学位論文要旨



No 128038
著者(漢字) 田中,秀典
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒデノリ
標題(和) シロイヌナズナの浸透圧ストレス誘導性受容体様プロテインキナーゼ遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 128038
報告番号 甲28038
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3754号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 柳澤,修一
 東京大学 准教授 中嶋,正敏
内容要旨 要旨を表示する

序論

乾燥、高塩、低温などの浸透圧ストレスを受けた植物は、細胞レベルや分子レベルで様々な応答反応を示すことが明らかにされつつある。これまでに細胞外環境の認識を行う分子として働くと考えられる受容体様キナーゼ(RLK)は植物細胞の分化・発達に重要な受容体として機能し、細胞内にシグナルを伝達することが明らかにされている。RLK遺伝子は植物ゲノム中に多数存在することから、浸透圧ストレスやそれに関与する植物ホルモン等の外的因子を細胞表層で認識し、細胞内に伝達する分子として働くメンバーが存在する可能性が考えられた。本研究では、植物の浸透圧ストレスシグナルの全体像を明らかにするために、浸透圧ストレス応答及び浸透圧ストレスに対する植物の適応や種子の成熟や休眠などで重要な働きを示す植物ホルモンであるアブシジン酸(ABA)のシグナル伝達に関与する新規RLKの同定・単離を目的とした。当研究室で行われたマイクロアレイデータおよび公共遺伝子発現データベースGenevestigator(https://www.genevestigator.com/gv/)を用いて、シロイヌナズナRLKの中から浸透圧ストレスやABAにより発現が誘導される遺伝子群を探索した。各ストレス条件下で発現誘導が顕著であった遺伝子をABA- AND OSMOTIC-STRESS-INDUCIBLE RECEPTOR-LIKE CYTOSOLIC KINASE 1(ARCK1)と命名し、ABA及び浸透圧ストレス条件下におけるARCK1の関与するシグナル伝達の機能解析を行った。

浸透圧ストレス誘導性RLCK(ARCK1)の機能解析

ARCK1は細胞内のキナーゼドメインのみを持つ受容体様細胞質キナーゼ(RLCK)であった。ARCK1遺伝子の発現様式の詳細を明らかにするために、浸透圧ストレス及びABA処理を行った野生型シロイヌナズナにおけるARCK1遺伝子の発現誘導の経時変化を定量的RT-PCR法で解析した。短時間の浸透圧ストレス及びABA処理によりARCK1遺伝子の発現が誘導された。ARCK1遺伝子発現の組織特異性を明らかにするために、ARCK1プロモーターによりGUSレポーター遺伝子を発現させたシロイヌナズナ形質転換体のGUS活性の局在性を観察した。浸透圧ストレス及びABA処理によって主に地上部でGUS活性が上昇した。ARCK1タンパク質の細胞内局在性を解析するためにGFP-ARCK1を恒常的に発現する形質転換シロイヌナズナを作製した。通常生育条件で、GFP-ARCK1の蛍光シグナルは細胞質において検出された。ARCK1遺伝子の植物体における機能を明らかにするために、ARCK1欠損変異体arck1-1及びarck1-2の表現型解析を行った。これらの変異体では、塩ストレス及びABA存在下で、発芽後の成育段階において野生型に比べて子葉の緑化抑制が観察された。ARCK1は発芽後の生育段階でABAおよび塩ストレスシグナルにおける負の制御因子であることが示唆された。浸透圧ストレス誘導性ARCK1が浸透圧ストレスシグナルに関与するRLKであることが明らかになった。

浸透圧ストレス条件下でARCK1様発現を示すCRK36の機能解析

RLCKは細胞内のキナーゼドメインのみを持つが、細胞膜付近での受容体複合体の形成を介しRLKシグナル伝達系において重要な役割を果たすことが明らかとなってきた。細胞質局在性ARCK1は、膜局在性RLKと協調的に機能し浸透圧ストレスシグナルを制御する可能性が考えられた。ARCK1と協調的に機能するRLKを探索するために、インターネット上の共発現解析ツールであるATTED-II(http://atted.jp/)および Cluster Cutting(http://prime.psc.riken.jp/)を用い、遺伝子共発現解析を行った。共発現解析により類似した発現様式を示すと予測されたRLK群とARCK1の相互作用について酵母ツーハイブリッドシステムを用いて解析し、システインリッチリピート(CRR)-RLK(CRK)ファミリーに属するCRK36のキナーゼドメイン(KD)のみが酵母内でARCK1と相互作用した。大腸菌より精製した融合タンパク質MBP-ARCK1およびGST-CRK36KDを用いてプルダウンアッセイを行い、MBP-ARCK1がGST-CRK36KDと相互作用することが示された。

CRK36遺伝子の発現様式の詳細を明らかにするために、浸透圧ストレス及びABA処理を行った野生型シロイヌナズナにおけるCRK36遺伝子の発現誘導の経時変化を定量的RT-PCR法で解析した。浸透圧ストレス条件下でARCK1様の高い発現誘導が生じることが明らかとなった。CRK36タンパク質の細胞内局在性を解析するためにCRK36-GFPを恒常的に発現する形質転換シロイヌナズナを作製した。通常生育条件で、CRK36-GFPの蛍光シグナルは細胞表層において検出され、原形質分離後に細胞壁から離れた。CRK36-GFPは細胞膜に局在する事が示唆された。

植物内におけるARCK1とCRK36の相互作用を確かめるため、BiFC(Bimolecular Fluorescence Complementation)法による解析を行った。VYNE-ARCK1およびCRK36-SCYCE 融合タンパク質をシロイヌナズナ内で恒常的に発現させる形質転換体を作出し、通常生育条件下で細胞膜において蛍光シグナルが検出された。次に、共免疫沈降法によりARCK1およびCRK36の相互作用を解析した。VYNE- ARCK1およびCRK36-SCYCEを恒常的に発現させた形質転換体から膜画分を調整し、得られた免疫沈降産物からVYNE-ARCK1およびCRK36-SCYCEが共に検出された。以上より植物細胞内でARCK1は細胞膜上でCRK36と相互作用することが示唆された。

CRK36は主に浸透圧ストレス条件下で遺伝子発現が誘導されたため、これらの条件で何らかのシグナル伝達に関与する可能性が考えられた。ABAおよび浸透圧ストレス下におけるCRK36の機能を明らかにするために、二本鎖RNAi法によるCRK36ノックダウン植物を作出した。子葉緑化個体の割合を指標として、発芽後の成育過程におけるストレス応答性を解析した。ABA、高塩および高浸透圧条件において、CRK36 RNAiラインの子葉緑化割合は、野生型やarck1-2と比べて低下していた。CRK36は発芽後の生育段階でABAおよび浸透圧ストレスシグナル伝達における負の制御因子として機能することが示唆された。

CRK36の関与するシグナル伝達における分子レベルの制御機構を明らかにするために、ABA存在下でのCRK36 RNAi植物と野生型植物のmRNAプロファイルをマイクロアレイ解析により比較した。Genevestigatorを用いた解析によりCRK36 RNAi植物において発現変動した遺伝子の多くがABA応答性を示す事が明らかになった。定量的RT-PCR法を用いた解析によりCRK36 RNAi植物で発現上昇した遺伝子群の発現は、ABA存在下で野生型に比べarck1-2変異体において上昇することが示唆された。CRK36およびARCK1はABAシグナル伝達に関わる多くの遺伝子発現を制御する可能性が示唆された。

ARCK1および CRK36の関与するシグナル伝達の分子メカニズムの解析

ARCK1およびCRK36KDが機能的なプロテインキナーゼであるか確かめるために、 [γ-32P] ATPを基質として用いたin vitroリン酸化実験を行った。ARCK1はCRK36KDに比べ低いながら自己リン酸化活性を有し、ARCK1とCRK36KDを共存させた場合にはARCK1リン酸化シグナルが増強された。CRK36KDはARCK1をリン酸化の基質とすることが示唆された。

植物細胞中のARCK1のリン酸化の状態を明らかにする為に、VYNE-ARCK1およびSCYCEもしくはVYNE-ARCK1およびCRK36-SCYCEを恒常的に発現させた形質転換シロイヌナズナにおけるARCK1のリン酸化状態を解析した。VYNE-ARCK1およびCRK36-SCYCEを恒常的に発現させた形質転換体より得られた免疫沈降産物では、塩ストレス依存的に抗リン酸化スレオニン抗体によるシグナルが検出された。CRK36の恒常的発現において塩ストレス依存的にARCK1のリン酸化が促進されることが示唆された。

総括

本研究では、シロイヌナズナゲノム中に数多く存在するRLKの中でもCRKファミリーに属する浸透圧ストレス誘導性のCRK36およびARCK1が複合体を形成し、種子発芽後の生育段階におけるABAおよび浸透圧ストレスシグナル伝達に対してそれぞれが負の制御因子として機能することを明らかにした。また、塩ストレス条件下でリン酸化が増強される新規の複合体(CRK36/ARCK1)であることが示唆された。植物は移動の自由を持たず外界環境の変化に対応する必要があり、浸透圧ストレス下においてはストレス応答および生長を適切に制御するために、負のフィードバックシグナル伝達を担うと考えられるARCK1およびCRK36の関与するシグナル経路が必要とされるのだろうと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は第1章で、研究の背景と目的を述べた。浸透圧ストレスを受けた植物は、細胞レベルや分子レベルで様々な応答反応を示す。細胞外環境の認識を行う分子として働くと考えられる受容体様キナーゼ(RLK)は、浸透圧ストレスやそれに関与する植物ホルモン等の外的因子を細胞表層で認識し、細胞内に伝達する分子としても働く可能性が考えられた。本研究では、浸透圧ストレスシグナルの全体像の解明を目指し、浸透圧ストレス時に重要な働きを示す植物ホルモンのアブシシン酸(ABA)のシグナル伝達に関与する新規RLKの同定を目的とした。当研究室で行われたマイクロアレイデータを用いて、シロイヌナズナRLK中から浸透圧ストレスやABAにより発現が顕著に誘導されるARCK1遺伝子を選抜し、浸透圧ストレス及びABA条件下におけるARCK1の関与するシグナル伝達の機能解析を行った。

第2章で材料と方法を示した後、第3章および第4章で、ARCK1の機能解析に関する結果と考察を記した。ARCK1は細胞内のキナーゼドメイン(KD)のみを持つ受容体様細胞質キナーゼ(RLCK)である。ARCK1の発現は浸透圧ストレス及びABA条件下で主に地上部で誘導されることが示された。形質転換植物体の解析から、GFP-ARCK1が細胞質局在性を示すことが示唆された。arck1変異体では、塩ストレス及びABA存在下で、発芽後の成育段階において野生型に比べて子葉の緑化抑制が観察され、ARCK1は発芽後の成育段階でABA及び塩ストレスシグナルにおける負の制御因子であることが示唆された。

次に、ARCK1と協調的に機能するRLKの探索および解析を行った。RLCKは細胞膜付近での受容体複合体の形成を介しRLKシグナル伝達系において重要な役割を果たすと考えられる。細胞質局在性ARCK1は、膜局在型RLKと協調的に機能し浸透圧ストレスシグナルを制御する可能性がある。ARCK1と協調的に機能するRLKの探索のため、公共の共発現解析ツールにより遺伝子共発現解析を行った。共発現解析より類似した発現様式を示したRLK群とARCK1の相互作用を酵母ツーハイブリッド系により解析し、システインリッチリピート(CRR)-RLK(CRK)ファミリーに属するCRK36のKDが酵母内でARCK1と相互作用することが示唆された。定量的RT-PCRによりCRK36は浸透圧ストレス条件下で地上部において発現が誘導されることが示唆された。CRK36-GFPを恒常的に発現する形質転換体を用い、CRK36-GFPの蛍光シグナルが原形質分離後に細胞壁から離れ、CRK36-GFPは細胞膜に局在することが示唆された。ARCK1及びCRK36の相互作用を詳細に解析するため、プルダウン法、BiFC法及び共免疫沈降法を行った。ARCK1とCRK36は植物細胞膜上で複合体を形成することが示唆された。ABA及び浸透圧ストレス下におけるCRK36の機能解析のために、RNAi法によるCRK36ノックダウン植物を作出した。ABA、高塩及び高浸透圧条件下でCRK36 RNAi植物の子葉緑化割合は、野生型やarck1-2と比べ低下しCRK36は発芽後の成育段階でABA及び浸透圧ストレスシグナル伝達における負の制御因子として機能することが示唆された。ARCK1及びCRK36による分子レベルでの制御を明らかにするためにマイクロアレイ及び定量的RT-PCRにより解析し、CRK36及びARCK1はABAシグナル伝達に関わる多くの遺伝子発現を制御することが示唆された。

最後に、ARCK1及びCRK36の関与するシグナル伝達においてリン酸化による制御について解析した。in vitroリン酸化実験からARCK1及びCRK36KDが機能的なプロテインキナーゼであることを確認し、ARCK1とCRK36KDを共存時にはARCK1リン酸化シグナルが増強した。CRK36KDはARCK1をリン酸化の基質とすることが示唆された。植物中のARCK1のリン酸化状態を明らかにするために、ARCK1及びCRK36を恒常的に発現させた形質転換シロイヌナズナにおけるARCK1のリン酸化状態を解析した。得られた免疫沈降産物では塩ストレス依存的に抗リン酸化スレオニン抗体によるシグナルが検出された。CRK36の恒常的発現により塩ストレス依存的にARCK1のリン酸化が促進されることが示唆された。

以上、本論文は植物の浸透圧ストレス時の成長制御機構において重要な機能を持つ受容体様キナーゼの機能及びそのシグナル伝達系を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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