学位論文要旨



No 128047
著者(漢字) 小林,新吾
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,シンゴ
標題(和) 出芽酵母におけるホスファチジルエタノールアミンの代謝と輸送に関する研究
標題(洋)
報告番号 128047
報告番号 甲28047
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3763号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 有岡,学
 東京大学 准教授 舘川,宏之
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

脂質二重層を基本構造とする生体膜の主たる機能は、細胞やオルガネラを外界から隔てることである。そしてただ区切るだけではなく、生体膜は反応の場として、また物質や情報のやりとりの場として、多くの機能を有している。生体膜は多様な脂質により構成されるが、その脂質分布は一様ではない。例えば細胞膜はステロールに富み、カルジオリピンはミトコンドリアにしか見られないなど、脂質は細胞内で不均一に分布している。このような脂質の不均一分布は膜が機能を果たす上で重要な意味を持つと考えられる。この不均一分布は脂質の輸送と代謝により構築されると考えられる。また細胞内では脂質合成酵素がいくつかの特定のオルガネラに分布しているため、脂質代謝そのものが脂質輸送により制御されると考えられる。しかしこれほど重要な細胞内現象でありながら、脂質輸送に関する知見は非常に乏しい。そこで本研究ではモデル生物である出芽酵母について、ホスファチジルエタノールアミン(PE)輸送に関わる細胞内機構の解明を目的として解析を行った。

第1章小胞体からミトコンドリアへのPE輸送を評価する実験系の構築

これまでに、ミトコンドリアに局在しPEを合成するホスファチジルセリン(PS)デカルボキシラーゼPsd1pを欠失すると、酵母は非醗酵性炭素源を資化できなくなることが分かっている。これはミトコンドリアのPE量が欠乏することにより、ミトコンドリアの呼吸機能に欠損が生じるためと考えられる。この表現型は細胞外からエタノールアミンを添加することで抑圧されることから、小胞体で合成されたPEの一部はミトコンドリアへ運ばれて利用されたと考えられる。しかし、このPE輸送を担う細胞内機構は全く不明である。その原因の一つとして細胞内PE輸送を評価する実験系が構築されていないことが挙げられる。そこで小胞体からミトコンドリアへのPE輸送に関して、これを評価する実験系を構築した。

PE輸送を評価する実験系として次のような戦略を考えた。まず出芽酵母のホスファチジルコリン(PC)合成に関わるPEメチルトランスフェラーゼを欠失したpem1Δpem2Δ株を作製する。次にpem1Δpem2Δ株において人工的にPEメチルトランスフェラーゼをミトコンドリアに局在させる。この株に対しラジオアイソトープで標識したエタノールアミンを与え、小胞体膜上に放射標識されたPEを合成させる。この標識PEはミトコンドリアに運ばれた場合にのみPCへと変換される。この条件では標識PCの合成量を指標に、小胞体からミトコンドリアへのPE輸送を評価することができる。

ミトコンドリアに局在させるPEメチルトランスフェラーゼとして酢酸菌由来のPmtを利用した。PmtのN末にミトコンドリア標的シグナルと膜貫通領域を、C末にHAタグを融合した蛋白質mitopmtを設計し、これを出芽酵母内で生産するためのプラスミドmitopmt22を構築した。pem1Δpem2Δ株にmitopmt22を導入したところ、mitopmtは正しくミトコンドリアに局在した。またmitopmtはpem1Δpem2Δ株のコリン要求性を抑圧し、pem1Δpem2Δ/mitopmt22株をコリン非添加培地で培養した場合にも膜脂質にPCが観察された。これらのことから、mitopmtを利用してPE輸送を観察できると考えた。

そこで実際にpem1Δpem2Δ/mitopmt22株に対して[3H]エタノールアミンを与え、PEやPCに含まれる放射能を測定した。その結果、PEやPC中に含まれる放射能は経時的に増加した。このことから小胞体で合成されたPEの一部はミトコンドリアへと運ばれることが確かめられ、目的の実験系を構築することに成功した。またこの実験系は、エンドソームに局在するとされるPsd2pにより合成されたPEについて、そのミトコンドリアへの搬入を評価することにも応用できると期待される。

第2章ミトコンドリアへのPE輸送に関わる因子の探索

上で述べたように、出芽酵母においてはミトコンドリアへとPEを輸送する細胞内機構が存在すると考えられる。そこでこのPE輸送に関わる因子の取得を目的とし、psd1Δ株の乳酸資化能欠損を多コピーで抑圧する因子を探索した。この探索系においては、もう一つのPE合成酵素であるPsd2pを介して合成されたPEが効率的にミトコンドリアへと運び込まれるか、あるいはPE合成の亢進や分解の抑制によって細胞全体のPE量が増加することなどにより、結果的にミトコンドリアのPE量が回復した株が取得できると期待された。得られたクローンについて挿入遺伝子を決定したところ、高発現によりpsd1Δ株の乳酸資化能欠損を抑圧する遺伝子として、PSD1、PSD2、DPL1、SFH1が取得された。このうちPSD1、PSD2、DPL1についてはそれらの産物の機能からPE合成の亢進によって目的の表現型を示したことが推測できることから、探索系は正しく機能したと考えられた。

SFH1の遺伝子産物Sfh1pは、Sec14pファミリー蛋白質に属する蛋白質である。Sec14pファミリー蛋白質は人工膜間でPCやホスファチジルイノシトール(PI)を輸送する活性を有することが知られているが、細胞内で脂質を輸送するかどうかは明らかになっていない。そこでSfh1pが細胞内PE輸送に関与するかどうか検討した。

まずSFH1について、その高発現が細胞にどのような変化をもたらすか検討した。その結果、psd1Δ株においてSFH1を高発現するとミトコンドリアのPE量が増加することが確認された。またこの条件では、細胞全体のPE量も増加していた。SFH1高発現の効果はpsd1Δpsd2Δ株においては見られないことから、SFH1高発現による細胞PE量の増加はPsd2pを介したものと考えられた。

さらに、[3H]セリンを利用して細胞内リン脂質代謝を観察した。その結果、psd1Δ株においてSFH1を高発現すると、PS合成は約2倍に、PE合成は約4倍に亢進することが明らかになった。そこでPS合成やPE合成に関わる酵素の活性に対するSfh1pのin vitroにおける効果を調べたが、影響は見られなかった。以上のことから、Sfh1pはPsd2pが局在するエンドソーム周辺の脂質フローを変化させることで、Psd2pを介したPE合成を亢進した可能性が考えられた。

第3章Sfh1pの細胞内機能に関する解析

第2章の結果から、Sfh1pが細胞内PE輸送に関与することが考えられた。また以前の報告から、Sfh1pはPCやPIの輸送活性を持つこと、及びPC、PIに加えて、その脂質結合ポケットにPEを挿入できることが分かっている。

そこでSfh1pについてリコンビナント蛋白質His8-Sfh1pを調製し、Sfh1pが人工膜間でPEやPSを輸送できるかを検討した。その結果、PEについてはSfh1pによる輸送が見られたが、PSについては輸送が観察されなかった。

次にSfh1pが細胞内でどの脂質を挿入しているか検討した。Sfh1pのC末にIgG結合ドメインであるZZタグを連結したSfh1ZZpをpsd1Δ株において高生産し、IgGセファロースビーズを用いてSfh1ZZpを精製した。精製したSfh1ZZpから脂質を抽出し、質量分析装置で検出した。その結果、Sfh1pには酵母の主要リン脂質であるPC、PE、PI、PSが挿入されていた。検出された脂質の量と細胞内リン脂質組成比から、細胞内でSfh1pには主にPC、PE、PIが挿入されていると考えられた。

脂質輸送蛋白質の多くは膜への標的にホスホイノシチドを利用することが示唆されている。そこでSfh1pがホスホイノシチドに結合するか検討した。その結果、Sfh1pはPI(3,5)P2に特に強く結合することが明らかとなった。PI(3,5)P2は主として液胞やエンドソームに存在する微量脂質であることから、Sfh1pがエンドソーム周辺で機能する際にPI(3,5)P2が関与する可能性が考えられた。

総括

第1章の結果から、これまで解析が困難であった小胞体からミトコンドリアへのPE輸送について、これを評価することができるようになった。

第2章と第3章の結果から、Sfh1pがエンドソーム周辺でのPE輸送に関与すると考えられた。またSfh1pには人工膜間でPEを輸送する能力があったことから、細胞内でPEを輸送している可能性も考えられた。これらの結果から、Sfh1pはエンドソームからPEを運び出すことで、Psd2pに対する生産物阻害を抑制し、その結果PE合成を亢進した可能性が考えられた。また、Sfh1pが細胞内脂質輸送を担う因子の一つであるならば、やはり脂質輸送こそがSec14pファミリー蛋白質に共通した機能であるという可能性も考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

生体膜は多様な脂質により構成されるが、その脂質分布は一様ではない。例えば細胞膜はステロールに富み、カルジオリピンはミトコンドリアにしか見られないなど、脂質は細胞内で不均一に分布している。このような脂質の不均一分布は膜が機能を果たす上で重要な意味を持つと考えられ、脂質の輸送と代謝によって構築、維持されていると考えられている。また細胞内では脂質合成酵素がいくつかの特定のオルガネラに分布しているため、脂質代謝そのものが脂質輸送により制御されると考えられる。しかしこれほど重要な細胞内現象でありながら、脂質輸送に関する知見は非常に乏しい。本論文は、モデル生物である出芽酵母について、ホスファチジルエタノールアミン(PE)輸送に関わる細胞内機構の解明を目的として解析を行ったものである。本論文は序章、終章を含む5章よりなり、第1章から第2章において研究の成果が述べられている。

第1章では、小胞体からミトコンドリアへのPE輸送を評価する実験系の構築を試みている。細胞内PE輸送に関しては現時点では全く不明であるが、これは実験系が存在しないためにPE輸送の解析ができないことが原因であった。そこで細胞内PE輸送を評価するため、酢酸菌由来のPEメチルトランスフェラーゼであるPmtを利用した戦略を考案し、新規の実験系を構築した。まず出芽酵母自身のPEメチルトランスフェラーゼを欠損した状態でPmtをミトコンドリア内膜に係留しておく。この細胞に[3H]エタノールアミンを与えて小胞体膜上に[3H]PEを合成させる。[3H]PEはミトコンドリアへと運ばれた場合にのみホスファチジルコリン(PC)へと変換される。これにより、[3H]PCの合成量を指標に小胞体からミトコンドリアへのPE輸送を評価できるようになった。さらにこの実験系を発展し、Pmtを異なるオルガネラに係留すれば他のオルガネラ間PE輸送解析にも応用できると期待された。

第2章ではミトコンドリアへのPE搬入に関わる因子の取得を目的とし、psd1Δ株の乳酸資化能欠損に対するマルチコピーサプレッサーの探索を行った。その結果、高発現により顕著な抑圧を示す遺伝子としてSFH1を取得した。その遺伝子産物Sfh1pはphosphatidylcholine/phosphatidylinositol transfer protein(PC/PITP)として知られるSec14pのホモログであり、人工膜間でPCやPIを輸送できることが知られていた。またSfh1pはPEと結合しうることが報告されていた。本論文では、SFH1高発現によりミトコンドリアのPE量が回復することを確認し、これがPsd2pを介したPE合成の亢進によることを明らかにした。しかしSfh1pは脂質合成活性そのものには影響しなかったことから、脂質輸送を介してPsd2p周辺の脂質フローを変化させることで、間接的にリン脂質代謝に影響を与えたと考えられた。

第3章では、Sfh1pの細胞内機能について詳細な解析を行なっている。まず人工膜間でSfh1pがPEやPSを輸送できるか検討した結果、Sfh1pはPEを輸送できるがPSを輸送できないことが分かった。また出芽酵母細胞内におけるSfh1pのリガンドを特定するため、C末にZZタグを付加したSfh1ZZpを出芽酵母で生産、精製して脂質を抽出した。回収した脂質についてその分子種をESI-MS/MSで解析した結果、Sfh1ZZpには主にPC、PE、PIが挿入されていることが示唆された。さらにSfh1pが主にエンドソームや液胞に存在する微量脂質であるPI(3,5)P2に結合することを明らかにした。ホスホイノシチドは、多くのLipid Transfer Protein(LTP)の膜標的に重要であることから、Sfh1pがエンドソームや液胞に一過的に局在して脂質を輸送している可能性も考えられた。

以上、本研究は出芽酵母における細胞内PE輸送機構の解明に挑戦し、Sfh1pがPE輸送を担うことを示唆した。さらには、これまで細胞内機能が明確には証明されていなかったSec14pファミリー蛋白質について、その機能がリン脂質輸送である可能性を提示した。これらは真核生物におけるオルガネラ間脂質輸送を解明する上で極めて重要な基礎的知見であり、学術的に貢献する所が少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク