学位論文要旨



No 128082
著者(漢字) 原島,梓
著者(英字)
著者(カナ) ハラシマ,アズサ
標題(和) マラウイの農業政策と小農民の反応に関する実証研究
標題(洋)
報告番号 128082
報告番号 甲28082
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3798号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 池本,幸生
 東京大学 准教授 萬木,孝雄
 東京大学 准教授 安藤,光義
内容要旨 要旨を表示する

本稿では、アフリカ大陸南部の内陸国であるマラウイを取り上げ、農業政策に対する小農民の反応を探ると共に、小農民の行動の背景にある行動原理を示すことを目的とした。

マラウイは、GDPに占める農業の割合が約31%、農産物の輸出が全体の9割を占める農業立国であり、また農業は人々の生活を支える生業となっている。マラウイの国民の90.4%は貧困ライン以下で生活しているが、そのほとんどは農村住民であり、貧困問題を緩和するためにも農業の発展が喫緊の課題となっている。

マラウイにおいては、1980年代に構造調整政策が実施されて以降、小農民による商品作物生産の自由化、生産物の価格・流通の自由化といった規制緩和策や投入物に対する補助政策等が採用されてきたが、政府や援助国の意図によってその内容はたびたび変更され、その度に小農民は大きな影響を受けてきた。小農民の多くは家計と生産会計が区別されていない家計企業複合体であり、消費の決定と生産の決定を分離できないという特徴を持っているほか、規模の僅少性や資金制約による投入要素の制約等、様々な制約に直面しているため、小農民の行動は必ずしも政府の農業政策の意図とは一致していない。[世界銀行, 2008]もまた、こうした小農民の行動に関し、一見、非合理に見える農村家計の生計戦略も合理的な行動を取っている場合が多いと指摘している。そこで本稿では、このように様々な制約に直面しているマラウイの小農民が、農業政策に対しどのような反応を示したのかを実証的に明らかにすると共に、小農民の行動の背景にある行動原理を示し、こうした分析を通し農業における政策のあり方について示唆を得ることを目的とした。

本稿では、マラウイの主食作物であるメイズと輸出向け作物であるタバコの2つを取り上げ、これらの作物に関する3つの農業政策に関し、大規模な家計調査と筆者自身が行った家計調査の結果を用い分析を行った。

第1に取り上げた政策は小農民によるタバコ生産の解禁である。マラウイでは1990年まで一部の大規模農場でのみタバコ生産が許可されており、小農民によるタバコ生産は禁止されていた。マラウイ政府は、収益性の高いタバコ生産の解禁を通じ小農民の所得向上という目的を掲げていたが、タバコ生産の解禁を受け、必ずしもすべての世帯がタバコ生産に参入するという選択を行ったわけではない。1997年調査では22%、2004年調査では13%の小農民のみがタバコ生産を行っており、多くの世帯はタバコ生産に参入しなかった。そこで本稿では、タバコの収益性は高いにも関わらず、タバコ生産の解禁後なぜ多くの世帯がタバコ生産に参入しなかったのか、小農民の行動の理由を検討した。

分析の結果、タバコ生産に参入しかつ収益を挙げることができた世帯は、タバコの作付面積の制約や資金制約を克服することができた一部の世帯のみであったことが明らかとなった。作付面積についてみると、タバコ生産者組合に出荷が可能となるタバコの作付面積を有しかつ十分な輪作ができる世帯のみが、タバコ生産で収益を上げることができるという結果が得られた。また一定量のタバコの収量を確保するためには、潤沢な労働力と化学肥料の投入が必須であるが、こうした投入要素は非常に高価である一方で、マラウイでは金融機関から融資を得られる世帯数は限られている。したがって自己資金あるいはインフォーマル金融によって資金を調達できる世帯のみが、必要量の投入財を調達でき、タバコ生産で収益を上げることができるとの結果が得られた。

一定規模を有する農家は、十分な労働力を確保し、かつ化学肥料等の経常財を投入しながら好条件で市場に販売することができたため、タバコ生産の解禁によって一定の利益を受けたことは間違いない。しかし小規模な農家にとっては、作付面積や資金面の制約がタバコ生産の大きな参入障壁となり、規制緩和策の恩恵を受けることができなかった。政府は、タバコ生産の解禁によって小農民の所得向上をはかるねらいを持っていたが、そのねらいを実現するためには、小規模層の制約を緩和するような施策、例えば金融へのアクセス拡大、輸送条件の整備等を併せて実行することが必要であったと思われる。

第2に取り上げた政策はメイズの増産政策であった。マラウイでは1990年代から主食であるメイズの生産量が低迷し食料危機に直面したため、政府はメイズの増産と貧困対策を目的とし、小農民に対し無償で化学肥料や種子を配布する投入物配布政策や、化学肥料を市場価格よりも安価で購入できる引換券を配布する化学肥料補助政策を実行した。本稿ではこれらの政策の農村での運用状況と小農民の行動に焦点を絞り分析を行った。

農村での運用状況を確認したところ、1998年から実施された投入物配布政策では、政府が意図した通りにパックが小農民にまで行き渡っていなかったことが明らかとなった。全国の小農民をパックの配布対象としたものの、実際には4分の1近くの小農民がパックを受け取っていなかったほか、村全体が配布対象から外れており、7年間1度もパックを受け取ることができなかった村もある。

2005年から実施された化学肥料補助政策に関してもいくつかの課題が明らかとなった。2005年の政策の実態を確認したところ、政策の恩恵を受けられた世帯は少なくとも950MKの資金を準備することができた比較的豊かな小農民に限られており、その資金を準備できなかった貧困世帯は全く恩恵を受けられていなかった。一方で、一部の富裕層は引換券の転売により多額の利益を得ていることが明らかとなった。政府は政策の目的の1つとして貧困層の貧困削減を掲げていたが、2005年の実態を見る限り、貧困対策としての効果はなく、むしろ一部の富裕層に有利な政策となっており、農村においては政府が意図した通り政策が実行されていないことが明らかとなった。

第3に取り上げた政策はメイズの改良品種の採用率増加政策である。マラウイ政府はメイズの改良品種の採用率向上によるメイズの増産を目指し、メイズの改良品種の種子を無料で配布する政策を行った。しかしこうした政策にも関わらず、改良品種の採用率は伸びておらず、依然として多くの小農民が在来種を生産している。そこで本稿では、メイズの本政策に対する小農民の反応を明らかにし、改良品種の採用率が低迷している理由について検討した。

これまで先行研究では、在来種を生産する世帯は資金制約が障壁となり改良品種を生産できない貧困世帯であると指摘されてきたが、本稿ではこうしたタイプのみならず、資金面に余裕があるものの在来種を生産している世帯にも着目し、これらの世帯が在来種を生産している理由について検討した。その結果、在来種のみ生産している在来種世帯と在来種及びハイブリッド種を作付けている混合世帯は、メイズを生産している理由が異なることが明らかとなった。

在来種のみを生産している在来種世帯は、メイズの自給が達成できていない比較的貧しい世帯である。改良品種の生産を望んではいるものの、化学肥料や種子の購入に要する資金は年間農業所得の30%~40%に値するほど多額であるため、資金不足という理由から改良品種の生産を諦め在来種を生産している。したがって在来種世帯は、資金制約が取り除かれた場合、改良品種の生産を開始するであろうと推測される。

一方、在来種およびハイブリッド種の両方を作付けしている混合世帯は、農業所得も高く経営耕地面積も大きい、比較的豊かな世帯である。混合世帯は、販売用としては収量が多いという理由からハイブリッド種を生産しているものの、自給用としては食味や保存という理由から在来種を選択している。同世帯は、自給用の品種選択にあたり、収量よりも他の特徴を優先させているが、それは同世帯は自給用として単収が少ない在来種を選択しても、作付面積の拡大や肥料投入量の増量によってその欠点を補うことができるからだと考えられる。

政府は政策の策定にあたり、在来種を生産する理由は資金制約にあると想定したため、改良品種の種子や化学肥料を無料で配布するという政策を実施したと考えられる。しかし実際には、小農民は、各々の資金制約の下で、在来種のみを生産するのか、ハイブリッド種のみを生産するのか、あるいは販売用にハイブリッド種を自給用に在来種を生産するのかという選択を行っていたことが明らかとなった。

以上、3つの政策の分析を通じ、マラウイの小農民の大部分は、作付面積の制約や資金面の制約等、多くの制約に直面した厳しい環境下で生産活動を行っていることが明らかとなった。小規模な農家は、大規模な農家に比べ、技術面や資金面で圧倒的に劣っており、こうした厳しい環境下において取り得る生産活動を選択している。そのため小農民の行動は、必ずしも政府の農業政策の意図と一致していない。マラウイ政府は、農業政策の策定にあたり、こうした小農民を取り巻く厳しい環境とその環境下における小農民の行動を勘案すべきであった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、アフリカ大陸南部の内陸国であるマラウイを取り上げ、世界銀行の家計調査に独自のフィールド調査で獲得したデータを組み合わせて、農業政策に対する小農民の反応を探ると共に、小農民の行動の背景にある行動原理を示すことを目的とした。

マラウイは、GDPに占める農業の割合が約31%、農産物の輸出が全体の9割を占める農業立国であり、また農業は人々の生活を支える生業となっている。マラウイの国民の90.4%は貧困ライン以下で生活しているが、そのほとんどは農村住民であり、貧困問題を緩和するためにも農業の発展が喫緊の課題となっている。

マラウイにおいては、1980年代に構造調整政策が実施されて以降、小農民による商品作物生産の自由化、生産物の価格・流通の自由化といった規制緩和策や投入物に対する補助政策等が採用されてきたが、政府や援助国の意図によってその内容はたびたび変更され、その度に小農民は大きな影響を受けてきた。小農民の多くは家計と生産会計が区別されていない家計企業複合体であり、消費の決定と生産の決定を分離できないという特徴を持っているほか、規模の僅少性や資金制約による投入要素の制約等、様々な制約に直面しているため、小農民の行動は必ずしも政府の農業政策の意図とは一致していない。

こういった背景を踏まえて、本研究では、マラウイの主食作物であるメイズと輸出向け作物であるタバコの2つを取り上げ、これらの作物に関する3つの農業政策に関して小農がとった行動に焦点をあてている。

第1に取り上げた政策は小農民によるタバコ生産の解禁への反応である。マラウイでは1990年まで一部の大規模農場でのみタバコ生産が許可されており、小農民によるタバコ生産は禁止されていた。マラウイ政府は、収益性の高いタバコ生産の解禁を通じ小農民の所得向上という目的を掲げたが、農民のすべての世帯がタバコ生産に参入するという選択を行ったわけではない。調査結果の分析によれば、タバコ生産に参入しかつ収益を挙げることができた世帯は、タバコの作付面積の制約や資金制約を克服することができた一部の世帯のみであった。タバコ生産者組合への出荷が可能となる作付面積を有しかつ十分な輪作ができる世帯のみが、タバコ生産で収益を上げることができている。またタバコの収量を確保するためには、潤沢な労働力と化学肥料の投入が必須であるが、こうした投入要素は非常に高価である一方で、マラウイでは金融機関から融資を得られる世帯数は限られている。したがって自己資金あるいはインフォーマル金融によって資金を調達できる世帯のみが、必要量の投入財を調達でき、タバコ生産で収益を上げることができている。

第2に取り上げた政策はメイズの増産政策である。まず投入物配布政策の運用状況を確認する。全国の小農民をパックの配布対象としたものの、実際には4分の1近くの小農民がパックを受け取っていなかった等の問題点が明らかとなった。化学肥料補助政策に関しても、政策の恩恵を受けられた世帯は少なくとも950MKの資金を準備することができた比較的豊かな小農民に限られている。また一部の小農民にとっては転売が合理的であることもあきらかとなった。

第3に取り上げた政策はメイズ改良品種の採用率増加政策である。マラウイ政府はメイズの改良品種の採用率向上によるメイズの増産を目指し、メイズの改良品種の種子を無料で配布する政策を行った。しかしこうした政策にも関わらず、改良品種の採用率は伸びておらず、依然として多くの小農民が在来種を生産している。その理由としては、従来から指摘されていたように新品種を採用するためには化学肥料等の投入が必要であり、資金を必要とするが、資金の制約に直面する農家は新品種の採用に踏み切れない。加えて、本研究で明らかになったことであるが、在来種の食味が好まれており、自給用に在来種を使用しているという要因もある。

以上、3つの政策の分析を通じ、マラウイの小農民の大部分は、作付面積の制約や資金面の制約等、多くの制約に直面した厳しい環境下で生産活動を行っていると同時に、生活者としての視点からの行動をとっていることが明らかとなった。小規模な農家は、大規模な農家に比べ、技術面や資金面で圧倒的に劣っており、こうした厳しい環境下において取り得る生産活動を選択している。加えて小農民の企業家計複合体的な特徴が、政府の農業政策がその意図の通りに成果を発揮しない一因になっているのである。

以上、本研究はマラウイの小農民に焦点を絞り、独自のフィールド調査で獲得したデータと世界銀行の家計調査を組み合わせた分析を行うことで、農業政策に対する小農民の行動を実証的に検証した。導かれた分析結果からは、途上国小農民の行動に関するユニークな知見が得られており、本研究の学術的意義は大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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