学位論文要旨



No 128089
著者(漢字) 石野,貴久
著者(英字)
著者(カナ) イシノ,タカヒサ
標題(和) イチイ科樹木およびその内生菌を利用したタキソール生産に向けた遺伝子解析
標題(洋)
報告番号 128089
報告番号 甲28089
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3805号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 准教授 五十嵐,圭日子
 東京大学 准教授 鴨田,重裕
 東京大学 講師 横山,朝哉
内容要旨 要旨を表示する

[第一章序論]

イチイ属樹木特有の二次代謝物であるタキソール(一般名Paclitaxel)は、幅広い癌に効果を示す強力な抗癌剤で、タキソールを含むタキソイド系薬剤の世界での販売総額は年間45億ドルにも上っている。その構造は、環状ジテルペンアルカロイドの一種であり、一般的なジテルペンのゲラニルゲラニルピロリン酸からTXS(taxadiene synthase)という酵素により、基本となるタキソイド骨格が形成されたのち、18の酵素が関わって生合成される非常に複雑な構造となっている。そのため、化学的な全合成は実用的な供給方法とはなりえていない。現在は、主に葉に比較的多く含まれている前駆物質BaccatinIIIからの半合成とイチイ属樹木の細胞培養法といった生合成経路を利用した供給方法が一般的となっている。しかし、依然として供給不足は否めず、現状の生産性を向上させるために、タキソール生合成酵素遺伝子についての知見をまとめることは大変意義深いと考えられる。そこで、本研究ではまず、イチイ属樹木のキャラボクのタキソール生合成酵素遺伝子やその転写調節領域についての知見をまとめた。次に、別の供給不足解消のために新規供給源の発見を目指し、タキソール生合成の関連酵素遺伝子をタキソイド生成能のマーカーとして、同じイチイ科植物のカヤとイチイ科樹木内生菌の遺伝子解析を行った。

[第二章]

イチイ属樹木キャラボクのタキソイド生成酵素遺伝子のクローニングおよび転写調節領域解析

イチイ属樹木の栽培法および細胞培養法によるタキソイド生産性増加を目指し、園芸種として日本全国に幅広く分布しているキャラボク(Taxus cuspidata ver.nana)を材料として、タキソール生合成酵素遺伝子の解析を行った。東京大学附属の小石川植物園で採取したキャラボク葉からDNAを抽出し、タキソイド生成の鍵酵素であるTXSおよびBAPT (3-amino-3-phenylpropanoyl-13-O-transferase)の遺伝子をクローニングし、その上流配列、転写調節領域解析を行った。その結果、TXS上流にはエチレン応答シス配列が存在することを確認した。このことから、細胞の枯死によってタキソイド生産がスタートする可能性が示唆された。また、TXS,BAPT共に、光応答性のシス配列を多数有しており、光条件を検討することで、現状の細胞培養の生産性を向上させることができると考えられた。

[第三章]

タキソイド生成能を有する新規植物の探索

日本でのタキソール生産の基盤を拡大するため、タキソール生成能を持つ新規植物の候補として、日本特有の樹木で、数少ないイチイ科の樹木であるカヤ(Torreya nucifera)に注目した。

東京大学附属の小石川植物園で採取したカヤ葉からDNAを抽出し、これに対してTaxus×media由来のTXS,BAPT,TαH(taxadiene13α-hydroxylase)のmRNA配列情報に基づき設計したプローブを用いてサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果として、確認されたバンド部分をゲル抽出し、PCRを行った結果、既知のTXS,BAPT,TαHと95%以上の高い相同性の産物を確認できた。次に、カヤ葉から得たゲノムDNAからTXS、BAPTのクローニングを行った。その結果、TXS遺伝子に相当すると思われる配列として約3400bpを読むことができ、一方、BAPT遺伝子に対しては1000bp程度読むことができた。いずれの配列についても、既知の遺伝子と95%以上の高い相同性を示した。また、クロロホルムで葉の成分を抽出し、HPLCを用いて成分分析を行った結果、210~220nmあたりで極小値を取り、235nmのあたりで極大値となる吸収ピークをもつタキソイド特有のスペクトルを有する物質の存在を確認できた。以上のことから、タキソールを含むタキソイド系の物質はイチイ属樹木特有と考えられてきたが、その存在はカヤ属を含めたイチイ科樹木に及ぶことが確認でき、タキソール生産樹木をより幅広く選択できる可能性が広がった。

[第四章]

タキソール生産性樹木からの内生菌の単離およびタキソール生成能の検討

1993年に、太平洋イチイ内生菌Taxomyces andreanaeがタキソールを生産すると報告されている。このことから、イチイ科樹木だけではなく、それらの内生菌の中にも、タキソール生産能を有する菌株が広く分布する可能性が考えられたが、これまで遺伝子解析については例がない。そこで、イチイ科植物のイチイ(Taxus cuspidata)からカヤ(Torreya nucifera)の内生菌を単離し、その遺伝子解析を行うことでタキソイド生成能を調べることで新たなタキソール供給資源となりうる内生菌を探索した。

各樹木の葉や葉柄、樹皮を表面殺菌し、PDA培地に接種した。その後、発生した菌糸を植え継ぎ、単離を行った。分離菌株のrDNAのITS1領域の配列を調べることで、菌種を同定した。その結果、イチイからはPhomopsis 属を中心に10種類の菌が、カヤからはXylaria属を中心に11種類の菌が単離された。イチイとカヤの内生菌が大きく異なる結果となり、宿主特異性がうかがえた。次に、各菌種において、イチイ属樹木で既知のタキソール生成酵素で、特に利用性の高いTXS,BAPT,TαHの3つの酵素遺伝子の存在可能性を、ドットブロットハイブリダイゼーション法で調べ、タキソイド生産性の一次スクリーニングとした。その結果、イチイ内生菌としてColletotrichum gloeosporioidesおよびParaconiothyrium microdiplodia、カヤ内生菌としてCordyceps dipterigeneおよびSordariomyceteの4種において、TXS、TαH、BAPT 3つすべての酵素のプローブでハイブリダイズし、これらの酵素の遺伝子配列を有する可能性が示唆された。次にこの4種の中で、比較的成長の早いイチイ内生菌C. gloeosporioidesと唯一タキソール生産の報告がないカヤ内生菌C. dipterigeneに関して、サザンハイブリダイゼーション法とゲノムウオーキング法を用いて遺伝子解析を進めた。その結果、C. gloeosporioidesではTXSとBAPT、C.dipterigeneでは3つの酵素遺伝子の部分配列を取得することができた。以上から、この2種にはタキソール生合成経路が存在すると考えられ、新たなタキソール供給資源としての利用の可能性が期待された。

また、C.dipterigeneのBAPTに関しては、上流配列を250bp程度読むことができた。開始コドンの50bp上流に位置する転写開始に関わるイニシエーター配列までは、キャラボク上流配列と高い相同性を示したが、それより上流は50%程度しか相同性がなかった。また、キャラボクの場合と異なり、水ストレスや脱水応答性のシス配列を有していることが分かった。

[第五章総括]

イチイ属樹木キャラボクのタキソール生合成に関与する鍵酵素遺伝子の転写調節領域の解析を行い、その結果、TXS上流にはエチレン応答シス配列が存在すること、また、TXS,BAPT共に光応答性のシス配列を多数有していることなどを確認した。これらの情報は、タキソール生産に関わる培養や栽培条件を検討する上で大きな手掛かりとなると考えられる。

イチイ科植物カヤにおいて、タキソールと考えられる物質の存在を確認し、また、その生合成に関与する3つの酵素であるTXS,BAPT,TαHの遺伝子の存在を確認した。このことから、タキソイド供給のための対象樹種がイチイ属樹木に加えてカヤ属を含めたイチイ科に広がった。

イチイ科樹木内生菌C. dipterigeneとC. gloeosporioidesにTXS、BAPTをコードする遺伝子の存在を確認した。これまで、タキソールを生産する内生菌の報告はあるものの、その遺伝子に関する報告はない。したがって、本研究の成果により、内生菌によるタキソール生産に向けた遺伝子技術の応用の道が拓かれた。

審査要旨 要旨を表示する

イチイ属樹木が生産する二次代謝物であるタキソールは有用な抗癌剤として知られており、タキソールを含むタキソイド系薬剤の世界での販売総額は年間45億ドルにも上っている。タキソールは環状ジテルペンアルカロイドの一種であり、ジテルペンのゲラニルゲラニルピロリン酸からTaxadienesynthase (TXS)という酵素によりタキサン環骨格が形成されたのち、引き続く18ステップの酵素反応によって生合成される非常に複雑な化合物である。現在、タキソールは葉に比較的多く含まれている前駆物質BaccatinIIIからの半合成による生産あるいはイチイ属樹木の培養細胞を利用した生合成により生産されることが一般的であるが、そのいずれにおいても生産性が著しく低いことから、生産性を著しく向上させるための手法を開発することが求められている。その解決法のひとつはタキソール生合成系の一連の酵素遺伝子の高発現化であるが、タキソール生合成系酵素遺伝子に関する研究はまだ限られている。そこで、本研究では、まずイチイ属樹木のキャラボクのタキソール生合成酵素遺伝子やその転写調節領域についての情報を取得することを目標とした。さらに、タキソール生産のあらたな供給源を発見することを目指して、イチイ科樹木のカヤとイチイ科樹木内生菌についてタキソール生合成系酵素遺伝子の探索を行った。

まず、タキソールの主な供給方法となっているイチイ属樹木で園芸種として日本全国に幅広く分布しているキャラボク(Taxus cuspidate ver.nana)を材料として、タキソール生成酵素遺伝子の上流配列を調べ、転写調節領域の解析を行った。キャラボク葉からDNAを抽出し、タキサン環骨格の形成に関与する酵素であるTXSおよびタキソール前駆体のBaccatinIIIにフェニルアラニンを結合させる反応を触媒する酵素である3-Amino-3-phenylpropanoyl-13-O-transeferase (BAPT)の遺伝子をクローニングし、さらにその上流配列の解析を行った。その結果、TXS遺伝子の上流にはエチレン応答性シス配列が存在することを確認した。さらに、TXSおよびBAPT遺伝子の上流には光応答性のシス配列を多数有することを見出した。

次に、タキソール生成能を持つ新規植物を目指して、日本特有のイチイ科樹木であるカヤ(Torreya nucifera)に注目し、タキソール生合成系の有無を確認するため、関連酵素遺伝子の探索を試みた。その結果、カヤ葉から得たゲノムDNAから既知のTXS、BAPT、さらにTaxadiene 5α-hydroxylase (TαH)遺伝子と高い相同性の配列が存在することをPCR法による遺伝子断片の増幅により確認した。そこで、さらにゲノムDNAからTXSならびにBAPTのクローニングを行った結果、TXS遺伝子に相当すると思われる配列として約3400bpを取得することができた。一方、BAPT遺伝子に対しては1000bp程度を取得することができた。いずれの配列についても既知の対応遺伝子と95%以上の高い相同性を示した。これまでタキソールを含むタキソイド系の化合物はイチイ属樹木に特有と考えられてきたが、以上の結果により、イチイ属以外のカヤ属を含めたイチイ科樹木にその生合成酵素系が広く存在することが示唆された。

イチイ属樹木の内生菌Taxomyces andreanaeもタキソールを生産することがすでに報告されている。このことは、イチイ科樹木だけではなく、それらの内生菌についてもタキソール生産の供給源となりうることを示唆している。そこで、イチイ科植物のイチイ(Taxus cuspidata)およびカヤ(Torreya nucifera)の植物体から内生菌を単離し、その中に新たなタキソール供給資源となりうる内生菌が存在する可能性について遺伝子解析により明らかにすることを試みた。供試樹木の葉、葉柄、また樹皮から内生菌を単離し、それぞれについてrDNAのITS1領域の配列情報に基づき菌種を同定した。その結果、イチイからはPhomopsis 属を中心に10種類の菌が、カヤはXylaria属を中心に11種類の菌が単離された。次に、各菌についてタキソール生合成系に存在する酵素であるTXS、BAPTおよびTαHの遺伝子存在の可能性をドットブロットハイブリダイゼーション法で調べた。その結果、イチイ内生菌としてColletotrichum gloeosporioidesおよびParaconiothyrium microdiplodia、カヤ内生菌としてCordyceps dipterigeneおよびSordariomycete、合計4種の菌株から得たゲノムDNAともに3種の酵素遺伝子プローブがハイブリダイズした。次に、この4種の中で比較的成長の早いイチイ内生菌C. gloeosporioidesとカヤ内生菌C. dipterigeneについて、サザンハイブリダイゼーション法とゲノムウオーキング法を用いて遺伝子解析を進めた。その結果、C. gloeosporioidesではTXSとBAPT遺伝子、C.dipterigeneでは3つの酵素遺伝子に高い相同性を示す部分配列を取得することができた。以上の結果から、この2種の内生菌にはタキソール生合成経路が存在すると考えられた。

以上の結果をまとめると、イチイ属樹木キャラボクについては、そのゲノムDNA上でのタキソール生合成系酵素遺伝子の解析から、光の存在によってタキソールの生産性が制御されると考えられ、これらの情報に基づきタキソール生産に関わる細胞培養条件などを検討することが必要であることが示唆された。また、イチイ科樹木のカヤやイチイ科樹木の内生菌であるC. dipterigeneあるいはC. gloeosporioidesもタキソール生産のあらたな供給源となりうることが示唆された。

以上、本研究の成果により、タキソール生産に向けた新たな供給源の確保とそのことを目的とした遺伝子技術の利用のための道筋が拓かれたことは、学術上、応用上、貢献することが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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