学位論文要旨



No 128077
著者(漢字) 徐,美暎
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ミヨン
標題(和) ウナギの浸透圧調節に関する機能形態学的研究
標題(洋) Morphofunctional studies on osmoregulation in Japanese eel
報告番号 128077
報告番号 甲28077
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3793号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 良永,知義
 聖マリアンナ医科大学 准教授 廣井,準也
内容要旨 要旨を表示する

生物がその生命活動を維持する上で、体内の環境をある一定の生理的範囲内に保つことは重要である。水圏に生息する魚類では、体表を介して外界と体内との間で各種のイオンや水が受動的に移動するが、淡水魚、海水魚を問わず、体液の浸透圧は海水の約1/3に保たれている。このような魚類の浸透圧調節には鰓、腎臓、腸などの浸透圧調節器官の役割が重要である。特に魚類の鰓に分布する塩類細胞は、環境水の塩分濃度に応じてイオンの取り込みや排出を行う重要な浸透圧調節部位である。塩類細胞の細胞膜は、外界と接する頂端膜と体内側の側底膜から構成される。塩類細胞は、側底膜に存在するNa+/K+-ATPaseがイオン輸送の駆動力を供給することで、海水中で体内に過剰となったイオンの排出を、また淡水中で不足するイオンの取り込みを行うが、このようなイオン輸送過程には様々なイオン輸送体が関与している。ウナギなどの通し回遊魚では、塩類細胞の機能を切替えることにより淡水や海水などの広範囲な塩分環境に適応できるものと考えられる。硬骨魚類の胚仔魚期には鰓をはじめとする浸透圧調節器官が未発達である。このような発育初期には体表や卵黄嚢上皮に分布する塩類細胞が浸透圧調節を行うことが知られている。胚仔魚期のウナギでも体表に塩類細胞が存在することが報告されている。近年、ゼブラフィッシュやティラピアを用いた研究により、塩類細胞のイオン輸送の分子機構が次々と明らかとなってきた。一方、塩類細胞の研究には古くから通し回遊魚であるウナギが用いられてきたが、継代飼育が困難なことやゲノム情報が乏しいことなどから敬遠されるようになってきた。塩類細胞の分子機構や環境変動に対する応答は魚種による変異が大きく、ウナギが塩類細胞の機能と形態をどのように変化させて異なる塩分環境に適応するのかについては、未だ不明な点が多く残っている。そこで本研究では、通し回遊魚であるニホンウナギAnguilla japonicaを実験材料として、まず様々な塩分環境が塩類細胞の形態および機能に及ぼす影響について調べた。こうした研究を進める中で、鰓の塩類細胞以外の体表でもイオン輸送が行われている可能性が示唆された。鰓の未発達な発育初期のウナギで皮膚は浸透圧調節の場として重要であるが、主に鰓で浸透圧調節が行われると考えられる成魚では、皮膚での浸透圧調節に関する知見は乏しい。そこで次に、ウナギにおいて鰓の塩類細胞に加え、皮膚がイオン調節に関与するかについて検討するため、皮膚の被蓋細胞の構造および各種イオン輸送タンパクの局在を調べた。これらの一連の研究を行うことで、ウナギに特有な浸透圧調節機構を解明することを目指した。

第1章 様々な塩分環境に馴致したウナギにおける鰓塩類細胞の形態変化

様々な塩分濃度の環境水(脱イオン水、淡水、30%希釈海水、海水)にウナギを馴致し、鰓の塩類細胞の形態学的変化を調べた。4つの実験群の血漿浸透圧およびNa、Clイオン濃度はすべて生理的範囲に収まっていた。このことはウナギが広範囲の浸透圧環境に対して高い適応能力をもつことを示す。塩類細胞のイオン輸送活性の指標となる Na+/K+-ATPaseの酵素活性を調べたところ、脱イオン水、淡水、30%希釈海水群と比べ、海水に馴致した実験群で高い値を示した。このことから、低張な環境でイオンを吸収するよりも高張な環境でイオンを排出する方がより多くのエネルギーを必要とすると考えられた。

次に鰓における塩類細胞の局在を検討するため、Na+/K+-ATPaseに対する特異的抗体を用いて塩類細胞を免疫組織化学的に検出した。その結果、塩類細胞は一次鰓弁と二次鰓弁に分布し、環境塩分濃度によってその分布は大きく異なることが明らかとなった。一次鰓弁の塩類細胞は海水の実験群で最も発達していたが、脱イオン水では殆ど観察されなかった。定量的に分析した結果、一次鰓弁の塩類細胞の数は環境水の塩分濃度の上昇に伴い増加したが、二次鰓弁の塩類細胞は脱イオン水で最も多く観察された。このような結果は、一次鰓弁および二次鰓弁の塩類細胞がそれぞれイオンを排出および吸収することを示唆している。次に環境水による塩類細胞の変化を走査型電子顕微鏡で調べたところ、二次鰓弁の塩類細胞の開口部表面は網状構造をもつ平坦もしくは若干突出した構造を示した。このような頂端部表面が拡張した構造は、塩類細胞がイオンを吸収するのに有利であると考えられる。これとは対照的に、一次鰓弁の塩類細胞の開口部は深く陥入していたが、これは海水型イオン排出細胞の特徴である。さらに海水型塩類細胞を特定する目的でNa+/K+-ATPase抗体およびcystic fibrosis transmembrane conductance regulator (CFTR)抗体を用い、鰓のwhole-mount 試料で蛍光2重免疫染色を施した。海水と希釈海水に馴致したウナギの鰓でNa+/K+-ATPase抗体に強く反応を示す塩類細胞でその頂端膜にCFTR免疫反応が見られたが、脱イオン水と淡水ではCFTR免疫反応は見られなかった。この結果は、30%希釈海水と海水で発達した塩類細胞がイオン排出機能を有することを支持する。

以上のようにウナギは鰓の塩類細胞の形態を変化させることで幅広い塩分環境に適応することが明らかになった。 しかしNa+/K+-ATPase抗体に対する明瞭な免疫反応は塩類細胞だけではなく、鰓の一次鰓弁及び二次鰓弁の最外層を覆う被蓋細胞にも観察されたことから、被蓋細胞もイオン吸収に補助的な役割を果たしていると考えられた。

第2章 様々な塩分環境に馴致したウナギにおける鰓塩類細胞の機能解明

様々な塩分濃度の環境水(脱イオン水、淡水、30%希釈海水、海水)にウナギを馴致し、鰓の塩類細胞の機能を発現するイオン輸送体に着目して調べた。ウナギの場合、淡水中でのイオン取り込みの分子機構について、未だ統一的なモデルが提唱されるには至っていない。そこで、塩類細胞のイオン輸送を担っていると考えられるイオン輸送タンパクvacuolar-type H+-ATPase (V-ATPase)、Na+/H+ exchanger-3 (NHE3)およびNa+/K+/2Cl- cotransporter-1 (NKCC1)に注目し、まずウナギの鰓からこれらのイオン輸送タンパクをコードするcDNAをクローニングした。次にreal-time PCR法により、各イオン輸送タンパクのmRNA発現量を比較した。NHE3は脱イオン水と海水群で高かったが、海水以外の群では環境の浸透圧低下に伴って発現量が高くなった。NKCC1aは外部環境の浸透圧上昇に伴って発現が高くなった。また特異的な抗体を用いた免疫染色の結果、低浸透圧環境下ではNHE3が頂端膜上に存在する塩類細胞が、高浸透圧環境下ではNKCC1が測低膜に存在する塩類細胞が多く観察された。こられの結果より、ウナギの鰓塩類細胞ではNHE3が低浸透圧適応に、またNKCC1が高浸透圧適応にそれぞれ重要なイオン輸送タンパクであることが示唆された。

第3章 ウナギ体表の被蓋細胞によるイオン調節の可能性

第1章でNa+/K+-ATPase抗体に対する明瞭な免疫反応が塩類細胞だけではなく被蓋細胞にも観察されたことから、被蓋細胞もイオン取り込みに補助的な役割を果たしている可能性が示された。そこで本章では、皮膚の被蓋細胞の構造および各種イオン輸送タンパクの局在を検証した。まず、Na+/K+-ATPaseに対する特異的抗体を用いた免疫染色の結果、海水に馴致したウナギ皮膚では免疫反応があまり見られなかったが、淡水のウナギでは体表の最外層に強い免疫反応が観察された。この結果は、淡水ウナギの体表でNa+/K+-ATPaseによって駆動されるイオンの能動輸送が行われていることを示唆する。次に環境水による皮膚被蓋細胞の形態変化を走査型および透過型電子顕微鏡を用いて調べた。被蓋細胞は淡水、海水を問わずその表面に指紋状構造をもち、細胞質には適度に発達したミトコンドリアと基底部の陥入が観察された。特に透過型電子顕微鏡観察の結果、海水で観察された被蓋細胞は1種類なのに対し、淡水に馴致したウナギの被蓋細胞には明細胞と暗細胞の2種類の細胞が観察された。さらにNa+/K+-ATPaseの細胞内局在を明らかにするために、電子顕微鏡レベルの免疫染色を行った。その結果、海水群の被蓋細胞にはNa+/K+-ATPaseの免疫反応がなかったのに対し、淡水群ではNa+/K+-ATPase陽性および陰性の細胞が観察された。Na+/K+-ATPase陽性細胞では免疫反応が側底膜の陥入部分に観察された。

次に、他のイオン輸送タンパクの局在を調べるため、低浸透圧環境下でイオンの取り込みに関わっていると考えられるNHE3とV-ATPaseを免疫染色で調べた結果、V-ATPaseがNa+/K+-ATPaseと共局在していることが確認された。また、V-ATPaseのmRNA発現量を比較したところ、外界浸透圧の低下に伴って発現量が高くなる傾向を示した。ウナギは他の多くの魚種と異なり、鱗が真皮に埋没している。外部環境の変動から体内の環境を守るため、他の魚類よりも粘液が豊富であることが知られている。淡水域に生息するウナギは砂や泥などに潜っていることが多く、そうした状況で多量の粘液を分泌し、イオンの流出を抑制していると考えられる。鰓の被蓋細胞ばかりでなく、面積が広い体表の被蓋細胞でイオンを取り込む可能性は十分に考えられる。本章での結果、ウナギの皮膚の被蓋細胞は鰓の塩類細胞に加え、低浸透圧環境でイオンを取り込む補助的な役割を担っている可能性が高いことが示された。

以上の一連の研究から、ウナギの鰓に存在する塩類細胞が環境水の塩分濃度に応答して、その機能と形態を大きく変化させることが明らかとなった。鰓では、低浸透圧環境で頂端膜にNHE3を発現する塩類細胞がイオンを取り込み、高浸透圧環境下では側底膜にNKCC1、頂端膜にCFTRを発現する塩類細胞がイオンを排出することが示唆された。また、皮膚の被蓋細胞におけるイオン取り込みの可能性が明らかとなった。被蓋細胞では低浸透圧環境で側底膜上にNa+/K+-ATPase およびV-ATPaseが共局在し、イオン取り込みに補助的な役割を担っていることが示唆された。以上のように、ウナギは鰓の塩類細胞のイオン輸送機能を変化させるとともに、被蓋細胞で補助的なイオンの取り込みを行うことで、淡水から海水まで幅広い塩分環境に適応できることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では通し回遊魚であるニホンウナギAnguilla japonicaを実験材料として用い、ウナギに特有な浸透圧調節機構を解明することを目指した。

1.様々な塩分環境に馴致したウナギにおける鰓塩類細胞の形態変化

様々な塩分濃度の環境水(脱イオン水、淡水、30%希釈海水、海水)にウナギを馴致し、鰓の塩類細胞の形態学的変化を調べた。鰓における塩類細胞の局在を検討するため、Na+/K+-ATPaseに対する特異的抗体を用いて塩類細胞を免疫組織化学的に検出した。その結果、一次鰓弁の塩類細胞は海水で最も発達していたが、脱イオン水では殆ど観察されなかった。定量的に分析した結果、一次鰓弁の塩類細胞の数は環境水の塩分濃度の上昇に伴い増加したが、二次鰓弁の塩類細胞は脱イオン水で最も多く観察された。このような結果は、一次鰓弁および二次鰓弁の塩類細胞がそれぞれイオンを排出および吸収することを示唆している。次に環境水による塩類細胞の変化を走査型電子顕微鏡で調べた。二次鰓弁の塩類細胞の開口部表面は網状構造をもつ平坦もしくは若干突出した構造を示したが、一次鰓弁の塩類細胞の開口部は深く陥入していた。このような構造は塩類細胞がそれぞれイオンを吸収および排出するのに有利であると考えられる。さらに、海水型塩類細胞を特定する目的でNa+/K+-ATPase抗体およびcystic fibrosis transmembrane conductance regulator (CFTR)抗体を用い、鰓のwhole-mount 試料で蛍光2重免疫染色を施した。その結果、30%希釈海水群と海水群だけで塩類細胞の頂端膜にCFTR免疫反応が見られた。これは30%海水と海水で発現した塩類細胞はイオン排出機能を有することを支持する。以上のようにウナギは鰓の塩類細胞の形態を変化させることで幅広い塩分環境に適応することが明らかになった。 しかしNa+/K+-ATPase抗体に対する明瞭な免疫反応が鰓の鰓弁の最外層を覆う被蓋細胞にも観察されたことから、被蓋細胞もイオン調節に補助的な役割を果たしていると考えられた。

2.様々な塩分環境に馴致したウナギにおける鰓塩類細胞の機能解明

様々な塩分濃度の環境水にウナギを馴致し、鰓の塩類細胞の機能を発現するイオン輸送体に着目して調べた。塩類細胞のイオン輸送を担っていると考えられるイオン輸送タンパクvacuolar-type H+-ATPase (V-ATPase)、Na+/H+ exchanger-3 (NHE3)およびNa+/K+/2Cl- cotransporter-1 (NKCC1)に注目し、まずウナギの鰓からこれらのイオン輸送タンパクをコードするcDNAをクローニングした。次にreal-time PCR法により、各イオン輸送タンパクのmRNA発現量を比較した。NHE3は脱イオン水と海水群で高かったが、海水以外の群では環境の浸透圧低下に伴って発現量が高くなった。NKCC1aは外部環境の浸透圧上昇に伴って発現が高くなった。また特異的な抗体を用いた免疫染色の結果、低浸透圧環境下ではNHE3が頂端膜上に存在する塩類細胞が、高浸透圧環境下ではNKCC1が側底膜に存在する塩類細胞が多く観察された。こられの結果より、ウナギの鰓塩類細胞ではNHE3が低浸透圧適応に、またNKCC1が高浸透圧適応にそれぞれ重要なイオン輸送タンパクであることが示唆された。

3.ウナギ体表の被蓋細胞によるイオン調節の可能性

Na+/K+-ATPase抗体に対する明瞭な免疫反応が塩類細胞だけではなく被蓋細胞にも観察されたことから、被蓋細胞もイオン調節に補助的な役割を果たしている可能性が示された。これを検討するため、まず、Na+/K+-ATPaseに対する特異的抗体を用いた免疫染色を行った。その結果、淡水のウナギだけで体表の最外層に強い免疫反応が観察された。これは、淡水ウナギの体表でNa+/K+-ATPaseによって駆動されるイオンの能動輸送が行われていることを示唆する。次に環境水による皮膚被蓋細胞の形態変化を調べた。被蓋細胞は淡水、海水を問わずその表面に指紋状構造をもち、細胞質には適度に発達したミトコンドリアと基底部の陥入が観察された。特に透過型電子顕微鏡観察の結果、海水で観察された被蓋細胞は1種類なのに対し、淡水に馴致したウナギの被蓋細胞には明細胞と暗細胞の2種類の細胞が観察された。さらにNa+/K+-ATPaseの細胞内局在を調べた結果、海水群の被蓋細胞にはNa+/K+-ATPaseの免疫反応がなかったのに対し、淡水群ではNa+/K+-ATPase陽性および陰性の細胞が観察された。次に、低浸透圧環境下でイオンの取り込みに関わっていると考えられるNHE3とV-ATPaseを免疫染色で調べた結果、V-ATPaseがNa+/K+-ATPaseと共局在していることが確認された。また、V-ATPaseのmRNA発現量を比較したところ、外界浸透圧の低下に伴って発現量が高くなる傾向を示した。この結果から、ウナギの皮膚の被蓋細胞は鰓の塩類細胞に加え、低浸透圧環境でイオンを取り込む補助的な役割を担っている可能性が高いことが示された。

以上の一連の研究から、ウナギは鰓の塩類細胞のイオン輸送機能を変化させるとともに、被蓋細胞で補助的なイオンの取り込みを行うことで、淡水から海水まで幅広い塩分環境に適応できることが明らかとなった。

以上のように、本論文ではウナギに特有な浸透圧調節機構が明らかとなり、学術上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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