学位論文要旨



No 128057
著者(漢字) 千葉,洋子
著者(英字)
著者(カナ) チバ,ヨウコ
標題(和) Hydrogenobacter thermophilus TK-6のグリシン関連代謝
標題(洋) Glycine-related metabolism of Hydrogenobacter thermophilus TK-6
報告番号 128057
報告番号 甲28057
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3773号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 特任准教授 寺田,透
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

序章

本研究は、初期の生命はどのような代謝系を有していたのかという興味を発端とし、絶対独立栄養性水素細菌のグリシンを中心とした代謝系の解明を目指すものである。グリシン代謝系は生物にとって根源的かつ不可欠な生体成分であるアミノ酸および核酸の生合成に必須である。しかし、本代謝系はこれまで大腸菌や酵母など進化系統的に比較的最近派生した生物を中心に研究されており、初期の生命の特徴を残していると期待される「系統樹上で分岐が早い生物」での知見は極めて少ない。そのため、本代謝系の多様性やそれらの進化的関係についてはブラックボックスとなっている。

Hydrogenobacter thermophilusはバクテリアにおいて最も早くに分岐したと言われているAquificalesに属する絶対独立栄養性好熱性水素細菌である。これまでに本菌の炭酸および窒素同化代謝に関して詳細な研究がなされており、その結果特徴的なCO2固定経路である還元的TCA回路をはじめとして、進化的に古い可能性が示唆される数多くの新規酵素・反応系が発見された。さらに近年本菌の全ゲノム解析が終了し、遺伝子情報からの代謝系予測が可能となった。したがって、代謝系を明らかにする上で強力なツールとなるオミックス情報および生理生化学的知見が利用可能で、初期の生命に類似かつ新規な酵素・代謝系を有している可能性が非常に高いH. thermophilusのグリシン代謝系を解明することは、初期の本代謝について考察する上で極めて有効かつ興味深いと期待される。

第1章 グリシン代謝系の俯瞰

一般に、グリシンはグリオキシル酸、セリンまたはスレオニンから生合成されることが知られている。本菌はグリオキシル酸からグリシンを不可逆的に生成するaminotransferase (AT)を有することが知られていたが、残りの2反応の有無は不明であった。そこで、これらの反応経路の有無をゲノム情報および無細胞抽出液を用いた生化学的試験により確認した。結果、本菌はセリンからグリシンを生成するserine hydroxymethyltransferase (SHMT)遺伝子を有し、実際に可逆的なSHMT活性を有した。一方、スレオニンからグリシンを生成するthreonine aldolase (TA)遺伝子を欠いていたにもかかわらず、微弱ながらグリシン生成方向のTA活性を有した。したがって、本菌は3種類の経路でグリシンを生成可能であり、主にはグリオキシル酸またはセリンを経由することが示唆された。しかしCO2からグリオキシル酸およびセリンを生成する経路をゲノム情報から予測することはできず、これら生合成経路には新規経路または酵素が存在する可能性が示唆された。なお、グリオキシル酸生合成経路の候補となる酵素活性の検出を試みたが、そのような活性は得られなかった。

第2章 Serine hydroxymethyltransferase (SHMT) ―主反応と副反応

第1節 SHMTからのTA活性の検出

SHMTは主反応であるグリシン‐セリン間の変換活性(SHMT活性)に加えて、スレオニンに対してアルドラーゼ活性(TA活性)を有することが知られている。ただしSHMTのTA活性はSHMT活性と比べてごく微弱(大腸菌ではkcat/ Km値がグリシン生成方向のSHMT活性の5 × 10-5)で、生理学的意義はないとされてきた。一方、既知のTA遺伝子を欠く本菌にはSHMT活性よりは低いものの検出可能なレベルのTA活性が存在したことから、本菌のSHMTは既知のそれよりも高いTA活性を有するのではないかと推察した。そこで、本菌のSHMTのSHMTおよびTA活性の強度を検討した。その結果、本SHMTは既知のSHMTと同レベルのSHMT活性を有し、セリン生成方向よりもグリシン生成方向の反応を好むことが明らかになった。加えて、本SHMTはSHMT活性には劣るものの(kcat/ Km値が4 × 10-3)、既知のそれより150倍以上高いTA活性を示し、「本物の」TAのそれに匹敵した。本菌においてSHMTの主反応はセリンからのグリシン生成反応であるが、スレオニンからグリシンを生成するTA活性も無視できない可能性が考えられた。また、この副反応であるTA活性は反応温度の上昇と共に相対的に上昇するため、本菌以外でも好熱菌ではSHMTが普遍的に高いTA活性を示す可能性が示唆された。

第2節 SHMTのaldolase活性の反応機構

SHMTはスレオニン以外にも様々なβ-hydroxyamino acidに対してアルドラーゼ活性を有することが知られている。しかし、本反応機構および基質選択性(すなわち、なぜerythro体よりもthreo体を好み、Cβにメチル基が付いているものよりフェニル基が付いているものに対する活性が高いのか)が何に起因するかは不明であった。そこで、量子力学計算と生化学的実験の融合により、これらの疑問の解明を試みた。量子力学計算から、本アルドール反応は水由来のOH-が基質のβ-OH基を求核攻撃することにより起こり、Cα-Cβの解裂が律速段階であることが強く示唆された。また、量子力学計算から求めた種々の基質に対する活性化エネルギーとアレニウスプロットから求めた活性化エネルギーおよびアレニウス定数を比較することにより、本基質選択性は水素結合による遷移状態の安定化と、Cβの官能基による負電荷の非局在化の度合いの違いに起因すると考えられた。

第3章 新規metal-independent phosphoserine phosphatase (iPSP)

第1節 iPSPの精製と性状解析

本菌のゲノムにはホスホセリンの脱リン酸化によりセリンを生成するphosphoserine phosphatase (PSP)の遺伝子が存在しないため、本菌のセリン生合成経路は不明であった。しかしメタボローム解析によりホスホセリンの存在を確認でき、その生合成経路もゲノム情報から予測可能であったため、本菌には既知のものとは進化系統的に異なるPSPが存在するのではないかと予測し、その探索を行った。

本菌の無細胞抽出液からPSP活性を検出した。既知のPSP活性がMg2+依存的であるのに対し、本活性は金属非依存的であった。そこで本PSP活性を有するタンパク質を精製したところ2種類得られた。ひとつはHTH0103にコードされているタンパク質(PspA)のホモ2量体であり、もうひとつはPspAとHTH0183にコードされているタンパク質(PspB)のヘテロ2量体であった。驚くべきことにHTH0103とHTH0183は解糖/糖新生系の酵素であるphosphoglycerate mutase (PGM)と近縁であり、既知のPSPとは進化系統的に全く異なるものであった。また、PGM活性は示さなかった。そこで本ホモ、ヘテロタンパク質をそれぞれmetal-independent PSP (iPSP) 1, 2と命名した。無細胞抽出液中での活性の強度、基質選択性、動力学的パラメーターなどから、本タンパク質はin vivoで実際にPSPとして機能していることが強く示唆された。また、iPSPはAquificaeだけでなく、既知のPSPホモログを欠く他の生物(Cyanobacteria, Chloroflexi, 一部のFirmicutesなど)にも存在する可能性が示唆された。

第2節 iPSPの構造学的性状解析

1節の研究で、PspAのホモログであるPspBはPSP活性を有さないことが示唆された。この理由を探るため、iPSP1およびiPSP2を結晶化し、X線結晶構造解析を試みた。iPSP1の構造は1.5Aの分解能で決定できたが、iPSP2については十分な分解能を示す結晶が得られなかったため、iPSP1の構造を基にPspBサブユニットの構造をモデリングした。PspAおよびPspBの構造を比較したところ、活性中心への入り口の大きさが両者で大きく異なり、PspAでは小さいのに対しPspBでは非常に大きく活性中心が溶液に対してむき出しになっていることが示唆された。そのためPspBサブユニットは基質を安定的に保持できず、PSP活性を示さないのではないかと考えられた。

総括

以下の図に示すように、H. thermophilusはATおよびSHMTの触媒活性により3経路でグリシンを生成しうる。また、本菌は新規なiPSPを用いてセリンを生成可能である。現在のところグリオキシル酸生合成経路は不明であり、この経路にも新規な反応もしくは酵素が存在する可能性が強く示唆される。

Chiba, Y., Terada, T., Kameya, M., Shimizu, K., Arai, H., Ishii, M., Igarashi, Y. (2012)"Mechanism for folate-independent aldolase reaction catalyzed by serine hydroxymethyltransferase" FEBS Journal (印刷中)

Fig. H. thermophilus TK-6のグリシン生合成経路

生化学的に活性を確認済みの反応を実線、ゲノム情報から存在が予想される経路を破線で示した。

審査要旨 要旨を表示する

グリシン代謝系は生物にとって根源的かつ不可欠な生体成分であるアミノ酸および核酸の生合成に必須である。しかし、化学合成独立栄養性細菌のグリシン代謝系はゲノム情報のみからでは予測できないことから、そこには新規代謝系や酵素が存在すると期待される。そこで、本研究は絶対独立栄養性水素細菌Hydrogenobacter thermophilusの本代謝系を明らかにするとともに、得られた知見が他の生物にも当てはまるか考察した。

本論文はおおきく3章からなる。

第1章では、ゲノム、トランスクリプトーム、メタボローム情報を基に、本菌のグリシン代謝系を描くとともに、無細胞抽出液における活性を検出することで度の妥当性を生化学的に確かめた。結果、本菌はセリン、グリオキシル酸およびスレオニンからグリシンを生成可能であることが明らかになった。

前章において、スレオニンからグリシンを生成するスレオニンアルドラーゼ(TA)活性が検出されたが、本菌は既知のTAホモログを有さない。そこで第2章1節では何がこのTA活性を触媒しているのか明らかにすることを目的とした。申請者は、本菌においてTA活性はグリシン‐セリン間の変換反応を触媒するセリンヒドロキシメチルトランスフェラーゼ(SHMT)の副反応として触媒されていることを明らかにした。また、この副反応であるTA活性は反応温度の上昇と共に相対的に上昇するため、本菌以外でも好熱菌ではSHMTが普遍的に高いTA活性を示す可能性を示した。

第2章2節では、SHMTの副反応であるアルドラーゼ活性の反応機構および基質選択性(すなわち、なぜerythro体よりもthreo体を好み、Cβにメチル基が付いているものよりフェニル基が付いているものに対する活性が高いのか)が何に起因するか明らかにすることを試みた。量子力学計算から、本アルドール反応は水由来のOH-が基質のβ-OH基を求核攻撃することにより起こり、Cα-Cβの解裂が律速段階であることが強く示唆された。また、量子力学計算から求めた種々の基質に対する活性化エネルギーとアレニウスプロットから求めた活性化エネルギーおよびアレニウス定数を比較することにより、本基質選択性は水素結合による遷移状態の安定化と、Cβの官能基による負電荷の非局在化の度合いの違いに起因すると考えられた。

第3章では、グリシンの前駆体のひとつであるセリンを生成する新規酵素の発見し、その性状解析を行った。まず1節では、既知のホスホセリンホスファターゼ(PSP)とは系統的に全く異なる新規なPSP (iPSP)を2種類発見した。iPSP1はPspAのホモ2量体、iPSP2はPspAとPspBのヘテロ2量体であった。PspAとPspBは互いに37%の相同性を示し、その1次構造は全体的によく似ていたが、明確なPSP活性PspAサブユニットのみに存在した。

2節では、PspAにおいてPSP活性に重要な要因を、構造学的な視点から探った。まず、iPSP1のX線結晶構造解析を行い、1.5Aの分解能で構造を決定した。そして、PspAにおいて基質であるホスホセリンと相互作用するアミノ酸残基を推定した。また、構造モデリングにより予測したPspBとの比較により、PSP活性を示すには基質と水素結合するアミノ酸残基および活性ポケットへの入り口のサイズを規定するC末端の長さが重要であることが示唆された。これらの要因を満たすPspAのホモログはAquificaeだけでなくCyanobacteria、Chloroflexi、一部のFirmicutesなどにも存在し、これら生物は既知のPSPホモログを欠くことから、新規iPSPは様々な生物に存在することが示唆された。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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