学位論文要旨



No 128052
著者(漢字) 大谷,啓志
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,ヒロシ
標題(和) 放線菌の主要シグマ因子を制御するECFシグマ因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 128052
報告番号 甲28052
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3768号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,康夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 日高,真誠
内容要旨 要旨を表示する

Streptomyces griseusをはじめとするStreptomyces属放線菌は複雑な形態分化を行うという特徴がある。形態分化のメカニズムを明らかにするため、形態分化を行わない変異株を取得し、原因遺伝子を明らかにするという方法で形態分化に関わる遺伝子の研究が長年行われてきた。しかしながらこの方法では同様の機能を持つ遺伝子が複数ある場合、それらを同定することは難しい。また生育にも影響を与える遺伝子も見落とされてしまう可能性が高い。そのため形態分化に重要な遺伝子がまだ存在する可能性が高く、これらを同定するには従来の方法とは異なるアプローチが必要であった。

近年、S. griseus、Streptomyces coelicolor A3(2)、Streptomyces avermitilisの全ゲノム配列が決定された。Streptomyces属放線菌のゲノムは8 Mbを越える大きさで、7,000以上のOpen reading frameがコードされている。比較ゲノム解析の結果、形態分化に関わる遺伝子の多くはこれら3種に高く保存されていた。そのためStreptomyces属放線菌に高く保存される遺伝子は形態分化等Streptomyces属放線菌の生命現象に重要な役割を担うものである可能性がある。本研究ではStreptomyces属放線菌3種に高く保存されたシグマ因子に着目し、解析を行った。

Streptomyces属放線菌に高く保存されたシグマ因子の解析

細菌のRNAポリメラーゼは5種類のタンパク質(α2、β、β'、σ、w)からなる6サブユニットで構成される。このうちσサブユニット(シグマ因子)は転写開始の際のプロモーターの認識に必須である。Streptomyces属放線菌のゲノムには50以上という非常に多くのシグマ因子がコードされるが、未解析のものが多く残されている。BLAST検索を行い先に述べたStreptomyces属放線菌3種にアミノ酸一次配列が90%以上の相同性で保存されるシグマ因子を探索した(表1)。その結果6つのシグマ因子が見出され、このうち2つSGR2758とSGR3370は機能解析が行われていないものであった。そのためSGR2758とSGR3370に着目し、解析を行った。SGR2758はMycobacterium tuberculosisで解析されているシグマ因子σDと47%のアミノ酸一次配列相同性を示すことから、SGR2758もσDと呼ぶ。

σDはS. griseusの生育に重要

σDとSGR3370の機能を明らかにするため、それぞれをコードする遺伝子の破壊株を作製した。ΔSGR337株は野生株と比べて形態分化や生育に大きな差は見られなかったが、ΔsigD株は野生株に比べて生育速度が著しく遅く、形態分化も行わなかった。またΔsigD株が形成する基底菌糸は培地中に入り込むことが出来ず、空中に伸長していた。これらの結果からσDは生育に非常に重要なシグマ因子であることが明らかになった。そのためσDに関して更なる解析を行った。

sigD発現量は定常期に上昇

σDが機能する時期を明らかにするため、sigDの発現解析を行った。定量PCR解析を行ったところ、sigD mRNA量は固体、液体両培養時で定常期に上昇した。またσDタンパク質量も定常期で上昇することがウェスタン解析より明らかになった。ΔsigD株は培養の初期から生育に欠損が現れることから、σDは定常期で栄養増殖とは異なる新たな役割を果たしている可能性が考えられた。

σDは主要シグマ因子を制御する

σDによって制御される遺伝子を探索するため、トランスクリプトーム解析を行った。トランスクリプトーム解析にはsigD転写量を減少させた株を作製し、本株と野生株の培養初期の転写プロファイルをDNAマイクロアレイ解析によって比較した。その結果、209の遺伝子がσDによって正に制御されることが明らかになった。この中には転写や翻訳をはじめとする生育に必須な遺伝子が多く含まれていた。ΔsigD株に見られる生育速度やコロニー形態の異常はこれら生育に必須な遺伝子の発現量の減少が原因であると考えられる。

トランスクリプトーム解析で見出された生育に必須な遺伝子は主要シグマ因子σ(HrdB)を含むRNAポリメラーゼによって転写される。そのためトランスクリプトーム解析で見出された遺伝子のうち、hrdBがσDの標的遺伝子であると予想した。定量PCR解析、ウェスタンブロッティング解析を行い、野生株とΔsigD株のhrdB mRNA量、σ(HrdB)タンパク質量を比較したところ、hrdB mRNA量、σ(HrdB)タンパク質量どちらも野生株に比べてΔsigD株で著しく減少していた。続いてin vitro転写アッセイを行ったところ、σDはhrdBプロモーターを認識した。さらにin vivoでσDがhrdBプロモーターに強く結合することがChromatin affinity precipitationアッセイによって確認された。さらにΔsigD株でhrdBの転写量を増加させたところ、ΔsigD株の生育が野生株のレベルまで回復した。これらの結果から、σDはhrdBの転写を直接制御することが明らかになり、ΔsigD株の示す表現型はhrdB転写量の著しい低下が原因であることが強く示唆された。

σDによるhrdB転写制御は定常期移行に重要

ほとんどの細菌では主要シグマ因子遺伝子のプロモーターは主要シグマ因子自身によって認識される。しかしながらS. griseusではECFシグマ因子σDが生育を通してhrdBを制御することが明らかになった。そのためS. griseusの主要シグマ因子遺伝子発現制御系が他の細菌と異なる点に興味が持たれた。

そこで、他の細菌と同様にhrdBがσ(HrdB)を含むRNAポリメラーゼによって転写される株(hrdB自己制御株)を作製し、その株でのhrdB発現パターンと生育速度を野生株と比較した。野生株ではhrdB転写量は定常期で上昇し、σ(HrdB)タンパク質量は生育を通して一定であった。これは定常期における細胞内プロテアーゼ活性の上昇や翻訳活性の低下に依るものであると考えられる。一方、hrdB自己制御株ではhrdB転写はσ(HrdB)によって制御されるため、hrdB転写量は生育を通して一定であり、その結果としてσ(HrdB)タンパク質量は定常期で減少した。hrdB自己制御株の生育速度は定数増殖期では野生株と同程度であったが、定常期への移行に異常が見られ、野生株では菌体量が維持されている培養時間でも溶菌のため菌体量が減少した。さらに定常期は抗生物質生産等の二次代謝を行う時期であるが、hrdB自己制御株ではストレプトマイシン生産量が著しく低下していた。

結論

本研究でS. griseusでは他の細菌とは異なり主要シグマ因子遺伝子hrdBがECFシグマ因子σDによって転写制御されることを示した。これはECFシグマ因子が生育を通して主要シグマ因子を制御する初めての例である。さらにσDによるhrdB転写制御が栄養増殖のみならず定常期移行や二次代謝にも重要であることを示した(図1)。Streptomyces属放線菌の定常期移行に関するメカニズムはほとんど未解明であり、本研究の結果を基に更なる解析を行うことで、細胞分化のモデル微生物であり抗生物質生産でも重要なStreptomyces放線菌の生命現象に関する研究がさらに発展することが期待される。

本研究では変異株取得とその解析という従来のスクリーニング法ではなく、ゲノム情報を基に新たな遺伝子の探索を行った。その結果、σDというS. griseusの生育に非常に重要なシグマ因子を発見するに至った。そのため本研究で採ったアプローチは今まで見過ごされてきた重要な遺伝子を発見するのに有効であり、ゲノム情報を基にした遺伝子スクリーニングは今後の分子生物学研究において重要なアプローチであると思われる。

Otani, H., Higo, A., Horinouchi, S. and Ohnishi, Y. An alternative sigma factor governs the principal sigma factor in filamentous bacterium Streptomyces geiseus. 投稿中

表 1 Streptomyces属放線菌に高く保存されるシグマ因子

図 1 σDによるhrdB転写制御系のモデル図

審査要旨 要旨を表示する

Streptomyces griseusをはじめとするStreptomyces属放線菌は、複雑な形態分化を行うという特徴を有している。放線菌の形態分化に関する遺伝子群とその発現制御機構については、長年、解析されてきたが、未だにその全容は明らかにされていない。本論文においては、比較ゲノム解析に基づいたアプローチによって形態分化に関する新たな遺伝子を同定することを目的に研究が開始され、主要シグマ因子を制御するECFシグマ因子が発見されたこと、さらに、この特殊な制御系が放線菌の定常期において重要な機能を有していることが述べられている。本論文は序論、本論、総括の三章から構成される。

第一章序論では、これまでに明らかにされてきた放線菌の形態分化に関する遺伝子群やその発現制御機構についてまとめている。また従来の研究方法の問題点を述べるとともに、本論文で行うゲノム情報を利用したアプローチの詳細とその意義について論じている。

第二章本論では、まず、研究対象であるシグマ因子について解説した後、Streptomyces属放線菌3種に高く保存されたシグマ因子をin silico解析により絞り込んだ結果を述べている。このうち、未解析であったSGR2758 (σD) とSGR3370に着目し、以下の解析を行った。

σDとSGR3370をコードする遺伝子の破壊株を作製したところ、SGR3370遺伝子破壊株は野生株と同様の表現型を示したのに対して、σD遺伝子破壊株(ΔsigD株)は著しい生育不全を示し、σDがS. griseusの生育に重要な機能をもったシグマ因子であることが示された。次に、σDによって制御される遺伝子を同定するため、DNAマイクロアレイ解析が行われた結果、sigD転写量を低下させた株と野生株との間のトランスクリプトーム比較によって、多くのハウスキーピング遺伝子(恒常的に発現している生育に必須な遺伝子)の転写がσD遺伝子発現低下株で減少していることが示された。ハウスキーピング遺伝子のプロモーターは主要シグマ因子σ(HrdB)によって認識されるが、σD遺伝子発現低下株では主要シグマ因子遺伝子hrdB の転写量も減少しており、σ(HrdB)の生産量が減少したためにハウスキーピング遺伝子の転写量が減少していると考えられた。そこで、σDの直接の標的遺伝子がhrdBであるという仮説を立てて、生化学的、遺伝学的アプローチによる詳細な解析を行った結果、この仮説が正しいことが証明された。

このようにして、S. griseusでは主要シグマ因子遺伝子hrdBがσDによって制御されることが示されたが、ほとんどの細菌では主要シグマ因子遺伝子は自己制御されると考えられている。そのため、S. griseusで主要シグマ因子遺伝子転写制御系が他の細菌と異なる理由に興味が持たれた。σDによるhrdBの制御の意義を解明するため、他の細菌と同様にhrdBが自己制御される株(hrdB自己制御株)を作製し、その株のhrdB発現パターンと生育速度を野生株と比較した。野生株ではhrdB転写量は定常期で上昇し、σ(HrdB)タンパク質量は生育を通して一定であった。一方、hrdB自己制御株ではhrdB転写量は生育を通して一定であり、おそらくその結果として、σ(HrdB)タンパク質量は定常期で減少していた。また、hrdB自己制御株の生育速度は対数増殖期では野生株と同程度であったが、定常期での菌体の維持に異常が見られ、野生株では菌体量が維持されている培養時間でも溶菌のため菌体量が減少した。さらに、hrdB自己制御株ではストレプトマイシン生産量が著しく低下し、形態分化が遅れることを明らかにした。以上の結果より、σDによるhrdB転写制御が栄養増殖のみならず定常期での細胞の生存や形態分化・二次代謝にも重要であることを示した。

第三章総括では、本研究における発見の重要性について考察している。また本研究で用いられたアプローチの有用性と今後の研究を発展させるための更なるアイディアについて論じている。

以上、本論文は放線菌S. griseusの主要シグマ因子遺伝子転写制御系に関する研究成果をまとめたものであり、学術上貢献するところが少なくない。また、Streptomyces属放線菌は様々な二次代謝産物を生産することから、本成果は応用研究にも貢献する可能性が高い。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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