus : Os03g0137700/Os04g0501100)、葉身部分で発現するグループ(OsMRS2-6、locus : Os03g0684400)に大きく分けられた。また、mRNA蓄積量の解析結果より、OsMRS2-5にはスプライシングパターンが複数存在することや、OsMRS2-1/6については日周に伴うと考えられる発現変動が確認された。さらに、in situ hybridizationによる解析結果から、OsMRS2-2はMg2+の維管束周辺部位における輸送に関与している可能性が考えられた。イネの葉身部分から抽出したプロトプラストを用いて細胞内局在部位を解析した結果、OsMRS2-5/6は葉緑体に局在するタンパク質であることが示唆され、アミノ酸配列情報による系統解析結果を踏まえ、OsMRS2-6はシロイヌナズナのAtMRS2-11のオーソログあると考えられた。

OsMRS2をMg輸送能欠損酵母において発現誘導させ、Mg輸送能の相補性を確認した。Mg濃度が0.1 mMの条件では、OsMRS2-6の導入酵母のみ顕著な増殖を示し、Mg濃度が1.0 mMの条件下においては、OsMRS2-1/3/6/9についてMg輸送能が確認された。OsMRS2-6はMg濃度がμM~mMの幅広いレンジでMgの輸送を介すると考えられた。また、OsMRS2-6は高Mg濃度条件下で生育が抑制されることから、Mg2+の細胞への取り込みを介する可能性が考えられた。以上の結果から、OsMRS2のメンバーは植物体内の様々な器官・組織において局在を異にしてMg輸送に関与することが示唆され、植物体内のMg2+の移行に重要な役割を果たすファミリーである可能性が考えられた。

2. イネにおけるMg欠乏症の解析

植物体内におけるMgの移行動態に伴う生理学的な変化を解析するため、イネにMg欠乏処理を施し、現れる形質と部位および時期に注目してMg欠乏症の解析を行った。播種後2週間目のイネ幼植物をMgを除いた水耕液に移植すると、その後8日目には第5葉(第1葉方式、以下、L5)においてクロロシスの前兆である葉緑素含有量の低下が確認された。また、Mgを再供与した場合、6日間と7日間の処理期間の間で葉の回復可否の境界があることが確認された。また、ヨウ素染色を行った結果から、欠乏処理6日目においてはデンプンの蓄積は確認されなかったが、8日目ではL5、L6において濃青色に染色された。放射性トレーサーを用いた吸収実験により、Mg欠乏処理を6日間施したイネでは、L5への栄養素の移行は停止していないが、8日間の処理では移行量が減少していることが確認された。よって、Mg欠乏によって生じるクロロシスよりも以前の生理学的な応答を解析する条件として6日間の欠乏処理期間が適当であると考え、糖類の蓄積量を測定した。Mg欠乏処理6日目に糖類の蓄積量を測定した結果、スクロース、グルコース、フルクトース含量に有意な変化は確認されなかった。その一方で、L5においてmyo-イノシトール含量は半減し、クエン酸の含有量は大きく増加しており、代謝関連物質の産生に関してMg欠乏の影響が生じていた。また、この時点での遺伝子発現をマイクロアレイにより解析した。その結果、L5では特徴的に生物時計関連遺伝子などに発現量の変動が認められた。さらにOsMRS2ファミリーの一部に関しても、2~4倍程度の増減が確認され、Mg欠乏による制御機構が存在することが示唆された。シロイヌナズナにおいては、Mg欠乏処理によって生物時計関連遺伝子などに変化があることが報告される一方、AtMRS2ファミリーの発現量にはほとんど変動がないことが報告されている。本実験結果は、イネの生育過程とMg欠乏症状の関係を解析したことにより、MRS2ファミリーの発現量の変動が確認された初めての例である。

3. イネにおける葉緑体局在型MRS2の解析

第1章より、OsMRS2-6は他のOsMRS2メンバーと比較して植物体内における発現量が多く、イネ植物体内の葉緑体において機能を果たす高親和性Mg輸送タンパク質であることが強く示唆された。また、Mg欠乏条件下で栽培したイネにおいては、遺伝子発現量の減少が確認された。相同遺伝子であるAtMRS2-11に関しては、過剰発現により特別な表現型は確認されておらず、植物体に果たす役割は不明である。そこで、OsMRS2-6の植物体内における生理学的な役割を解明するべく、ノックダウン体を作出して表現型を解析した。その結果、幼植物期においては生育量および葉緑素含有量に大きな相違は見られなかったが、一方で、Mg欠乏処理を施した場合に、野生型株で見られたデンプンの蓄積が確認されなかった。その後、収穫時期まで栽培を続けると、不完全米の割合が野生型株よりも高く、種子収量の減少が確認された。ただし、収穫時期まで植物体地上部の生育量には、野生型株と大きな相違が確認されなかった。イネの生活環において出穂後の登熟期においては植物体の形成が完了しており、以後の光合成産物の大部分は種子へと転流され、最終的な子実重量の70%が出穂後の光合成に由来すると報告されている。これらのことから、OsMRS2-6は葉緑体内のMg環境を整え、葉の光合成能に寄与することが考えられ、特に登熟期の光合成能に対する寄与が大きいということが示された。

本研究においてはイネを供試植物とし、葉を葉位毎に分けて解析を行い、過去のシンク・ソースと生育過程の関係などに関する情報を基に、Mg欠乏時に植物体内で生じる遺伝子発現の応答に関する知見が得られた。そして、葉緑体局在型のMRS2遺伝子が子実生産性に影響する可能性を示した初めての報告である。

審査要旨 要旨を表示する

マグネシウム(Mg)は、多くの代謝反応において重要な役割を担う植物の多量必須元素である。しかも、植物葉中のMg濃度は種間を越えてほぼ一定であり、高度な恒常性の維持機構保存に関与する推察されるが、Mg輸送を担う分子に関する報告は非常に少ない。

本論文では、主要作物であるイネ(Oryza sativa L. cv Nipponbare)を用い、Mg輸送体であるMRS2ファミリーの遺伝子発現や輸送機能などの性質を分子生物学的手法で解析した。また、Mg欠乏下での時間軸に沿ったMg欠乏症の解析を行い、遺伝子レベルのMg欠乏応答を調べた。さらに、MRS2のノックダウンにより生じる表現型を解析し、Mg動態とMRS2の生理学的な役割について考察した。

第1章では、ゲノムデータベースからピックアップされた9遺伝子(以下、OsMRS2 )の解析を行った。各組織のmRNA量の定量結果から、植物体全体(OsMRS2-1/3/4、locus : Os06g0650800/Os01g0908500/Os10g0545000)、根(OsMRS2-2/7/8、locus : Os01g0869200/ Os03g0742400/Os04g0430900)、葯や花などの生殖器官(OsMRS2-5/9、locus : Os03g0137700/Os04g0501100)、および葉身部分で発現するグループ(OsMRS2-6、locus : Os03g0684400)に分けられた。さらに、OsMRS2-1/6については日周に伴うmRNA蓄積量の変動が確認された。葉身部分から抽出したプロトプラストを用いて細胞内局在部位を解析した結果、OsMRS2-5/6は葉緑体に局在するタンパク質であることが示唆された。そしてMg輸送能欠損酵母を用いた機能相補実験により、Mg濃度が0.1 mMの条件ではOsMRS2-6、1.0 mMの条件下ではOsMRS2-1/3/6/9についてMg輸送能が確認された。以上のことから、OsMRS2は植物体内の様々な器官・組織においてMg2+の移行に重要な役割を果たすファミリーであることが示唆された。また、OsMRS2-6とAtMRS2-11は、日周によるmRNA蓄積量の変動、タンパク質の葉緑体局在性、高親和性輸送能など共通する特徴があり、アミノ酸配列情報による系統解析結果を踏まえ、オーソログの関係であると考えられた。以上の結果から、イネのMRS2ファミリー9遺伝子を網羅的に解析し、Mg輸送体の性質に関する知見が得られた。また、イネを扱う際の実験手法上の困難な点を改良し、新たな知見が得られた。

第2章では、イネの葉位に着目してMg欠乏症を解析した。播種後2週間目のイネにMg欠乏処理を施し、葉緑素含有量や生育量などの欠乏症の解析、Mg再供与による回復実験、放射性トレーサーを用いた吸収実験から、6日間の欠乏処理期間が適当であると設定し、デンプンおよび糖類の蓄積量を解析した。また、この時点での遺伝子発現のマイクロアレイ解析から、生物時計関連遺伝子などに発現量の変動が認められた。さらにOsMRS2ファミリーの一部に関しても、2~4倍程度の増減が確認され、植物体内のMg濃度制御に関与することが示唆された。以上の結果は、イネを葉位毎に分け、詳細な解析を行うことに着眼し、Mg欠乏条件下でMRS2ファミリーの発現量が変動することを初めて明らかにした。

OsMRS2-6は葉緑体局在型の高親和性Mg輸送体であり、Mg欠乏条件下で発現量の減少が確認されたことから、植物体内のMg輸送に重要であることが推察されたが、植物体に果たす役割は不明であった。そこで第3章では、OsMRS2-6ノックダウン体の表現型を解析した。幼植物期の生育量および葉緑素含有量、光合成量などは野生型株と同様であったが、Mg欠乏処理を施した際に野生型株で見られたデンプンの蓄積が確認されなかった。収穫時期の植物生育量は野生型株と同様であったが、種子の不完全米の割合が野生型株よりも3倍程度高く、収量の減少が確認された。これらのことから、OsMRS2-6は光合成によるデンプンの蓄積量に影響し、特に植物体の形態形成が完了した後、種子の登熟段階で光合成量に寄与する可能性が示唆された。以上の結果は、表現型が得られにくいMg輸送体の形質転換体で、葉緑体局在型の1遺伝子が作物生産性に影響する可能性を示した初めての報告である。

本論文は数少ないMg輸送に関する研究として学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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