学位論文要旨



No 128102
著者(漢字) 進士,淳平
著者(英字)
著者(カナ) シンジ,ジュンペイ
標題(和) クルマエビ類Litopenaeus vannamei の低塩分順応機構に関する生理学的研究
標題(洋)
報告番号 128102
報告番号 甲28102
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3818号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 マーシー,ワイルダー
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 教授 金子,豊二
 水産総合研究センター 甲殻類グループ長 浜野,かおる
 東京海洋大学 教授 ストルスマン,カルロスアウグスト
内容要旨 要旨を表示する

序論

エビ類は養殖が最も盛んに行われている水産資源の一つである。特に近年、エビの国際的な需要の増大に伴い、世界の養殖エビ生産量は1994年から2002年にかけて約2倍に急増している。こうした養殖生産および貿易の拡大を受け、エビ養殖は東南アジアを中心とした開発途上地域の人々の生活を支える貴重な収入源になっている。

エビ類を養殖する際、育成や種苗生産などそれぞれの目的に適した飼育環境を作ることは欠かすことが出来ない。効率の良い養殖にはストレスの少ない飼育環境を設定することが重要である。環境ストレスに対する体内環境の維持にのみ多くのエネルギーが必要とされれば、それは成長や成熟が阻害される大きな要因になる。また、高ストレス環境下での養殖は、品質の低下や大量斃死を招く原因となる。特に、養殖現場では降雨および河川からの淡水流入による急激な塩分低下が起こり易く、低塩分ストレスに起因する成長率の悪化や大量斃死の危険性が常に伴っている。そのため、低塩分条件下における生理学的知見はエビ養殖において非常に重要である。

これまでの研究で、甲殻類は、低塩分条件下において能動輸送による体液浸透圧の調節と組織中のオスモライト量を変化させる細胞内等浸透圧調節を行っていることが明らかにされている。しかし、こうした浸透圧調節機構の研究は、環境浸透圧への順応メカニズムに焦点をあてたものが主流であり、低塩分条件下におけるエネルギー供給機構はほとんど注目されてこなかった。そこで、本研究では、世界的に養殖が盛んに行われているクルマエビ類Litopenaeus vannameiを用い、低塩分順応過程におけるエネルギー供給機構の体系的な解明を試みた。

第1章 体液浸透圧調節とエネルギー消費

本章では、体液の浸透圧調節とエネルギー消費の状態を把握するため、低塩分暴露時の塩分および時間経過ごとの血リンパ浸透圧および酸素消費速度を分析した。血リンパ浸透圧は塩分3, 7, 14および28 ppt(control)の各塩分のうち3 pptで最も低く、また低塩分暴露6および24時間後と比較して96時間後には有意に上昇した。また、エネルギー消費量の指標である酸素消費速度は、環境の塩分低下とともに増大したものの、低塩分暴露96時間後には低下する傾向を示した。これらの結果は、低塩分暴露時に体液浸透圧が低下し、一時的にエネルギー消費量が増大するものの、時間経過とともに環境塩分に順応し、エネルギー消費量が減少することを示唆している。

第2章 低塩分順応時に作用するホルモンの探索

第1章の研究で、環境の塩分低下に伴い多くのエネルギーが消費されることが示唆された。こうしたエネルギー供給にはホルモンによる制御が関与している可能性が高い。このことから、本章では甲殻類のエネルギー代謝に深く関与しているとされる甲殻類血糖上昇ホルモン(以下CHH)に着目し、その中から低塩分順応時のエネルギー供給に関与するものの探索を試みた。HPLCによるサイナス腺中CHHの網羅的な分析を行った結果、本種の既知のCHHのうち、SGP-Gのみが低塩分条件下で減少することが明らかとなった。また、同条件下において血リンパを採取し、ウェスタンブロット法によって分析したところ、低塩分ストレス条件下でSGP-Gが検出された。サイナス腺はCHHを蓄え必要に応じて血中に分泌する器官であることから、これらの結果は、SGP-Gが低塩分条件下でサイナス腺から血中に分泌されるCHHであることを示している。

第3章 低塩分順応時に作用するホルモンの機能

第2章までの研究で、L. vannameiの既知のCHHのうちSGP-Gが低塩分暴露時のストレス応答に関与していることが示唆された。このことから、本章ではSGP-Gが低塩分暴露時のエネルギー供給に関与しているか確認するため、まず低塩分ストレス条件下における血中成分の変化を分析した。その結果、血中グルコース、L-セリン、グリシン、L-アルギニン、D-、L-アラニンおよびタウリン濃度がコントロール区と比較して顕著に増加した。これに基づきSGP-Gのバイオアッセイを行った結果、SGP-Gには血中グルコース濃度を上昇させる作用があることが示された。しかしその一方で、SGP-Gには血中遊離アミノ酸の供給促進作用はなく、これらは他の機構により供給されている可能性が示唆された。

第4章 遊離アミノ酸による細胞内等浸透圧調節

第3章の研究により、低塩分ストレス条件下ではSGP-Gによる内分泌的な制御とは別の異なる機構により、血中に遊離アミノ酸が供給されることが示唆された。こうした機構の候補として、本研究では細胞内等浸透圧調節に着目した。低塩分暴露時の塩分ごとの筋肉中および血中の遊離アミノ酸および無機イオンの分析を行った結果、低塩分暴露に伴い筋肉中の総無機イオン量が変化しなかったのに対し、総遊離アミノ酸量は有意に減少した。また、このとき血中の遊離アミノ酸のうちL-セリンおよびグリシンが有意に増加していた。これは、本種が低塩分暴露時に組織中の遊離アミノ酸を血中に排出することで組織中の無機イオンのバランスを維持することを示唆している。

第5章 低塩分順応過程における遊離アミノ酸の消費

第4章の研究により、組織中の遊離アミノ酸が低塩分順応の過程で血中に移行することが示唆された。アミノ酸は主要な呼吸基質の一つであることから、第4章においてみられた細胞内等浸透圧調節に伴い血中濃度が上昇したアミノ酸の役割はグルコースなどと同様にエネルギー源であると考えられる。このことから、本章では血中に排出されたアミノ酸の呼吸基質としての役割について検討した。低塩分暴露時にアンモニア排泄速度が上昇し、O/N比が低下したことから、低塩分暴露時にはアミノ酸などの窒素化合物がエネルギー源として積極的に利用されていることが示唆された。また、低塩分暴露時に血中で有意に増加したL-セリンについて分析を行ったところ、L-セリンをピルビン酸に変える酵素であるL-serine ammonia lyaseの活性が筋肉中で上昇していた。これは、血中で増加するアミノ酸がエネルギー源として利用されることを裏付けている。

総合考察

以上の研究により、低塩分条件下ではCHHによる内分泌的な制御を受けるエネルギー供給系と細胞内等浸透圧調節に付随したエネルギー供給系がともに存在することが示唆された。こうした2つのエネルギー供給系の共存は、体液浸透圧を一定に保つ能力が低く、細胞内等浸透圧調節に依存する種が多い水棲無脊椎動物に共通の現象であると予想される。今後、低塩分条件下における呼吸代謝経路を詳細に解明することで、水棲無脊椎動物の浸透圧調節に伴うエネルギー供給系の全体像が明らかにされるとともに、エビ養殖技術の発展につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

序論

エビ類を養殖する際、育成や種苗生産などそれぞれの目的に適した飼育環境を作ることは欠かすことが出来ない。効率の良い養殖にはストレスの少ない飼育環境を設定することが重要である。環境ストレスに対する体内環境の維持にのみ多くのエネルギーが必要とされれば、それは成長や成熟が阻害される大きな要因になる。また、高ストレス環境下での養殖は、品質の低下や大量斃死を招く原因となる。特に、養殖現場では降雨および河川からの淡水流入による急激な塩分低下が起こり易く、成長率の悪化や大量斃死の危険性が常に伴っている。そのため、低塩分ストレス条件下における浸透圧調節に関する知見はエビ養殖において非常に重要である。

これまでの研究で、甲殻類は、能動輸送による体液浸透圧の調節と組織中のオスモライト量を変化させる細胞内等浸透圧調節を行っていることが知られている。本研究では、世界的に養殖が盛んに行われているクルマエビ類Litopenaeus vannameiを用い、低塩分順応過程における浸透圧調節メカニズムの体系的な解明を試みた。

第1章 体液浸透圧調節とエネルギー消費

本章では、体液の浸透圧調節とエネルギー消費の状態を把握するため、低塩分暴露時の塩分および時間経過ごとの血リンパ浸透圧および酸素消費速度を分析した。血リンパ浸透圧は塩分3, 7, 14および28 (control) pptの各塩分のうち3 pptで最も低く、また低塩分暴露6および24時間後と比較して96時間後には有意に上昇した。また、エネルギー消費量の指標である酸素消費速度は、環境の塩分低下とともに増大したものの、低塩分暴露96時間後には低下する傾向を示した。これらの結果は、低塩分暴露時に体液浸透圧が低下し、一時的にエネルギー消費量が増大するものの、時間経過とともに環境塩分に順応することを示唆している。

第2章 低塩分順応時に作用するホルモンの探索

第1章の研究で、環境の塩分低下に伴い多くのエネルギーが消費されることが示唆された。こうしたエネルギー供給にはホルモンによる制御が関与している可能性が高い。このことから、本章では甲殻類のエネルギー代謝に深く関与しているとされる甲殻類血糖上昇ホルモン(以下CHH)に着目し、その中から低塩分順応時のエネルギー供給に関与するホルモンの探索を試みた。HPLCによるサイナス腺中CHHの網羅的な分析を行った結果、本種の既知のCHHのうち、SGP-Gのみが低塩分条件下で減少することが明らかとなった。また、同条件下において血リンパをウェスタンブロット法によって分析したところ、低塩分ストレス条件下でSGP-Gが検出された。サイナス腺はCHHを蓄え必要に応じて血中に分泌する器官であることから、これらの結果は、SGP-Gが低塩分条件下で血中に分泌されるCHHであることを示している。

第3章 低塩分順応時に作用するホルモンの機能

第2章までの研究で、L. vannameiの既知のCHHのうちSGP-Gが低塩分暴露時のストレス応答に関与していることが示唆された。このことから、本章ではSGP-Gが低塩分暴露時のエネルギー供給に関与しているか確認するため、まずストレス条件下における血中成分の変化を分析した。その結果、血中グルコース、L-セリン、グリシン、L-アルギニン、D-、L-アラニンおよびタウリン濃度がコントロール区と比較して顕著に増加した。これに基づきSGP-Gのバイオアッセイを行った結果、SGP-Gには低塩分暴露時の血糖上昇を制御していることが示唆された。しかしその一方で、SGP-Gには血中遊離アミノ酸の供給促進作用はなく、これらは他の機構により供給されている可能性が示された。

第4章 遊離アミノ酸による細胞内等浸透圧調節

第3章の研究により、低塩分ストレス条件下ではSGP-Gによる内分泌的な制御とは別の異なる機構により、血中に遊離アミノ酸が供給されることが示唆された。こうした機構の候補として、本研究では細胞内等浸透圧調節に着目した。低塩分暴露時の塩分ごとの筋肉中および血中の遊離アミノ酸および無機イオンの分析を行った結果、低塩分暴露に伴い筋肉中の総無機イオン量が変化しなかったのに対し、総遊離アミノ酸量は有意に減少した。また、このとき血中の遊離アミノ酸のうちL-セリンおよびグリシンが有意に増加していた。これは、筋肉中の遊離アミノ酸が低塩分順応の過程で血中に移行したことを示唆している。

第5章 低塩分順応過程における遊離アミノ酸の消費

第4章の研究により、低塩分暴露時にL. vannameiは組織中の遊離アミノ酸を血中に排出することで組織中の無機イオンのバランスを維持することが示唆された。第3章において低塩分ストレス条件下における血中遊離アミノ酸の役割はエネルギー源であることが示唆されていることから、細胞内等浸透圧調節に伴い血中濃度が上昇したアミノ酸の役割もエネルギー源であると考えられる。このことから、本章では血中に排出されたアミノ酸の呼吸基質としての役割について分析を行った。低塩分暴露時にアンモニア排泄速度が上昇し、O/N比が低下したことから、低塩分暴露時にはアミノ酸などの窒素化合物がエネルギー源として利用されることが示唆された。また、低塩分暴露時に血中で有意に増加したL-セリンについて分析を行ったところ、L-セリンをピルビン酸に変える酵素であるL-serine ammonia lyaseの活性が筋肉中で上昇していた。これらは、血中で増加するアミノ酸がエネルギー源として利用されることを裏付けている。

総合考察

以上の研究により、低塩分条件下ではストレスに対し共通のエネルギー供給系と浸透圧調節に付随したエネルギー供給系がともに存在することが示唆された。これは、体液浸透圧を一定に保つ能力が低く、細胞内等浸透圧調節に依存する種が多い水棲無脊椎動物に共通の現象であると予想される。今後、本研究により得られた成果を発展させることで、低塩分条件下で効率的なエビ養殖が実現されることが期待される。

以上により、審査委員一同は、申請者を博士(農学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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