学位論文要旨



No 128070
著者(漢字) 伊知地,稔
著者(英字)
著者(カナ) イヂチ,ミノル
標題(和) アンモニア酸化能を有する海洋古細菌の分布と系統
標題(洋)
報告番号 128070
報告番号 甲28070
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3786号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 浜崎,恒二
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 古谷,研
 中央大学 教授 諏訪,裕一
 長崎大学 准教授 和田,実
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

海洋における硝化は、生態系の基礎生産を制御する重要な反応過程の一つであり、硝化細菌が唯一の担い手であると考えられてきた。しかし近年、アンモニア酸化を行う古細菌の発見により、環境中における硝化の制御について、見直しが必要となっている。そうした中で、海洋古細菌によるアンモニア酸化は、栄養塩の再生だけでなく、新たな炭素固定過程として、生物地球化学的な重要性が指摘されているが、その分離株は水族館の濾過槽から分離されたNitrosopumirus maritimus SCM1株のみであり、生物学的な知見が圧倒的に不足している。本研究では、アンモニア酸化能を有する海洋古細菌の生理生態学的特性と、古細菌ドメインにおける系統学的な位置を明らかにする事を目的とした。特に、駿河湾の中深層に生息するアンモニア酸化古細菌(Ammonia-Oxidizing Archaea, AOA)の鉛直分布やニッチについて調べ、そこから特定の古細菌が高度に集積された系を得る事で、分布を制御する要因としてのアンモニア態窒素と水温の影響について調べた。さらに、これら集積系の解析によって、未培養なAOA系統群の16S rRNA遺伝子配列を決定する事ができた。

2. 駿河湾におけるアンモニア酸化能を有する海洋古細菌の群集構造と生息場所

海洋性AOA群集は、アンモニア酸化の鍵酵素遺伝子(amoA)によって、Nitrosopumilus maritimus-like cluster(NM)、Water Column cluster A(WCA)、Water Column cluster B(WCB)と呼ばれる3つの系統群に分かれる。既往研究で系統群による鉛直方向での棲み分けが指摘され、NMとWCAは表層でよく見られる事からShallow Marine clade、WCBは中深層以深で多く見られる事からDeep Marine cladeと呼ばれている。海洋の水柱におけるAOAの好適な生息場所として、微生物活動の「ホットスポット」と呼ばれ高濃度のアンモニア態窒素が局所的に存在する有機物粒子が挙げられるが、こうした粒子における付着性AOAの分布については未だ調べられていない。本章では、付着と自由生活という海洋微生物の二つの生態型に注目して、駿河湾におけるAOAの分布と多様性を解析し、系統群による分布や生息場所の違いを明らかにする事を目的とした。2008年2月に駿河湾の湾央から湾口までの5地点で、海水試料を鉛直的に採水し、孔径3.0 μmと0.22 μmのフィルターで連続的に濾過する事によって、付着性画分と自由生活性画分に分けて解析した。定量PCR法を用いてShallow Marine cladeとDeep Marine clade のAOAについて、それぞれの現存量(amoAコピー数)を調べた。また、湾口部水深500 mの海水試料を同様に濾過し、amoA配列による群集構造解析を行った。両画分に分けた解析の結果、海水中におけるAOAの大部分は、自由生活である事を初めて明らかにする事ができた。一方、付着性AOAは単位海水当たりの現存量が少ないものの、amoA配列に基づく(カットオフ値5%)OTUクラスタリング、Chao1法による種数推定、レアファクション解析から、自由生活性AOAよりも多様性が高く、種数が多い事が示された。一般に、アンモニア態窒素に乏しい海水においても、粒子上に付着する事によって高濃度のアンモニア態窒素を得る事が可能となるはずであるが、多くの海洋性AOAは、低濃度のアンモニア態窒素利用に適応する事で自由生活の生態型を示していると考えられる。また、付着性AOAの物質循環への量的な寄与は自由生活性AOAに比べて小さいが、有機物粒子の存在がAOAの多様性維持に重要な役割を果たしている事が示唆された。さらに、自由生活性AOAは、既報と同様に、表層でShallow Marine cladeが優占し、中深層でDeep Marine cladeが優占する分布パターンを示すのに対し、付着性AOAには、そのような分布が見られなかった。

3. アンモニア酸化能を有する海洋古細菌の集積培養と群集構造の変化

海洋性AOA群集の分布を決める要因として、これまでアンモニア態窒素濃度や酸素濃度の重要性が指摘されてきた。特に、WCA系統群の割合は、酸素及びアンモニア態窒素濃度と正の相関関係を示す事から、これらの環境要因の影響が示唆される。一方、WCB系統群では、そのような関係は見られない事から、その他の要因を考える必要がある。本章では、海洋性AOAの主要系統群の分布を支配する要因を明らかにするために、アンモニア態窒素もしくは亜硝酸態窒素を添加した集積培養系を用いて、AOAの群集構造と現存量に及ぼすアンモニア態窒素濃度と水温の影響を調べる事を目的とした。駿河湾湾口部水深500 mと2,000 mの海水試料に基質として(NH4)2SO4もしくはNaNO2を添加 (Nとして終濃度50 μM) し、4°C、10°C、20°C (n = 1) に保持、震盪せずに暗条件で1,200日間の集積培養を行った。培養開始時に基質を添加後、300日目までの培養期間中に最大で3回の基質添加を行った。集積培養における系統群別のクローン出現頻度と現存量の変化を解析した結果、WCB系統群の割合と培養期間中における消長は、培養温度によって大きく異なる事が示され、海洋性AOAの主要系統群の分布を支配する要因として、水温が重要な要因となりうる事が初めて示された。例えば、500mと2,000mいずれの集積系においても、高温(10°Cと20°C)ではNMもしくはWCA系統群が優占となり、低温(4°C)ではWCB系統群が優占となった。また、Shallow Marine clade(NMとWCA)は、いずれの温度でも、アンモニア態窒素を添加する事でさらに現存量が増加した事から、Deep Marine clade(WCB)と比べてアンモニア態窒素に対する最大収量が高い事が示唆された。既往研究で、NMとWCA系統群はアンモニア態窒素の供給量が多い水族館や、沿岸近く、浅海で優勢になり、一方でWCBは低温な深海で優勢になる事が報告されている。前章においても同様に、各系統群の鉛直的な棲み分けが示された。本章の研究で得られた結果から、こうした分布の違いは、生息環境におけるアンモニア態窒素濃度と水温の違いによって説明できると考えられる。また、同じ系統群内においても培養期間や温度によって出現するOTUが変化しており、種レベルでの環境要因に対する応答の違いと群集構造の変動が示唆された。

4. アンモニア酸化能を有する海洋古細菌の多様性と系統

第3章の研究で、古細菌のamoAで見たOTUが1ないし2つしか存在しない培養系を得る事ができた。こうした培養系を用いる事で、特定のAOA系統群の16S rRNA遺伝子配列を決定する事ができる。本章では、駿河湾だけでなく、様々な海域で得た集積系を選抜する事により、NM及びWCA系統群だけでなく、WCB系統群が非常に高い割合で集積された系を見出し、これまで不明であったWCB系統群を含む海洋性AOAの系統学的位置を明らかにする事を目的とした。海水試料は駿河湾と相模湾、大槌湾、サロマ湖、北極海で採水したものを用い、集積培養は前章と同様に行った。合計で8試料、73の集積系について、定量PCR法を用いてShallow Marine cladeおよびDeep Marine cladeの現存量を調べた。北極海で得られた集積系を用いた16S rRNA遺伝子解析の結果、WCB系統群に属するAOAの系統学的位置を、NM及びWCA系統群と同じThaumarhaeota のGroup I.1a内に確定する事ができた。WCB系統群の古細菌は、分離株であるN. maritimusに対して、amoA配列の系統関係と同様に、異なる系統群として区別する事ができた。その相同性は、97%以下である事から種以上の分類群レベルで異なる事が示唆された。本研究では、海洋性AOAを構成する3つの主要系統群について、古細菌ドメインおける系統学的な位置を初めて明らかにする事ができた。また、3つの主要系統群に含まれない新たな系統群の存在も示唆された。既往研究では、amoA配列で区別される3つの系統群は、16SrRNA遺伝子配列で区別されない同一の系統群である事が予想されたが、既報とは異なるプライマーセットを用いた再解析によって、既報知見の一部は方法論的な問題によるアーティファクトである事も明らかとなった。これら海洋性AOA系統群は、16SrRNA遺伝子の相同性が97%以下である事から、生息場所を異にする別種、あるいは別属の古細菌であると考えられる。

5. 結論

本研究では、海洋性AOAの海水中での鉛直的な棲み分け、付着と自由生活という二つの生態学的ニッチにおける系統群分布パターンや多様性の違いが示され、こうした分布を決める環境要因として、アンモニア態窒素濃度に加えて水温が主要因と成り得る事が初めて明らかになった。さらに、未培養な海洋性AOAの16S rRNA遺伝子配列を決定する事により、古細菌ドメインにおける系統学的な位置が初めて明らかとなった。その結果、古細菌全体の群集構造解析におけるAOAの特定が可能となり、環境中におけるAOAの動態を古細菌群集全体の動態と比較しつつ、その現存量や生産量への寄与を見積もる事が格段に容易になる事が予想される。今後、それぞれの系統群に特異的なプローブを用いた定量的な解析手法により、海洋環境中の硝化過程に関わる様々な課題へのアプローチが可能になると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、海洋生態系における重要な反応過程である硝化に関わるアンモニア酸化古細菌(AOA)について、その生理生態学的特性と古細菌ドメインにおける系統学的な位置を明らかにすることを目的としたものである。

1.駿河湾における海洋性アンモニア酸化古細菌の分布と生息場所

海洋性AOA群集は、アンモニア酸化の鍵酵素遺伝子(amoA)によって、Nitrosopumilus maritimus -like cluster(NM)、Water Column cluster A(WCA)、Water Column cluster B(WCB)の3系統群に分類される。付着と自由生活という海洋微生物の二つの生態型に注目し、駿河湾におけるAOAの分布と多様性を解析し、系統群による分布や生息場所の違いを明らかにした。鍵酵素amoA遺伝子をターゲットとする定量PCR法及びPCRクローニング法を用いた解析の結果、海水環境中におけるAOAの大部分は、自由生活性である事を初めて明らかにすることができた。一方、付着性AOAは単位海水当たりの現存量は少ないものの、amoA遺伝子配列にもとづく多様性解析により、自由生活性AOAよりも多様性が高く、種数が多いことが示された。多くの海洋性AOAは、低濃度のアンモニア態窒素利用に適応することによって自由生活性の分布を示しているが、有機物粒子の存在がAOAの多様性維持に重要な役割を果たしていることが示唆された。

2. 海洋性アンモニア酸化古細菌の集積培養と群集構造の変化

海洋性AOAの主要系統群(NM、WCA、WCB)の分布を支配する要因を明らかにするため、アンモニアもしくは亜硝酸添加集積培養系を用いて、アンモニア態窒素濃度と水温の影響を調べた。駿河湾湾口部水深500 mと2,000 mの海水試料に基質として(NH4)2SO4もしくはNaNO2を添加し、4°C、10°C、20°Cに保持、1,200日間の集積培養を行った。集積培養における系統群別のクローン出現頻度と現存量の変化を解析した結果、WCB系統群の割合と培養期間中における消長は、培養温度によって大きく異なることが示され、海洋性AOAの主要系統群の分布を支配する要因として、水温が重要な要因となりうることが初めて示された。また、NM+WCA系統群は、WCB系統群と比べてアンモニア態窒素に対する最大収量が高いことが示唆された。既往研究では、NMとWCA系統群は水族館、沿岸、浅海で優勢、WCBは深海で優勢であることが報告されている。こうした分布の違いが、生息環境におけるアンモニア態窒素濃度と水温の違いによって説明できる。また、同じ系統群内においても培養期間や温度によって出現するOTUが変化し、種レベルでの環境要因に対する応答の違いと群集構造の変動があることが示唆された。

3. 海洋性アンモニア酸化古細菌の系統

様々な海域で得た集積系をスクリーニングし、NM及びWCA系統群だけでなく、WCB系統群が集積された系を見出し、従来不明であった海洋性AOA群の系統学的位置を明らかにした。駿河湾、相模湾、大槌湾、サロマ湖、北極海で海水試料を採取し、集積培養を行った。合計で8試料、73の集積系について、定量PCR法による系統群毎の現存量計数を行った。北極海で得られた集積系を用いた解析の結果、WCB系統群に属するAOAの16SrRNA遺伝子における系統学的位置として、NM及びWCA系統群も属するThaumarhaeota のGroup I.1a内に確定することができた。WCB系統群の古細菌は、分離株であるCandidatus Nitrosopumilus maritimusとは、異なるクラスターとして区別することができるが、その相同性は97%程度であり種レベルで違いが示唆された。本研究によって、海洋性AOAを構成する3つの主要系統群について、古細菌ドメインおける系統学的な位置を初めて明らかにすることができた。また、3つの主要系統群に含まれない新たな系統群の存在も示唆された。

以上、本研究によって、海洋性AOAの海水中での鉛直的な棲み分け、付着と自由生活という二つの生態学的ニッチによる系統群分布パターンや多様性の違いが示され、こうした分布パターンを決める環境要因として、アンモニア態窒素濃度に加えて水温が主要な要因となりうることが初めて明らかになった。さらに、未培養の海洋性AOAクローンの16SrRNA遺伝子配列を決定することにより、古細菌ドメインにおける系統学的な位置が初めて明らかとなった。これらの成果は、当該分野の研究において少、なからず学術的に貢献するものである。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると認めた。

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