学位論文要旨



No 128054
著者(漢字) 小林,哲
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,サトシ
標題(和) アルカン資化性酵母のn-アルカン応答における遺伝子発現制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 128054
報告番号 甲28054
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3770号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 前田,達哉
 東京大学 准教授 有岡,学
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

真核微生物においてアルカンや中性脂質、脂肪酸などの疎水性物質が特定の遺伝子群の発現を誘導する例が多く知られているが、その分子機構については不明な点が多い。石油成分の一つであるアルカンは自然界にも広く存在し、植物の表面や昆虫の体表面などに見出される。アルカンは高エネルギー物質であり、これまでにアルカン資化能を有する酵母や糸状菌が数多く見つかっている。

アルカン資化性酵母において、n-アルカンは細胞に取り込まれた後、チトクロームP450により末端が水酸化されn-アルコールとなる。n-アルコールは脂肪酸にまで酸化された後、β酸化系で分解される他、リン脂質や中性脂質に取り込まれる。様々なアルカン資化性酵母において、n-アルカン存在時にn-アルカン代謝に関わる遺伝子の発現が誘導されることが知られているが、n-アルカンのような極めて疎水性の高い化合物がどのような機構でこれらの遺伝子の発現を誘導するかは不明である。

アルカン資化性酵母Yarrowia lipolyticaは糖類やポリアルコールの他に、脂肪酸やn-アルカンなどの疎水性物質を炭素源として利用できる。Y. lipolyticaにおいて、n-アルカンの末端水酸化を行うチトクロームP450をコードすると推定される遺伝子は12個 (ALK1~ALK12)存在し、その大部分はn-アルカンの存在により発現が誘導される。これまでに、basic Helix-Loop-Helix型転写因子であるYas1pとYas2pのヘテロ複合体がALK1プロモーター中のAlkane Responsive Element 1 (ARE1)に結合し、ALK1の転写を活性化することが見出されている。また、Yas2pと結合しARE1を介した転写を抑制する因子としてYas3pが同定されている。しかし、n-アルカンがどのような経路でこれらの転写因子の機能制御に関与するのかは不明であった。そこで本研究では、Yas1p、Yas2p、Yas3pによるARE1を介したn-アルカン依存的な転写調節の分子機構を明らかにすることを目的とし、主にYas3pについて解析をおこなった。

1. n-アルカン応答における転写調節因子Yas3pの機能解析

酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいて脂質合成制御に関わる転写調節因子として、転写抑制因子であるOpi1pが知られており、イノシトールに応答する脂質合成関連遺伝子の発現は主にOpi1pの局在変化によって制御される。Yas3pがOpi1pのオルソログであることから、ARE1を介したn-アルカン依存的な転写調節もYas3pの局在変化により制御される可能性が考えられた。そこでYas3pのC末端にEGFPを付加した融合タンパク質を発現する株を作製し、Yas3p-EGFPの局在を観察した。その結果、Yas3p-EGFPはn-デカン非存在下では核に局在するが、n-デカン存在下では小胞体に局在することが示された。また、Yas2pのC末端にEGFPを付加した融合タンパク質を発現する株を作製し、Yas2p-EGFPの局在を観察したところ、Yas2p-EGFPはn-デカンの有無によらず核に局在することが示された。以上より、転写活性化因子であるYas2pは常に核に局在するのに対して、転写抑制因子であるYas3pがn-アルカンの有無に応じて局在を変化させることでARE1を介した転写を制御する可能性が示唆された。

次に、ARE1配列を含むプロモーター下にレポーター遺伝子lacZを連結してYAS3遺伝子破壊株に導入し、β-ガラクトシダーゼ活性測定をおこなったところ、n-デカン存在時においても非存在時と同等の活性値を示した。また、この時の活性値はいずれも野生型株のn-デカン存在時における活性値よりも高かった。以上より、Yas1pおよびYas2pはn-アルカン非存在時でも転写活性化能を有しており、ARE1を介した転写は主にYas3pの局在変化により制御されることが示唆された。

2. Yas3pのリガンドの探索

n-アルカン存在時にYas3p-EGFPが小胞体に局在することから、Yas3pが小胞体に存在する何らかの物質と結合する可能性が考えられた。そこでN末端にGSTあるいはヘキサヒスチジンタグを融合したYas3p (GST-Yas3p, His6-Yas3p)を大腸菌で発現させ精製し、Yas3pのリガンドの探索をおこなった。

n-アルカンの水酸化は小胞体で起こるとされることから、Yas3pがn-アルカンやその代謝産物と結合する可能性が考えられた。そこで、Biacoreおよび等温滴定カロリメトリーを用いて、これらの化合物との結合について調べたが、結合を示すシグナルは得られなかった。

S. cerevisiaeにおいてOpi1pはリン脂質であるホスファチジン酸 (PA)と結合する。Opi1pのPA結合ドメインがYas3pにおいても一部保存されていたことから、Yas3pもPAなどのリン脂質と結合する可能性が考えられた。そこで、Protein Lipid overlay assay (PL assay)によりYas3pとリン脂質との結合について調べたところ、GST-Yas3pはPAと特異的に結合することが示された。また、シグナルリン脂質であるホスホイノシチド (PIPs)とYas3pとの結合についても調べたところ、GST-Yas3pはPIPsとも結合することが示された。さらに、Yas3pがリン脂質2重膜中のPAやPIPsと結合できるかについて、リポソームを用いて調べたところ、リポソームにPAあるいはPI(4)Pを加えた場合にGST-Yas3pの結合量が増加することが示された。以上より、PAおよびPIPsがYas3pのリガンドである可能性が示唆された。

次に、PAやPIPsが細胞内でもYas3pのリガンドとして機能するか検討した。S. cerevisiaeにおいてPAホスファターゼをコードするPAH1を破壊すると細胞内のPA量が増加する。そこで、PAH1のオルソログ (YlPAH1)の破壊株を作製し、その細胞内リン脂質組成を調べたところ、特にオレイン酸を炭素源とした場合にPAの割合が大きく増加していた。そこで、ARE1配列の下流にlacZ遺伝子を連結したプラスミドをこの破壊株に導入し、β-ガラクトシダーゼ活性測定をおこなった結果、オレイン酸を炭素源とした場合にARE1を介した転写が活性化することが示された。

一方、S. cerevisiaeにおいてはPI(4)PホスファターゼをコードするSAC1を破壊すると細胞内のPI(4)P量が増加する。SAC1のオルソログ (YlSAC1)は生育に必須であることが示唆されたため、Auxin inducible degron systemによりオーキシン存在下においてYlSac1pの存在量が減少するYlSAC1の条件変異株を作製した。この変異株に、ARE1配列の下流にlacZ遺伝子を連結したプラスミドを導入し、β-ガラクトシダーゼ活性測定をおこなった結果、YlSac1pの存在量が減少した状態ではn-デカンによるARE1を介した転写誘導が過剰に起こることが示された。以上の結果から、細胞内でもPAやPIPsがYas3pのリガンドとして機能することが示唆された。

n-アルカン依存的にYas3pが小胞体に局在する機構として、n-アルカン存在時に小胞体でYas3pのリガンドが増加する可能性が考えられた。そこで、n-デカン存在時、非存在時における細胞内リン脂質組成を調べたところ、n-デカン存在時でもPAの割合に変化は見られなかった。さらに、PIPsの合成酵素をコードすると推定される遺伝子についてもYlSAC1と同様の条件変異株を作製し、解析したところ、これらの変異株においてもn-デカンによるARE1を介した転写誘導が観察された。以上より、n-アルカン依存的なYas3pの局在変化はPAやPIPsの量の変化によって起こるわけではないことが示唆された。

n-アルカンはリン脂質2重膜に入り込むことが知られている。そこで、n-アルカンの存在がYas3pとリン脂質2重膜との結合にどのような影響を与えるかについて、n-デカンを含むリポソームとGST-Yas3pを用いて解析した。その結果、n-デカンの濃度が増加するに従って、PAを含むリポソームに対するGST-Yas3pの結合量が増加した。したがって、Yas3pはn-アルカンを含むリン脂質2重膜を認識して結合する可能性が示唆された。

3. Yas3p変異体の解析

Yas3pのPA結合領域およびPIPs結合領域を特定するために、Yas3pの部分欠失変異体を作製した。C末端側の領域 (209~422 aa)あるいはN末端側の領域 (1~208 aa)を欠失したYas3pのC末端にEGFPを融合したタンパク質 (それぞれY3N-EGFP、Y3C-EGFP)を発現させるプラスミドをそれぞれ作製し、これらのキメラタンパク質の局在を観察したところ、Y3N-EGFPは細胞膜近傍に局在するのに対して、Y3C-EGFPはn-デカン存在時に小胞体に局在することが示された。そこで、C末端側の領域 (209~422 aa)あるいはN末端側の領域 (1~208 aa)を欠失したYas3pのN末端にGSTを融合したタンパク質 (それぞれGST-Y3N、GST-Y3C)を大腸菌で発現させ精製し、これらのタンパク質とPAとの結合について調べたところ、いずれもPAと結合することが示された。さらに、GST-Y3Nの部分欠失変異体を作製、解析した結果、GST-Y3NはOpi1pのPA結合ドメインと相同性を持つ領域 (112~208 aa)においてPAと結合することが示された。また、この領域およびGST-Y3Cはともに、PI(4)Pとも結合した。以上より、Yas3pはN末端側およびC末端側の少なくとも2ヶ所の領域でPAやPIPsと結合すること、PAとPIPsの結合領域は同じである可能性が示唆された。

総括

本研究により、ARE1を介したn-アルカン依存的な転写調節は主に転写抑制因子であるYas3pの局在変化により制御されることが明らかとなった。また、Yas3pのリガンドとしてPAやPIPsを特定し、in vitroにおいてn-アルカン存在時にYas3pとリン脂質2重膜との結合が増加することを示した。これらの結果から、小胞体にn-アルカンが存在する場合にYas3pとPAあるいはPIPsの結合が増加することでYas3pが小胞体に係留され、それによりYas3pの核内への輸送が阻害されてARE1を介した転写が活性化される可能性が示唆された。

(1)Kobayashi S., Hirakawa K., Fukuda R., Ohta A., Biosci Biotechnol Biochem 72, 2219-2223 (2008)(2)Hirakawa K., Kobayashi S., Inoue T., Endoh-Yamagami S., Fukuda R., Ohta A., J Biol Chem 284, 7126-7137 (2009)
審査要旨 要旨を表示する

様々な生物においてアルカンや中性脂質、脂肪酸などの疎水性物質が特定の遺伝子群の発現を誘導する例が数多く知られているが、その分子機構については不明な点が多い。石油成分の一つであるアルカンは自然界にも広く存在し、アルカン資化能を有する細菌や酵母、糸状菌が数多く見つかっている。これらの生物において、アルカン代謝に関わる遺伝子の発現はアルカンにより誘導されるが、アルカンのような極めて疎水性の高い化合物を細胞がどのように認識するのかを含め、その詳細な機構は不明である。

アルカン資化性酵母Yarrowia lipolyticaは糖類やポリアルコールの他に、脂肪酸やn-アルカンなどの疎水性物質を炭素源として利用でき、これら疎水性物質の代謝のしくみについて研究が進められている。本酵母において、n-アルカンの末端水酸化を行うチトクロームP450をコードする遺伝子の発現はn-アルカンにより誘導される。この発現制御における転写活性化因子としてYas1pとYas2pが、転写抑制因子としてYas3pがこれまでに同定されており、これらが作用するシス配列としてAlkane Responsive Element-1 (ARE1)が見出されている。しかし、n-アルカンがどのような経路でこれらの転写因子の機能制御に関与するのかは不明であった。本論文は、これらの転写因子がどのような分子機構でn-アルカン依存的に転写調節を行うかについて解析したものである。本論文は序章、研究の成果を述べた第1章から第3章、および終章により構成される。

第1章ではn-アルカン依存的な転写制御におけるYas2pおよびYas3pの役割について解析をおこなった。Yas2pあるいはYas3pとEGFPの融合タンパク質を発現させ、Yas2pがn-アルカンの有無によらず核に局在するのに対し、Yas3pはn-アルカン非存在下では核に局在するが、n-アルカン存在下では小胞体に局在することを示唆した。また、YAS3破壊株ではn-アルカン非存在下でもARE1を介した転写が強く活性化されており、n-アルカンを添加してもさらなる活性化は見られなかった。以上の結果より、Yas1pおよびYas2pはn-アルカン非存在時でも転写活性化能を有しており、ARE1を介したアルカン依存的な転写誘導は主に転写抑制因子であるYas3pの局在変化により制御されることが示唆された。

第2章では、n-アルカン存在時にYas3pが小胞体に局在することから、Yas3pが小胞体の脂質リガンドと結合する可能性を考え、その探索をおこなった。まずYas3pとn-アルカンやその代謝産物との結合について調べたが、結合を示すシグナルは得られなかった。次に、Yas3pと膜脂質との結合について調べたところ、Yas3pはホスファチジン酸 (PA)およびホスホイノシチド (PIPs)と結合することが示された。さらに、Yas3pがリン脂質2重膜中のPAやPIPsと結合できるかについて、リポソームを用いて調べたところ、リポソームにPAあるいはPIPsを加えた場合にYas3pの結合量が増加することが示された。以上より、PAおよびPIPsがYas3pのリガンドである可能性が示唆された。さらにPAホスファターゼ遺伝子の破壊株の解析により、細胞内のPA量が増加する条件においてARE1を介した転写が増加することが示され、PAが細胞内においてもYas3pのリガンドとして機能することが示唆された。しかし、n-アルカン存在時の細胞内リン脂質組成を調べた結果、細胞内PAの割合はn-アルカン非存在時と同程度であった。したがって、n-アルカン依存的なYas3pの局在変化は小胞体におけるリガンド量の変化によって起こるわけではないと考えられる。また、n-アルカン存在下ではリポソームに対するYas3pの結合が増加したことから、n-アルカンが存在するとリン脂質二重層へのYas3pの結合が促進される可能性が提起された。

第3章では、Yas3pの変異体を作製、解析し、リガンドとの結合領域の特定を試みた。部分欠失変異体の解析により、Yas3pは少なくとも2ヶ所の領域でPAと結合することが示された。また、これらの領域内に変異の生じたYAS3変異株ではn-アルカンによる転写誘導に欠損が見られたことから、これらの領域はYas3pの機能に重要であると考えられる。

以上、本研究によりARE1を介したn-アルカン依存的な転写調節は主に転写抑制因子であるYas3pの局在変化により制御されること、この局在変化にはリン脂質との結合が関わることが明らかとなった。これらは菌類における脂溶性物質利用のための遺伝子調節システムに関する基礎的知見であり、学術的、応用的に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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