学位論文要旨



No 128056
著者(漢字) 髙橋,裕里香
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユリカ
標題(和) 染色体機能調節因子としてのプラスミドの機能の解明
標題(洋)
報告番号 128056
報告番号 甲28056
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3772号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 大西,康夫
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

プラスミドをはじめとする可動性遺伝因子は宿主の新規遺伝子の獲得を補助し,宿主の環境適応(進化)に大きな役割を担う.中でもプラスミドに関しては,約60年前にその存在が発見されて以来,それらの抗生物質耐性能や新規代謝能をコードする遺伝子の解析だけでなく,複製・分配・接合伝達といったプラスミドの維持や伝播を司る遺伝子の解析,それに基づく分類,有用なベクターの開発など,膨大な知見が蓄積している.しかし,こうした研究では,プラスミドの機能は様々な宿主内で同様であると盲目的に考え,宿主染色体の違いや周囲の環境によって変化する細胞内環境の違いを考慮しないことがほとんどであった.さらに,その細胞内環境もプラスミド自体の存在によってまた変化しうると予想される.プラスミドを保持することが"負荷"になる場合があることは古くから経験的に知られているが,プラスミドによって宿主細胞内に起こる変化の実体は未だ解明な部分が多い.そこで本研究では,IncP-7群カルバゾール分解プラスミドpCAR1とゲノム既知のPseudomonas属宿主3種 (P. putida KT2440株, P. aeruginosa PAO1株, P. fluorescens Pf0-1株)をモデルとして,プラスミドが宿主細胞内で機能する様式を整理し,それが異なる宿主・異なるプラスミドでどこまで共通なのか明らかにすることを目的とした.

第2章 pCAR1の保持に伴って変化する宿主の表現型の探索と宿主間での比較

宿主が示す表現型の変化の度合いが異なった場合,宿主ごとのpCAR1のコピー数の違いが原因である可能性が考えられたため,まず各宿主でのコピー数を定量PCRで測定した.その結果,コハク酸を唯一の炭素源とする液体無機培地(以下,特に明記しない限り本研究の解析はこの培養条件で行った)では生育段階に関わらず3宿主におけるコピー数は1~3でほぼ一定であることが示された.

そこで,Phenotype Microarray(Biolog社)を用いて,pCAR1を保持した際に宿主の呼吸量(細胞内還元力)が変化する培養条件を探索した.まず浸透圧・pHを変化させた際に一部の条件で呼吸量の低下が認められたことから,pCAR1を保持すると特定のストレスへの耐性が低下することが示された.また無機培地中のC源 (190種),N源(95種),P源(59種),S源(35種)を変化させた際には,KT2440株で66条件,PAO1株で36条件,Pf0-1株では31条件で呼吸量の変化が認められ,その中のほぼ全ての条件で呼吸量が低下したことから,pCAR1を保持すると細胞内の各化合物特異的な代謝が低下することが示された.宿主間で共通な傾向としては,KT2440株とPAO1株でα-ketoglutarate,fumarate,malate,acetate,lactate等のTCA回路とその周辺の代謝経路上の化合物をC源として与えた際の呼吸量の低下が挙げられる(図1).Pf0-1株ではこれらの条件でも呼吸量の低下がほとんど認められないことから,この変化は宿主ごとに発露の仕方が変化することも示された. KT2440株においては,pCAR1上の核様体タンパク質(NAPs)遺伝子であるpmr, phu, pndのいずれかを破壊すると,上記呼吸量の低下が若干回復することから,これらの代謝経路の活性低下の一因はこれらのNAPsにあることも示された.

第3章 pCAR1の保持により転写変動する宿主染色体遺伝子の探索と宿主間比較

pCAR1保持株と非保持株について,対数期から定常期までの4経時点での染色体トランスクリプトームデータをタイリングアレイによって取得し,転写プロファイルの相違度を基準としてpCAR1を保持した際に転写変動した遺伝子を選抜した.その結果,KT2440株で1,240個,PAO1株で241個,Pf0-1株で92個のORFが選抜された.この転写変動したORFの数の傾向は,第2章で述べた解析においてpCAR1の保持により呼吸量が低下した培養条件の数の傾向,及び各宿主においてpCAR1保持株と非保持株とを混合培養した際にpCAR1保持株が淘汰される速度の傾向(当研究室Takaseら,未発表データ)と一致しており,pCAR1を保持する際の負荷がKT2440株>PAO1株>Pf0-1株の順に大きいことが示された.

選抜されたORFの内容を宿主間で比較するため,(1)3宿主での保存性,(2)転写プロファイルの傾向,(3)機能の観点から分類した.対数期よりも定常期でpCAR1を保持した際の転写変動が大きいという傾向は3宿主共通であったが,Pf0-1株で転写変動したORFはPf0-1株固有の遺伝子が多い一方で,KT2440株とPAO1株では3宿主に保存されたORFが多く,2株でその内容も類似していた.KT2440株とPAO1株では,F-type ATPase (atp), RNAP core (rpo), succinate dehydrogenase (sdh) 等の本来対数期に盛んに転写され定常期に入ると完全に抑制される多くの遺伝子が,pCAR1を保持すると完全には抑制されなくなっていた.この傾向はpmr遺伝子を破壊したKT2440(pCAR1)株でさらに亢進したことから、この脱抑制現象にPmrは負の作用を有することが示された.さらに3宿主に保存されている遺伝子でもKT2440株のみで転写変動しているものも多かった.

第4章 宿主によって転写パターンの変化するpCAR1上の遺伝子の探索と解析

pCAR1の負荷の大きさが3宿主で異なる原因の一つとして,pCAR1上の遺伝子の転写状況が宿主ごとに異なる可能性が考えられたため,pCAR1自身の転写パターンを3宿主間で比較した.pCAR1上の全74個の転写単位の中で,54個の転写プロファイルは3宿主でほぼ共通だったが,17個は宿主によって異なる転写プロファイルを示し,転写パターンによって (A) PAO1株とPf0-1株では対数期特異的だがKT2440株では恒常的,(B) KT2440株とPAO1株では定常期特異的だがPf0-1株では転写なし,(C) KT2440株のみで転写あり,(D) 宿主ごとに転写パターンが異なる,の4つのグループに分類された (図2).(D) は核様体タンパク質をコードする遺伝子であり量的な差が,宿主染色体由来の核様体タンパク質の質的・量的な違いと相乗的に機能して,宿主ごとに固有の形質を出現させる可能性が示唆された.一方,(A)~(C) にはトランスポゾンや挿入配列のtransposaseやresolvaseが多く含まれていた.これらの転写プロファイルの傾向から,KT2440株ではpCAR1から転写される転写単位の数が多く転写される時期も長いことがpCAR1を保持した際の負荷が他の2株より大きい原因の一つなのではないかと推測された.

第5章 プラスミドの保持により転写変動する染色体遺伝子のプラスミド間比較

pCAR1を保持した際の宿主染色体の転写変動が他のプラスミドでも共通する現象なのか否かを評価するため,RP4(IncP-1, 60 kb),NAH7(IncP-9, 82 kb)をそれぞれ保持するP. putida KT2440株を作製し,各プラスミド保持株の対数期と定常期の染色体トランスクリプトームデータを取得した.同じ生育段階のプラスミド非保持株のデータと比較したところ,転写変動した遺伝子(fold change ≧ 4)の数はRP4保持株で574個,NAH7保持株で322個であり,同じ方法で解析したpCAR1保持株での数(89個)と比較して多かった.さらに各生育段階で誘導されたものと抑制されたものに分類してみると,pCAR1を保持した際には誘導された遺伝子が多いのに対し,RP4・NAH7では抑制された遺伝子が多いこと,またpCAR1保持株で変動した遺伝子には機能既知なものが多い一方,RP4・NAH7で変動した遺伝子は機能未知なものが多くpCAR1で変動したものと共通性が少ないことも示された(図3).しかし,興味深い点としてpyrroloquinoline quinone (PQQ) 合成遺伝子とPQQ含有酵素遺伝子を含む1領域が3種のプラスミド保持株で共通して誘導されており(図3A,ベン図の共通部分に相当),全く種類の異なるプラスミドでも宿主に共通の反応を引き起こすことが示された.

第6章 総括と展望

本研究で検出したpCAR1を保持した際に起こる変化を,以上の文中で取り上げなかった現象も含めて,以下の図4に模式的に示した.プラスミド上にコードされた遺伝子が発現する影響だけでなく,宿主染色体上の遺伝子の発現を変化させる影響,さらにそれらによって細胞内物質量が変化したことで引き起こされる影響を検出した.pCAR1を保持した3宿主の比較では,宿主の変化はKT2440株で一番大きかったが,KT2440株を宿主として他のプラスミドを保持した際の変化と比較すると,pCAR1による影響は比較的小さいことが示された.本研究は,これまで茫漠と語られてきた"プラスミドの負荷"の実体を明らかにしたものであるが,その負荷の宿主間・プラスミド間での共通性を検討したものともと言える.さらに,これらの現象へのpCAR1上のNAPsの関与を検討し,NAPsが関与する現象と関与しない現象両方を見出した(図4).今後,本研究で発見したプラスミドと宿主の相互作用に基づく変化の分子メカニズムを詳細に解析することで,細菌の機能進化や生き残りに重要なプラスミドの働きを正しく理解する基盤情報となると期待される.

図1.pCAR1を保持した際に呼吸量が低下する基質(C源として)

図2.宿主によって転写プロファイルが変化した転写単位の例.各グループの代表となる転写単位のRNAマップを1つずつ示し,カッコ内にそのぷループに含まれる転写単位の数を表す.

図3.3種のプラスミドによってそれぞれ転写変動する遺伝子の包含関係

図4.プラスミドが宿主に与える影響の宿主間での比較とプラスミド間の比較

審査要旨 要旨を表示する

プラスミドなどの可動性遺伝因子は新規遺伝子の獲得のためのツールとして、宿主の環境適応・進化に大きな役割を担う。プラスミドに関しては、それらの抗生物質耐性能や新規代謝能をコードする遺伝子の解析にとどまらず、複製・分配・接合伝達といったプラスミドの維持や伝播を司る遺伝子の解析、それに基づく分類、有用なベクターの開発など、膨大な知見が蓄積している。しかし、こうした先行研究では、プラスミドの機能は様々な宿主内で同様であると盲目的に考えがちで、宿主の違いや周囲の環境で変化する細胞内環境の違いを考慮しないことがほとんどであった。さらに、その細胞内環境もプラスミド自体の存在で変化しうると予想される。プラスミドを保持することが"負荷"になる場合があることは古くから経験的に知られているが、プラスミドによって宿主細胞内に起こる変化の実体は未だ解明な部分が多い。そのような背景のもと、本博士論文研究は、IncP-7群カルバゾール分解プラスミドpCAR1とゲノム既知のPseudomonas属宿主3種(P. putida KT2440株, P. aeruginosa PAO1株, P. fluorescens Pf0-1株)をモデルとして、プラスミドが宿主細胞内で機能する様式を整理し、それが異なる宿主・異なるプラスミドでどこまで共通なのか明らかにすることを目的としている。

本論文は6章から構成される。序論としてプラスミドが宿主に与える影響に関わる研究の現状を述べた第1章に引き続き、第2章では、pCAR1を保持した際に呼吸量が変化する培養条件をPhenotype MicroArray(Biolog社)を用いて網羅的に探索した結果を述べている。C源、N源、P源、S源を変化させた際にpCAR1保持株と非保持株で呼吸量に差が見られた培養条件の数はKT2440株>PAO1株>Pf0-1株の順であり、そのほとんどの条件でpCAR1を保持すると呼吸量が低下していた。異なる宿主間での共通性や、類似の構造が認められた化合物の細胞膜透過性を文献情報から検討し、KT2440株とPAO1株では中心代謝経路の活性が低下していると考察した。さらに宿主によって内容は異なるものの、pCAR1を保持すると浸透圧耐性やpH耐性も低下していることを示した。

第3章では、まずpCAR1を保持した際に転写変動する宿主染色体上の遺伝子をトランスクリプトーム解析によって選抜した。転写変動する遺伝子の数はKT2440株>PAO1株>Pf0-1株の順であり、第2章の解析でpCAR1の保持により呼吸量が低下した培養条件の数の傾向、及び各宿主においてpCAR1保持株と非保持株とを混合培養した際にpCAR1保持株が淘汰される速度の傾向(高瀬識之2012年東京大学修士論文)と一致しており、pCAR1を保持する際の負荷がKT2440株>PAO1株>Pf0-1株の順に大きいこと明らかにした。転写変動したORFを、3宿主間での保存性、推定される機能、転写プロファイルパターン、によって分類し、転写変動の内容はKT2440株とPAO1株の組み合わせで類似していること、3宿主で保存されたORFでもKT2440株のみで転写変動しているORFが多いことを示した。さらに第3章ではpCAR1上の核様体タンパク質であるPmrの遺伝子を破壊した株のトランスクリプトームを解析し、pCAR1を保持した際の転写変動の約半数はPmrを介する変化であること、転写プロファイルで分類したグループごとにPmrの関与の度合いは異なること、Pmrの働きの一つとして定常期に入る際の転写の切り替えが不完全になるのを抑える効果があることを明らかにした。

第4章では、pCAR1のトランスクリプトームの3宿主間での比較を行い、KT2440株では他の株に比べて転写される転写ユニットの数が多く転写される時期も長い傾向があることを見出し、上でも述べたpCAR1を保持する際の負荷が他の株より大きい原因の一つとなっている可能性を提示した。また、pCAR1上の3種類のNAPsは転写のピークが宿主によって異なっていることも見出し、pCAR1由来のNAPsの量的な差が宿主由来のNAPsの質的・量的な違いと相乗的に機能して宿主ごとに固有の形質を出現させる可能性を示した。

第5章では、pCAR1と異なる不和合性群に属するプラスミド2種を保持するKT2440株を用いて、pCAR1を保持した際の転写変動は他のプラスミドでも見られるのかを検討した。転写変動したORFの数は薬剤耐性プラスミドRP4やナフタレン分解プラスミドNAH7の方が多いこと、またpCAR1保持株では誘導される遺伝子が多いのに対し、RP4、NAH7保持株では抑制される遺伝子が多いことを明らかにした。また転写変動したORFの内容はpCAR1保持株では機能既知のものが多いのに対し、RP4、 NAH7では機能未知のものが多くpCAR1保持株と共通に転写変動したものは極めて少ないことを示した。

以上本研究は、これまで茫漠と語られてきた"プラスミドの負荷"の実体を明らかにしたものであり、これに基づいて宿主機能の変化の分子メカニズムを詳細に解析することで、細菌の機能進化や生き残りに重要なプラスミドの働きを正しく理解する基盤情報を提供するものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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