学位論文要旨



No 128075
著者(漢字) 小山,寛喜
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,ヒロキ
標題(和) エビ類腹部屈筋ミオシンの分子構造および組織分布に関する生化学的および分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 128075
報告番号 甲28075
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3791号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 准教授 潮,秀樹
 東海大学 教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

エビ類は世界各地で養殖されており、水産業において重要な位置を占めている。わが国での主要養殖種はクルマエビMarsupenaeus japonicusであるが、ウシエビPenaeus monodonおよびパシフィックホワイトシュリンプ(以下、ホワイトシュリンプと略記)P. vannameiも日本国内で広く流通しており、これら2種は海外において大規模養殖されている。エビ類の品質は、可食部である腹部屈筋に依存しており、品質の客観的評価にはこの部位の生化学的性状を明らかにすることが重要と考えられる。一方、筋肉の主要構成タンパク質はミオシンで、その性状が筋肉の生化学的性状の決定に大きな役割を果たす。ミオシンは約200 kDaのミオシン重鎖(MYH)と約20 kDaのミオシン軽鎖(MYL)から成り立ち、とくにMYHはアクチン結合、ATP結合、フィラメント形成能といったミオシンの生理機能に主体的な役割を果たしている。ところで、無脊椎動物、とくにエビ類が属する節足動物門においては、種の多様性にも関わらずミオシンについての研究は非常に乏しい。例えば、MYHの全一次構造が明らかとなっているのはショウジョウバエのみで、エビ類を含めた甲殻類では断片的な情報があるに過ぎない。

本研究は、このような背景の下、クルマエビ、ウシエビおよびホワイトシュリンプ成体腹部屈筋で発現するMYHの全長のクローニングおよび遺伝子発現解析を行った。また、ウシエビおよびホワイトシュリンプにおいては幼生型MYH遺伝子(MYH)の探索を行い、その一次構造や発現様式を成体MYHと比較したもので、成果の概要は以下の通りである。

1.エビ類成体腹部屈筋ミオシン重鎖遺伝子のクローニング

宮崎産活クルマエビ(体重 31.5 g)、タイ産活ウシエビ(体重 12.1 g)およびタイ産活ホワイトシュリンプ(体重11.2 g)成体の背側の腹部屈筋を用いた。試料から全RNAを抽出後、cDNAを合成し、これを鋳型にPCRを行った。3種エビ類のMYH全長配列の決定は以下の方法で行った。クルマエビは3' rapid amplification of cDNA ends(RACE)により3'末端を決定した後、縮重プライマーおよび遺伝子特異的プライマーの組み合わせによる2回のPCR、さらに5'RACEにより全長を決定した。ウシエビは3'RACEに続き、縮重プライマーおよび遺伝子特異的プライマーの組み合わせによるPCR、および5'RACEにより全長を決定した。ホワイトシュリンプの場合は縮重プライマー同士の組み合わせによるPCRで得られた配列をもとにした3'RACE、縮重プライマーおよび遺伝子特異的プライマーの組み合わせによるPCR、および5'RACEを行い、全長を決定した。いずれのエビ類からも2種類のMYHがクローニングされ、クルマエビにおける発現頻度の多い順にそれぞれMYHaおよびMYHbと命名した。

決定したMYHaおよびMYHbの塩基数は非翻訳領域(UTR)を含めて、クルマエビではそれぞれ5929および5955 bp、ウシエビではそれぞれ5926および5914 bp、ホワイトシュリンプではそれぞれ5923および5914 bpであった。3種エビ類MYHの3'UTRの長さはMYHaおよびMYHbでそれぞれ、64-75 bpおよび65-74 bpと短かった。既報のアメリカンロブスター Homarus americanusおよびゴーストクラブOcypode quadrataのMYHの3'UTRの長さがそれぞれ125-203 bpおよび217-281 bpであることから、甲殻類においては3'UTRが短いという傾向がみられる。

次に、MYHaおよびMYHbの演繹アミノ酸残基数は、クルマエビではそれぞれ1912および1910、ウシエビではそれぞれ1914および1909、ホワイトシュリンプではそれぞれ1913および1909であった。3種エビ類から得られた全てのMYHの一次構造を比較したところ、MYHaおよびMYHb間のアミノ酸同一率は71-72 %であったが、MYHa同士およびMYHb同士の比較では、それぞれ94-96 %および95-98 %であった。さらに、両MYHのN末端側サブフラグメント-1領域には、ループ1、ループ2、ATP結合部位、アクチン結合部位、MYL結合部位など、ミオシンの機能に重要な部位が保存されていた。そこで、MYHaおよびMYHb のループ1とループ2における電荷を既報のヨーロピアンロブスター H. gammarusや、端脚類、等脚類のそれらと比較したところ、本研究3種エビ類のMYHaのループ1は0と、他の甲殻類に比べて値が小さかった。一方、MYHbでは+1あるいは+2で、他の甲殻類と同程度か、やや小さい値であった。ループ1の電荷の減少はミオシンの運動性の低下と関連することが示唆されている。なお、ループ2では電荷の違いは認められなかった。

次に、3種エビ類成体からクローニングされたMYHの演繹アミノ酸配列や、既報のアメリカンロブスター、ゴーストクラブなどのMYHの相同配列から近隣結合法を用いて分子系統樹を構築した。アメリカンロブスターでは既に速筋型および遅筋型MYHの部分アミノ酸配列が報告されているが、本研究の3種エビ類のいずれのMYHともアメリカンロブスターMYHとは異なるグループに分類された。また、MYHaは3種エビ類ともMYHbとは異なるクラスターを形成した。さらに、MYHaおよびMYHbともウシエビとホワイトシュリンプが同じクラスターを形成し、クルマエビとは分岐した。

2.エビ類成体腹部屈筋ミオシン重鎖の発現解析

先述のように、3種エビ類成体腹部屈筋からMYHaおよびMYHbの2種類のMYHがクローニングされた。そこで、先述のクローニングに用いたクルマエビ、ウシエビおよびホワイトシュリンプ成体腹部屈筋からクローンライブラリーを作製し、MYHaおよびMYHbクローンの出現頻度を調べた。その結果、クルマエビ腹部屈筋ではMYHaおよびMYHbクローン数は34 : 12と、MYHaの方が多かった。

一方、ウシエビの場合は、プライマーセットが異なるPCRで2種類のクローンライブラリーを作製し、MYHaおよびMYHbクローンの出現頻度を調べた。その結果、MYHaおよびMYHbクローン数は4 : 20および8 : 14と、いずれのクローンライブラリーともMYHbの方が多かった。さらに、ホワイトシュリンプにおいても2種類のクローンライブラリーを作製してMYHaおよびMYHbのクローン数を比較したところ、0 : 50および3 : 11と、ウシエビと同様にMYHbの方が多く、ウシエビおよびホワイトシュリンプはクルマエビとは異なるMYH発現パターンを示した。MYHの発現パターンが先述の3種エビ類の分子系統樹での類縁関係と一致する点は興味深い。

また、クルマエビ成体腹部屈筋から常法により精製したミオシンにつき、α-キモトリプシン消化断片を調製し、SDS-PAGEに供してpolyvinylidene difluoride膜に転写後、消化断片のN末端アミノ酸配列を解析したところ、MYHa由来の消化断片であると判断された。この結果は、先述のクローンライブラリー中のMYHaおよびMYHbのクローン数から推定した転写産物量の組成をよく反映した。

3.エビ類成体腹部屈筋ミオシン重鎖遺伝子の発現局在

宮崎産クルマエビ(体重13.2-17.8 g)、タイ産ウシエビ(体重16.9-31.5 g)およびタイ産ホワイトシュリンプ(体重11.5-17.1 g)成体を対象とした。まず、3種エビ類の腹部屈筋につきNADH-diaphorase活性染色を行った。その結果、いずれの種でも、筋肉のほとんどを占める腹部屈筋は活性染色されず、嫌気的代謝を行っていることが明らかとなり、速筋型MYHを発現していることが示唆された。一方、腹部屈筋の周辺に位置する遊泳脚およびそれに付随する筋肉部位はよく染色され、好気的代謝の筋肉と判断され、遅筋型MYHを発現することが推測された。

次に、3種エビ類の腹部屈筋におけるMYHの局在を明らかにするために、MYHaおよびMYHbの特異的プローブを用いてin situハイブリダイゼーションを行った。腹部屈筋は背側に局在するextensor muscleと、腹側のほとんどおよび背側の一部を占めるflexor muscleに分類されるが、3種エビ類ともMYHb転写産物は腹部屈筋全体に分布した。一方、MYHa転写産物はflexor muscleにのみ分布し、extensor muscleには認められなかった。また、遊泳脚およびその周辺領域の筋肉ではMYHaおよびMYHbともに発現が認められなかった。

そこでさらに、腹部屈筋のextensor muscle、flexor muscle上部、flexor muscle下部および遊泳脚を摘出し、全RNAを抽出した。抽出RNAを5 μgずつアガロースゲル電気泳動し、Biodyne PLUS 0.45 μmナイロン膜へ転写後、MYHaおよびMYHbの特異的プローブを用いたノーザンブロット解析を行った。その結果、3種エビ類ともMYHaはflexor muscleのみで発現が認められた。一方、MYHbはextensor muscleおよびflexor muscleの両組織で発現が認められ、in situハイブリダイゼーションの結果とよく一致した。したがって、MYHaおよびMYHbとも成体速筋型MYHと判断された。なお、異なった局在性を示すMYHaおよびMYHbの機能の違いは第1節の全一次構造の比較からも不明で、今後の課題として残された。

4.エビ類幼生ミオシン重鎖遺伝子のクローニングと分子系統解析

他生物種においては成長に伴い異なるMYHアイソフォームが発現することが知られている。そこで、タイ産ウシエビおよびホワイトシュリンプ幼生を対象に、MYHのクローニングを試みた。ウシエビではノープリウス、ゾエア、ミシスおよびポストラーバの各成長段階の幼生を、一方、ホワイトシュリンプではミシス、ゾエアおよびポストラーバの幼生を試料とした。各試料から全RNAを抽出し、cDNA合成を行い、それらを鋳型とする3'RACEおよびPCRにより、幼生型MYHの3'側をクローニングした。その結果、ウシエビおよびホワイトシュリンプのゾエア、ミシスおよびポストラーバからMYHのC末端側一部領域をコードする複数の幼生型MYH(516-877 bp)のクローンが得られた。

得られたエビ類幼生型MYHクローンのアミノ酸配列を演繹し、先述の成体から得られたMYHa、MYHb、さらには既報のエビ類、カニ類や他生物種MYHの相同配列とともに、近隣結合法を用いて分子系統樹を作成した。その結果、ウシエビおよびホワイトシュリンプ幼生型MYHは、それぞれ一つのグループを形成し、3種エビ類の成体型MYHbと同じクラスターを形成した。これらMYHは、アメリカンロブスター遅筋型MYHおよびゴーストクラブMYHと同じクラスターを形成し、アメリカンロブスター速筋型MYHおよび3種エビ類成体型MYHaを含むクラスターとは分岐した。したがって、3種エビ類成体からクローン化された速筋型と考えられるMYHbは幼生型に近く、遅筋型MYHとも類似することが明らかとなった。

以上、本研究により、クルマエビ、ウシエビおよびホワイトシュリンプ成体腹部屈筋から成体速筋型MYHaおよびMYHbの全長がクローニングされた。MYH全長のクローニングは甲殻類においては初めてである。また、MYHa転写産物はflexor muscleに局在したが、MYHb転写産物はflexor muscleほかextensor muscleにも分布した。さらに、幼生型MYHもクローン化され、このMYHが成体型MYHbと分子系統上類似するとともに、遅筋型MYHにも近縁であることが示された。以上の成果は比較生化学に寄与するのみでなく、MYHの組成と筋肉の性状、品質の関係にも基礎的知見を与えるもので、応用上に資するところも少なくない。

審査要旨 要旨を表示する

ミオシンは約200 kDaのミオシン重鎖(MYH)と約20 kDaのミオシン軽鎖(MYL)から成り立ち,とくにMYHはミオシンの生理機能に主体的な役割を果たしている。しかしながら,エビ類が属する節足動物門においては,種の多様性にも関わらずミオシンについての研究は非常に乏しい。本研究は,このような背景の下,クルマエビ,ウシエビおよびホワイトシュリンプ成体腹部屈筋で発現するMYHの全長のクローニングおよび遺伝子発現解析を行った。また,ウシエビおよびホワイトシュリンプにおいては幼生型MYH遺伝子(MYH)の探索を行い,一次構造や発現様式を成体MYHと比較した。

宮崎産活クルマエビ(体重 31.5 g),タイ産活ウシエビ(体重 12.1 g)およびタイ産活ホワイトシュリンプ(体重11.2 g)成体の背側の腹部屈筋から全RNAを抽出後,cDNAを合成し,これを鋳型にPCRおよび3'-, 5'RACEにより全長を決定したところ,いずれのエビ類からも2種類のMYHがクローニングされ,発現頻度の多い順にそれぞれMYHaおよびMYHbと命名した。決定したMYHaおよびMYHbの演繹アミノ酸残基数は,クルマエビではそれぞれ1912および1910,ウシエビではそれぞれ1914および1909,ホワイトシュリンプではそれぞれ1913および1909であった。3種エビ類から得られた全てのMYHの一次構造を比較したところ,MYHaおよびMYHb間のアミノ酸同一率は71-72 %であったが,MYHa同士およびMYHb同士の比較では,それぞれ94-96 %および95-98 %であった。さらに,両MYHのN末端側サブフラグメント-1領域には,ATP結合部位,アクチン結合部位など,ミオシンの機能に重要な部位が保存されていた。次に,近隣結合法を用いて分子系統樹を構築したところ,本研究の3種エビ類のいずれのMYHともアメリカンロブスターMYHとは異なるグループに分類された。また,MYHaは3種エビ類ともMYHbとは異なるクラスターを形成した。さらに,MYHaおよびMYHbともウシエビとホワイトシュリンプが同じクラスターを形成し,クルマエビとは分岐した。

次に,クローンライブラリーを作製し,MYHaおよびMYHbクローンの出現頻度を調べた。その結果,クルマエビ腹部屈筋ではMYHaおよびMYHbクローン数は34 : 12と,MYHaの方が多かった。一方,ウシエビの場合は,プライマーセットが異なるPCRで2種類のクローンライブラリーを作製したところ,MYHaおよびMYHbクローン数は4 : 20および8 : 14と,いずれのクローンライブラリーともMYHbの方が多かった。さらに,ホワイトシュリンプにおいてもMYHaおよびMYHbのクローン数は0 : 50および3 : 11と,ウシエビと同様にMYHbの方が多く,ウシエビおよびホワイトシュリンプはクルマエビとは異なるMYH発現パターンを示した。

次に,宮崎産クルマエビ(体重13.2-17.8 g),タイ産ウシエビ(体重16.9-31.5 g)およびタイ産ホワイトシュリンプ(体重11.5-17.1 g)成体を対象に,NADH-diaphorase活性染色したところ,いずれの種でも,筋肉のほとんどを占める腹部屈筋は活性染色されず,嫌気的代謝を行っていることが明らかとなり,速筋型MYHを発現していることが示唆された。一方,腹部屈筋の周辺に位置する遊泳脚およびそれに付随する筋肉部位はよく染色され,好気的代謝の筋肉と判断され,遅筋型MYHを発現することが推測された。次に,MYHaおよびMYHbの特異的プローブを用いてin situハイブリダイゼーションを行ったところ,3種エビ類ともMYHb転写産物は腹部屈筋全体に分布した。一方,MYHa転写産物はflexor muscleにのみ分布し,extensor muscleには認められなかった。また,遊泳脚およびその周辺領域の筋肉ではMYHaおよびMYHbともに発現が認められなかった。そこでさらに,腹部屈筋のextensor muscle,flexor muscle上部,flexor muscle下部および遊泳脚から全RNAを抽出してアガロースゲル電気泳動し,MYHaおよびMYHbの特異的プローブを用いてノーザンブロット解析を行った。その結果,3種エビ類ともMYHaはflexor muscleのみで発現が認められた。一方,MYHbはextensor muscleおよびflexor muscleの両組織で発現が認められ,in situハイブリダイゼーションの結果とよく一致した。

さらに,ウシエビおよびホワイトシュリンプから幼生型MYHの3'側をクローニングしたところ,ウシエビおよびホワイトシュリンプのゾエア,ミシスおよびポストラーバからMYHのC末端側一部領域をコードする複数の幼生型MYHのクローンが得られた。得られたエビ類幼生型MYHクローンのアミノ酸配列を演繹し,先述の成体から得られたMYHa,MYHb,さらには既報のエビ類,カニ類や他生物種MYHの相同配列とともに,近隣結合法を用いて分子系統樹を作成した。その結果,ウシエビおよびホワイトシュリンプ幼生型MYHは,それぞれ一つのグループを形成し,3種エビ類の成体型MYHbと同じクラスターを形成した。これらMYHは,アメリカンロブスター遅筋型MYHおよびゴーストクラブMYHと同じクラスターを形成し,アメリカンロブスター速筋型MYHおよび3種エビ類成体型MYHaを含むクラスターとは分岐した。

以上,本研究により,クルマエビ,ウシエビおよびホワイトシュリンプ成体腹部屈筋から成体速筋型MYHaおよびMYHbの全長がクローニングされた。MYH全長のクローニングは甲殻類においては初めてである。また,MYHa転写産物はflexor muscleに局在したが,MYHb転写産物はflexor muscleほかextensor muscleにも分布した。さらに,幼生型MYHもクローン化され,このMYHが成体型MYHbと分子系統上類似するとともに,遅筋型MYHにも近縁であることが示されたもので,これらの成果は学術上,応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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