学位論文要旨



No 128080
著者(漢字) 李,相旭
著者(英字)
著者(カナ) リ,サンウク
標題(和) 植民地朝鮮における私設墓地の研究 : 葬墓慣行と土地所有制度の関係再編過程
標題(洋)
報告番号 128080
報告番号 甲28080
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3796号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 准教授 安藤,光義
 東京大学 准教授 万木,孝雄
内容要旨 要旨を表示する

朝鮮史研究における墓地規則についての記述は共同墓地と火葬の強要という論点が主である。1912年に発布された墓地規則が共同墓地と火葬を強要したのは事実でありこの論点は正しい。しかし墓地規則は1919年に大きく改正されており,むしろこの1919年の墓地規則を基調とする墓地埋葬行政の方が長期にわたって存続した。したがって共同墓地と火葬の強要という論点はたしかに当初の墓地規則の特徴をよく捉えておりその限りで正しいが,長期にわたって影響力を行使した1919年の墓地規則の性格および同規則に依拠した墓地埋葬政策の性格把握としては不十分と言わざるを得ない。そこで本研究は,1919年の墓地規則の基軸をなす私設墓地をとりあげ複数の資料を通じてそれを検証し,私設墓地の歴史的性格の抽出に努める。

朝鮮解放後着実に発展してきた朝鮮史研究は,3・1民族独立運動の痛撃をうけた後に朝鮮総督府によって展開された「文化政治」については真に受けず,それを批判的に検証する姿勢を確立している。にもかかわらず「文化政治」の一貫としてなされた1919年の墓地規則「大改正」と,その結果制定法上に登場した私設墓地については,批判的に捉える認識が皆無ではないものの,事実上朝鮮総督府の認識とほとんど変わらない認識がいまなお通用している。総督府は「大改正」の本質を在来慣習の尊重であると自賛し,朝鮮史研究においても在来慣習の復活として認識される場合が少なくないからである。これは「文化政治」研究が獲得している認識水準からすれば端的に言って奇妙である。

従来の研究には制定法と慣習を区別して考える認識がない。あるいはその差異を検証する姿勢の稀薄性という問題を指摘できる。したがって本研究は制定法上の私設墓地と慣習の区別からはじめる。制定法上の共同墓地と私設墓地という分化構造を在来慣習の反映とみてそのまま追跡する方法もとらない。

本研究第1章は1919年に制定法化された私設墓地がどういうものであったか,当時の私設墓地の分布,背景として想定される葬墓慣行,植民地支配政策の中での政治的意味についてみた。制定法上の私設墓地の分布の特徴は,端的に言えば,道別差異において両極端で受益者も多かったとは言えないとまとめることができる。背景にはさしあたり朝鮮人全体というよりも旧両班の葬墓慣行が想定できる。と同時に朝鮮葬墓文化の地域文化論的な枠組みでは説明しきれない問題の存在も明らかにされた。そして植民地支配政策としては「文化政治」の一環という文脈がやはり重要であることを確認した。1919年の墓地規則改正は,社会的コンフリクトを帝国主義と被支配民族の間から被支配民族内部に移してしまうという意味で,民族分裂政策としての「文化政治」にふさわしい内容をそなえていた。全体として第1章は制定法上の私設墓地を在来の葬墓慣行の承認・尊重として捉える視角が単純であることを明らかにしている。

第2章は植民地期林政の展開を葬墓慣行との関係で検討した。朝鮮林政史上では山に「墳墓を設けることで墳墓地周辺山林の禁養権を確保すること」が「山林権利発生の最も一般的経路だった」が,総督府森林令体制は造林貸付制度をその基軸としていた。このため総督府は,禁養する行為を造林貸付に等しい行為とみなすという方法を通じて,造林政策を推進しつつ林野所有権をも確定していくという政策をとったが,結局それはうまくいかず,最終的には造林の実績とは無関係に所有権が確定される事態に至った。ただ林野所有権が確定された結果それに呼応して制定法上の私設墓地が増えるという関係はあり,林政の展開で私設墓地増加の三段階が存在することがわかった。つまり林野調査事業以前,林野調査事業以後,特別縁故森林譲与令の三期に私設墓地増加の三段階が大体対応している。だが同時に林野所有権が確定されていくほど私設墓地も増大していったのではなく,私設墓地数の増加率は次第に低下していく。そして所有権を確定された林野筆数と私設墓地箇所数の関係は不可解な面を残す。そこで林野所有権の確定とは直接関係しないタイプの人々,私有林野上に墳墓を所持していない人々の存在が推定された。

第3章では主に「墓籍届」を分析することで第2章の推定の裏付けを行った。「墓籍台帳」の分析は「墓籍届」を出した人々の内いかに多くの人々が自分の私有地上に墳墓を所持していなかったかを示している。つまり1919年の制定法上の私設墓地の二つの条件の内の一つである,(墓地設置の起点となる墳墓が)自己の所有地上にあるか否かという基準に適合しない多くの祭主の存在が明らかになった。こうしたタイプの祭主が多くいたのであれば制定法上の私設墓地はうまく機能しないだろうことが予想される。実際それを裏付けるように,制定法上の私設墓地が登場した後総督府は他人の許可があれば他人の墓地内に墳墓を設定してよいとする通牒行政を展開した。この通牒行政は,墳墓を何とか墓地内に押しとどめたい総督府が他人の所有地上でも墳墓を設定する在来慣行との間で結んだ一種の妥協だと考えられる。一方塩田與助は植民地支配以前に「土地調査参考書」においてすでにこのような慣行の存在を記述していた。塩田は私有地であれ他人の土地であれ私設墳墓は設定されるという実態を記述しているのである。第3章は全体として,制定法上の私設墓地と在来の葬墓慣行の差異を祭主の私有地上にない墳墓という視角から実証した。

第4章でもひきつづき「墓籍届」を主に検討したが,この章では私設墓地との関係においてではなく,朝鮮在来社会における墳墓の所持構造(の分析)を明らかにするために検討した。主に,「届出死者数別」という分析視角と埋葬地の「所有形態別」という分析視角を使って分析を展開したが,前者の分析視角を通じて明らかになったのは,まず墳墓の所持自体が不均等に分布しているということであった。また届出死者数が多い上位クラスにおいても,死者の埋葬地が私有地になっている割合は半分程度であることがわかった。さらに各クラス内部の墳墓所持の構造においても,上位クラスになればなるほど私有地が増え他人の所有地が減るという単純な関係になっていないことが明らかになった。以上の「届出死者数別」分析から,墳墓所持構造の背景に何らかの社会的構造が存在することが推定された。これを踏まえて埋葬地の「所有形態別」分析は,埋葬地の所有形態を詳細に区別した上で分析を展開することで,一口に他人の所有地と言っても,「同姓他人の所有地」と「異姓他人の所有地」では様相が異なる事を明らかにした。これによって背景に存在する構造が父系宗族秩序であることがわかった。具体的には,山野に墳墓を設ける行為が里を中心に「祭主の私有地」「同姓他人の所有地」「異姓他人の所有地」等で構成された埋葬地の序列的構造の下で,成立っていることが示された。そして歴史的には大体17世末頃を境に農民と近隣山野の関係に変化があったことが推定された。朝鮮林政史上で問題になっている旧村落共有林の小ささの問題に対しては,問題がむしろ私有林の独特の構造にあることを指摘した。総督府による林野所有権の確定は,死者所持としての山野に対する権利を林野所有としての山野に対する権利に転化したという点においては,すでに不均等であった関係を一層不均等な関係に置き換えたという点を明らかにした。最後に全羅道における山訟の多さと私設墓地数の少なさをともに説明する論理として林野をめぐる競争の激しさという論点を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

朝鮮総督府は1912年に「墓地規則」を制定して、植民地朝鮮において共同墓地と火葬を強要した。ただし、1919年に「墓地規則」は改正され、改正「墓地規則」を基調とする墓地埋葬行政が、その後長期にわたって存続した。そこで本研究は、改正「墓地規則」の要点となった私設墓地を分析対象とする。朝鮮総督府は「改正」の意義を在来慣行の尊重として自賛し、これまでの朝鮮史研究においても慣行の復活として認識される場合が多かった。本研究では制定法上の私設墓地と在来の慣行との区別に留意することで、私設墓地の歴史的性格を抽出することを試みている。

第1章では、当時の私設墓地の分布、背景として想定される葬墓慣行、植民地支配政策の中での政治的意味について分析した。その結果、制定法上の私設墓地を在来の葬墓慣行の承認・尊重として捉える視角は単純であること、旧両班(士族)の葬墓慣行のみが尊重されたこと、すなわち、墓地をめぐる社会的対立を帝国主義と被支配民族の間から被支配民族内部に転嫁するという意味で民族分裂政策としての「文化政治」にふさわしい内容をそなえた政策であったことを明らかにしている。

第2章では、植民地期林政の展開を葬墓慣行と関係づけながら分析した。朝鮮林政史上では山に墳墓を設けて周辺山林の「禁養権」を確保することが山林における権利発生の最も一般的経路であった。朝鮮総督府は、「禁養」を造林貸付に等しい行為とみなすという方法を採用して、造林を推進しつつ林野所有権をも確定していくという政策をとった。しかし、それはうまくいかず、最終的には造林の実績とは無関係に「縁故林」として所有権を付与する政策へと転換した。そして、当時の統計資料により、林野所有権が確定される過程に呼応して制定法上の私設墓地が増えるという関係を確認した。他方では、林野所有権者数と墳墓所有者数との関係から、自己所有林野上に墳墓を所持していない人々の存在を推定した。

第3章では、「墓籍台帳(墓籍届)」を分析することで、第2章の推定を裏付けた。「墓籍台帳」の分析により、自分の私有地上に墳墓を所持していない祭主の墳墓が墳墓全体の半数強を占めていたことがわかった。私設墓地認定に必要な2条件のうちのひとつが「墳墓が自己所有地上にあること」であったが、その基準に適合しない多くの祭主の存在が明らかになった。朝鮮総統府は、19年「墓地規則」改正後に、他人の許可があれば他人の墓地内に墳墓を設定してよいとする通牒を通達している。「墓地規則」に掲げた基準と在来慣行とのズレとを調整しようとする試みであると位置づけることができる。

第4章でも、ひきつづき「墓籍台帳」を分析することで、朝鮮在来社会における墳墓の所持構造を明らかにした。具体的には、埋葬地を所有形態別に範疇化した上で、それぞれの範疇での埋葬時期別の墳墓数の推移に着目した。その結果、山野に墳墓を設ける行為が村落を中心として「祭主の私有地」「同姓他人の所有地」「異姓他人の所有地」等で構成される埋葬地の序列的構造の下で成り立っていることを示した。そうした序列的構造成立の画期はおよそ17世であることが確認でき、それは、両班(士族)層における父系宗族秩序の形成と密接なかかわりがあることを明らかにした。この分析を通じて、朝鮮総督府による林野所有権の確定政策は、死者(墳墓)所持としての山野に対する権利を林野所有としての山野に対する権利に転化したという点において、すでに不均等であった関係を一層不均等な関係に置き換えたものであったという結論を得た。

以上、本研究においては、朝鮮総督府行政文書や新聞・雑誌資料を詳細に検討することを通じて、植民地朝鮮における私設墓地政策に対して新しい視点からの分析がなされている。この分析成果は、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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