学位論文要旨



No 128039
著者(漢字) 永井,千晶
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,チアキ
標題(和) クルマエビにおける甲殻類血糖上昇ホルモンの機能解析および受容体の同定
標題(洋)
報告番号 128039
報告番号 甲28039
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3755号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 東原,和成
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 准教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

エビやカニなどが属する甲殻類では、眼柄に主要な神経内分泌系であるX器官‐サイナス腺系が存在する。この内分泌系で産生される甲殻類血糖上昇ホルモン(CHH)族ペプチドは、甲殻類で主要なペプチドホルモンファミリーを形成する神経ペプチドである。このファミリーの分子は、一次構造上の高い相同性を示し、α-helixに富む類似した立体構造を有している。CHH族ペプチドは節足動物で広く保存されたペプチドホルモンファミリーであり、甲殻類では、CHHのほかに、脱皮抑制ホルモン(MIH)、卵黄形成抑制ホルモン(VIH)、大顎器官抑制ホルモン(MOIH)が、また、昆虫では、イオン輸送ペプチド(ITP)およびITP-like(ITPL)が知られている。

CHH族ペプチドでは、一個体のなかに、遺伝子重複により多様化したペプチドが複数存在し、それらの生物活性も多様で重複していることが多い。甲殻類十脚目に属するクルマエビMarsupenaeus japonicusの場合、6種類のCHH族ペプチド(Pej-SGP-I~-III、-V~-VII)がCHH活性およびVIH活性、Pej-SGP-IVがMIH活性を有し、Pej-SGP-Vおよび-VIはさらにMIH活性も示す。また、CHHとされているペプチドは血糖上昇活性を有するが、糖代謝1)のほかにも、脂質代謝、脱皮、生殖、ストレス応答など、多様な生体制御を担っていることが知られている。このようなCHH族ペプチドの「構造類似性」と「多機能性」から、各ペプチドの生理機能やそれによる生体制御の実態を理解することが困難であるのが現状である。それゆえ、CHH族ペプチドによる生体制御の全容を理解するためには、まず、各CHH族ペプチドが生体内でどのように識別されているかを明らかにする必要がある。ホルモンの識別には受容体が重要な役割を担うことから、本研究では、クルマエビを用いて、CHHによる血糖上昇機構を明らかにすることを目的とし、CHH受容体の組織分布や生化学的性質を解析し、さらにその同定を目指した。

第1章 CHHのセカンドメッセンジャーおよびCHH族ペプチドの標的組織の同定

クルマエビにおけるCHHの細胞内シグナル伝達のセカンドメッセンジャーを同定するため、CHHによる標的組織の細胞内cAMP、cGMP、およびIP3レベルの変動を調べた。CHHの主要な標的組織と考えられている肝膵臓について、CHHの産生部位である眼柄の切除、および、ex vivoでの組換えPej-SGP-VII(rCHH)2)の曝露による影響を解析した。その結果、CHHの細胞内シグナル伝達のセカンドメッセンジャーとしてcGMPが同定された3)。非代謝性cGMPアナログを注射した個体では、CHHと同様の血糖上昇作用が認められたことから、CHHの血糖上昇活性は、cGMPを介していることが示された。細胞内cGMPレベルを指標とした生物検定から、rCHHは、解析したいずれの組織に対しても作用した。CHHと同様に、クルマエビでMIHとして機能するPej-SGP-IV、および、眼柄以外でも発現する機能未知のCHH族ペプチド、Pej-MIH-Bもまた、標的組織の細胞内cGMPレベルを上昇させた。これらの結果から、クルマエビのCHH族ペプチドには、その細胞内シグナル伝達にcGMPが関与しているという共通点が見出された4)。

第2章 CHH受容体の生化学的解析

クルマエビにおけるCHH受容体の生化学的性質および組織分布についての知見を得るため、放射性ヨウ素で標識したrCHH(125I-rCHH)を用いたin vitroでの結合実験、化学架橋実験、および、in vivoでのトレーサー実験を行った。125I-rCHHは解析したいずれの組織の膜画分に対しても特異的に結合した。トレーサー実験でも、同様に、いずれの組織においても125I-rCHHの結合が認められた。125I-rCHHの結合量が比較的多かった肝膵臓、心臓、腹部筋肉、後腸、および卵巣の膜画分を用いたスキャッチャード解析から、125I-rCHHとその受容体とは1:1で結合し、Kd = 0.86~3.6 × 10-9 M、Bmax = 138~915 fmol/mg proteinであることが示された。また、化学架橋実験から、これら6つの組織には、rCHHと特異的に結合する約34~62 kDaの膜タンパク質の存在が示され、そのうち、約48 kDaのタンパク質は各組織で共通して認められた。125I-rCHHの結合量に対する眼柄切除の影響を調べたところ、切除から0~14日の間で肝膵臓、心臓、および卵巣の膜画分に対する125I-rCHHの結合量が変動し、特に、肝膵臓では、性差なく、125I-rCHHの結合量が眼柄切除7日後まで単調に増加した。

第3章 発現クローニング法によるCHH受容体の同定の試み

クルマエビにおけるCHH受容体を同定するため、肝膵臓由来のcDNAライブラリーを作製し、発現クローニング法によるCHH受容体のcDNAクローニングを試みた。一過的または安定にライブラリーを発現させた哺乳類細胞に対し、放射性ヨウ素、ビオチン、または蛍光色素で標識したrCHHを結合させ、その結合を指標にPej-SGP-VII受容体をコードするクローンをスクリーニングした。シブセレクション法では、既知の配列と相同性を示さない、膜タンパク質をコードするクローンが得られた。そのタンパク質を一過的に発現させたHEK293T細胞の膜画分に対し、125I-rCHHは特異的に結合した。しかし、本実験では、生体内でPej-SGP-VIIに対する受容体として機能する分子とは断定できなかった。一方、一過的または安定にライブラリーを発現させた細胞を用いた濃縮法では、Pej-SGP-VII受容体と考えられるクローンをはじめ、特定のクローンの濃縮は認められなかった。

第4章 カイコにおけるオーファンGPCRs(BNGRs)からのCHH族ペプチド受容体のスクリーニング

鱗翅目昆虫であるカイコBombyx moriには、ITPおよびITPL(ITPs)の2種類のCHH族ペプチドが存在する。近年、ゲノム配列のin silico解析から、神経ペプチドの受容体として機能するクラスAおよびBのGPCRs(BNGRs)が網羅的解析によって明らかにされた。そこで、このBNGRsの中にITPやITPLに対する受容体が存在するかどうかを検討した。Calcium flux assayにより、大腸菌発現系で調製した組換えITP、ITPL(rITPa、rITPL)に対するBNGRsの応答を解析したところ、クラスAに属するBNGR-A2および-A34がrITPaに、また、BNGR-A24がrITPLに応答することが見出され、その応答のEC50は1.1~2.6 × 10-8 Mであった。また、これら3つのBNGRsのうち、BNGR-A2および-A24はクルマエビのCHH族ペプチド(Pej-SGP-VII、Pej-SGP-IV)にも応答した。さらに、BNGR-A24は他の種で既知のタキキニン受容体(TKR)と高い相同性を有しており、カイコの5種類のTKs(TK1~TK5)にもEC50 = 0.3~7.1 × 10-9 Mで応答した。

次に、ITPsに応答したBNGRsが生体内でITPsやTKsの受容体として機能する可能性を検討した。蛍光標識したrITPsまたはTK4とBNGRsを発現させたCHO細胞との結合実験では、Calcium flux assayで応答が認められたリガンド‐受容体の組合せのみで結合が認められた。カイコ卵巣由来BmN細胞では、rITPsの曝露により細胞内cGMPレベルが上昇した。そこで、5齢2日目のカイコにおいて、rITPsによる細胞内cGMPレベルの変動を指標として、それらの標的組織を同定した。また、RT-PCRにより、ITPsの標的組織では、3つのBNGRsが発現していることが示された。また、前腸、中腸、および後腸では、24時間の絶食によりITPLへの応答が認められるようになったが、それと対応するように、BNGRsの発現レベルが上昇する傾向が見出された。一方、rITPsに応答したBmN細胞の細胞内cGMPレベルの上昇に対する、BNGRsの過剰発現およびノックダウンの影響を解析した。その結果、rITPLに対するBmN細胞の応答シグナルはBNGR-A24を介していることが示された。以上から、カイコでは、BNGR-A2および-A34がITP受容体として、BNGR-A24がITPLおよびTKsの受容体として機能することが明らかとなった。

BNGR-A24に対するrITPLとTKsの結合が競争するかを調べるため、最も高いEC50で作用するTK4、および、多くの種のTKRに対しアンタゴニスト作用を示すsubstance Pアナログ、spantide Iを添加し、rITPLとBNGR-A24との結合に対する影響を解析した。その結果、TK4やspantide Iにより、rITPLのBNGR-A24への結合や、それによるBNGR-A24の活性化が阻害されたことから、ITPLはTKsと競争することが示された。

第5章 クルマエビにおけるカイコBNGRsに対する相同分子のスクリーニング

カイコにおけるCHH族ペプチドの受容体としてBNGR-A2、-A24、および-A34を同定したことから、これらのBNGRsに対する相同分子をクルマエビから探索することにより、クルマエビでCHH族ペプチドの受容体として機能するGPCRsの同定を試みた。

クルマエビの肝膵臓、えら、Y器官、または卵巣由来のcDNAライブラリーから、BNGR-A2、-A24、および-A34の塩基配列に相当する標識DNAプローブを用いて、それらのBNGRsの相同分子をコードするクローンをスクリーニングした。その結果、えら由来のcDNAライブラリーから、BNGR-A24に対するDNAプローブを用いて、他の種のFrizzled-7と高い相同性を有するタンパク質をコードするcDNAの部分配列が見出された。そのcDNA断片と用いたDNAプローブの塩基配列との同一性は48%であった。しかし、Frizzled-7はBNGR-A24とは異なるクラスのGPCRであることから、CHH族ペプチドの受容体ではないと考えられた。そのほかにはGPCRをコードすると考えられるcDNAは得られておらず、未だクルマエビのCHH族ペプチド受容体の同定には至っていない。

本研究では、CHH族ペプチドでは最初の例として、カイコのITPs受容体として機能するBNGR-A2、-A24および-A34の3つのGPCRsを同定した。これらの受容体がクルマエビのCHH族ペプチドに応答したこと、および、節足動物ではCHH族ペプチドが普遍的に存在することから、ITPs受容体と類似のGPCRsが節足動物に普遍的に存在し、CHH族ペプチドの受容体として機能していると推察される。また、第3章から、GPCR以外のCHH族ペプチドの受容体の存在が示唆されたことから、CHH族ペプチドの多機能性を反映するように、その受容体も多様性に富んでいることが予想される。本研究の成果は、CHH族ペプチドによる生体制御の理解に大きく貢献するだけでなく、CHH族ペプチドをモデルとした、リガンド‐受容体の分子進化に対する洞察への大きな一歩をもたらすことが期待される。

1)Chiaki Nagai, Shinji Nagata, Hiromichi Nagasawa. Gen Comp Endocrinol 172: 293-304, 2011.2)Chiaki Nagai, Hideaki Asazuma, Shinji Nagata, Hiromichi Nagasawa. Peptides 30: 507-517, 2009.3)Chiaki Nagai, Hideaki Asazuma, Shinji Nagata, Hiromichi Nagasawa. Ann NY Acad Sci 1163: 478-480, 2009.4)永井 千晶,馬橋(浅妻) 英章,永田 晋治,長澤 寛道.「脱皮・変態の生物学-昆虫と甲殻類のホルモン作用の謎を追う」第19章,園部 治之・長澤 寛道編,東海大学出版会,2011年.
審査要旨 要旨を表示する

甲殻類では、眼柄内に主要な神経内分泌系であるX器官‐サイナス腺系が存在する。この内分泌系で産生される甲殻類血糖上昇ホルモン(CHH)族ペプチドは、甲殻類で主要なペプチドホルモンファミリーを形成する神経ペプチドである。このファミリーの分子は、一次構造上高い相同性を示し、甲殻類では、CHHのほかに、脱皮抑制ホルモン(MIH)、卵黄形成抑制ホルモン(VIH)、大顎器官抑制ホルモン(MOIH)が、また、昆虫では、イオン輸送ペプチド(ITP)およびITP-like(ITPL)が知られている。CHH族ペプチドでは、一個体のなかに、遺伝子重複により多様化したペプチドが複数存在し、それらの生物活性も多様で重複していることが多い。甲殻類十脚目に属するクルマエビMarsupenaeus japonicusの場合、6種類のCHH族ペプチド(Pej-SGP-I~-III、-V~-VII)がCHH活性およびVIH活性を、Pej-SGP-IVが強いMIH活性を有し、Pej-SGP-Vおよび-VIは弱いMIH活性をも示す。また、CHHは血糖上昇活性のほかにも、脂質代謝、脱皮、生殖、ストレス応答など、多様な生体制御を担っていることが知られている。このようなCHH族ペプチドの「構造類似性」と「多機能性」から、各ペプチドの生理機能やそれによる生体制御の実態を理解することが困難であるのが現状である。本論文は、クルマエビを用いて、CHHによる血糖上昇機構を明らかにし、CHH受容体の組織分布や生化学的性質を解析し、さらにその受容体の同定を目指したものである。

序論において以上のような背景を述べた後、第1章では、CHHのセカンドメッセンジャーおよびCHH族ペプチドの標的組織の同定について述べている。クルマエビにおいて、CHH刺激による標的組織の細胞内cAMP、cGMP、およびIP3レベルの変動を調べた結果、セカンドメッセンジャーとしてcGMPが同定された。また、クルマエビでMIHとして機能するPej-SGP-IVおよびPej-MIH-Bも、標的組織の細胞内cGMPレベルを上昇させた。これらの結果から、クルマエビのCHH族ペプチドには、その細胞内シグナル伝達にcGMPが関与しているという共通点が見出された。

第2章では、CHH受容体の生化学的解析について述べている。放射性ヨウ素で標識したrCHH(125I-rCHH)を用いたin vitroでの結合実験、およびトレーサー実験を行った結果、125I-rCHHは解析したすべての組織の膜画分に対して特異的に結合した。そのスキャッチャード解析から、125I-rCHHとその受容体とは1:1で結合し、Kd = 0.86~3.6 × 10-9 M、Bmax = 138~915 fmol/mg proteinであることが示された。また、化学架橋実験から、rCHHと特異的に結合する約34~62 kDaの膜タンパク質の存在が示され、そのうち、約48 kDaのタンパク質は各組織で共通して認められた。

第3章では、肝膵臓由来のcDNAライブラリーから発現クローニング法によるCHH受容体の同定を試みている。シブセレクション法では、既知の配列と相同性を示さない、膜タンパク質をコードするクローンが得られた。そのタンパク質を一過的に発現させたHEK293T細胞の膜画分に対し、125I-rCHHは特異的に結合したが、生体内でPej-SGP-VIIに対する受容体として機能する分子とは断定できなかった。一方、一過的または安定にライブラリーを発現させた細胞を用いた濃縮法では、特定のクローンの濃縮は認められなかった。

第4章では、カイコにおけるオーファンGPCRs(BNGRs)からのCHH族ペプチド受容体の探索および同定について述べている。鱗翅目昆虫であるカイコBombyx moriには、ITPおよびITPL(ITPs)の2種類のCHH族ペプチドが存在する。近年、ゲノム配列のin silico解析から明らかにされたクラスAおよびBのGPCRs(BNGRs)中にITPやITPLに対する受容体が存在するかどうかを検討した。Calcium flux assayにより、大腸菌発現系で調製した組換えITP、ITPL(rITPa、rITPL)に対するBNGRsの応答を解析したところ、クラスAに属するBNGR-A2および-A34がrITPaに、また、BNGR-A24がrITPLに応答することを見出した。また、これら3つのBNGRsのうち、BNGR-A2および-A24はクルマエビのCHH族ペプチド(Pej-SGP-VII、Pej-SGP-IV)にも応答した。

第5章では、クルマエビにおけるカイコBNGRsに対する相同分子を探索している。カイコにおけるCHH族ペプチドの受容体としてBNGR-A2、-A24、および-A34を同定したことから、これらのBNGRsに対する相同分子をクルマエビの肝膵臓、えら、Y器官、または卵巣由来のcDNAライブラリーから探索することにより、クルマエビでCHH族ペプチドの受容体として機能するGPCRsの同定を試みた。その結果、えら由来のcDNAライブラリーから、BNGR-A24に対するDNAプローブを用いて、他の種のFrizzled-7と高い相同性を有するタンパク質をコードするcDNAの部分配列が見出された。しかし、Frizzled-7はBNGR-A24とは異なるクラスのGPCRであることから、CHH族ペプチドの受容体である可能性は低く、未だ受容体の同定には至っていないと考えられる。

本論文では、クルマエビを用いてCHH族ペプチドのセカンドメッセンジャーとしてcGMPを同定し、CHH族ペプチド受容体の生化学的性状を明らかにした。また、カイコのITPs受容体として機能するBNGRsを初めて同定した。また、これらの受容体はクルマエビのCHH族ペプチドにも応答することを示した。本研究は、単にCHH族ペプチドによる生体制御の理解に大きく貢献するだけでなく、リガンド‐受容体の共進化の解析に絶好のモデルになる可能性を示したものであり、無脊椎動物の分子内分泌学の進歩に寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。

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