学位論文要旨



No 128073
著者(漢字) 小澤,秀夫
著者(英字)
著者(カナ) オザワ,ヒデオ
標題(和) 魚介類トロポミオシンの構造安定性に関する研究
標題(洋) Studies on the structural stability of tropomyosins from fish and marine invertebrates
報告番号 128073
報告番号 甲28073
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3789号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 准教授 潮,秀樹
 東海大学 教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

筋肉トロポミオシン(TM)は284残基からなる繊維状のタンパク質で、アクチンフィラメントの溝に沿って存在し、トロポニンとともに筋収縮を調節する。本タンパク質は二量体を基本単位とし、二量体は長さ420A、幅25Aで、2本のαヘリックス鎖がより合わさったαヘリカルコイルドコイル構造を形成する。低イオン強度下ではTMのN末端側とC末端側が末端間相互作用し、多量体を形成する。脊椎動物ではαおよびβの2種類のアイソフォームが報告されているが、マグロ類を除くほとんどの魚類の筋肉TMは、α型のみが報告されている。従って、以下のTMはα型を指すものとする。上記のコイルドコイル構造を形成するため、TMはa-gで表わされる7残基繰り返し配列を示し、aおよびd部位には疎水性のアミノ酸残基が配置することが多い。しかし、これらの部位においても、酸性のアミノ酸残基が配置する部分(酸性コア)や、連続してアラニンが配置する部分(アラニン・クラスター)があり、それらの領域の構造安定性は低下し、屈曲していることが知られている。構造安定性は自身のアクチン結合能やアクトミオシンATPase活性に影響を及ぼすとされており、構造安定性の指標として、熱安定性を測定することが一般的に行われている。魚類TM間のアミノ酸同一率は93%以上と高いが、種間で明確な熱安定性の違いが報告されている。一方、無脊椎動物筋肉TMについては熱安定性を含めて極めて知見に乏しい。

このような背景の下、本研究は、魚介類筋肉TMのコイルドコイル構造の領域別熱安定性や種間の熱安定性の差異を評価することを目的として行われたもので、成果の概要は以下の通りである。

1. 無脊椎動物TMの熱安定性の種間差

クルマエビ腹部屈筋、スルメイカ外套膜筋、トコブシ足筋およびホタテガイ閉殻筋(横紋筋および平滑筋)から常法により調製したアセトンパウダーに中性の高塩濃度緩衝液を加えてTMを抽出し、等電点沈澱および硫安分画に付した後、各種クロマトグラフィーによりTMを精製した。ただし、スルメイカおよびホタテガイ平滑筋TMの調製に際しては、等電点沈殿を行う前に、パラミオシンを希釈沈殿で除去した。ホタテガイ平滑筋ではTMをコードする3種類のmRNAが知られていたため、プロテアーゼArg-Cにより部分消化して得られた平滑筋TMにつき、N末端アミノ酸配列を調べてアイソフォームの同定を行った。

次に、精製TMにつき、10 mMリン酸ナトリウム緩衝液(pH 7.0)、0.1 M KCl、0.1 mM ジチオトレイトール(DTT)、0.001 % NaN3を含む溶液中、円二色性(CD)測定を5-80°Cで、示差走査熱量分析(DSC)を5-90°Cで行った。対照として後述する方法で精製したシログチ速筋TMを用いた。まず、CD測定により、みかけの転移温度(TMapp)および20°Cにおける変性のみかけのギブス自由エネルギー(ΔGapp)を求めた。CD測定では、TMappが大きいほど熱安定性が高いとし、TMappが同程度の場合、ΔGappが大きいほど熱安定性が高いとした。またDSCでは、20°Cにおける変性のギブス自由エネルギー(ΔG)を求め、ΔGが大きいほど熱安定性が高いとした。

CD測定により得られたTMappはクルマエビTMで47.3°Cと最も高く、次いでスルメイカTM(43.5°C)、トコブシTM(43.0°C)、シログチTM(41.2°C)、ホタテガイ平滑筋TM(36.0°C)、ホタテガイ横紋筋TM(30.5°C)の順であった。次に、ΔGappはクルマエビTMで50.2 kJ/molと最も高く、次いでホタテガイ平滑筋TM(31.9 kJ/mol)、シログチTM(24.1 kJ/mol)、トコブシTM(23.9 kJ/mol)、スルメイカTM(14.3 kJ/mol)、ホタテガイ横紋筋TM(13.4 kJ/mol)の順であった。従って、熱安定性は、クルマエビTM > トコブシTM > シログチTM > スルメイカTM > ホタテガイ平滑筋TM > ホタテガイ横紋筋TMの順と結論した。DSCにより得られたΔGは、クルマエビTM(271 kJ/mol)で最も高く、次いでトコブシTM(253 kJ/mol)、シログチTM(139 kJ/mol)、スルメイカTM(129 kJ/mol)、ホタテガイ平滑筋TM(110 kJ/mol)、ホタテガイ横紋筋TM(72 kJ/mol)の順であった。スルメイカTMおよびシログチTMは同程度のTMapp、ΔGappおよびΔGを示したため、熱安定性もほぼ等しいと考えられる。なお、GOR IVソフトを用いた二次構造解析で、クルマエビTMの高い熱安定性には50残基目付近の複数のアミノ酸残基の置換が関与していることが示唆された。

2. 合成ペプチドを用いたスケトウダラTMの領域別熱安定性の測定

スケトウダラ速筋TMの配列を基に、30残基の領域別ペプチド、すなわちペプチドNterm (N末端側Met1-Lys30)、ペプチドVar (魚種間で変異の多い領域Asp84-L113)、ペプチドMid (分子中央部のV128-A157)、ペプチドCys (Cys190を中央に含むL176-K205)およびペプチドCterm (C末端側D255-I284)を設計した。CD測定は、ペプチド濃度1 mg/mL、10 mMリン酸ナトリウム緩衝液(pH 7.0)、0.1 M KCl、1 mM DTT、0.001 % NaN3および40 %トリフルオロエタノール(TFE)を含む溶液中で行った。αヘリックス含量(%)は222 nmにおけるモル分子楕円率[θ]222から算出した。その結果、40% TFE存在下、5°Cにおけるαヘリックス含量は、上記のペプチド順にそれぞれ、47.1%、65.3%、46.0%、48.4%および71.6%と算定された。温度上昇とともに、αヘリックス含量は減少したが、完全長TMにみられるような急激な構造変化は認められなかった。これは、ペプチドの構造変化に伴うエンタルピーが小さいためと考えられる。また、αヘリックス含量のペプチド濃度依存性も認められなかったため、これらのペプチドはコイルドコイルを形成していないと考えられる。

3. シログチTM断片の熱安定性

シログチ速筋TMを、常法によりアセトンパウダーから高塩濃度の中性緩衝液で抽出し、等電点沈澱および硫安分画により精製した。次に、脊椎動物TMで保存されているCys190のN末端側のペプチド結合を開裂させるため、1 Mグリシンを含む6 M塩酸グアニジン水溶液(pH 9.0)にTMを溶解し、20倍量のモル比の2-ニトロ-5-チオシアナト安息香酸を加え、37°Cで4時間インキュベートした。生成断片の精製は陰イオン交換クロマトグラフィーにより行った。TM開裂断片の収率は52%であった。次に、各標品につき、上述の方法でCD測定を行った。TMappは、対照の全長TMでは41.1°C、N末端側断片(Met1-Lys189)は31.0°C、C末端側断片(Cys190-Ile284)は34.3°Cであった。ΔGappは上記の順にそれぞれ、13.6 kJ/mol、6.9 kJ/molおよび11.7 kJ/molであった。従って、C末端側断片はN末端側断片より熱安定が高いことが明らかとなった。また、二次構造解析ソフトGOR IVにより、熱安定性の差異への寄与が大きいアミノ酸残基置換(ウサギ/シログチ)は、N末端側断片では83残基目(Ala/Gly)、C末端側断片では247残基目(Thr/Ala)および252残基目(Ser/Thr)と予測された。ウサギTMではC末端側の構造が不安定で、トロポニンとの相互作用との関連が示唆されている。シログチではC末端側断片の方が熱安定性は高いことが示されたが、その生物的意義は不明である。

4. 分子シミュレーションを用いたTM断片の構造安定性の評価

ウサギ速筋およびシログチ速筋TMのC末端側断片の構造安定性を、Amber10を用いる分子シミュレーションで評価した。鋳型として、ウサギTM当該領域の結晶構造(PDB ID: 2D3E)を用いた。鋳型構造に水分子23,000個を加え、0.1 MとなるようにK+およびCl-を加えた。系のエネルギー最小化を行い、温度(300 K)および圧力(1 bar)の平衡化を行った後、体積一定条件下でシミュレーションを20 nsにわたって行った。シログチTM断片の評価においては、ウサギTM断片に4つのアミノ酸残基置換、すなわちAla→Ser191、Ser→Thr229、Thr→Ala247、Ser→Thr252を加えた。分子シミュレーションによる構造安定性の評価には、平均二乗揺らぎが用いられるのが一般的である。しかし、この指標はTMのような繊維状の構造安定性の低いタンパク質の構造安定性の評価には適していないことが判明した。そこで、ペプチド結合の二面角[φ(C-N-Cα-C)およびψ(N-Cα-C-N)]のゆらぎ(FDA)を求めた。さらに、コイルドコイルの直径および屈曲を求めた。

FDAにより、ウサギおよびシログチ両TM断片とも酸性コア付近[Tyr214(d)-Glu218(a)-Y221(d)]の構造安定性が低いことが示された。また、シログチTM断片は229残基目の置換により構造安定性が低下しているが示された。さらに、シログチTM断片は250残基付近で構造が安定化しているのに対して、ウサギTM断片は同残基付近で大きく屈曲していることが示された。これらの差異は247残基目および252残基目の両方もしくは片方の置換によるものと考えられた。両TM断片はアラニン・クラスター[Ala235(d)-Ala239(a)-Ala242(d)]においてコイルドコイルの直径が減少しており、250残基目付近において構造安定性が低下していた。この構造安定性の低下はアラニン・クラスターによる二つの影響、すなわちスタッガーと呼ばれるコイルドコイル軸方向のずれと、コイルドコイルの直径の拡大に伴う主鎖の水素結合距離の拡大、によるものと考えられた。

以上、本研究により、無脊椎動物TMの熱安定性は、種類や筋肉部位により明確に異なることが明らかにされた。さらに、魚類TMの構造安定性は分子内の領域で大きく異なり、C末端側の安定性が高いことが示された。とくに、この結果は、ウサギTMの結果と大きく相違した。さらに、TM断片の分子シミュレーションにより、構造安定性が分子内の異なる領域で大きく相違することが認められた。これらの成果は比較生化学に資するのみなく、TMの構造安定性の相違は魚肉の加工特性にも大きな影響を及ぼすと考えられることから、応用面での貢献も少なくない。

審査要旨 要旨を表示する

筋肉トロポミオシン(TM)は284残基からなる繊維状のタンパク質で、2本のαヘリックス鎖がより合わさったαヘリカルコイルドコイル構造を形成する。このコイルドコイル構造を形成するため、TMはa-gで表わされる7残基繰り返し配列を示し、aおよびd部位には疎水性のアミノ酸残基が配置することが多い。TMの構造安定性は自身のアクチン結合能やアクトミオシンATPase活性に影響を及ぼすとされており、構造安定性の指標として、熱安定性を測定することが一般的に行われている。魚類TM間のアミノ酸同一率は93%以上と高いが、種間で明確な熱安定性の違いが報告されている。一方、無脊椎動物筋肉TMについては熱安定性を含めて極めて知見に乏しい。そこで本研究は、魚介類筋肉TMのコイルドコイル構造の領域別熱安定性や種間の熱安定性の差異を評価することを目的とした。

クルマエビ腹部屈筋、スルメイカ外套膜筋、トコブシ足筋およびホタテガイ閉殻筋(横紋筋および平滑筋)からTMを精製した。精製TMにつき、円二色性(CD)測定を5-80°Cで、示差走査熱量分析(DSC)を5-90°Cで行った。対照として精製シログチ速筋TMを用いた。まず、CD測定により、みかけの転移温度(TMapp)が大きいほど熱安定性が高いとし、TMappが同程度の場合、20°Cにおける変性のみかけのギブス自由エネルギー(ΔGapp)が大きいほど熱安定性が高いとした。またDSCでは、20°Cにおける変性のギブス自由エネルギー(ΔG)を求め、ΔGが大きいほど熱安定性が高いとした。CD測定の結果,熱安定性は、クルマエビTM>トコブシTM>シログチTM>スルメイカTM>ホタテガイ平滑筋TM>ホタテガイ横紋筋TMの順となった。一方,DSCで測定した熱安定性は,クルマエビTM>トコブシTM>シログチTM>スルメイカTM>ホタテガイ平滑筋TM>ホタテガイ横紋筋TMの順であった。スルメイカTMおよびシログチTMは同程度のTMapp、ΔGappおよびΔGを示したため、熱安定性もほぼ等しいと考えられる。

次に,スケトウダラ速筋TMの配列を基に、30残基のペプチドNterm (N末端側Met1-Lys30)、ペプチドVar (魚種間で変異の多い領域Asp84-L113)、ペプチドMid (分子中央部のV128-A157)、ペプチドCys (Cys190を中央に含むL176-K205)およびペプチドCterm (C末端側D255-I284)を設計した。CD測定のよるαヘリックス含量は、上記のペプチド順にそれぞれ、47.1%、65.3%、46.0%、48.4%および71.6%と算定された。温度上昇とともに、αヘリックス含量は減少したが、完全長TMにみられるような急激な構造変化は認められなかった。また、αヘリックス含量のペプチド濃度依存性も認められなかった。

次に,シログチ速筋TMを精製し、Cys190のN末端側のペプチド結合を開裂させてCD測定を行ったところ,TMappは、対照の全長TMでは41.1°C、N末端側断片(Met1-Lys189)は31.0°C、C末端側断片(Cys190-Ile284)は34.3°Cであった。ΔGappは上記の順にそれぞれ、13.6 kJ/mol、6.9 kJ/molおよび11.7 kJ/molであった。従って、C末端側断片はN末端側断片より熱安定が高いことが明らかとなった。また、二次構造解析ソフトGOR IVにより、熱安定性の差異への寄与が大きいアミノ酸残基置換(ウサギ/シログチ)は、N末端側断片では83残基目(Ala/Gly)、C末端側断片では247残基目(Thr/Ala)および252残基目(Ser/Thr)と予測された。

さらに,ウサギ速筋およびシログチ速筋TMのC末端側断片の構造安定性を、Amber10を用いる分子シミュレーションで評価した。鋳型として、ウサギTM当該領域の結晶構造(PDB ID: 2D3E)を用いた。鋳型構造に水分子23,000個を加え、0.1 MとなるようにK+およびCl-を加えた。系のエネルギー最小化を行い、温度(300 K)および圧力(1 bar)の平衡化を行った後、体積一定条件下でシミュレーションを20 nsにわたって行った。シログチTM断片の評価においては、ウサギTM断片に4つのアミノ酸残基置換、すなわちAla→Ser191、Ser→Thr229、Thr→Ala247、Ser→Thr252を加えた。分子シミュレーションによる構造安定性の評価には、ペプチド結合の二面角[φ(C-N-Cα-C)およびψ(N-Cα-C-N)]のゆらぎ(FDA)を求めた。さらに、コイルドコイルの直径および屈曲を求めた。その結果,FDAにより、ウサギおよびシログチ両TM断片とも酸性コア付近[Tyr214(d)-Glu218(a)-Y221(d)]の構造安定性が低いことが示された。また、シログチTM断片は229残基目の置換により構造安定性が低下しているが示された。さらに、シログチTM断片は250残基付近で構造が安定化しているのに対して、ウサギTM断片は同残基付近で大きく屈曲していることが示された。これらの差異は247残基目および252残基目の両方もしくは片方の置換によるものと考えられた。両TM断片はアラニン・クラスター[Ala235(d)-Ala239(a)-Ala242(d)]においてコイルドコイルの直径が減少しており、250残基目付近において構造安定性が低下していた。この構造安定性の低下はアラニン・クラスターによる二つの影響、すなわちスタッガーと呼ばれるコイルドコイル軸方向のずれと、コイルドコイルの直径の拡大に伴う主鎖の水素結合距離の拡大、によるものと考えられた。

以上、本研究により、無脊椎動物TMの熱安定性は、種類や筋肉部位により明確に異なることが明らかにされた。さらに、魚類TMの構造安定性は分子内の領域で大きく異なり、C末端側の安定性が高いことが示された。とくに、この結果は、ウサギTMの結果と大きく相違した。さらに、TM断片の分子シミュレーションにより、構造安定性が分子内の異なる領域で大きく相違することが示されたもので,これらの成果は学術上,応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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