学位論文要旨



No 128049
著者(漢字) 盛,威
著者(英字)
著者(カナ) セイ,イ
標題(和) 二形性酵母Yarrowia lipolytica におけるキチン合成酵素をコードする遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 128049
報告番号 甲28049
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3765号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 足立,博之
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

真菌の細胞壁は細胞の生命活動において様々な役割を果たしており、自然環境から受けるストレスに対し細胞自身を守ることをはじめとして、細胞形態の維持、外界からの栄養の摂取、外界との物質交換等に関わっている。細胞壁は細胞の生育、外界の環境変化等においてその構成成分の変化、構造変化等により形を換えるダイナミックな構造体である。キチンはセルロースにつぎ地球上で二番目に多く存在するバイオマスであり、N-アセチルグルコサミンがβ-1,4結合でつながった直鎖状のポリマーであり、それらが整列し結晶化することで非常に硬い構造となることが知られているが、昆虫など節足動物の外骨格すなわち外皮、軟体動物の殻皮の表面といった多くの無脊椎動物の体表や、糸状菌、酵母、キノコなど菌類の細胞壁などの重要な構成成分をなす。

キチンはキチン合成酵素による合成され、酵母Saccharomyces cerevisiae、Candida albicansの細胞壁の全乾重量の1~2% を占める一方、糸状菌においては細胞壁全乾重量の10~30% を占める。菌類のキチン合成酵素はそのアミノ酸配列により3つの division、さらに 7つのクラス に分類される。子嚢菌類に属するS. cerevisiae、C. albicans は3つのクラスのキチン合成酵素しか持たないが、子嚢菌類の糸状菌はすべてのクラスのキチン合成酵素を持つ。このうちクラス V に属するキチン合成酵素、一部ののクラス VI に属するキチン合成酵素の N 側末端にはミオシン様ドメイン (MMD)が存在する。さらに構造類似性からクラス I~III のキチン合成酵素は division 1、クラス IV~VI のキチン合成酵素は division 2、クラス VII のキチン合成酵素は division 3に分類される。

Yarrowia lipolytica は子嚢菌類に属するアルカン質化性二形性酵母である。アルカンを単一の炭素源として生育が可能であり、その生育形態として酵母型、偽菌糸型、菌糸型となることから Y. lipolytica は細胞形態変化の研究材料としても利用されてきた。これまでの研究より、Y. lipolytica 細胞壁のキチン含量は 10% 程度であることが示されており、やはり同じ子嚢菌類に属する酵母であるS. cerevisiae、および C. albicansの細胞壁のキチン含量と比べると5 倍程度である。本研究ではY. lipolytica のゲノム情報からS. cerevisiae、Schizosaccharomyces. pombe、および C. albicansには存在しないクラスに属するキチン合成酵素をコードする遺伝子が見出されたことから、Y. lipolytica におけるキチン合成酵素遺伝子の総合的機能解明を目的とした

第1章 キチン合成酵素遺伝子 (CHS) 単独欠失株の作製と解析

Y. lipolytica のゲノム情報から、菌類のキチン合成酵素との相同性を持つタンパク質をコードするオープン・リーディング・フレーム (ORF) 7つを見出した。それらがコードするキチン合成酵素の予想されるアミノ酸配列からそれら ORF がコードするタンパク質はキチン合成酵素のクラス I~VI に属することが明らかとなった。そこでその7つの遺伝子を CHS1、CHS2、CHS3、CHS4、CSM1、CSM2、CSM3 と命名した (それぞれの遺伝子産物については1 文字目のみ大文字でイタリックにせず示した)。Chs1~4 および Csm1 はそれぞれクラス I~V に属するが、 Csm2 と Csm3 はクラス VI に属し、Csm1、Csm2、Csm3 はタンパク質のN 末端側に MMD を有するキチン合成酵素であった。Y. lipolytica におけるCHS 機能を解析するために、すべてのCHS について単独欠失株を作製しそれぞれ chs1Δ株、chs2Δ株、chs3Δ株、chs4Δ株、csm1Δ株、csm2Δ株、csm3Δ株と命名した。

これらの株の生育について検討したところ、chs2Δ株と chs4Δ株の生育が野生型株より遅かった。さらに各欠失株の細胞形態について検討したところ、野生型株と比較して、chs3Δ株とcsm2Δ株においては酵母型細胞の割合が増加し、フィラメント状細胞の割合が減少した。chs2Δ株においてはフィラメント状細胞の割合が減少した。chs2Δ株と chs4Δ株では野生型株と比較して、細胞の短軸が5 μm 以上ある巨大細胞の割合の増加もみられた 。キチンと結合する薬剤である Calcofluor white (CFW) および Congo red (CR) に対しては、chs2Δ株、csm1Δ株、csm2Δ株が感受性を示す一方、chs4Δ株はCFW に耐性を示した。また、chs2Δ株は TOR シグナル伝達系の阻害物質である Caffeine に感受性を示した。これら遺伝子欠失株においてキチン含量を測定したところchs1Δ株および chs2Δ株のキチン含量は野生株のそれぞれ 1.3 倍、1.5 倍であったのに対し、chs 4Δ株のキチン含量は野生株の 50% 程度に減少した。透過型電子顕微鏡によりchs2Δ株、chs4Δ株、csm1Δ株の細胞構造を観察したところ、chs2Δ株の隔壁部分は野生型株と比較して肥厚し、変形していることが観察されたが。chs4Δ株、csm1Δ株については構造的には大きな変化は見られなかった。chs2Δ株、chs4Δ株における各CHS 遺伝子の発現量を検討したところ、chs2Δ株、chs4Δ株ともCHS3 遺伝子の転写量の上昇が見られた一方、chs2Δ株においてCSM2 遺伝子の転写量の低下が示された。

以上のことから、Y. lipolytica においては Chs2 が細胞隔壁の形成において主に働いていること、Chs4 が細胞壁キチンの合成に主に関与しており、Chs3 が修復的役割を持つ可能性が示唆された。また Chs2、Chs3、Chs4、Csm2 は形態の制御に関与し、Csm1、Csm2が細胞壁の完全性の維持に関与することが示唆された。

第 2 章 CHS 多重遺伝子欠失株の作製とその解析

先にも述べたが、Y. lipolytica には MMD を有するキチン合成酵素をコードする遺伝子が 3 種類存在する。これまで糸状菌以外の菌類において MMD を有するキチン合成酵素の機能重複を解析した例はなく。同じ division 2 に含まれる Chs4 も含めた 4 種の遺伝子について多重欠失株 (csm1,2Δ株、csm1,3Δ株、csm2,3Δ株、csm1,2,3Δ株、csm1,2,3Δchs4Δ株) を作製し解析した。細胞形態の観察を行ったところ、csm2,3Δ株、csm1,2,3Δ株では酵母型細胞の割合が野生型株と比較して上昇する傾向がみられ、また菌糸型細胞において隔壁の間隔が近いものの割合が高かった。csm1,2Δ株、csm1,3Δ株、csm2,3Δ株、csm1,2,3Δ株は CFW に対して野生型株、各単独遺伝子欠失株と比較して感受性である。一方、csm1,2,3Δchs4Δ 株ではCFW、CR に対する感受性が野生型株並みに回復した。またcsm1,2,3Δchs4Δ 株は酸化ストレス薬剤に対して野生型株各単独、二重、三重欠失株と比較して感受性を示した。各二重欠失株、三重欠失株の細胞壁キチン含量は野生型株と大きな差は見られなかったが、csm1,2,3Δchs4Δ 株においては大きく減少した。以上のことから、MMD を持つキチン合成酵素はY. lipolytica の生育において必須のものではないこと、また細胞壁の完全性の維持において Csm2 と Csm3 がある程度重複した機能を持つが、Csm1 が主要な役割を担っていることが示唆された。またChs4 との四重欠失株も生育可能であることから、Y. lipolytica において division 2 のキチン合成酵素は生育に必須のものではないことも示された。そこで、これら欠失株に対し division 1 のキチン合成酵素遺伝子の欠失も行い、CHS 五重欠失株を作製した (csm1,2,3Δchs1,4Δ株、csm1,2,3Δchs2,4Δ株、csm1,2,3Δchs1,3Δ株、csm1,2,3Δchs2,3Δ株)。しかし、これら五重欠失株からさらに六重欠失株の取得ができずMMD を持たないキチン合成酵素のうちいずれかの2 種はY. lipolytica の生育にとって必須である可能性が示唆された。

第 3 章 Y. lipolytica の二形性と関わる遺伝子による CHS 転写制御の検討

Y. lipolytica の形態制御におけるキチン合成酵素遺伝子の関与を検討するためこれまで報告されたY. lipolytica の細胞形態制御と関わる遺伝子MHY1、TPK1、TUP1と新たに単離した遺伝子REN1 の欠失株における各CHS 遺伝子の転写制御の検討を行った。これまでの研究によりMHY1 の欠失株細胞は大部分が酵母型細胞となり、TPK1 の欠失株はほぼ菌糸型細胞となる。TUP1 欠失株は野生型株と比較して細胞が形態変化を引き起こし、REN1 の欠失株において菌糸型細胞の割合が増加する。これらの欠失株のうちTUP1 欠失株においてCHS1 および CHS3 の転写量が上昇することが示された。TUP1 はグローバルな転写抑制遺伝子のオルソログであり、CHS1、CHS3 の発現は TUP1 の制御を受けることが示唆された。

本論文によってY. lipolytica の持つ7つのキチン合成酵素のうち細胞壁にあるキチンを主に産生するのはクラス IV キチン合成酵素であり、正常な細胞隔壁形成を行う上でクラス II キチン合成酵素が重要な役割を果たすことを明らかにした。また MMD を持つキチン合成酵素を含めた division 2 に属するキチン合成酵素は生育にとって必須でないこと、MMD を持つキチン合成酵素主に細胞壁の完全性の維持に働くことも示唆した。今回得られた知見並びに作製した株が今後真菌におけるキチン合成の仕組みをY. lipolytica のさらなる有効利用に役立つことを期待している。

審査要旨 要旨を表示する

キチンは節足動物の外骨格など無脊椎動物の体表や菌類の細胞壁の重要な構成成分多糖であり、セルロースにつぎ地球上で二番目に多く存在するバイオマスである。その合成は有害な菌類を制御する薬剤の標的でもある。子嚢菌類糸状菌のキチン合成酵素は3つの division、7つのクラス に分類される。そのうち、クラス V とクラス VI の一部のキチン合成酵素は N 側末端にミオシン様ドメイン (MMD) を持つ特異な構造を有している。酵母Yarrowia lipolytica は一般の実験室酵母と異なって、子嚢菌類糸状菌と同様のキチン合成酵素の構成であることがゲノム情報から推定された。本論文は、扱いの容易なY. lipolytica を用いて各キチン合成酵素の菌類細胞壁の合成と維持、細胞形態形成における役割を遺伝学的に解析したものであって、3章からなる。

第1章ではY. lipolytica のゲノム情報に基づいて各キチン合成酵素遺伝子 (CHS)を同定・分類し、 それらの単独欠失株を作製してその性質を解析している。

先ず、菌類のキチン合成酵素との相同性から7つのオープン・リーディング・フレーム (ORF)についてCHS1、CHS2、CHS3、CHS4、CSM1、CSM2、CSM3 と命名した。想定遺伝子産物 Chs1~4 および Csm1 はそれぞれクラス I~V に属し、 Csm2 と Csm3 はクラス VI に属し、Csm1、Csm2、Csm3 はタンパク質のN 末端側に MMD を有するキチン合成酵素であった。全てのCHS について単独欠失株を作製し、それぞれを chs1Δ、chs2Δ、chs3Δ、chs4Δ、csm1Δ、csm2Δ、csm3Δと命名した。

これらの株の生育、Calcofluor white (CFW) および Congo red (CR)等の薬剤に対する感受性、キチン含量、光学顕微鏡あるいは電子顕微鏡による形態の観察、CHS遺伝子転写量等について検討し、Y. lipolytica においては Chs2 が細胞隔壁の形成において主に働いていること、Chs4 が細胞壁キチンの合成に主に関与しており、Chs3 が修復的役割を持つ可能性があることを示唆する結果を得ている。また Chs2、Chs3、Chs4、Csm2 は形態の制御に関与し、Csm1、Csm2が細胞壁の完全性の維持に関与することを示唆する結果を得ている。

第2章ではCHS 遺伝子多重欠失株を作製して各遺伝子間の関係を探っている。

Y. lipolytica には MMD を有するキチン合成酵素をコードする遺伝子 3 種類と同じ division 2 に含まれる Chs4について多重欠失株 (csm1,2Δ株、csm1,3Δ株、csm2,3Δ株、csm1,2,3Δ株、csm1,2,3Δchs4Δ株) を作製し解析している。その結果、MMD を持つキチン合成酵素はY. lipolytica の生育において必須のものではないこと、また細胞壁の完全性の維持において Csm1 が主要な役割を担っていること、Csm2 と Csm3 がある程度重複した機能を持って補完していることが示唆された。またChs4 との四重欠失株も生育可能であることから、Y. lipolytica において division 2 のキチン合成酵素は生育に必須のものではないことも示された。そこで、これら欠失株について division 1 のキチン合成酵素遺伝子の欠失も行い、CHS 五重欠失株 (csm1,2,3Δchs1,4Δ株、csm1,2,3Δchs2,4Δ株、csm1,2,3Δchs1,3Δ株、csm1,2,3Δchs2,3Δ株)を作製した。さらに6重欠失株を作製しようとしたところ、取得できず、MMD を持たないキチン合成酵素4種のうち、いずれかの2 種はY. lipolytica の生育にとって必須である可能性を強く示唆する結果となった。

第3章ではY. lipolytica の二形性と関わる遺伝子による CHS 遺伝子の転写制御の検討を行っている。

これまで報告されたY. lipolytica の細胞形態制御と関わる遺伝子MHY1、TPK1、TUP1と新たに単離した遺伝子REN1 の欠失株における各CHS 遺伝子の転写制御の検討を行った。MHY1 の欠失株細胞は大部分が酵母型細胞となり、TPK1 の欠失株はほぼ菌糸型細胞となった。TUP1 欠失株は野生型株と比較して細胞が形態変化を引き起こし、REN1 の欠失株において菌糸型細胞の割合が増加した。これらの欠失株のうちTUP1 欠失株においてCHS1 および CHS3 の転写量が上昇することが示された。TUP1 はストレス応答に関連するグローバルな転写抑制遺伝子のオルソログであり、CHS1、CHS3 の発現は TUP1 の制御を受けることが示唆された。

以上、本論文は酵母Y. lipolytica の持つ7つのキチン合成酵素遺伝子の役割を遺伝学的に解析し、それらの役割と関係を初めて示したものであって、今後の菌類における細胞壁キチンの合成と形態形成の仕組みの解明に向けて学術的、応用的に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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