学位論文要旨



No 128045
著者(漢字) 徐,銀卿
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ウンキョン
標題(和) 植物病害抵抗性を制御する物質の探索とその作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 128045
報告番号 甲28045
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3761号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 中嶋,正敏
内容要旨 要旨を表示する

作物を病害から守ることは、安定した農業生産力を維持するために重要な手段のひとつである。そのために化学農薬である殺菌剤が大量にかつ広汎に使用され大きな成果を挙げてきたが、近年の環境保護への意識の高まりや食の安全への志向から、植物が本来持つ抵抗性を効率的に利用することが注目されている。これまでに植物の病害抵抗性を活性化する化合物であるプラントアクティベーターが実際の病害防除に活用されてきており、それらの化合物をプローブとした研究が進められてきたが、病害抵抗性の作用機構の詳細については今後の研究進展が必要な状況である。今後の課題として、植物の病害抵抗性の発現機構を解明し、その知見を応用することで、農作物の病害抵抗性をより効果的に活性化でき、さらに殺菌剤の使用を削減することで環境に対する負荷を大幅に軽減することが期待されている。

近年になって生理活性を有する低分子化合物を生物学研究に応用し複雑な生物システムを明らかにするケミカルバイオロジーが新しい研究分野として発展している。植物生理現象の研究においても植物ホルモンの生合成やシグナル伝達を阻害する阻害剤を開発し、その化合物を利用し新しい植物ホルモンの機能やシグナル伝達機構を明らかにする研究が行われてきた。植物病害抵抗性機構の解明には変異体解析研究が多大な貢献をしているものの、化合物を利用した研究例は少ない。そこで本研究では病害抵抗性機構の解明に向けた試みとしてケミカルバイオロジー的手法を用いることにし、病害抵抗性を制御する新規化合物の探索を行った。

また病害抵抗性の発現機構にはいろいろな植物ホルモンのネットワークが関与していることが最近になって明らかになってきている。このネットワークは自身の生長を制御しつつ外部からの様々なストレスに対応するための植物の生存戦略の一環であり、植物ホルモンシグナルネットワークの詳細な分子機構を解明することにより、様々な外部環境に対して適応しながら病原体に対して抵抗性を示す植物の創出が可能になると期待される。そこで本研究では病害抵抗性機構と環境ストレスに対する応答シグナルのクロストークに関して検討した。

植物病害抵抗性の抑制化合物の探索

植物の病害抵抗性にはSAを介する免疫機構が重要であることが明らかとなっているものの、詳細なメカニズムについては不明な点が多い。そこで新たな変異体の探索や原因遺伝子の同定によるシグナル伝達機構の解明につながるようなSAシグナル伝達阻害活性を示す化合物を探索することにした。SAシグナル伝達阻害活性を示す化合物を網羅的に調べるため、SAシグナルにより発現が上昇する遺伝子のプロモーターGUS発現系を利用したハイスループットな実験系を構築しスクリーニングを行った。市販の化合物ライブラリーの化合物が含有されている96ウェルプレートにPR1::GUSシロイヌナズナを播種し、10日目にPR1プロモーターを活性化する化合物としてSAを噴霧処理した。SA処理3日後に植物体をサンプリングし、GUS染色試験を行い、SA誘導性GUS活性上昇に対して阻害効果を示す化合物を候補化合物として選抜した。また化合物の活性強度を定量的に調べるため、real-time PCRを行い候補化合物の処理に伴う遺伝子発現レベルの変化を解析した結果、最終的に7種類の候補化合物にGUS発現を低下させる効果を見出した。その中で最も強い阻害活性を示す化合物をSAシグナル阻害剤候補物質として選抜し、PAMDと名づけ、以下PAMDを用いてその生理作用に関する研究を進めた。まず選抜したPAMDのSAシグナル阻害活性発現に重要な構造特性を調べるため、入手可能な様々なPAMDの類縁体についてそれらのSAシグナル阻害効果を調べ、構造活性相関について検討した。その結果、PAMDやPAMD類縁体の阻害活性にはアミノメチリデンシクロヘキサジオン構造と適当な置換基で修飾された芳香環を有することが重要であることが示唆された。

続いてPAMDの植物病害抵抗性に対する阻害活性を確かめるために、アブラナ科野菜類炭そ病菌であるColletotrichum higginsianumを用いて病原菌感染試験を行った。PAMDを処理したシロイヌナズナにおける病原菌の感染程度を観察した結果、PAMDの処理に伴う炭そ病菌に対する感受性の増加が確認された。以上より、PAMDはSAを介するシグナルを負に制御し植物の病害抵抗性を低下させていると考えている。またその作用部位は抵抗性発現のための情報伝達系上で重要な機能を果たしている因子であるNPR1の下流であると予想できる結果を得た。

以上SAシグナル伝達阻害効果を示すアッセイ系を用いたスクリーニングよりSAシグナル誘導阻害剤を見いだすことができた。今後、この化合物を利用するケミカルバイオロジー的手法より植物の病害抵抗性に関する未知の機構の解明が期待される。

植物病害抵抗性と環境ストレスの相互作用についての研究

植物の病害抵抗性機構とABAを介する環境ストレス応答の間には拮抗的な相互作用があることが明らかになっており、それらの相互作用のメカニズムを解明することにより病害抵抗性の作用機構についての新たな知見が得られると考えた。そこで、様々なABA合成類縁体を用いSA誘導性GUS活性上昇に対する阻害効果を調べ、病害抵抗性抑制効果とABA合成類縁体の構造活性相関について調査した。またABA受容体として同定された14種類のPYR/PYLファミリーの中で病害抵抗性制御選択的に関わっているABA受容体が存在する可能性があると考え、各ABA受容体の過剰発現体を作製した。続いて、それら各受容体過剰発現体におけるABAのSAシグナル阻害活性を野生体や過剰発現体間で相互に比較することで、ABAの病害抵抗性阻害活性を選択的に伝達しているABA受容体の存在について検討した。

(1) ABA合成類縁体による病害抵抗性抑制と構造活性相関

ABA生物試験として行った気孔閉鎖試験、発芽阻害試験、α-アミラーゼ誘導阻害試験、そして芽生えの伸長阻害試験の四つの結果に基づき、本研究に用いた16種類のABA合成類縁体を3グループに分け、それぞれのSA誘導性GUS活性を抑制する効果を調べ、構造活性相関について検討した。その結果ABA生物試験において見られた構造活性相関と同様の傾向を示すことが明らかとなったが、従来の生物試験で活性が確認されたにもかかわらず、SA誘導性GUS活性の抑制効果が見られなかったABAと異なる活性を示す可能性のあるABA合成類縁体を複数見いだすことができた。その中の1つを選び、新たに合成した化合物を用いて再試験を行ったところ、スクリーニング時と異なりABAと同様の活性を示すとの結果が得られたので、他の化合物についても逐次化学合成を行いSAシグナル抑制効果について詳細に調べる必要があると考えている。

(2)植物病害抵抗性に関与するABA受容体の追究

シロイヌナズナにはABA受容体であるPYR1と配列の相同性を有する13種類のタンパク質PYL1-13 (PYR-like protein)が存在し、冗長的に機能していることが明らかとなっている。ABAが多様な生理作用を担っていることを考えると、14種類のABA受容体が各々の生理作用を発現するために役割分担し機能を果たしている可能性が予想される。そこで病害抵抗性の阻害作用発現に対して特異的に機能しているABA受容体が存在している可能性があると考え、それについて追究することにした。まず10種類のABA受容体PYLs ( PYL1, 2, 3, 4, 6, 7, 8, 11, 12, 13)の過剰発現体を作製し、それら植物体におけるABAによるSAシグナル伝達阻害効果を調べた結果、PYL1, 2, 6, 7, 8の5種類の形質転換体でより高い阻害活性が見られた。この結果をさらに確認するために受容体選択的アゴニスト、アンタゴニストを利用したケミカルバイオロジー的解析を行うことにした。化合物AS2はPYL1, 2, 3ではABA受容体のアゴニストとして、またPYL4から13ではアンタゴニストとして活性を示す化合物である。このAS2を用いてSA誘導性GUS活性阻害試験を行った結果、AS2処理によるGUS活性の低下が見られた。この事実はPYL1,2, 3を介したAS2の活性発現がSAシグナル抑制効果として現れていることを示している。以上の結果を合わせると、SAを介する病害抵抗性を抑制するABAの作用にPYL1とPYL2がかかわっている可能性が示唆された。また 10種類のABA受容体高発現体中PYL1, 2, 4, 11, 12が高い塩耐性を示していた。以上の結果をまとめると、塩ストレス耐性と病害抵抗性の誘導阻害活性の両方においてPYL1, 2が機能している可能性が高いと考えることができる。今後本研究の結果をもとにPYLsの多重変異体を用いたSAシグナルの抑制活性やストレス抵抗性について解析を行うことにより、病害抵抗性と相互作用するABA受容体が明確になり、複雑なABA受容体の機能分担の一端とABA-SAクロストーク機構を解明することが可能になると予測している。

Seo EK, Nakamura H, Mori M and Asami T. Screening and characterization of a chemical regulator for plant disease resistance. Bioorganic & Medicinal Chemistry Letters. In press.

PAMD

審査要旨 要旨を表示する

作物を病害から守ることは、安定した農業生産力を維持するために重要な手段のひとつである。そのために化学農薬である殺菌剤が大量にかつ広汎に使用され大きな成果を挙げてきたが、近年の環境保護への意識の高まりや食の安全への志向から、植物が本来持つ抵抗性を効率的に利用することが注目されている。植物の病害抵抗性の発現機構を解明し、その知見を応用することで、農作物の病害抵抗性をより効果的に活性化でき、さらに殺菌剤の使用を削減することで環境に対する負荷を大幅に軽減することが期待されている。

近年になって生理活性を有する低分子化合物を生物学研究に応用し複雑な生物システムを明らかにするケミカルバイオロジーが新しい研究分野として発展している。植物病害抵抗性機構の解明には変異体解析研究が多大な貢献をしているものの、化合物を利用した研究例は少ない。そこで本博士論文研究では、まだ未知の部分が多い病害抵抗性機構の解明に向けた試みとしてケミカルバイオロジー的手法を用いることにし、病害抵抗性を制御する新規化合物の探索およびその作用機構の解析を試みた。

第2章では、植物病害抵抗性の誘導や調節に重要な働きをしているSAのシグナル伝達機構の解明につながるようなSAシグナル伝達阻害活性を示す化合物の探索を行った。ケミカルバイオロジー研究に用いる活性化合物を網羅的に調べるために簡便な実験系を構築し、それを利用したスクリーニングよりSAシグナル阻害活性を示す化合物であるPAMDを見出すことができた。PAMDを処理したPR1::GUSシロイヌナズナでは、SA誘導性GUS活性の阻害、炭そ病菌に対する感受性の増加、そしてSAシグナルマーカー遺伝子の発現量の減少が観察され、PAMDがSAを介するシグナルを負に制御し、植物の病害抵抗性を低下させることが確認できた。またPAMDの作用部位は抵抗性発現のための情報伝達系上で重要な機能を果たしている因子であるNPR1の下流であることが示唆された。続いてPAMDを処理する実験の過程でPAMDがSAシグナル阻害活性とともに矮化作用を有していることが明らかになり、PAMDが有するSAシグナル阻害活性と矮化作用に密接な関係が存在する可能性について検討した結果、PAMDが、DELLA因子の安定化を通してGAシグナルを阻害することで、植物の矮化作用を誘導するとともに病害抵抗性阻害活性を示した可能性が示唆された。

第3章では、SAシグナルによる病害抵抗性を抑制するABAの作用機構を明らかにすることにより、SAシグナルの作用機構解明に向けての新たなアプローチが可能になると考え、病害抵抗性抑制作用にかかわっているABA受容体の同定・解析を試みた。ABA受容体の過剰発現体を作製し14種類の受容体のうち10種類の過剰発現体 (PYL1, 2, 3, 4, 6, 7, 8, 10, 11, 12)を得て、これらの過剰発現体におけるSAシグナル抑制効果を調べ、各ABA受容体においての活性を検討した。その結果、PYL1, 2, 6, 7, 8がSAシグナル抑制作用に対して機能を果たしており、さらにABA受容体選択的アゴニストを用いた結果、PYL1とPYL2が病害抵抗性に関しては主要にかかわっている可能性が示唆された。また、病害抵抗性抑制活性以外のABA活性に関与するABA受容体について検討するために、塩ストレス条件下での発芽試験を行い、PYL1, 2, 4, 11, 12が塩ストレス耐性に選択的に機能している結果が得られたことから、PYL1とPYL2は病害抵抗性抑制活性と塩ストレス耐性の両方において機能している可能性が示唆された。以上のことから、複雑なABA受容体の機能分担について新たな知見を得ることができた。

以上のように本研究において、SAシグナル抑制に関わる新しい物質の発見とその生理作用発現部位に関する知見を得ることができたことは、この化合物を起点としたケミカルバイオロジー的手法を用いたSAシグナルの作用機構研究を可能にした。またABA受容体中でSAシグナル抑制に関わる受容体候補を初めて明らかにすることができた。これらの結果はSAシグナルの作用機構を明らかにして行く上での重要な知見を与え、学術的にも応用的にも寄与するところが多い。よって審査委員一同は、本研究が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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