学位論文要旨



No 128069
著者(漢字) 周,宏俊
著者(英字)
著者(カナ) シュウ,コウシュン
標題(和) 借景の展開と構成 : 日本・中国造園における比較研究
標題(洋)
報告番号 128069
報告番号 甲28069
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3785号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小野,良平
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 斎藤,馨
 東京大学 教授 中井,祐
内容要旨 要旨を表示する

「借景」は,日本と中国において,近代以来の造園学研究における数少ない共通の用語であり,かつ重要な概念の一つである。また日本と中国双方において,借景を擁する庭園という評価の定着した庭園が多くみられる。しかし,現在の日本と中国における借景には,その概念においても実際の庭園にみられる空間や景観の構成においても,同一とは言いがたい差異がある。

これに対して,日本と中国の造園学研究では,借景の概念と技法を対象とした系統立った研究がともに未だ存在せず,また両国の借景の比較研究も進んでいない現状にある。そのため借景という概念や技法が歴史的な時間軸上あるいは地理・文化的な空間軸上で相対視されることのないまま,個々の議論や実践が展開されているという状況にあり,学術的にも多くの課題を残している。

そこで本研究は,日本と中国の造園における「借景」を対象として,その概念と技法の特質を,歴史を含めた相対的視点から明らかにすることを目的とする。具体的には,日本と中国双方における,1.借景という用語と概念の展開と変遷,2.借景の造園的技法と庭園に実現された構造,3.借景の概念と技法に内包されている造園上の理念,を明らかとすること,さらに4.以上を踏まえた日本と中国の比較考察,の四点を研究課題とする。

第一章では,上記の研究の背景と目的,本研究の視点,既往研究のレビューをふまえた研究の位置づけを示すとともに,研究の方法,論文の構成および用語の定義等について述べた。

第二章では,中国における借景の用語の起源と,古典文献から近代の研究に至るまでの概念の変遷,および各概念に反映されている借景の構造の特徴を明らかにした上で,現在理解されている借景の概念と近代以前の概念との差異,およびその差異を引き起こした要因について考察した。その結果,宋代の黄庭堅による「借景亭」という表現が借景という用語の濫觴であること,その後の清代の李漁による「尺幅窓」も借景の概念の展開において重要であることなどが明らかとなった。またこれら「借景亭型」と「尺幅窓型」の借景の構造は,園内から園外までの眺望とは異なる,小規模な技法であったことを明らかとした。これらに対して,現在借景に関する書として良く知られる明代の『園冶』は,「遠眺型」といえる借景について解説したものの,当時の借景概念に与えた影響は弱かったことが考察された。しかし,近代以降の借景という用語は,陳従周などの主導した造園研究において,『園冶』の借景を基礎とする位置づけが支配的となり,借景の構成が古典の「借景亭型」と「尺幅窓型」から大規模な「遠眺型」へと変化したことが考察された。

第三章では,日本の造園における借景の用語の起源と,その概念の変遷を明らかとし,さらに典型とされる庭園を事例に借景の構造の特徴について考察した。その結果,中国での「借景」の嚆矢である宋代の黄庭堅の詩集が中国から伝来していたこと,室町時代の万里集九の『帳中香』が日本での「借景」の濫觴である可能性が高いことなどが明らかとなった。しかし,造園の領域においては,「借景」の用語と概念が自覚的に用いられるようになったのは明治期であり,その概念は『園冶』に解説された概念に近い,遠距離の眺望に相当するものであったことが明らかとなった。さらに近代以降,借景の意味・概念は次第に狭く,厳密に,また複雑に規定されてきたことがわかった。続いて,借景庭園の事例を収集しその典型事例を対象に景観にかかわる空間の構造を分析したところ,借景庭園の代表とされる庭園は,「小中見大」という空間意匠として整理することができた。このような庭園意匠の独自性から,日本の造園における借景の概念は『園冶』から離れ,日本庭園自身の意匠として展開してきたことが考察された。なお,日本において輸入・出版された『園冶』の版を調査しその普及の経緯を分析したところ,明治期の「借景」はこの時期の『園冶』の普及によって展開したことが推測された。その背景として,明治期の近代公共図書館の発達と古典籍の公開化などの要因が考察された。

第四章では,中国庭園を対象に,眺望に関する造園的技法および眺望の構造を明らかにし,その造園上の理念について考察した。まず園記などの古文献に基づいて,眺望の一般モデルが「登高眺遠」,すなわち庭園内の楼閣あるいは築山などの高所から園外に位置する山などを眺める構造として抽出された。さらに高所が景観シークエンスの終端部に設定されることが造園における理想的なモデルであることが考察された。次に蘇州地域におけるすべての古典庭園を調査し,特に拙政園の眺望に関する歴史的変遷を考証し,北寺塔までの眺望に関する意識と庭園内の水景と境界の変遷の関連性を検討した。その結果,創立期における拙政園から北寺塔は眺望できたが水景が現存の状態と異なっていたこと,創立期の拙政園は境界性が弱く庭園が周辺の田野と混然とした状況にあったことなどがわかり,塔の眺望は古城における日常的風景であり,塔よりも周囲の山が造園上意識されていた可能性が高かったことが考察された。続いて,塔を眺望対象とする10庭園に関して,考証の上,庭園の配置,景観にかかわる空間構造を分析した。その結果,庭園から空間的な境界で隔てられた塔の眺望が造園上意識されていた可能性が高いこと,また多くが小スケールの庭園で,囲み性が強かったことなどが明らかとなった。さらに,山を眺望対象とする庭園に関して,視対象や視点など景観要素の関係性やおよび庭園分布の特徴を分析し,庭園の立地条件による景観にかかわる空間構造を分析した。その結果,庭園の立地は山の眺望よりも山に近いことが重視されていたこと,山から遠い庭園では眺望の視点場の配置が理想的なモデルに合致し,山に近い庭園では理想的なモデルとの間に齟齬があることなどが明らかとなった。以上を踏まえ,中国蘇州の庭園の眺望における理想的なモデルとそこに含まれる造園理念として,眺望の視点が庭園の遊覧経路の終端部の高所に設置され,遊覧経路に沿って景観シークエンスが小から大,低から高,近から遠へと変化すること,すなわち「小後見大」という意匠を考察,抽出した。理想的な眺望対象は庭園からある境界によって隔てられ,高所の視点からに限り眺められるものとして考えられてきたことが整理された。

第五章では,日本庭園を対象に,借景に関する造園的技法および借景の構造を明らかにし,その造園上の理念について考察した。まず借景庭園の実例を収集した上で,景観工学の手法に基づいて分析指標を設定し,庭園の方向性と「大小性指数」(「大小性指数」=仰角×(眺望視距離/眺望方向における庭園の奥行き))との関係を分析した。その結果,庭園設計における借景に対する意識が眺望対象のスケールと比例的関係にあることを明らかとした。次に,隣接する山に背向するように立地する庭園を対象に,それぞれの庭園の眺望の形式および眺望に対する意識に注目して分析を行った。その結果,これらの庭園では,庭園からの可視範囲内における顕著なランドマークとなる山が眺望対象となり,それに対する方向ないし庭園の空間配置全体が借景を目的として確定された可能性が高いことを明らかとした。さらに,京都地域における主要な臨済宗寺院を対象に,立地環境と庭園要素の形式に関する分析を行い,少なくとも江戸初期以前にこれらの臨済宗寺院の庭園では借景が遍在的に得られていたことを明らかとした。以上を踏まえ,日本の借景庭園における造園上の本質的な理念として,「小中見大」の意匠,すなわち小さい庭園空間を通してより大きい借景空間を覗き見ることによって得られる大と小の対比が,借景及び借景庭園が内包する特質と理想形式であることを考察した。

第六章では,研究の総括として,日本と中国における借景の概念を比較した上で,両者の借景概念の差異の背景となる要因を考察した。両国の造園学において,「借景」はともに近代初頭に『園冶』から導入された。しかし以後両国間の借景は異なる展開を示し,中国では,基本的に現在でも『園冶』を規範として借景が理解されているのに対して日本では,庭園の実例が比較的多く,借景の概念は次第に『園冶』から離れ,個別の庭園の構成によって理解されるようになったことを明らかとした。さらに,両者の借景における造園理念として,中国では「登高眺遠」という眺望の形式と「小後見大」という体験の理念が認められること,日本では低所の固定視点からの眺めという眺望の形式と「小中見大」という体験の理念が認められることを考察した。また庭園設計時の眺望に対する意識に関しては,日本の典型的な借景庭園では特定の借景対象を基準に庭園の方向と配置が定められていた可能性が高いのに対して,中国の多くの庭園では外景はあまり意識されていなかった可能性が高いことが考察された。こうした差異の背景となる要因として,日本における多くの借景庭園と比べて,中国における多くの庭園は,方向性が固定されない回遊式が中心であることなどが考察された。日本では借景を主題とする借景庭園という類型が生まれたのに対して,中国では借景は庭園における景観構成の一部にすぎないということができる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、「借景」と呼ばれる中国と日本の双方に存在する造園設計における技法について、用語や概念の歴史的起源および展開を踏まえた上で、その理念・技術的特質について論じたものである。「借景」は中国と日本の造園研究における数少ない共通かつ重要概念の一つであり、また両国において借景で名高い庭園が多くみられるが、実際の庭園の景観は日中で相違がある。これに対して学術的には、その概念や技法について歴史的な時間軸上あるいは地理・文化的な空間軸上で相対視されることのないまま、個々の議論や実践が展開されている状況にあり、多くの課題が残されている。そこで本研究は、日本と中国の造園における「借景」を対象として、その概念と技法の特質を歴史を含めた相対的視点から明らかにすることを目的とし、全体で6章からなる論が構成されている。

第1章においては、こうした研究の背景および目的を述べるとともに、研究の方法、既往研究の整理、概念規定等を行い研究の全体構成を提示している。

第2章では、中国における借景の用語の起源と概念の変遷を明らかとし、各概念における借景の構造的特徴を考察している。広範な文献資料の収集および検索を通し、まず宋代の黄庭堅による「借景亭」という表現が借景という語の濫觴であること、その後の清代の李漁による「尺幅窓」も概念の展開上重要であること、またこれらは園内から園外までの眺望とは異なる技法であったことなどを明らかとしている。さらに現在良く知られる明代の『園冶』が「遠眺型」の借景を解説し、これが当時の造園に与えた影響は弱かったにもかかわらず、近代以降は『園冶』の影響力が支配的となり、借景の概念が「遠眺型」へと変化したことを明らかとしている。

第3章においては、日本における借景の用語の起源と、その概念の変遷を明らかとし、さらに典型とされる庭園を例に借景の構造の特徴を考察している。広範な文献資料の収集および検索を通し、まず日本での「借景」の嚆矢が中国より伝来した黄庭堅の詩集を参照した万里集九の『帳中香』(室町期)である可能性が高いことを見出している。さらに「借景」が自覚的に用いられるようになったのは明治期であり、その概念は『園冶』の遠距離の眺望に相当するものであったこと、また近代以降借景の意味・概念は次第に狭義化されてきたことを明らかとしている。次いで借景庭園の典型事例を対象に景観の構造を分析し、その技法の特質を「小中見大」という空間意匠として整理し、複雑・多様化の傾向にあった議論を集約することに成功している。

第4章においては、実際の中国庭園を対象に、眺望に関する造園的技法および眺望の構造を明らかにし、その造園上の理念について考察している。まず園記など古文献の調査より、眺望の理想が一般に「登高眺遠」でかつ高所が景観シークエンスの終端部に設定される構造にあったことを明らかとしている。次に蘇州地域におけるすべての古典庭園に対する文献調査から、まず拙政園の眺望に関する歴史的変遷を考証し、現在拙政園の借景対象とされる北寺塔の眺望は古城における日常的風景であり、塔よりも周囲の山が造園上意識されていた可能性が高かったことを明らかとしている。さらに蘇州における他の庭園における塔及び山の景観上の位置づけについて考証を行い、これらを踏まえて中国蘇州の庭園の眺望における造園理念の特質を、「小後見大」という空間意匠して整理し集約することに成功している。

第5章においては、実際の日本庭園を対象に、借景に関する造園的技法および借景の構造を明らかにし、その造園上の理念について考察している。全国の借景庭園の実例を収集した上で、景観工学の手法に基づいてスケール比や方向性などの指標を設定し「小中見大」の意匠の具体的構成について分析し、小さい庭園空間を通してより大きい空間を覗き見ることによって得られる大小の対比が、借景が内包する特質であることを実証的に明らかとしている。

第6章では、総括として日本と中国における借景の概念を比較した上で、両者の借景概念の差異の背景となる要因を考察し、概念の展開と実際の庭園の構成比較を通して、日本では借景を主題とする庭園の類型が生まれたことに対して、中国では借景は庭園における景観構成の一部にすぎないという基本的差異を導いている。

以上本研究は、「借景」という造園技法について中国と日本における概念の歴史展開を踏まえた上でその構造的特質を実証的に論じたものである。本研究は「借景」概念の起源と歴史を学術的に初めて明らかにするとともに、技法上の特質論について日中間で相対的に議論可能な視座を設定することに成功しており、学術上、応用上、寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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