学位論文要旨



No 128079
著者(漢字) 樋本,淳也
著者(英字)
著者(カナ) ヒモト,ジュンヤ
標題(和) インドネシアにおける土地紛争の法制史的研究 : 中ジャワ州の農村地域を事例として
標題(洋)
報告番号 128079
報告番号 甲28079
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3795号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 准教授 安藤,光義
 東京大学 准教授 八木,洋憲
 東京大学 教授 加納,啓良
内容要旨 要旨を表示する

インドネシアでは住民と政府機関・企業との間で土地紛争が多発している. 2010年時点では国土庁長官は,3,500件以上の土地紛争が生じていると認識している.

これまでインドネシアの土地紛争の主な原因は,土地登記の未整備や,第2代大統領スハルトのその強権体制(1966~98年)による開発を優先した土地収用にあると考えられてきた.それに対して本論文では,(1)土地登記事業の遂行だけでは解決できない植民地期からの土地権の錯綜と,(2)初代大統領スカルノ期(1945~66年)の,植民地期土地法制の改変過程における土地政策に,土地紛争を誘発する要因があることを示す.スカルノ期とスハルト期の土地政策の連続性を示し,一般にはスハルト期の産物と考えられがちな土地紛争を,歴史的に相対化するのが本論文の課題である.

インドネシアの土地紛争は土地権の視点から,2つの類型に分けられる.第1の類型は,法的に土地権が証明できないため,法律上は不法占拠者とみなされた住民が補償金もなしに立ち退きを迫られるなど,土地権の帰属が問題となっている土地紛争である.第2の類型は,法的に土地権が認められている住民の土地をめぐって,土地買収手続きでの不正や,規定額の補償金の未払いなどにより紛争が生じる,つまるところ土地収用手続きが問題となっている土地紛争である.

第1の類型である土地権の帰属が問題となっている土地紛争は,さらに2つの類型に分けられる.そのうちの第1は土地権の実際の帰属関係が明確で,仮に予算的にも技術的にも実効性のある土地登記プロジェクトが行われていれば,土地権の帰属をめぐる紛争は未然に防げてたであろう土地紛争である.第2は,複数の当事者が同一の土地に対して何らかの正当性をもって土地権を主張するなどして,土地の所有や利用についての権利関係が錯綜しており,土地登記プロジェクトの遂行だけでは土地権の確定が困難な土地を含む土地紛争である.

土地紛争が多発する原因は,スハルトへの実質的な権限委譲が行なわれた1966年以降の土地政策にあるとされたり,1970年代以降の大型開発プロジェクトによる土地需要の増大にあるとされたり,またはスハルト政権末期に特に顕著となった「腐敗・癒着・身内びいき」などの体制腐敗にあるとされたりしてきた.開発のための土地譲渡を拒否する住民を,反開発主義者や非合法のインドネシア共産党関係者とのレッテルを張る開発主義が土地紛争の原因であるとする指摘がなされてきた.

このような住民と政府機関・企業との間で生じている土地紛争は,スハルト期の1970年代後半から多発し始めたと言われている.これは,それ以前に土地紛争を起こす要因がなかったからではなく,1965年の9月30日時事件以降に,インドネシア共産党が非合法化され,約10年間は土地問題を口外することがタブーとなり,土地紛争の表面化が抑制されていたからである.1965年以前に遡ると,1950年代前後から住民と政府機関・企業,特に住民と農園との間で土地紛争は多発していた.そしてその原因の一つは日本軍政(1942~45年)を契機とした農園用地での食糧作物栽培のための住民による不法占拠であった.

その後オランダからインドネシアへの主権委譲を定めたハーグ円卓会議協定(1949年)により,オランダ人所有農園の経営再開が認められ,すでに農園を占拠していた農園労働者や周辺住民との対立が表面化するようになった.インドネシア共産党や,その傘下の農民組織は「反植民地主義」をスローガンに不法占拠住民を支援した.そしてその矛先はオランダに対してだけではなく,ハーグ円卓会議協定に基づきオランダ利権を保護しようとするインドネシア政府に対しても向けられた.その後,オランダとの関係が悪化し,1956年にインドネシア政府はハーグ円卓会議協定を一方的に破棄すると,政党系労働組織によるオランダ企業の実力による接収が始まった.その後,旧オランダ農園は,戒厳令下であったこともあり,軍人が幹部である新国立農園センターにより,管理が行われるようになった.インドネシア共産党は新国立農園センターによる農園の管理を,「官僚的資本主義者」による農園支配であると非難し,不法占拠住民を支援し続けていた.

このような土地紛争の考察のためには,政府の土地政策の検討が重要であると考える.そのためにはまず土地法制の基本方針を定めた1960年土地基本法の検討が必要である.しかしこの法律の条文はほとんどが,包括的かつ規範的な方針を定めた一般条項であり,土地紛争という特定のテーマを追求するためには,この法律の考察だけでは不十分である.土地紛争に関連する個別の土地問題の政策がわかる資料の検討が必要である.そこでそのような土地問題に関する各種の法令,行政文書を一次資料とみなして考察の対象としていく.

まず第1章で現行の1960年土地基本法について検討する.この法律は植民地期の土地法制を全面的に改めるために公布されたのであるが,上述したように独立後から1950年代の,植民地期土地法制の下での政治経済的問題であった農園と住民との間の関係をめぐる土地問題にも対応する必要があったと考えられる.

そこで第2章ではまず,植民地期の農園と現地住民の土地権について概観する(2.1節).そして1950年代前後から1960年代前半までの農園と農民との間の関係をめぐる土地問題に関する法令を検討する(2.2~2.4節).その後スハルト期以降に問題となる土地収用関連法令を検討し(2.5節),また土地収用過程において,住民の土地権の法的効力が弱くなる歴史的背景を考察する(2.6節).

第3章では,以上の法制史の分析を踏まえて,中ジャワ州における3件の土地紛争の事例についてケーススタディーを行う.3.1節では,植民地期から経営され,独立後の農園と住民との関係における土地問題である不法占拠問題を抱えているパギララン農園の事例を考察する.不法占拠問題に対する政策については2.2節で述べる.住民側は植民地期の旧パギララン農園の土地権は,住民占有地上の賃借権であったと主張しているが,農園側は国有地上に交付される永借地権であったと主張している.賃借権が交付された農園の政策については2.3節,永借地権が交付された農園の政策については2.2~2.4節で述べる.パギララン農園の事例は土地権の視点からの分類に従えば,土地権の帰属が問題となっており,かつ土地利用の権利関係がすでに錯綜している事例である.3.2節では,土地収用の手続きに問題のある事例として分類されるクドゥン・オンボダムの事例を考察する.土地収用関連法令については2.5節で述べる.またこの事例では2.6節で述べる住民の弱い土地権の問題もある.3.3節の民間企業であるマルゴラ大理石企業の事例も,土地収用関連法令は適用されていないが,住民所有地の取得手続きに問題があったと考えられる事例である.この事例でも2.6節で述べる住民の弱い土地権のため,住民側は土地権を法的に主張することが出来ないでいる.またスハルト政権崩壊後の地方分権化により,法律上は大理石企業の操業許可権限が州知事から県知事に委譲されたが,県知事が土地紛争を解決することも出来なかった.

スハルト期またはスハルト政権崩壊後に表面化した3事例の土地紛争を,第2章での法制史を踏まえて考察することにより,どの土地紛争においても,スハルト期の土地政策だけでなく,植民地期およびスカルノ期の土地政策の影響が根底にあることを明らかにする.

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今日のインドネシアでは,住民と政府機関・企業との間で土地紛争が多発している.これまでインドネシアの土地紛争の主な原因は,土地登記の未整備や,第2代大統領スハルトのその強権体制(1966~98年)による開発を優先した土地収用にあると考えられてきた.それに対して本論文では,(1)土地登記事業の遂行だけでは解決できない植民地期からの土地権の錯綜,(2)初代大統領スカルノ期(1945~66年)の植民地期土地法制の改変過程における土地政策という2点に土地紛争を誘発する要因があることを示した.

インドネシアの土地紛争を土地権の視点から,2つの類型に分類した.第1の類型は,法的に土地権が証明できないために,土地権の帰属が問題となっている土地紛争である.第2の類型は,法的に土地権が認められている住民の土地をめぐる土地収用手続きが問題となっている土地紛争である.第1の類型は,さらに2つの類型に分けられる.第1は土地権の実際の帰属関係が明確で,もし実効性のある土地登記プロジェクトが行われていれば,土地権の帰属をめぐる紛争は未然に防げてたであろう土地紛争である.第2は,複数の当事者が同一の土地に対して何らかの正当性をもって土地権を主張するなどして,土地の所有や利用についての権利関係が錯綜しており,土地登記プロジェクトの遂行だけでは土地権の確定が困難な土地を含む土地紛争である.

第1章で現行の1960年土地基本法について検討した.この法律は植民地期の土地法制を全面的に改めるために公布されたのである.植民地期土地法制の下での政治経済的問題であった農園と住民との間での土地問題が、独立後から1950年代にかけて再燃したことに対応する必要もあったことを指摘した.

第2章では,第1に,植民地期の農園と現地住民の土地権について概観した.第2に,1950年代前後から1960年代前半までの農園と農民をめぐる土地問題に関する法令を検討した.そして第3に,スハルト期以降に問題となる土地収用関連法令を検討して,土地収用過程において住民の土地権の法的効力が弱くなった歴史的背景を考察した.

第3章では,前章での法制史の分析を踏まえて,中ジャワ州における3件の土地紛争の事例についてケース・スタディーを行った.第1の事例は,植民地期以来の歴史を有し,独立後に住民の不法占拠問題を抱えることとなったパギララン農園である.植民地期の旧パギララン農園の土地権は住民占有地上の賃借権であったという住民側の主張と,国有地上に交付される永借地権であったという農園側の主張とが対立している.これは,土地権の帰属が問題となっており,かつ土地利用の権利関係が歴史的な経緯のために錯綜していることが問題を複雑化させている事例である.第2の事例は,土地収用の手続きに問題のある事例として分類できるクドゥン・オンボダムである.この事例には,住民の弱い土地権の問題も付随している.第3のマルゴラ大理石企業の事例も,住民所有地の取得手続きに問題があったと考えられる事例である.この事例でも,住民の弱い土地権のため,住民側は土地権を法的に主張することが出来ないでいる.またスハルト政権崩壊後の地方分権化により,法律上は企業の操業許可権限が州知事から県知事に委譲されたが,県知事は土地紛争を解決することが出来なかった.

スハルト期またはスハルト政権崩壊後に表面化した3事例の土地紛争を,第2章での法制史分析を踏まえて考察することにより,どの事例においても,スハルト期の土地政策だけでなく,植民地期およびスカルノ期の土地政策の影響が根底にあることを明らかにした.

以上、本論文においては、インドネシアの土地権関連法令とその付属書の整理と分析および3つの事例に関するフィールド・ワークを通じて、今日のインドネシアで多発する土地紛争の法制史上の意味づけを,植民地期およびスカルノ期にまでさかのぼって明らかにした.この分析成果は、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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