学位論文要旨



No 128065
著者(漢字) 林,宇一
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ウイチ
標題(和) 林業労働における就業者数の動向及び賃金水準に関する研究
標題(洋)
報告番号 128065
報告番号 甲28065
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3781号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 宮崎大学 教授 藤掛,一郎
 森林総合研究所 主任研究員 田中,亘
 東京大学 准教授 古井戸,宏通
 東京大学 講師 尾張,敏章
内容要旨 要旨を表示する

近年、森林組合を始めとする林業事業体は一般労働市場からの労働者を求めるようになって来た。労働者から言うなら、林業が一般的な求職者の職業選択肢の一つとなるようになって来たと言えよう。言い換えるなら、林業労働市場が、一般労働市場に内包されつつあるとも言える。こうした変化に応じて林業労働市場に関する研究を発展させていく必要があり、一般労働市場を分析対象にしてきた労働経済学における研究蓄積を援用できないか、と考えた。労働経済学は、労働市場を対象に「労働者の行動、企業の行動、市場の機能を分析対象」とし、労働供給・需要、賃金・雇用、労働組合等を主テーマにしてきた。しかし、雇用の流動化、新卒大学生の就職難、フリーター・ニート問題に代表されるように、日本を取り巻く労働環境に変化が生じている。そこで、近年、労働経済学では、若者や女性、高齢者を個別に取り上げて、それぞれの労働市場における動向の把握や、労働者への教育や訓練が賃金に与える影響の分析、変化する労働環境に応じた研究が発展している。

林業労働に関するこれまでの先行研究を概観するに、定量的な研究はコウホート分析やそれに基づく将来推計などの手法を用いたもの以外には、研究蓄積が限られる。これに対して、労働経済学は近年対象とするテーマを拡大しており、様々な労働市場の分析に労働経済学が有効であることが示唆され、林業労働市場の分析にも有効であろうと考えられる。

本論文は、労働経済学の分析手法も用いて、一般労働市場に内包されつつある林業労働市場の特徴の析出を行っていくことを目的とするが、まずは第1章でマクロデータとして一番基本的な林業労働統計である国勢調査を用いて、林業労働をマクロレベルで概観する。第2章では、ミクロデータを用いて、労働経済学の根幹の一つである賃金関数の作成を行なう。1章では、国勢調査という最も信頼されるべき社会統計を用い、(1)林業労働の扱いについて振り返り、(2)「林業」、「林業作業者」の就業者数の経年変化にどのような特徴を見出せるのかを、コウホート効果・年齢効果・時代効果の三効果を意識した分析を通じ把握する。そして(3)森林組合等で働く労働者全体を含めた形で、林業へ就業する就業者は全体のどれくらいになるのか就業者総数の推計を行なった。

(1)では、これまでの先行研究を整理し、国勢調査の中で林業労働者として取り上げられているのは、産業分類上の「林業」、または職業分類上の「林業作業者」とされる就業者数であること、「林業」の就業者には「林業作業者」の他、「事務従事者」や「管理的職業従事者」も居り、これらの全体に占める割合が特に1980年以降であまり変化がないことを指摘した。一方で、「林業作業者」は「林業」以外の産業にも分類されており、その多くが「協同組合(他に分類されないもの)」(以下、「協同組合」)に分類される事業所に就業している。「協同組合」に分類される「林業作業者」を抱える多くの事業所は森林組合の事業所と想定されるが、「協同組合」に分類されるか「林業」に分類されるかは、その事業所で事業を2種類以上行なっているかどうかによって決まることを指摘した。その上で、近年の森林組合同士の合併と事業内容の多角化の流れの中で、多くの森林組合事業所が「林業」から「協同組合」に分類替えされている可能性に言及し、統計上も「林業」における「林業作業者」数と「協同組合」における「林業作業者」数の減少ペースに大きな開きがあることを指摘した。

(2)では、3効果について分析をした。コウホート効果については、「林業」では1946年から1955年生まれで40、50歳代でも微増し、「林業作業者」では1941年以後生まれで40代後半以降においても就業者数が安定的もしくは増加している。時代効果については、「林業」では例えば1960年から1965年にかけて、全ての生年コウホートにおいて就業者数が顕著に減少している。1960年に自由化された米材輸入などの影響と思われる。「林業作業者」では1980年から1990年にかけて、1930年以前生まれで減少が著しかった。1985年のプラザ合意や1980年代後半のバブル景気の影響と思われる。年齢効果については、「林業」では60歳以上で生年コウホート間での就業者数の差は急速に縮まり、70歳代でほぼなくなり、「林業作業者」では、59歳以下では生年コウホート間で就業者数の大小関係が変化するのに対し、60歳以上での大小関係は固定的である。

(3)では、「協同組合」、及び「その他」に産業分類された林業部門就業者数、及び林業労働者総数を推計した結果、林業労働者総数は、2005年現在で71,906人となった。また、一般に林業労働者数として用いられている基本集計の「林業」就業者数を1とすると、推計した林業労働者数は1.54であった。2005年調査における全就業者数は61,505,973人であるので、推計した林業労働者総数はその0.12%に当たる。

2章では、兵庫県但馬地域の森林組合作業班員を対象に、(1)アンケート調査により林業への就業意識を尋ね、(2)森林組合に作成・提供を依頼して得た、作業班員の賃金や学歴等に関する個票データを基に、人的資本理論を意識した賃金関数を作成した。但馬地域の森林組合では、作業班員の採用方法が、従来の縁故採用からハローワーク等の求人採用に移行しつつあり、作業班員の多くは専業雇用化している。但馬地域の森林組合の作業班員は、一般労働市場から労働力を獲得していることが伺える。

(1)では、地元就職志向が強く、賃金の高低が林業の就職理由と離職理由の上位に位置しており、副業(兼業)を選択しない理由としても森林組合の収入が生活費を賄えていること、仕事上の悩みには収入やその収入を保証する為の「自分の体力」が上位に来ていることなどから、他の職業選択と同様、林業の職業選択や就労継続、仕事上の関心事として賃金が大きな影響を与えていることが示唆された。実際、平成21事業年度兵庫県森林組合統計書によると、9割近く(88.1%)の作業班員が日給ないし月給出来高制となっている。聞き取りでは、かつては月給制の普及に努めていた森林組合もあったが、現在では出来高制に変更し、その理由として、より高い賃金を受け取りたいという作業班員の希望による、とあった。

(2)では、賃金関数を作成した結果、人的資本を表す説明変数の中では林業経験年数のみ推計値は低いが有意な変数となり、他の人的資本を表す変数は有意とならないことがわかった。林業は、近年一般求職者にとって就職先・職業選択肢の一つとなってきているが、本章の結果では、実際には林業の職業経験が賃金上昇に影響し、教育や一般労働市場で培われる人的資本は、当人の林業における賃金上昇に必ずしも貢献しない、という結果となった。

ハローワーク資料によると、但馬地域において林業の賃金は比較的高い。また、アンケートによると、森林組合への就職を決めた最も強い理由は、給料がいいからであり、前職でのスキル・経験が生かせるから、ではなかった。但馬地域の森林組合作業班員には、給料の高さを評価して林業に就職している労働者が多い、と思われる。一方で、賃金関数を作成する過程で、林業経験年数は有意であったが、他の人的資本は林業での賃金に必ずしも効いておらず、有意であった林業経験年数の推計値は低い値となっていた。

以上を踏まえると、但馬地域では林業の初期段階での給料の高さが求職者を引きつけ、求職者側もこれまでの経験が活かせるかどうか、というよりも給料の高さで林業を選択していること、実際に林業ではそれまで労働者が他の仕事などで培ってきた経験、教育によって培った技能が一般的には賃金上昇に活かしづらいこと、また入職後の林業経験年数に対する賃金上昇は緩やかであることが示唆された。

終章では、1章・2章での結果をふまえ、一般労働市場に内包されつつある林業労働市場であるが、依然として林業では労働市場で培われた標準的な技能蓄積が活かしづらいことが指摘できる。また、全産業から見れば、0.12%の雇用力しかないのも現実であり、その市場規模は非常に小さい。しかし、一般労働市場に内包されつつあるのは事実であり、一般労働市場の中で他職業と同列に職業選択の一つとして林業労働を捉える新規就業者を迎え入れる必要がある。新規就業者を迎え入れる林業事業体は、入職前の教育や経験が活かるような生産体制を構築することが必要となろう。また、新規就業者側も、現時点では林業は特殊な職業であることを認知して入職することが必要となるだろう。

林業労働を労働経済学の手法も取り入れて研究することは今後さらに重要となってくると考えられ、今後の研究の課題として、賃金に関する地域間比較や離職に関する分析、就業者数の動向分析などが挙げられよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、労働経済学の分析手法を用いて、一般労働市場に内包されつつある林業労働市場の特徴の析出を行っていくことを目的とする。まず、第1章でマクロデータとして一番基本的な林業労働統計である国勢調査を用いて、林業労働をマクロレベルで概観する。第2章では、ミクロデータを用いて、労働経済学の根幹の一つである賃金関数の作成を行う。

1章では、国勢調査という最も信頼されるべき社会統計を用い、(1)林業労働の扱いについて振り返り、(2)「林業」、「林業作業者」の就業者数の経年変化にどのような特徴を見出せるのかを、コウホート効果・年齢効果・時代効果の三効果を意識した分析を通じ把握する。そして(3)森林組合等で働く労働者全体を含めた形で、林業へ就業する就業者は全体のどれくらいになるのか就業者総数の推計を行なった。

(1)では、先行研究を整理し、国勢調査の中で林業労働者は、産業分類上の「林業」就業者、または職業分類上の「林業作業者」であること、「林業」就業者には「林業作業者」の他「事務従事者」や「管理的職業従事者」も居り、これらの全体に占める割合は特に1980年以降であまり変化がないことを指摘した。一方「林業作業者」は「林業」以外の産業にも分類されており、その多くが「協同組合(他に分類されないもの)」(以下、「協同組合」)に分類されている。「協同組合」に分類される「林業作業者」を抱える多くの事業所は森林組合の事業所と想定されるが、「協同組合」に分類されるか「林業」に分類されるかは、その事業所で事業を2種類以上行なっているかどうかによって決まる。近年の森林組合の合併と事業内容の多角化により、多くの森林組合事業所が「林業」から「協同組合」に分類替えされている可能性を指摘した。

(2)では、3効果について分析をした。コウホート効果については、「林業」では1946年から55年生まれは40、50歳代でも微増し、「林業作業者」では1941年以後生まれで40代後半以降においても就業者数が安定的もしくは増加している。時代効果については、1960年代に「林業」においても、「林業作業者」についても退出が特徴的であった。年齢効果については、「林業」では60歳以上で生年コウホート間での就業者数の差は少なく、70歳代でほぼなくなる。「林業作業者」では、59歳以下では生年コウホート間で就業者数が異なるのに対し、60歳以上では固定的である。

(3)では、「協同組合」、及び「その他」に産業分類された林業部門就業者数、及び林業労働者総数を推計した結果、林業労働者総数は、2005年現在で71,906人となった。また、一般に林業労働者数として用いられている基本集計の「林業」就業者数を1とすると、推計した林業労働者数は1.54であった。2005年調査における全就業者数は61,505,973人であるので、推計した林業労働者総数はその0.12%に当たる。

2章では、兵庫県但馬地域の森林組合作業班員を対象に、(1)アンケート調査により林業への就業意識を尋ね、(2)森林組合に作成・提供を依頼して得た、作業班員の賃金や学歴等に関する個票データを基に、人的資本理論を意識した賃金関数を作成した。

(1)では、地元就職志向が強く、賃金の高低が林業の就職理由と離職理由の上位に位置しており、副業(兼業)を選択しない理由としても森林組合の収入が生活費を賄えていること、仕事上の悩みには「自分の体力」が上位に来ていることなどから、他の職業選択と同様、林業の職業選択や就労継続、仕事上の関心事として賃金が大きな影響を与えていることが示唆された。

(2)では、賃金関数を作成した結果、人的資本を表す説明変数の中では林業経験年数のみ推計値は低いが有意な変数となり、他の人的資本を表す変数は有意とならないことがわかった。ハローワーク資料によると、但馬地域において林業の賃金は比較的高い。また、アンケート結果の、森林組合への就職を決めた最も強い理由が、給料が高いからであること、前職でのスキル・経験が生かせるから、ではなかったこととも整合的であった。

本論文では、まず基本的な統計である国勢調査の林業労働に関する扱いを整理し、特に産業分類上の林業就業者に比して、林業を担う就業者数は1.5倍に上ることを明らかにした。次に労働経済学の基本的な分析手法である賃金関数の推計を人的資本理論に基づいて行い、林業労働経験のみが賃金上昇に寄与することを明らかにしたものである。本論文で得られた知見は政策上の含意も大きく、林業労働を労働経済学で分析する上での重要な貢献をなしたものと認められ、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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