学位論文要旨



No 128043
著者(漢字) 金,俊植
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジュンシク
標題(和) シロイヌナズナの環境ストレス応答性遺伝子DREB2Aの水ストレスに対する転写調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 128043
報告番号 甲28043
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3759号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 准教授 柳澤,修一
内容要旨 要旨を表示する

栽培作物を含め、一般的な植物は移動の自由を持たないため、生育環境が悪化しても、その場で耐えて生育をし続けねばならない。そのため植物は水分や温度、光条件などの周辺環境の変化を機敏に感知し、的確に応答する機構を発達させてきた。近年の分子遺伝学的手法の発達により、植物の環境ストレス応答機構に数多くの遺伝子が寄与していることが解明されつつある。シロイヌナズナのDehydration-Responsive Element-Binding protein 2A(DREB2A)は乾燥や高塩などの水ストレスや高温ストレスに応答する遺伝子群の転写調節因子として、植物の環境ストレス耐性獲得に重要な役割を果たしている。

DREB2Aはその遺伝子自体の発現もストレス応答性を示す。乾燥や高塩などの水ストレス処理や高温ストレス処理によって、DREB2Aの転写産物量は素早く上昇を始め、最大で処理前の約250倍に達する。さらにこれらのストレス処理に対する転写産物の蓄積パターンの違いから、DREB2Aの両ストレスに対する応答機構が独立的であることが示唆されており、そのうち高温ストレス誘導性は、DREB2Aプロモーター領域上のHSE配列とHsfA1転写因子群の相互作用によって制御されることが明らかになっている。しかし、DREB2A遺伝子の水ストレス応答性機構については未だに不確かな点が多い。その機構の解明のため、先行研究においてDREB2Aプロモーター領域のデリーションシリーズの作製およびストレス環境下での活性測定が行われた。

本研究では、先行研究の結果を元に、DREB2Aプロモーター領域におけるDREB2Aの水ストレス応答性を担うシス因子、相互作用する転写因子の探索および解析を行った。さらに、ストレス非存在下でDREB2Aの転写抑制機構を担うプロモーター領域を同定し、その転写抑制に関与するシス因子と転写因子の探索および解析を行った。

アブシシン酸応答性シス因子ABRE を介したDREB2Aの乾燥ストレス応答機構

DREB2Aの転写開始点の上流 -147から -55塩基対のプロモーター領域(D領域)が示す乾燥ストレス応答性機構を解明するため、シス因子の探索を行った。データベース検索によりABA-Responsive Element(ABRE)とCoupling Element 3(CE3)類似配列が予測されたため、DREB2Aプロモーター領域上の該当配列に塩基置換を導入して活性を測定し、この二つのシス因子がDREB2Aの乾燥ストレス応答性に強く関与していることを証明した。ABREと相互作用する転写因子としては、既存の報告からABREシス因子との相互作用が多数報告されているABRE-Binding protein 1(AREB1)、AREB2そしてABRE-Binding Factor 3(ABF3)の三つのAREB/ABF転写因子が予測された。酵母ワンハイブリッド法やクロマチン免疫沈降法、シロイヌナズナのプロトプラストを用いた一過的発現系を用いた実験の結果、三つのAREB/ABFがABRE依存的にDREB2Aプロモーターと相互作用し、その転写活性を上昇させることが明らかになった。この結果は三つのAREB/ABF転写因子がDREB2Aプロモーターが持つ乾燥ストレス応答性に関与する可能性を示唆するものである。

AREB/ABFはABAを介する水ストレスシグナル経路で中心的な役割を果す転写因子であるため、DREB2Aのプロモーター活性がABAシグナル経路の影響を受けていることが推測された。そこで、三つのAREB/ABFの三重変異体を含む、ABAシグナル経路の機能に欠損があるいくつかの変異体を用いて、乾燥ストレス存在下でのDREB2A遺伝子の転写産物量の比較を行った。その結果、変異体間の差は存在するものの、用いた全ての変異体でDREB2Aの乾燥ストレスに対する転写応答性の顕著な低下が観察された。しかし、典型的なABA応答性遺伝子とは異なり、DREB2Aの乾燥応答性はこれらの変異体においても、ある程度保持されていた。従って、DREB2Aの水ストレス応答性は、AREB/ABFを含むABAシグナル経路の制御を受けているが、ABAシグナル経路以外の経路もDREB2Aの転写に関与すると考えられる。

新規転写因子GRF7 によるストレス非存在下でのDREB2A転写抑制機構

DREB2Aプロモーターのデリーションシリーズにおいて、DREB2Aの転写開始点の上流 -314から -272塩基対のプロモーター領域(S領域)が存在するプロモーター断片では、ストレス非存在下でのプロモーター活性が抑制される傾向が示されたため、その機構の解明に挑んだ。S領域の配列からは既知のシス因子と類似した配列が発見されなかったため、S領域をベイトとした酵母ワンハイブリッドスクリーニングを行った。その結果、転写因子と考えられていたが機能未知のタンパク質であったGrowth-Regulating Factor 7(GRF7)がS領域との相互作用因子として単離され、DREB2Aプロモーターの活性がGRF7との共発現によってS領域依存的に有意に抑制されることが示された。また、GFPとの融合タンパク質を発現させた植物体の蛍光顕微鏡観察により、GRF7が核に局在することが確認できた。T-DNA挿入(grf7-1)あるいは人工マイクロRNAの発現(amiG7)によりGRF7の機能に欠損が生じた植物体は、野生型に比べサイズが少し小さくなり、ストレス非存在下でのDREB2Aの転写産物量が有意に上昇していた。これらのことはGRF7がS領域と相互作用し、ストレス非存在下でDREB2Aプロモーターの転写活性を抑制する重要な転写因子である事を示唆する。

次に、GRF7が認識するプロモーター配列を決定するため、GST融合GRF7タンパク質とS領域由来の様々なDNA断片との相互作用をElectrophoresis Mobility Shift Assay(EMSA)法により調べた。S領域の配列に塩基置換を施した実験の結果、TGTCAGGの7塩基がGRF7タンパク質の結合に重要であることが示唆された。さらにこの7塩基に塩基置換を導入したDREB2Aプロモーター領域の転写活性を測定することにより、実際にこの配列がDREB2Aプロモーターの活性を抑制することを確認し、GRF7-Targeting Element(GTE)と名付けた。

最後にシロイヌナズナのトランスクリプトームにおけるGRF7の役割を調べるため、amiG7を用いたマイクロアレイ解析を行った。2倍以上の有意な発現量の変化を示した遺伝子のうち、約75%の遺伝子は発現量が上昇しており、さらにその約68%がDREB2Aを含む乾燥及び高塩ストレス応答性を示す遺伝子であった。このことからGRF7が転写抑制能を持つ転写因子であり、特に乾燥や高塩などの水ストレス応答性遺伝子の発現をストレス非存在下で抑制する役割を持っていることが考えられる。GRF7の機能欠損により植物体のサイズが大きくなることも考慮すると、GRF7はストレス非存在下で水ストレス応答性遺伝子の発現を抑えることで植物の生育を助けている可能性がある。

総括

本研究では、DREB2Aプロモーターの二つの異なる領域に着目し、乾燥ストレス存在下での転写促進機構及び、ストレス非存在下での転写抑制機構の解明を行った。DREB2Aは植物の高温や水ストレスに対する耐性獲得に重要な役割を果たす転写因子であるが、その恒常的な活性は植物の生育に悪影響を与える。そのため、植物は常にDREB2Aの活性発現を的確に制御する必要がある。今回解明された二つの拮抗する転写調節機構はそのための厳密な制御機構の一翼を担うものであると考えられる。まず、水ストレス環境下では、ABA依存性とABA非依存性の二つの経路からシグナルを受けることで、DREB2Aの発現を高い精度で調節することが可能になっていると期待される。またGRF7による転写抑制機構はDREB2Aにとどまらず、他の水ストレス応答性転写因子の転写抑制にも関与する可能性があり、限られたエネルギーを環境への順応と生育への投資に分配しなければならない植物が、如何にしてこの二つを両立するのかを解明する端緒となることが期待される。

Kim, J.S., Mizoi, J., Yoshida, T., Fujita, Y., Nakajima, J., Ohori, T., Todaka, D., Nakashima, K., Hirayama, T., Shinozaki, K. and Yamaguchi-Shinozaki, K. (2011) An ABRE promoter sequence is involved in osmotic stress-responsive expression of the DREB2A gene, which encodes a transcription factor regulating drought-inducible genes in Arabidopsis. Plant Cell Physiol. 52: 2136-46.

図1 本研究により明らかになったDREB2Aの転写調節機構の模式図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は第I章で、研究の背景および目的について述べた。栽培作物を含む多くの植物は移動の自由を持たないため、周辺環境が悪化しても、その場で耐え生育し続けなければならない。そのため植物は周辺環境の変化を敏感に感知し、的確に応答する機構を発達させてきた。シロイヌナズナのDehydration-Responsive Element-Binding protein 2A(DREB2A)は乾燥や高塩などの水ストレスや高温ストレスに応答する遺伝子群の転写調節因子として、植物の環境ストレス耐性獲得に重要な役割を果たしている。また、DREB2A遺伝子自身の発現もこれらのストレス応答性を示す。DREB2Aの転写調節機構の解明に向け、先行研究ではDREB2Aプロモーター領域のデリーションシリーズの作製及びストレス環境下での活性測定が行われた。本研究では、先行研究の結果を元に二つのプロモーター領域(D領域、S領域)を選抜し、DREB2Aの水ストレスに対する転写調節を担うシス因子と転写因子の探索及び機能解析を行った。

第II章では、DREB2Aの乾燥ストレス応答性を担うプロモーター領域とシス因子の解析を示した。D領域はDREB2Aの転写開始点の上流 -147から -55塩基対のプロモーター領域で、乾燥ストレス応答性を示す。シス因子としてABA-Responsive Element(ABRE)とCoupling Element 3(CE3)類似配列を同定し、両シス配列がDREB2Aの乾燥ストレス応答性の発現に強く関与していることを示した。ABREと相互作用する転写因子として、ABRE-Binding protein 1(AREB1)、AREB2とABRE-Binding Factor 3(ABF3)を推定し、これらのAREB/ABFがABRE依存的にDREB2Aプロモーターと相互作用し、転写を活性化させることを示した。さらにABAシグナル経路で働く重要な因子の機能変異体を用いることで、DREB2Aの乾燥に対する転写活性がABAシグナル経路の影響を受けることを明らかにした。しかし、典型的なABA応答性遺伝子に比べ、DREB2Aの転写の低下は部分的に留まっており、DREB2Aの乾燥に対する転写がABA非依存的経路の影響も受けていることが示唆された。

第III章では、DREB2Aプロモーター上のS領域によるストレス非存在下でのプロモーター活性の抑制機構について記した。S領域はDREB2Aの転写開始点の上流 -314から -272塩基対のプロモーター領域で、ストレス非存在下におけるプロモーター活性の抑制に寄与する。S領域と相互作用する転写因子として、酵母ワンハイブリッドスクリーニングによってGrowth-Regulating Factor 7(GRF7)を単離した。GRF7は核に局在し、一過的発現系においてS領域依存的にDREB2Aプロモーター活性を低下させる。人工マイクロRNA(amiG7)やT-DNA挿入(grf7-1)を用いたGRF7の機能欠損変異植物は野生型に比べ、植物のサイズが小さくなり、ストレス非存在下でのDREB2A転写産物量が上昇した。以上の結果から、GRF7がS領域を介してストレス非存在下でのDREB2Aの転写活性に影響を与える転写因子であることが明らかになった。続いてEMSA法を用いたS領域上におけるGRF7の結合配列の探索を行い、新規シス因子GTE(GRF7-Targeting Element)を同定した。続いて植物の転写制御システムにおけるGRF7の役割を調べるため、amiG7を用いたマイクロアレイ解析を行った。その結果、大半の遺伝子の発現量が有意に上昇しており、水ストレスやABA応答性を示した。さらにGRF7の機能欠損植物は野生型に比べ、顕著に強い乾燥及び高塩耐性を示した。以上の結果から、GRF7がDREB2Aを含む水ストレス応答性遺伝子の発現を抑制することで、植物の水ストレス耐性を負に制御する因子であることが明らかになった。

第IV章では得られた結果をもとに、DREB2Aプロモーター領域によるDREB2Aの転写調節機構を考察した。DREB2Aは植物の高温や水ストレスに対する耐性獲得に重要な役割を果たす転写因子であるが、その恒常的な活性は植物の生育に悪影響を与える。そのため、植物は常にDREB2Aの活性発現を的確に制御する必要がある。本研究から解明された二つの拮抗する転写調節機構はその厳密な発現制御機構の一翼を担うものであると考えられ、限られたエネルギーを環境への順応と生育とに分配しなければならない植物が、如何にしてこの二つを両立するのかを解明する端緒となることが期待される。

以上、本論文は高温と水ストレスに対する耐性の獲得に重要な役割を果たす転写因子遺伝子の発現制御機構を明らかにする事により、植物の環境への適応と生育とのバランスの制御機構を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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