学位論文要旨



No 128091
著者(漢字) 栗田,侑典
著者(英字)
著者(カナ) クリタ,ユウスケ
標題(和) 水系N-アルキル化によるキトサンの化学改質に関する研究
標題(洋)
報告番号 128091
報告番号 甲28091
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3807号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 准教授 和田,昌久
 東京大学 准教授 岩田,忠久
 東京大学 准教授 江前,敏晴
 関西大学 教授 浦上,忠
内容要旨 要旨を表示する

キチン・キトサンは、エビやカニなどの甲殻類、イカ、貝、昆虫、菌類、緑藻類など、多様な生物によって生産される構造多糖の一種である。地球上での生産量は、最大のバイオマスであるセルロースに匹敵するが、セルロースの工業利用が大きく拡大してきた一方で、キチン・キトサンの利用はほとんど進んでいないのが現状である。食品原料として収穫されたエビ・カニなどの殻中に存在するキチンの大部分が、現在のところ廃棄されている。地球規模での環境問題が叫ばれる現代において、自然界に豊富に存在し持続可能な資源であるキチン・キトサンの新たな高機能材料としての利用方法を開発することは重要である。

キチン・キトサンの利用拡大のため、誘導体化によって新しい機能を付与することが有効である。キチン・キトサンの誘導体化は、主にC2アミノ基、C3水酸基、C6水酸基への求電子置換反応によっておこなわれる。アミノ基と水酸基には反応性及び特性の差があり、置換基の立体的な差異が誘導体の物性に影響するため、キチン・キトサンに導入される置換基の位置を制御することが求められる。キチン・キトサン中のアミノ基と水酸基は性質が異なるため、比較的容易に位置選択的な誘導体化反応が可能である。特にアミノ基は、グルコサミン単位のC2位にのみ存在するため、選択的N-誘導体化反応を適用することで位置選択的な置換反応を行うことができるため、キトサンの位置選択的N-誘導体化法が精力的に研究されてきた。一般的にN-誘導体化は、水系の比較的温和な条件で行うことができる環境適合性のある反応であり、中でもN-アルキル化は有機溶媒を用いず、高い位置選択性があり、生成物の化学構造の制御と反応プロセスの低環境負荷を同時に実現できる。

したがって本研究では、キチン由来のキトサンから、N-アルキル化反応による誘導体化を行い、それらの特性を評価する。その結果から、キチン・キトサンの分子設計や効率的な物性制御を行うための基礎的な知見を得ること、およびキチン・キトサン由来の新規機能性材料の開発を目指す。

キトサンの還元的N-アルキル化

アセトンとレブリン酸によって、水系・常温・常圧でキトサンの還元的N-アルキル化によりN-イソプロピルキトサン(N-IPCh)とN-カルボキシブチルキトサン(N-CBCh)を得た。反応開始のpHが4.5~5.0の場合に、得られるN-アルキルキトサンの置換度が最も高かった。同じ反応条件では、N-IPChがN-CBChの置換度を常に上回っていた。反応中、N-アセチル化度には変化がなかった。カルボニル化合物をC2-アミノ基に対して5倍等量用いると、N-イソプロピル基とN-カルボキシブチル基は、アミノ基のうちのそれぞれ100%および41%に導入された。N-IPChのSEC-MALLSによる分子量測定の結果、反応の前後で重合度はほぼ変化なく、従って反応中の低分子化は起こらない。すなわち、還元的N-アルキル化は幅広い種類の官能基を、水系の温和な条件で導入できる、有効な誘導体化反応であることが明らかになった。

キトサン由来の有機ラジカルポリマーの調製

上記の結果に基づき、還元的N-アルキル化によりキトサンにTEMPOを導入し、新規有機ラジカルポリマーの調製と次世代型二次電池である有機ラジカル電池への応用を検討した。脱アセチル化キトサンを5 mol/mol-NH2の4-oxo-TEMPOと反応させることにより、置換度0.89のN-(2,2,6,6-テトラメチルピペリジノキシ)キトサン(N-TEMPOキトサン)が得られた。このN-TEMPOキトサンは、サイクリック・ボルタンメトリーにより繰り返し酸化還元することがわかった。しかし、酸化中に自己分解しており、何百回と繰り返し充放電される二次電池にこのまま使用することは難しかった。これはアミノ基を持つ、キチン・キトサンを出発物質として用いる限り防ぎ難い問題であると考えられた。

キトサンのNaHCO3による水系N-アルキル化

NaHCO3を反応のプロモーターとして用いて、中性~弱塩基性の水中でハロゲン化アルキルとキトサンを反応させることで、キトサンのC2位のアミノ基を選択的にN-カルボキシメチル化、N-ベンジル化、N-ヒドロキシエチル化、N-カルボキシブチル化できることが明らかになった(図1)。このN-カルボキシメチル化とN-ベンジル化において、1つのアミノ基に2つのアルキル基が導入されたN,N-ジカルボキシメチルキトサンおよびはN,N-ジベンジルキトサンを得ることができた。また、脱アセチル化キトサンを適切な条件で反応させれば、N,N-ジカルボキシメチルキトサンの置換度は最大値である2.0に達した。また、モノブロモ酢酸を用いたN-カルボキシメチル化は、反応温度80℃で試薬の添加量に依存してキトサン主鎖の低分子化が確認された。

N-カルボキシメチルキトサンのpH応答性ナノ粒子

カルボキシメチルキトサンは、pHに応答し可逆性のナノ粒子を形成した(図2)。N-カルボキシメチルキトサンとN,O-カルボキシメチルキトサンでは、化学構造の違いからナノ粒子の形成挙動に差があり、N-カルボキシメチルキトサン(N-CMCh)はpHに対してより鋭敏に応答し、小さく均一なナノ粒子を形成することができた。

ナノ粒子の大きさは、置換度、pHによって制御することができ、置換度1.62のN-CMChからはpH1.0において5.94 nmの均一なナノ粒子が得られた。N-CMChナノ粒子の形成と粒子表面のゼータ電位には相関があり、ゼータ電位が0 mVになる条件を境にしてナノ粒子が形成した。N-CMChの応答するpH領域は置換度により容易に制御することができ、pH1~7の間で自由に設定することができた。

N-CMChはアクリジンオレンジとマイトマイシンCを粒子内に担持することができた。マイトマイシンC担持ナノ粒子は、pH2では最も放出速度が低く、pH10では迅速にほとんどのマイトマイシンCが放出された。またpH2および7では、マイトマイシンCの徐放性が確認された(図3)。しかし、マイトマイシンCはN-CMChの重量に対し1.6%と、直鎖型のポリマーを用いた他の研究例と比較しても低かったため、マイトマイシンC以外の物質を用いた検討も今後必要である。

キチンのNaHCO3による水系N-アルキル化

NaHCO3によるN-アルキル化をキチンに適用したところ、キチンの結晶構造を変化させることなくフィブリル表面のアミノ基にカルボキシメチル基を導入することができた。N-カルボキシメチルキチンを超音波処理したところ、キチンの由来によって異なる形態のナノファイバーおよびナノウィスカー水分散液を得ることができた(図4)。しかし、N-カルボキシメチル基をアミノ基量に対して1:1以上導入量することが難しく、そのためナノファイバー化収率が低いという課題があった。そのため、N-カルボキシル基以外の官能基、例えばベンジル基などについても検討を行い、さらに知見を得る必要がある。

図1 ハロゲン化アルキルの添加量と得られる生成物のN-アルキルキトサンの置換度の関係

図2 N-カルボキシメチルキトサンナノ粒子の形態とpH応答性

図3 マイトマイシンC担持N-カルボキシメチルキトサンナノ粒子の、様々なpHのリン酸緩衝液中でのマイトマイシンC放出挙動

図4 N-カルボキシメチルα-キチンナノウィスカーのTEM観察像

審査要旨 要旨を表示する

キチンは、エビやカニなどの甲殻類、イカ、貝など、多様な生物によって生産される構造多糖の一種である。地球上での生産量は、最大のバイオマスであるセルロースに匹敵するが、セルロースは産業レベルでの利用が拡大してきたが、キチンの利用はほとんど進んでいない。キトサンは天然にも存在するが、一般的にはキチンのC2位にアミド結合しているアセチル基を濃アルカリ水溶液で加熱処理して切断し、グルコサミン残基が全体の約70~80%以上となって希酸に可溶なヘテロ多糖と定義できる。キトサンは他の天然多糖と異なり、大部分のC2位に1級アミノ基を有しているため、特有の化学反応によりC3位、C6位の水酸基と区別して、位置選択的な誘導体化の可能性を有している。そこで、本研究では反応の効率と位置選択性、環境負荷の観点から、水系でのキトサンのN‐アルキル化反応に関する基礎的知見を得ることを目的とし、更に反応生成物の構造および特性解析を通じてN‐アルキル化キトサンの医療分野への利用について検討した。

まず、アセトンとレブリン酸によるキトサンへの還元的N‐アルキル化反応によるN‐イソプロピルキトサンおよびN‐カルボキシブチルキトサン調製における反応条件について検討し、最大置換度を与える初期pHが4.5~5.0であることが明らかにした。また、C2-アミノ基に対して5倍量のアセトンを添加することで、キトサン中の全てのアミノ基をN‐イソプロピル化することができた。これらの結果に基づき、還元的N-アルキル化によりキトサンにTEMPOを導入することで、有機ラジカルポリマーの調製とその有機ラジカル電池への適用について検討した。完全に脱アセチル化したキトサンと4-oxo-TEMPOを還元的N‐アルキル化反応により結合させ、置換度0.89のN‐(2,2,6,6-テトラメチルピペリジノキシ)キトサンが得られた。このキトサン誘導体は、サイクリック・ボルタンメトリーにより繰り返し酸化還元することが可能であった。しかし、酸化過程でのキトサンのアミノ基による副反応が避けられず、繰り返して安定な充放電が必要とされる二次電池としての使用は困難であった。

続いて、キトサン中のC2‐アミノ基と、C3‐/C6‐水酸基間の反応性の差異に着目し、ハロゲン化アルキルと炭酸水素ナトリウムを用いて中~弱塩基性の水中でのN‐アルキル化反応を検討した。その結果、C2‐アミノ基のみを選択的にアルキル化可能であることを見出した。特にN‐カルボキシメチルキトサンとN‐ベンジルキトサンについては、本反応により1つのアミノ基に2つのアルキル基が導入可能で、前述の還元的N‐アルキル化反応よりも、高い効率でN‐カルボキシメチルキトサンが調製でき、更に反応条件を最適化選択することで、均一な化学構造を有するN,N‐ジカルボキシメチルキトサンが得られた。

本法で調製したN‐あるいはN,N‐ジカルボキシメチルキトサンは広いpHで水可溶化したが、一部の狭いpH領域で白濁あるいは沈殿した。この挙動はN‐カルボキシメチルキトサン中の電離したカルボキシル基由来のアニオン性部分と、プロトン付加によってカチオン性となったC‐2位のアンモニウムイオン部分の荷電バランスで説明でき、等電点付近で分子間あるいは分子内での静電反発を失うためである。また、この等電点のpH付近では肉眼では認められないが、N‐カルボキシメチルキトサン1分子が分子内でポリイオン錯体を形成し、10 nm未満の分子単位のナノ粒子を形成していることが明らかになった。このような1分子でのナノ粒子形成はN‐カルボキシメチルキトサンに特有な挙動である。

上記のようなpH応答性のN‐カルボキシメチルキトサンナノ粒子は選択的薬物輸送(ドラッグデリバリーシステム)への利用の可能性がある。そこで、抗がん剤の一種であるマイトマイシンCをN‐カルボキシメチルキトサンナノ粒子に担持させたところ、マイトマイシンCの放出速度はpH 10で最も高く、等電点付近のpH2では最も低い結果となった。すなわち、pHに依存して薬剤放出速度を制御できることから、ドラッグデリバリーシステムに適用できる条件を満たしていることが判明した。一方、課題としては薬剤の担持比率を上げることなどである。

単離精製したキチンは、その高結晶性のミクロフィブリル表面に比較的高密度でC2‐アミノ基を有している。そこで、上記の炭酸水素ナトリウムを助剤とするN‐アルキル化反応を単離精製した固体キチンの表面化学修飾に適用した。その結果、キチンの結晶構造、結晶化度、結晶サイズを変化させることなく、フィブリル表面のC2‐アミノ基に電離によりマイナス荷電を有するカルボキシメチル基を導入することができた。得られたN‐カルボキシメチル化キチンを水中で超音波による解繊処理したところ、キチンの由来によって異なる形態のナノファイバーあるいはナノウィスカーの水分散液を得ることができた。しかし、固体のキチンに対する不均一な反応であるため、N‐カルボキシメチル基をアミノ基量に対して1:1以上導入量することは困難であり、ナノファイバー化収率が低いという課題があった。しかし、最適なN‐アルキル化反応条件を見出すことで、本方法により高結晶性キチンフィブリルの水中あるいは有機溶剤中でのナノ分散化が可能であると考えられる。

以上のように、キトサンおよびキチン結晶表面のN‐アルキル化の反応条件の検討と、得られた反応生成物の構造および特性解析により、キトサンの新規誘導体化法を明らかにした。また、得られた新規反応生成物はpH応答性の1分子型のナノ粒子形成が可能であった。更に、N‐アルキル化反応を適用することでキチンの結晶表面のC2‐アミノ基に対する選択的な化学改質などを提案できた。これらの研究成果は、学術的にも技術的にも貴重であり、キチンおよびキトサンの基礎科学はもとより、新規バイオ系ナノ材料開発分野等の観点からも高く評価される。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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